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 別れの日時は唐突に告げられた。チョコラータ曰く、それが今夜らしい。

 近々別れることになるというのは分かってはいたが、心の準備をする時間などじゅうぶんには与えてもらえないようだ。はまたズキズキと痛み出した胸を押さえて俯いた。

「私がギャングだって話は前にしたな?」

 ソファーに座ってコーヒーを啜るチョコラータは至って平常通り。別に私と別れるからと心を痛めているようには見えない。は彼の話に気のない返事をした。それが一体どうしたと言うのだろう。私は今それどころではないのだけれど。

「私はパッショーネの構成員なんだ」

 その名を聞いた時は、ああ、パッショーネか。聞いたことがある名だ。と思った。組織の名前は覚えてはいたが、その名を最後に聞いたのがいつかは思い出せなかった。クスリに手を出さず、クスリに手を出す家族や友人がいなければ、関わり合いどころか名前すら耳に入れることも無いであろうその組織の名を、何故が知っているのか。彼女は遠い過去に思いを馳せた。

 父親がギャング組織の幹部だった。そして、パッショーネとの抗争の末に死んでしまった。

 は父親がギャングとして生きているところなど見たことは無かったし、彼の死に目にも合っていない。父親が殺されたと知ってから数年、自分が並々ならぬ怒りの感情に身を任せていたこともぼんやりと覚えているのだが、今の彼女にはそんな過去の自分が自分では無いように思えていた。

「私がお前を捕らえて殺そうとしたのは、パッショーネのボスにそう命じられたからだ。一度お前を殺した後にお前を殺し続けたのも、何とか殺せないかといろいろ試してみろと言われたからだ」
「……そうだったの」

 やはりチョコラータには私を喜ばせてやろうとか、そう言った思いやりや親愛などといった類の感情は無かったのだ。仕事と言っていたのはそういう訳だったのか。と、は悲しみながらも、ここ三ヶ月間のチョコラータの言動に納得した。

「ボスはお前に心底死んでほしかったみたいだな。一体お前は何をしてボスを怒らせたんだ?」
「……私が、パッショーネのボスを怒らせた?」

 は左上を見てうーんと唸った。記憶を辿っても、ボスと呼ばれる人間の逆鱗に触れるようなことをした覚えなど無かった。ボスに会ったことどころか見たことすらないのに、どうやればこちらから喧嘩を売れるというのだろう。

 パッショーネのボスに限って言えば、彼に会ったことのある人間などいたとしても生きていないし、喧嘩を売るのもことのほか簡単――彼の素性を探ればいいだけ――だ。だが、にはそんなことを知る由もない。

 にとっては自分が何故何度も殺してもらえるのかなど、どうでも良かったのだ。一心不乱に快楽を追い求める合間、ふとクールな自分に戻った時に、自分は人体実験か何かにつきあわされているのだと漠然と思ったことがあるだけだった。そのことに疑問など抱いている暇は無かったのだ。

「まるで見当もつかないわ」

 チョコラータは閉口した。に言うのを躊躇っているとか、何か隠して嘘を言っているような素振りは少しも無い。まるで見当もつかないという言葉は本当だろう。やはり彼女から何か情報を得ようとするのは無駄なようだ。

「まあいい。……そのボス直々の命令だ」

 チョコラータは膝の上に置いて操作していたラップトップをテーブルに置き、画面をに向けた。

。お前を今日付けでパッショーネの構成員とする。配属先は……暗殺者チーム。お前を含めて八人のチームだ」
「暗殺……?私、殺されるのは好きだけれど、人を殺すのは好きじゃないわ」
「私みたいなタイプの人間じゃなければ好きで人殺しなんてやるヤツはいない」
「でも、私には仕事が」
「昼に表で普通の仕事をやりながら裏でギャングをやってるやつなんて大勢いる。むしろそれを隠れ蓑にしているんだぜ。その辺でピザ屋をやってる気の良いオヤジがギャングだったってのは珍しい話でも何でもない。それにチームにはお前の他に七人もいるんだ。全員が全員出払うほど要人暗殺で忙しいってことは無いから安心しろ。暗殺なんて仕事は普通昼にはやらんから、表向きの仕事とかぶるなんてことも無いさ」

 チョコラータ曰く、昼は普通に仕事に出ながらたまの夜に暗殺業をやるなんて造作も無いこと、らしい。ただ、問題はそれだけでは無い。その暗殺者チームとやらで仕事をする時間があったところで、自分に暗殺のスキルが無ければただの足手まといだ。はかぶりを振った。

「私に適性があるとは思えない」
「そんなことは無い。あのチームは七人全員が男だ。対して、暗殺の対象になるのは八割から九割方男だ。男にハニートラップを仕掛けてターゲットの気を緩ませるのに女のお前は使える。仕事で培った営業スマイルも大活躍することだろうさ」
「……気が進まないわ」
「……気が進もうが進むまいが、お前に選択する権利なんてないんだぜ。

 チョコラータはやれやれと首を横に振った。そしてラップトップの画面をスクロールし、にメールの全文を読ませる。読み終わると、はごくりと喉を鳴らした。

「選択する権利も無ければ、断る理由も無いだろう?」

 報酬は仕事の合間に得られる死。もちろん、死ねる、死ねないは場合に寄るが、死んで生き返るからとお前を迫害する者などチームにはいない。

 そんな旨を記した文面だった。

「あのチームは単なる鉄砲玉の集まりってだけじゃあない。皆がお前や私と同じスタンド使いだ。それに、チームで仕事をする以上、仲間内では互いの能力を知っておく必要がある。だからきっとお前の能力のこともすんなり受け入れてもらえるだろうし、お前の能力を最大限活用して仕事の成功率を上げようとしてくれるだろう」

 ついこの間、もう二度とを手にかけるなと仲良しコンビを送り込んできたくせに、いったいどういう風の吹き回しだ?もうほとぼりは冷めたのか?そのほとぼりというのが何だったのか結局分からず終いだが。

 チョコラータは殺せと言ったり殺すなと言ったり自死を促したりと、一貫性の無いボスの振る舞いに再び苛立ちと疑念を覚えた。

 だが、それが何故かと考え嗅ぎまわる意思があることは誰にも知られてはいけない。だから今夜、彼女を手放すのだ。なんの躊躇いも無く、何の未練も無い風を装って、彼女を暗殺者チームのアジトへと送り出し、ボスに忠実なフリをする。

「もしもこのボスの命令に背くことが許されるのであれば……まあ、百パーセントそんなことはあり得ないが……仮にって話だ。お前はまたつまらない平凡な日常に逆戻り。死から遠ざかり、真の理解者なんて永遠に得られないまま寂しい人生を送ることになるだろうな」
「……そんなの……」

 そんな寂しい人生に、もう戻れる気がしない。チョコラータという男を――何の躊躇いも無く与えられる快楽を――知ってしまった今、そんな孤独に耐えられる訳が無い。彼と離れなければならない時間が刻々と迫る今ですら、どうにかなってしまいそうな程に胸が痛んでいるというのに。

「いや、だろう?」

 はこくりと頷いた。そしてチョコラータはこの時初めて思った。彼女を洗脳し懐柔することこそ、ボスの狙いだったのでは?と。

 ただ死なないだけの厄介な女を囲うなら、わざわざ自由に生かしておく必要は無いのだ。動き回るのすら目障りだと言うなら、チョコラータがやったように、頭部と体を切断して別々に開かずの間にでも入れておけばいい。それができない理由が“何か”あるのだ。その何かのために、彼女を飼いならす必要があった。いや、その何かが邪魔をしているから、彼女を飼いならさざるを得なかったのだ。つまり、ボスの弱点がそこに眠っている。

 その“何か”をボスに悟られないよう解明することこそ、ボスへの反逆を目論むチョコラータの目下の課題であった。

「追伸に生活拠点をチームのアジトへ移すことってあるんだけれど、そこに住めって意味よね?どうして?」
「ターゲットの情報は機密情報に他ならないからな。チームに入りたての新人なんて特に信用されない。男だらけでむさ苦しいだろうが、最初のうちは辛抱するんだ」
「そういうものなのね」

 は浮かない顔でそう呟いた。納得したというよりも、そういうものなら仕方がないと諦めているような感じだ。

 チョコラータは口がうまいので、有る事無い事全てそれらしく話してしまえる。暗殺者チームの内情など知ったことではないし、彼の作り話は聞く者によっては胡散臭いと思ってしまうようなものだったが、憔悴したように見える今のは、自身の現状に疑問を持つことすらやめている。

 生活拠点を移せというのは、十中八九、を"管理"するためだろう。恐らく、新人だからどうのという話ではない。

 そして驚くべきはやはり、の柔順さだ。彼女のそれはもはや愚鈍とも言える域に達している。普通の人間なら自分を殺そうとした人間の言うことなど絶対に聞かないだろうし、その人間のために働いてやろう――しかもその仕事の内容が人殺しときている――なんて絶対に思わない。

 もちろん、の場合は普通じゃあり得ない体質が災いしていて、死を与えられることを褒美か何かと勘違いしているというのもあるかもしれない。だがそれにしたって、少しは悪意を持たれていると気付いてもよさそうなものだ。自分がなぜイタリアに留まらず、世界を股にかけて悪事をはたらくギャンググループのボスに命を狙われることになったのかと疑問を持つことすらしない。

 異常だ。彼女を異常たらしめているのは、その精神だ。元からそうなのか?ふと頭をもたげた疑問にチョコラータはすぐに違うと自答した。いつ、どうしてがそうなってしまったのかは分からないが、元からではない。

 彼女は基本聡明だ。料理や家事は手際よくやるし、例の絶頂に浮かされたあとの数日間以外であれば割としゃっきりとしている。知性は医者になれるだけのチョコラータに並ぶほどまでとはいかないものの人並みかそれ以上にあったし、セールストークに活かすためか社会学習のための情報収集にも余念が無い。

 そんな彼女が元から、ただ快楽だけを求めて生きていたとは思えない。が覚えていないだけで、ボスに命を狙われることになった原因が、何か絶対にあるのだ。

 つい最近チョコラータが手にかけた男は、ボスの素性を嗅ぎ回ったからと処刑対象となった。パッショーネで禁忌とされるその行為に手を染めたから。それはチームの人間であろうが無かろうが関係無いはずだ。

 おそらく、もそうだったのだろう。それ以外でボスが女ひとりを殺すために追いかけ回し躍起になっている理由が思い浮かばなかった。それに、ただ快楽に溺れたいというだけで生き返ることができるはずがない。何度も何度も彼女をその手にかけ、生き返る過程を見つめていたチョコラータだから分かった。

 スタンド能力とは精神力の成せる業だ。精神とは心であり、こころの強さがスタンドの強さだ。どんなに粉微塵にされても甦ることができる精神が、強くないわけがない。何か、彼女の中に眠る思いがそれを可能にしているのだ。

 その根本が何か解明したい。早く。を、私の物にしたい。

 チョコラータが殺人衝動以外で胸を熱くさせるのは珍しかった。彼は気を抜くとすぐに顔に出てしまいそうな興奮を押さえ、手元の資料をテーブルへ投げた。

「アジトの場所と、チームメイトの顔写真だ」

 A4サイズの紙に、三行三列で男たちの顔写真が載っていた。内ふたりには赤いバツ印がついている。チョコラータは、チームメイトは七人と言っていた。このふたりを除けばちょうど七人なので、もうチームメイトでは無いと言うことなのだろう。が何も言わずにぼうっと資料を眺めていると、チョコラータが補足に入った。

「そのバツ印がついているふたりは組織に消された連中だ」

 正確に言うと、チョコラータが“消した”連中だ。彼はそれをに言わなかった。これから同じチームに所属するに教えると、のちのちの厄介ごとが増えると判断したからだ。彼女はこの家の場所も街からの道のりも知っている。ひょんなことからチームメイトを引き連れて仇討にでも来られたらたまったものではない。

「……どうして?」
「ボスの素性を探ったからだ。、よく覚えておけ。パッショーネにおいては、ボスの素性を探ることは絶対のタブーだ。もっともお前は死なんからどうということは無いだろうし、むしろ殺してくれとボスの気を引くために詮索するのもひとつの手かもしれんが……やめておけ。お前が欲しがってる物をボスは理解している。ここ三か月間で、私が事細かに全て教えているからな。ボスを裏切るようなことをしてみろ。お前の場合は特別に、どこか薄暗い地下牢にでも一生幽閉されるだろうな。殺されもせず干からびて死んでは生き返るなんて生き地獄の繰り返しを味わいたくなければ、ボスの命令に従うんだ。従いさえすれば、お前は快楽に溺れながら人生を謳歌できる」

 自由を与えられず飢餓で苦しんで死ぬのを何度も繰り返す?そんなことになると分かっていて、何の関係も無いボスの素性を探るなんてあり得ない。一体何のために?

「わかったわ。絶対にそんなことはしない。ボスの命令には従うわ」
「それでいい。今夜九時にここを出る。それまでに支度をしておけ」

 チョコラータはそう言い残してリビングを後にした。リビングに残ったのは、空になったコーヒーカップとと、チョコラータが放った資料だけ。は少し見ただけでテーブルに置いたそれを再度手に取って、写真の男たちを子細に眺めた。

 ひとりひとり、顔と名前を頭に入れた。皆無法者の殺し屋だ。人を殺すことに躊躇はしないだろう。この中の誰かが、私のことを愛して殺してくれるかしら?そんなことも少し考えた。だがすぐに止めた。は未来に思いを馳せるよりも、過去に――チョコラータとの思い出に――縋りついた。

 何の躊躇いも無く与えられる死という名の快楽に。彼のキス、愛撫、そして彼の熱に。芽生えたかもしれない、愛に。

 身を焦がすような思いをしたのは初めてだ。そしてこれがきっと最後になるだろう。チョコラータ。彼以上に、私を理解してくれて、愛して……・殺してくれる男性なんているはずがない。私が愛せるのは、きっと後にも先にも彼だけだ。

 身をかがめて胸にあてた紙をくしゃりと音を立てて握り、はリビングでひとり涙を流した。その壁の向こうに背を預け、開け放った戸口から漏れるのすすり泣く声に、チョコラータは耳を傾けていた。

きっと彼女はこの家を離れても私のことを忘れられないだろう。はいずれ、私を求めて戻ってくる。

 チョコラータは口角を吊り上げた。

 ――同日、夜十一時三十分。

 チョコラータとのふたりは小高い丘の上にある公園で語らっていた。約束の時間まではあと三十分ある。ここから歩いて十分の距離に、暗殺者チームのアジトがある。別に二十分程度早く戸を叩いても問題は無いと思うが、と言ったチョコラータの話をは聞き入れなかった。物憂げな表情を浮かべた彼女は、もう少し一緒にいさせてほしいとベンチに座る彼に身を寄せる。

「……ねえ、チョコラータ」
「なんだ」
「やっぱり私、あなたと離れたくないわ」

 最後の最後まで面倒な女だと思われるのは嫌だった。気にするのも今更と言えるほど、はこれまで散々チョコラータを煩わせてきたのだが、例の穿った願望に関係すること以外で彼に要求するのは初めてだった。明らかな拒絶を示したのもこれが初めてだ。

。もう決まったことなんだ。ボスが決めたことには、お前だけじゃなく私だって従わなくっちゃあならない。従わないと殺されるんだ。……お前は死んだって生き返ることができるから関係ないだろうが、私は殺されたらそれで終わりだ。この意味、わかるな?」

 この公園に来るまでに、車の中でありとあらゆる制約を聞かされた。パッショーネの構成員として頭数には入るが、その実は監視対象だ。周りをガチガチに固められ、おそらく追跡装置をつけられ、自由に外出すら出来なくなる。チームメイトと会社の人間、客以外との接触は原則禁止。どうしても必要がある場合は、チームの誰か一人以上を近くに置くこと。

 つまり、チョコラータに会いたいと思っても、会いに行くことはできない。接触すら許されないということだ。

 希望も何もあったものではない。無い希望を探し回れる自由があるだけマシだと考えるべきなのか。身体は健康そのもので何の問題もなく生きてはいるが、心のほうは脈が薄くて死にかけているような気分だ。

 そんな心が、続くチョコラータの言葉で少しだけ息を吹き返した。

「……なあ、。最初はお前のことなんて、これっぽっちも好きなんかじゃあ無かった」
「知ってる」
「何度殺しても生き返ってくるお前がにくかった。仕事が延々と続いて終わらない。終わりが見えない。期限もあったしな。やらなきゃボスにやられる。そう思ってた」
「ごめんなさい。だって私、まだ永遠には死にたくないんだもの。だから、私のこと……愛してくれれば良かったのに」
「私には分からなかったんだよ。人を愛するってのがどんなことなのか。だが、最近のお前に抱いてる感情が……もしかするとそれなんじゃないかって思えてきたんだ」
「チョコラータ……」

 何度も言うが、普通は愛している女を殺してやりたいと思う男はいない。愛している男に殺されたいと思う女もまた然りだ。

 だが、相手の全てを知りたいと思う心や、その相手からしか得られないと思うものを一心不乱に求め、その為ならなんでもすると相手を思いやる気持ちを愛と形容するのはおかしいことではないかもしれない。

 それがふたりの間に生まれた、互いに歪み合った末に噛み合った、ギシギシ音を立てながらぎこちなくも回る歯車のような"愛"なのかもしれない。

 は予期せぬチョコラータの言葉にときめいた。だが、それこそいまさらだった。

 チョコラータと出会ったのが運命ならば、こうやってふたりの仲が引き裂かれたのも運命なのかもしれない。彼と一緒になる未来と、彼の手で愛を持って与えられる終焉。それを夢見ていた。でも、実現できない夢はあるものだ。乗り越えられない嵐だってある。私は叶わない夢を抱いて、これから死んだように生きていくんだわ。

 夢やぶれて。レ・ミゼラブルの劇中曲が流れてくるようだった。はもう何度目かも分からない涙を静かに流した。

「チョコラータ。最後にひとつ、お願いをきいてくれる?」
「ああ、私にできることならきいてやる」
「愛してるって、言ってほしい」
「……まだ人を愛するってことが何か、私は完全に理解していない。そんな状態で言ったって嘘にしかならないぞ」
「それでもいい。私、あなたのその言葉だけで、この先きっと……強く生きていられるわ。だから、ここで……私のことを見つめて、愛してるって言って」

 はそう言ってゆっくりと顔を上げた。涙に濡れた瞳で、チョコラータを見つめた。

 彼女の心を繋ぎ止めておくために、彼女の最後の要求を呑むのは必要なことだとチョコラータは思った。

 チョコラータはあたりの気配を探りつつ周囲を見回した。誰にも見られるわけにはいかない。自分がを求めているなどと、知られる訳にはいかない。

「周りなんか気にしないで。私だけを見て」

 の手がチョコラータの頬に優しく触れた。促された彼はゆっくりとへと向き直る。目と目が至近距離で合った。瞬間、チョコラータはに囚われた。身体の全細胞が沸き立つような感じがした。


「なに?」

 間を置いて、チョコラータは囁くように言った。

「愛してる」

 この感覚がきっと、狂しいほどの愛を抱いた状態なのだろう。チョコラータはそう自覚した。彼の吐き出した言葉は、彼の中でのみ真実となった。だが、愛を注がれている方はそんなことを知る由もない。言葉にはできてもそれを証明するには、3ヶ月という期間はあまりにも短すぎたのだ。

「私も、愛してるわ。チョコラータ」

 月明かりの下、ふたりは深い口づけを交わした。そして唇は名残惜しそうにゆっくりと離れていく。はチョコラータを抱きしめた。彼はの細い体を強く抱き締め返したいという衝動を必死に抑え、右の手のひらでの頭を撫でるに留めた。ふわりと、シャンプーのいい香りがした。彼女がバスルームを使った後、よく嗅いだ香りだった。この香りもしばらくしなくなると思うと寂しく思えた。

「もっと早くに出会えていれば良かったのに」
「それでもきっと、別れる運命だっただろうな。私が私であって、お前がお前である限り」
「――っ、このまま、ずっとこうしていられたら……いいのに……もう、ひとりは嫌……」
「……、そろそろ時間だ」

 チョコラータはの両肩に手を乗せて、ゆっくりと自分の体から彼女の体を引き離した。はこぼれ落ちる涙を見られまいと折り曲げた右の手指でそれを拭い去る。そして、ぎこちなく笑ってみせた。

「チョコラータ。三ヶ月間ありがとう。私、今までの人生で一番、幸せだったわ」
「ああ。私も、お前には色々と楽しませてもらえたよ。……アジトの場所は分かるな?」
「ええ」

 は眼下で南東へと伸びる石畳の大通りを見下ろした。午前零時を目前にしたそこは人はおろか、車さえ一台も通らない。少ない街灯が照らすだけのほの暗い夜道を、これからひとりで行かなければならない。

 この場を、チョコラータの元を離れなければならない。彼と一緒にいられるのはこれが最後だ。そう考えると、思うように足が動かなかった。だがチョコラータのためにも、この場を離れなければならない。約束の時間に遅れるわけにはいかない。

 はゆっくりと歩き出した。そして振り返らなかった。チョコラータは彼女の背中をじっと見つめるだけだった。唇の裏側まで迫ってきている思いを吐露してしまわないように、チョコラータは固く唇を引き結んだ。

 が階段を降り、眼下の大通りを南東に向ってゆっくりと歩いていく。やがて右手に折れた小道に彼女の姿が消えるまで、チョコラータは見送った。

。死ぬんじゃあないぞ」

 チョコラータは、どうやっても死なない彼女に餞の言葉を投げかけた。には聞こえないと分かって、半ば自分に言い聞かせるように呟く。

「お前を永遠に殺すのは、この私なのだからな。いずれ来るその日まで――」

 私以外の誰にも、心を許すんじゃない。

12: Boulevard of Broken Dreams

 誰もいない寂しい道を、たったひとりで歩いている。ひとりでいるのには慣れている。だからまた、ひとりで進んでいくだけ。

 街はすっかり眠りについていて、ついてくるのなんて自分の影だけ。この先自分がどうなるかなんて皆目見当もつかないけれど、進むしかない。まだ、生きているから。どこかの誰かに見つけてもらえるその日まで。ひとりで歩いていくしかないの。

 ふと静寂に耳を澄ませると、背後から足音がするのに気づいた。でもきっと、チョコラータじゃない。彼が追いかけてきてくれたなら、どれだけ幸せだっただろう。ボスなんて怖くない。ふたりでどこか遠くへ逃げようって。そう言って後ろから抱きしめて、私を攫ってくれたなら。

 ……もうよしなさい。彼のことは忘れるの。少しのあいだ、独りでいなくちゃ。自分を見つめ直す時間が必要だわ。頭を空っぽにして、チョコラータのことなんか、忘れるのよ。

 破れた夢の大通り。眠りについた街の、このからっぽな道を歩いていく。たったひとりで、歩いていく。脈を打つのは、止まりかけた私の心だけ。どこかの誰かに、本当の私を見つけてもらえるその日まで、ひとり――

「おい、ねーちゃん。こんな時間にこんなとこで何やってる」

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(警告:警告無しで生き抜け。さすれば授けよう。躊躇いのない死を。永遠の愛を――)

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