孤独であることには慣れている。――はずだった。
は泣き腫らした重たい瞼を何とか持ち上げて、夜のハイウェイをひた走っていた。いつもなら、仕事帰りには好みの音楽を聴いて鼻歌でも歌いながらゆっくり走るのだが、どうもそんな気分にはなれなかった。基本法定速度+九キロメートル毎時の速度以下でしか走行しない彼女が、事故を起こしたって構うものか。どうせ自分は死なないんだ。とでも言うように、アクセルを踏み込んでいた。死なないという特性で他人に迷惑はかけないというのがモットーだったはずなのに、今の彼女はそんなことすら完全に忘れている。
死んだって、傷ついたって、本気で悲しんで涙を流してくれる人なんて今の自分にはいない。いっそのこと、もう永遠に死んでしまおうか。そんなの簡単にできる。私が生き返ることを望まなければいいだけだ。もし、私がそうやって死んだら、一体誰が涙を流して悲しんでくれるだろう。
今までは、いつか白馬に乗った王子様が自分の前に現れるだろうと、希望を持っていられた。そのいつか、という日が来たはずだった。だが、チャンスを掴み損ねたのだ。だから彼女は絶望していた。
泣き過ぎで鈍い片頭痛に苛まれていた。胸はズキズキと、歯痛のように疼いていた。もうこんな感覚には耐えられない。何も感じなくなってしまいたい。殺して欲しい。チョコラータに。そうすればきっと、また気持ちよくなれて、少しの間だけでも忘れられるはず。――ああ、でも、もう殺してもらえないんだった。
何故かと考えても答えは出ないので、いっぱいいっぱいになる前に、何故別れなければならないのかチョコラータに聞いてみようと思った。だが彼の姿を思い浮かべるだけで胸が痛む。そして死にたいと思う。だが殺してはもらえない。の感情は負のスパイラルに陥っていた。
気付いた時には、チョコラータの家のだだっ広い庭に車を停めていた。知らない内にハンドル横のシリンダーから鍵を抜き取っていて、しんとした車内でぼうっと前方を眺めていた。どうやってここまでたどり着いたかもよく覚えていない。片頭痛に苛まれているせいで、思い出そうと頭を使う気すらしなかった。
は指の腹で目尻の涙を拭い去ると、助手席に置いたショルダーバッグを手にしてゆっくりと車から降り、玄関へと向かった。リビングのカーテンの隙間から明かりが漏れている。きっとチョコラータがいるのだろう。そう思うと瞬く間に家へと向かう足が重くなった。車内で落ち着きを取り戻したはずなのに、胸がざわついて、再びズキズキと疼きだす。
は込み上げてくる感情を必死に呑み込んで玄関の扉を開けた。
「……早かったな」
リビングに入るとが想定していた通り、チョコラータがソファーに腰掛けて何かの学術書を読んでいた。いつもなら本から目を逸らさず顔すら見ないでさっさと夕食を作れ腹が減った。とでも言うのに、今日の彼は違った。本を閉じて卓上にそっと置き、顔をの方へ向けたのだ。まさか顔を見られることになるとは思っていなかったは、慌てて足を動かしてごくりと唾を飲み込んだ。
「すぐに夕食を準備するわ」
震える声でそう言ってそそくさとキッチンへ逃げ込む彼女を、チョコラータは何も言わずに見送った。
いつも笑顔で世迷言を並べ立てるが珍しく大人しい。赤くなった目と上ずった声。――かなり新鮮な姿だ。
昨晩彼女が長い眠りから目覚めた後にもう殺してやれないと告げるなり、はひどく動揺した様子で自室へと駆けて行った。一週間もの間胃に物を入れていなくて腹も減っているだろうに、それきりリビングにもキッチンにも風呂場にも姿を現さなかった。朝はチョコラータが一階へ降りる前に仕事へ出ていて、今に至る。きっと今日は一日中断続的に泣き続けていたのだろう。
夕食を待つ間、が泣いているのは何故かと考えた。聞くところによると、彼女はこれまでほとんど職場と家の往復しかせず孤独な毎日を送っていたという。これは聞きたくもないのに、夕食を共にする間が話していたことだ。
そんな自分がチョコラータと出会えたのは運命としか思えない。彼女を初めて手にかけた日に言ったことを、とても幸せそうに何度も何度も聞かせてきた。
だから運命の相手と結ばれないと悟り絶望しているのだ、と察しがついた。
これまでのチョコラータであれば、世迷い言と心の中で一蹴して、そうかと一言で流すような話だ。だが、心変わりをした今の彼もまた、彼女との出合いを運命だと思った。彼女と出会わなければ、そして彼女の秘められた"何か"に気づかなければ、ボスに反旗を翻そうなどと決意しなかったかもしれないからだ。
を殺すためなら何でもする。そう決意したチョコラータは、彼女の心を支配したいと考えた。
自分のことを――厳密に言えば、何の躊躇いも無く与えられる死によって得られる快楽を――思って泣いているのはいい兆候だ。そして、今から別れるまでの間に、もしかするとという微かな希望を持たせるのだ。
しばらくすると、トレイに二人分の夕食を乗せてがリビングへ戻ってきた。顔を見られまいと伏せている。料理や食器をテーブルにセッティングすると、彼女はそそくさとチョコラータから離れていこうとした。すかさず彼はの細い手首を取って引き留めた。
「もう一つはお前の分じゃないのか」
「……いいえ。セッコ君の分。これから呼びに行くわ」
「食事はきちんと取れ」
「食欲が無いの」
「食べろ。食べないなら私が無理矢理にでも食べさせてやる」
いささか乱暴にの腕を引き、チョコラータは彼女をソファーへ座らせた。反抗する気力も無いのか、彼女は黙ってその場にとどまり床に視線を落とす。その間にかちゃかちゃと食器が鳴って、先程自分が焼いたチキンの香草焼きの欠片が口元に近づいてきた。
「お前の作る料理は美味いんだ。だから分けてやるのはあまり気が進まないんだが仕方ない。ほら、さっさと食え」
作った料理に対する褒め言葉を、はこの時初めて聞いた。それに、チョコラータが彼女の体を労るような言動をするのも初めてだった。自身を散々殺しまくった彼のそれと思うと滑稽だったし、今の彼女にとってはその優しさが嬉しいんだか悲しいんだか分からない。
「もうお別れなのに……優しくなんか、しないで」
「だからこそだ。別れるまでの数日間で、少しでも立ち直ってほしい。私はお前のこれからのことを心配しているんだ」
一体、一週間眠り続けていた間、自分を取り巻く世界に何が起こったと言うのだろう。チョコラータがこんなに優しいなんておかしい。まるで別人だ。は涙をこぼしながら考えた。だが、意識の外で起こったことなど分かるはずもないのですぐに諦めた。と、言うよりも、尚も続く偏頭痛のせいで何も考えたくなかった。そして、唇に当てられた肉を口に含んだ。
・という女のいい点は、怒りをあらわにしないことだ。相対する人間がいくら自分の意志に反することをしようとも、彼女は完全には拒絶しない。殺害を許容してしまうのだからそれ以上のことはない気もするが、何にしても彼女は柔順だ。そして今、彼女は完全に私という存在に、死に、依存している。だから彼女を精神的に支配するのは容易いことだ。
チョコラータは、彼女が求めるものすべて――もちろん、組織に禁止された殺人行為は除いてだが――を与えてやろうと考えた。彼女が死以外で求めているのは、どうしょうもない孤独感を埋められるだけの、途方も無い愛。全ては彼女を呪縛し心を繋ぎ止め、遠くない未来にボスの手から彼女を奪取し、我が物とするため。そして、・という女の全てを解明した暁に、彼女に永遠の死を与えるためである。
「チョコ、ラータ……ありがと……もうお口の中、いっぱい」
どんぐりをめいいっぱい頬袋にため込んだリスのように、もごもごと口を動かしながらはやんわりと断った。チョコラータは思考を巡らせている間、無意識のうちに次から次へと彼女の口に食べ物を放り込んでいたようだ。いくら拒絶しないからと言っても、これはやりすぎだな。間抜けな困り顔で必死に食べ物を嚥下しようと奮闘している彼女を見て、チョコラータはふんと鼻を鳴らした。
「間抜けな顔に拍車がかかってるな」
「うう……。あなたのせいじゃない……」
必死の思いで口の中の物を飲み込んで一息ついて、はソファーから立ち上がった。
「もういいのか」
「ええ。お腹もいっぱい。……ありがとう。少し、元気が出たわ」
「低血糖は良くない。血糖値が下がるとアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンが分泌されて、闘争・逃走反応が起こる。行動は衝動的になって理性的な判断ができなくなるんだ。お前が今情緒不安定なのもきっとその所為だ」
「さすが、元お医者様。とにかく、私が少し落ち着けたのはごはんを食べたから、ということね。でもやっぱり疲れてるから、今日はもう寝るわ。食べた後の食器は軽くすすいでお台所に置いておいて。起きてから私が洗っておくから。……おやすみなさい、チョコラータ」
「ああ、おやすみ」
やっぱり、チョコラータの様子がおかしい。おやすみと言っておやすみと返ってきたことなんて、これまで一度も無かった。気味が悪いような、でも嬉しいような、変な気分だ。
もうお別れだというのに、どうして今になって優しくするの?前に言ってた"仕事"というのが終わって、やっと私と別れられるとせいせいしてるのかしら。それとも、いざ別れるとなると寂しくなった?……まさかね。
自嘲的な笑みを浮かべながら、は冷たいシャワーを浴びていた。降り注ぐ水は滲み出てくる涙を洗い流してくれて、頭は幾分冴えたような気がした。だが、マシになったのは頭だけ。胸の疼きは、冷たさで鋭くなった感覚のせいでますます浮き彫りになった。
この胸の痛みを取ってくれる薬があればいい。チョコラータは医者なのだから、どうにかしてくれないものだろうか。
実のところ、胸が傷んでいるのはその医者が原因だし、そもそも彼は精神科医ではない――知識はあるが患者の治療にあたったことはない――ので、この重度の快楽依存症患者を治すのは難しいだろう。
と、言うよりも、を依存症にしたのは紛れもないチョコラータだ。には依存症という自覚はない。もとより、依存症患者とは往々にしてそうである。だからチョコラータのせいでこうなったという自覚も無い。自分が快楽を求めるのは元々の性質だと。
以前は全くそんなことは無かったのに、彼女はこの三ヶ月ですっかり死ぬことに慣れてしまっていた。歯止めが効かなくなり、あの快感を得るためならいくらでも死ねる。チョコラータに、そんな体にされてしまったのだ。
あれ……何かしら、動悸がしてきた。
異変に気づいたのは、濡れた髪を乾かした後、二階にある寝室に入った時だった。彼女は体力に自信があるわけではなかったが、流石に階段を一階分上がっただけで動悸、息切れに悩まされるほど年老いてはいない。
扉に背を預けてうつむいた。口から心臓が飛び出そうなほどの圧迫感を覚えた。ズキズキと痛むのは元からだが、さっきまで呼吸もままならないほどではなかったし、体が火照るような感覚もなかった。じわりと額に汗が滲み出てきて、こめかみから顎に向って流れ落ちていく。
これはおかしい。は焦ってベッドに駆け寄り仰向けになった。胸は激しく上下していて、双峰の頂は切り立っている。外気に触れただけで勃起することもある部位だが、室内はそれほど寒く無いし、薄地とは言えランジェリーも着ている。
何か得体のしれない症状は短時間で著増していった。喉が締め付けられるような感覚。じっとしていられない。疲れているはずなのに、眠れそうにない。
ベッドに潜り込んで目を瞑り、寝よう寝ようとばかり考えただったが、視界を遮断すると逆に他の感覚が冴えて体に起きている異変が際立ってしまった。一時間ほど態勢を変えたり、窓の外を少し眺めたり、本を読んだり――読みはじめて一分と経たないうちに閉じた――して眠気が来るのを待ったが、体の火照り、動悸といった諸症状は改善するどころか悪化の一途を辿った。過呼吸になりそうになったとき、やっとのことでチョコラータを頼る決心をしたは、壁に体を預けながらふらつく体を必死に動かして寝室を後にしたのだった。
だが、今夜は違った。こんなことは、彼がこの家に住み始めて初めてのことだ。静寂を打ち破ったのは扉をノックする音。控えめな力ない音だったが、チョコラータは聞き逃さなかった。
か……?
セッコは寝ているか、パソコンゲームにでも没頭している時間だ。甘いものを欲しがる時間でもないし、十中八九、扉の向こうにいるのはだろう。チョコラータは本を閉じてテーブルに置くと、ゆっくりと椅子から離れ戸口へと向かった。
「チョコ、ラータ……」
開けた扉の向こうにいたのは予想通り、だった。ただ、いつもと様子が違う。
「どうした」
「体が……おかしいの……」
顔面潮紅、発汗、息切れ……と言うよりも過呼吸気味。体に力が入らないのか壁にもたれ掛かっている。体調はすこぶる悪そうだが、現時点でこれという病状は見られない。
「お薬がほしい……」
「お前の体に何が起こってるのか現時点で少しも分からないのに薬はやれん。入れ。診てやろう」
ここはチョコラータの寝室だ。彼にはここで誰かの診察をするつもりなど毛頭なかったので、患者と対面できるスペースなど用意していない。もっと言えば、そもそもこの家に患者など――ボスに振られた仕事でない限り――来ない。
部屋に招き入れたはいいが、をどこに座らせるべきかと一度部屋を見渡して、チョコラータは結局、キングサイズのだだっ広いベッドに座らせた。部屋の照明に明かりをともし、項垂れたの顔を優しく持ち上げる。瞼をめくったり、口を開けさせて喉の奥をみたり、医者がやるようなことをひと通りやった結果、特に異常は見当たらなかった。ただ、心臓がやけにうるさく、そして早く高鳴っていた。体温も上昇しているようだが、四十度以上の高熱というわけではない。重要なのは、過換気発作を起こしているという点だった。
おそらく私と別れなければならないというストレスからきた心因性の症状。実にいい兆候だ。
チョコラータは心内でほくそ笑んでいた。
「どう悪いんだ。特に薬を出してやるほどの異常はない」
「嘘……こんなに、胸が苦しいのに。動悸がひどいのよ……。それに、あなたの前にいると……ますます酷くなってる気がするわ……」
まあ、ほとんど原因は私にあるからそれは仕方がないかもしれない。だが単なるストレス、というだけではなさそうだ。
チョコラータはの体を上から下に向ってじっくりと観察した。目のやり場に困るような艶めかしい格好をしたの胸元は、さらに目のやり場に困るような状態になっていた。股をきつく閉じながら下肢をこすり合わせるようにもぞもぞと動かしている。彼にじっくりと見られていると自覚したは、正面から顔をそらして恥じらいを見せた。
素っ裸になるのは厭わないのに、何を今更。チョコラータはそう思ったが、何も着ていないより着ている方が逆に扇情的だとも感じた。そして彼は、がこの家に初めてきた時から一度も感じたことのなかった欲に駆られ始めていた。
さらに、彼の医者としての一面はひとつの仮定に辿り着いていた。
離脱症状と言うものがある。依存症患者が、常用の上依存していた薬物等の服用を突如中止したり、減量することで発現する様々な身体的、精神的な症状。所謂、禁断症状と呼ばれているものだ。
を殺さなくなって一週間以上経っている。それまで、少なくとも三日に一度は殺して"やって"いたので、彼女の脳は完全に死によって得られる快感に慣れてしまっているのだろう。快感が得られない時間が長く続くと、逆にそれが異常であると認識した脳が、このような諸症状を引き起こしているのかもしれない。
こればっかりは他に症例がないので断言はできないが、おそらくの脳が例の快感を求めさせようと、離脱症状という形で訴えている結果だろう。ならば、彼女が感じている快感に近いものを与えてやれば症状は落ち着くかもしれない。
「。先に断っておくと、お前のこの症状を治めてやれる薬なんて存在しない」
「そんな……」
チョコラータは一度から離れ、ベッドサイドにあるチェストの引き出しからアロマポットとアロマオイルを取り出した。受け皿にオイルを数滴たらし、キャンドルに火を灯す。そして部屋の照明を落とし、ふたたびの元へと歩み寄った。
は目をしばたたかせた後、突如訪れた薄闇に目を凝らした。アロマキャンドルのわずかな明かりで、橙色に照らされたチョコラータの顔。無表情なそれがの目にはどこか妖艶に見えて、胸は一度大きく高鳴った。同時に、イランイランの甘く魅惑的な香りが鼻腔をくすぐった。
「イランイランの香りには、リラックス効果、血圧を下げる効果、そして誘眠作用がある。ストレスで動悸が激しくて眠れないっていう、今のお前にピッタリなんだよ」
そして、催淫効果もある。インドネシアの新婚夫婦の枕元にイランイランの花びらが撒かれる習慣があることなど、きっとは知らないだろう。
「スリッパを脱いで、横になるんだ」
「で、でもここは……チョコラータ、あなたのベッドだわ。それに、お薬がないならどうしようも……」
「。薬は無いが対症療法ならある。とは言っても、他に死ぬことで得られる脳内麻薬に依存してる患者なんて診た試しがないから、効くかどうかは分からんがな。……お前のそれは禁断症状だ。だから一度殺してやれば症状は一時的に良くなるだろう。だが、よく考えてもみろ。薬物依存症を治そうとする医者は患者にヤクなんて処方しないだろう?」
「やっぱり、殺してはくれないのね……」
落胆するの耳元で、チョコラータは囁いた。
「それよりもっといい気分になれるかもしれないぞ」
「え……?」
言うが早いか、チョコラータはをベッドへと押し倒した。慌てふためく彼女をよそに首元へ顔を埋め、喉から耳の裏側までをべろりと舐め上げる。ゾクゾクと全身が粟立つような感覚に、は眉根を寄せて身悶えた。
流石のも、この状況でチョコラータが何を始めようとしているのか予想はついた。あのオーガズムを、死なずに得させてみようといのだろう。だが彼女の予想は当たらずとも遠からず、といった所だった。
「チョ……チョコラータ、何するの」
「ん?何を期待してる。まずは、自分でやってみるんだ」
「じ……自分で……?」
「なんだ。ひとりの寂しい夜に一度くらいはやったことがあるだろう?」
チョコラータはの利き手を片側の乳房へとあてがった。もう片方の手は、彼女の股座へ。にやりと嗜虐的な笑みを浮かべたチョコラータは、それきりの体へ触れようとはしなかった。
「私はお前を心配しているんだ。なあ、この家から出た後、またこんな発作が出たらどうする?ひとりでどうにかしなくっちゃあならないんだぞ」
「でも私、あまり自分でしたこと……ないの。それに……チョコラータ。あなたの前でなんて、とても……」
「やり方が分からないんだろう。教えてやる」
「んっ……」
チョコラータはの手首を掴んで、盛り上がった丘のてっぺんに指先が触れるよう仕向けた。痛いくらいに突きでた乳首に自分の指が少し触れただけで、身体に電撃でも走ったかのような快感だった。そしてはこの一瞬で理解した。何故、外気に触れているわけでもないのに乳首が勃起していて、チョコラータを見た瞬間から、ショーツがぐしょぐしょになるくらいに濡れだしたのか。
私の身体が、そして心が、どうしようもなくチョコラータを――快楽を――求めている。
布越しに優しく触れると気持ちが良い。いつの間にかの指は勝手に動き出していた。チョコラータは、そんなの姿をじっと見つめていた。
「乳首には迷走神経ってのが通っていて、それは脳と膣とに繋がってるんだ。だから今のお前は気持ちがいいと思っているし、下の方もすっかり濡れてきてるはずだ。我慢ができなくなったなら、別に私の言うことなんて気にせず下だっていじっていいんだぞ?」
違う、下が濡れてるのは、前からよ。あなたを見た瞬間に溢れ出してきたの。
はそう思ったが、流石に口にするのははばかられた。代わりに下唇を噛んで、物欲しそうな、涙に濡れた瞳をチョコラータに向ける。
「ねえ、まだ……自分でしないと、だめ?」
「ダメだな。お前の迷走神経は、乳首を触っただけでイケるほど発達してない。むしろ脳内麻薬の所為で神経は麻痺しているかもしれない。……時間がかかるだろうな」
「いや、そんなの待てない……ねえ、殺して?殺してくれたら、すぐ……でしょう?」
チョコラータは何も言わず首をただ横に振るだけだった。は再度眉根を寄せて身をよじった。相変わらず胸は疼くし、頭が重い。身体は熱機関のように熱いし、その熱のせいでますます頭がぼうっとする。
早く楽になりたい。
のもう片方の手は、ゆっくりとショーツの中へ潜り込んでいった。
「いいぞ、。クリトリスを刺激するんだ。まずは皮の上から、優しく、撫でるように。強く触ると痛いからな」
あなたにもクリトリスあるんじゃないの?何で男であるはずの彼がこんなに女体の構造に詳しいんだろう。医者の知識があるからというのもあるんでしょうけど、きっと女性とたくさん性行為に及んだんでしょうね。そして、そうやって悦ばせた女という女をことごとく殺してきたんだわ。ああ、私もそうやって殺してくれたらいいのに。
「あっ……だめ、こんなのじゃ……ねえ、チョコラータ。お願い……」
「欲しがるな。まだダメだ。一回くらい自分で処理してみろ」
「無理よ……朝になっちゃうわ……」
「まったく、我慢の利かない女だ」
チョコラータは呆れたように溜息を吐くと、の上体を起こして背後に回った。開いた股の間に彼女の火照った体を置いて、背中を前面に預けさせた。
「胸の方は私がいじっていてやる。お前は下に集中しろ」
耳元でチョコラータの低い声がする。それだけでぞわりと肌が粟立った。が首を傾げると、開いた方の肩にチョコラータの顎が乗せられる。きっとしっかりと上から見られているんだろう。自分の胸も、下を自分でいじっているところも。はごくりと唾を飲んだ。信じがたかったが、確かに興奮していた。胸の高鳴りは元からだが、腹の下のあたりがより一層に疼いた。チョコラータの両手が両の乳房を揉みしだきながら、優しく突端を指先で弾く。弾かれる度に、は息を漏らす。
「いつ中に指を突っ込んだんだ?……まあいい。ただ出し入れするだけじゃなく、その状態で指を中で折り曲げて見ろ。……そう、そうだ。恥骨の裏側を押しながら掻くように動かすんだ」
「あっ……だめ、これ……ん、何か……出ちゃいそう……」
「ほう。案外感度はいいみたいだな。別に汚したっていい。そう汚いものでもないからな」
嘘だ。尿道から出てきそうだと言ってるのに、汚くない訳が無い。は未知の快感に困惑の色を隠せなかった。チョコラータのベッドを汚してしまうという躊躇いで指が止まる。だが、チョコラータに乗っ取られた上半身を襲う快感は、容赦なくの思考回路を麻痺させていく。もうどうなったって構わない、早く達してしまいたい。乳首から膣へと伝達される刺激を追うように、彼女は必死に手指を動かした。
「いや……っ、あ、あん……だめ、ね、チョコ、ラータ……来てる……そこまで、そこまで何か、あっ……ああっ」
迫りくる快感に耐えられず下半身に少し力を入れた途端、無色透明の体液が尿道から噴き出した。ショーツは愛液とそれとでぐしょぐしょに濡れていて、ショーツが吸い取れなかった分が染み出してベッドシーツを濡らす。緊張が解けてだらりと力の抜けたの体を、チョコラータは背後から抱きしめた。そして優しく首筋にキスをする。
「ごめん……なさい……。シーツ、汚しちゃった……」
「それは腎臓を通って出てきた小便とは違う。だから気にするな。……よくできたな。。気分はどうだ?」
「……言われてみれば、少し良くなった……かも」
チョコラータの寝室を訪れた時よりもだいぶ呼吸が楽になっていた。頭痛も少しだけ緩和したような気がする。カッと火を噴きそうだった身体も、ぬるま湯につかっているような温かさにまで落ち着いている。
「これで眠れるだろう」
チョコラータはの背後から離れ、をベッドへと寝かせた。
「え……嘘でしょう……?」
「どうした。落ち着いたんじゃあないのか」
「これで、終わりなの?たったあれだけじゃ、足りないわ……」
潤んだ瞳で、は懇願する。
「お医者様なら、ちゃんと最後まで、診てよ……。まだ、胸がズキズキするの……。もう、何も感じないってくらい……気持ちよくなりたいの。ゆっくり眠りたいの。だから……」
そしてチョコラータの纏うローブの襟元を掴んで、彼の顔を引き寄せた。
「だからちゃんと、最後まで、して」
チョコラータはまた、心内でほくそ笑んだ。全て自分の思惑通りに事が進んでいる。
あくまで、から求めさせる。自分にはそんな意思は無い、そのスタンスを貫くのだ。他の誰にも……彼女にすらも気付かれてはいけない。いずれボスの管理から彼女を解放するつもりでいることなど、絶対に。だが今の彼女の前でどんな姿を晒そうと、きっと大丈夫だろう。
「。勘違いするなよ。これは治療だ」
「もう、何でもいいから……早く、ちょうだい」
今度は、自分の意思でにキスをした。自分の意思で、舌を使って歯を割って奥をまさぐった。チョコラータは、実は自分が心の底からを欲しているのだと今になって自覚した。それを悟られまいと自我を押し付けて飼いならすつもりでいたが、この時ばかりはそれができなかった。
一度イってしまえば冷静になれるだろうから、今は己の心に忠実になろう。
――今夜だけは、私がお前のノボカインになってやる。