暗殺嬢は轢死したい。

 宿へ向かう車の中でカレンは悪態をついてばかりだった。レヴは車のハンドルを握りながらも辛抱して、カレンが話す断片的な情報を汲み取った。

 彼女の憤怒にまみれた話を要約すると、結局のところ本来の目的であった“真実の過去”をドリーム・シアターの力で手に入れることはできなかった。得たのは、あの猟奇殺人者であるチョコラータという元医者の口から出た、真偽も定かでないにまつわる情報だけ。それと引き換えにカレンの心臓には時限爆弾という名を冠した生物兵器が直に取り付けられたらしい。あまりにも割に合わない。カレンが憤るのも無理は無いとレヴは思った。

「あんたがもっと早く遣いをやってくれてれば――」

 そう口走った瞬間、カレンは口を噤んだ。そもそも、自分がレヴの協力を得られる立場にないということを忘れていた。これは孤独な戦いなのだと、を探しパッショーネから引き剥がすという点においてのみ目的が一致しているだけで、それが済んだら捨てられる身と忘れていた。しかしレヴはカレンのそういった内省に反して、申し訳なさそうに言った。

「悪い。真っ先におまえを助けに行くべきとわかっていたんだが」

 カレンを見失ってすぐ、彼の行く先にも敵が立ち塞がった。ただ、レヴは敵の名前を知らない。姿形も、あまりよく分からなかった。ただひとつ言えるのは、カレンを土中へ引きずり込んだヤツと同じであろうということだけだった。

「……あいつに邪魔されたのね。私を捕らえてチョコラータの前に投げ捨てた後、すぐに何処かへ行った。セッコ、と呼ばれていたわ。あの、全身スーツを纏ったモグラみたいな男」
「ああ、そうらしい。あいつは、おまえを攫って行った後すぐに庭の方へ戻ってきたんだよ。オレも危うくおまえと同じ運命をたどるところだったが……まあ、何とか撃退できたんで、その後おまえを助けに向かったんだが、手遅れだったってワケだ」
「クソっ、あの変態サイコ野郎……世のため人のために殺すべきだわ」
「ああ。おまえが生きてチョコラータを殺すためには、まずの居場所を突き止め彼女の頭の中を覗いて、それを冥土の土産に教えてやんなくっちゃあならねーぞ」

 それにしても、あのチョコラータという男が約束を果たすだろうか? いや、果たすはずがない。カレンはそう信じていなければ情緒を保てないだけだ。冷静になって第三者的視点から感情論を排除して考えれば、恩義や忠義などといった概念にサイコパスの行動が根付いている筈もない。仮に約束を守るとすればそれは利害が一致している間だけだ。そして自己が利益を得た途端瞬く間に利害関係は崩れ去り、奴は相手を蹂躙し始めるだろう。それが、サイコキラーがサイコたる由縁だ。だから、チョコラータとカレンの接触は必要最低限に抑え、最後に情報を与える前にカレンの解毒をさせる。情報の前払いだけはなんとしても避けなければ。

 ところで、カレンは今しがたチョコラータのことを“殺すべき”と言ったが、それは本心だろうか。……いや、本心であろうと無かろうと同じこと。彼女は“べき”という理想を語っただけであり、“殺してやる”という意思を語ったわけでは無いからだ。カレンの心中にチョコラータへの殺意があろうが無かろうが、殺すべきという言葉に嘘は無いだろう。“殺してやる”だと話は違った。その場合、彼女の目的との齟齬は明らかで、嘘とすぐに分かる。何と言ってもカレンの目的はの死であるから、チョコラータはカレンの目的を達成するための――性質は悪い物の――良きパートナーと言えるはずだ。

 いずれにせよオレは、近い将来にチョコラータを殺さなければならないだろう。あいつにを殺されてしまう前に。そういう手合がいるとわかっただけでも収穫だったかもしれない。そして、チョコラータを殺す前に、カレンの胸に取り付けられた時限爆弾を解除しなければならない。そうするためには、にまつわる情報のすべてを明らかにして、チョコラータに教えてやらなければならない。つまるところ、やることがひとつかふたつ増えてやり方が変わったというだけで、目標は変わらずだ。だが、あまり悠長にやっていてはカレンの命が危ない。

 を見つけなければ。目下、何より優先すべきはそれだ。彼女がパッショーネに囚われている理由が何かを突き止め、彼女のしがらみを解くためには、カレンの能力で彼女の内面を暴くのが最も近道だ。ただし、最も危険なやり方でもある。だからチョコラータに遭遇する前は湾曲したやり方で慎重にいこうとしていたのだ。それが最早叶わないとなれば、正攻法でいくしかない。――つまり、暗殺者チームとの対峙は免れない。

 殺しを生業とする連中との対峙。しかも、隠密にやるのが得意な人間の集まりで、さらに(恐らく)皆がスタンド使い。こうなってくるとまったく容易なミッションでは無くなってくる。

 レヴの気は重くなる一方だった。次から次へと問題が噴出してくる。さすがのレヴにも嫌気がさしてきて、チョコラータと遭遇する前までは少し残っていた楽観の色が綺麗さっぱりその顔から消失したほどだった。しかし、これもインヴィートと誓いあった目標のための一歩だ。それと共に、自分の復讐のための一歩となる。盲目的にそう信じて命をかけなければならないと悟った彼の心境は複雑だ。

 レヴにはもはや、復讐という目標に向かって進んでいるという実感だけが、唯一の心の支えだった。



92:Welcome Home (Sanitarium)



 タオルミーナへ向かう車内は殺伐とした雰囲気だった。

 リゾットが偽名で借りたシトロエン・ベルランゴは3列シートの7人乗で、セカンドシートだけ3人用という仕様だった。中央にを座らせ、左右にはそれぞれホルマジオとイルーゾォが、サードシートにペッシひとり、運転席ではプロシュートがハンドルを握り、助手席にリゾットが座っていた。運転席と助手席まわりの窓以外には全て日除けのために内張りがされており、後ろ2列からは前方の景色以外見ることが出来ない。とは言え、今は深夜であるから、外の景色といっても何と言うこともないハイウェイと夜の闇と月明かりくらいしか目に入ってこない。

 は相変わらず機嫌も体調も何もかもが悪く――昨晩から断酒を余儀なくされていて酔いこそ無いものの、連日にわたり過度の飲酒と嘔吐の無限ループに陥っていた。殆ど栄養失調に近い体の調子が良いはずもない――イルーゾォの肩に頭を預けて目を閉じ項垂れていた。が臆面もなくそうしているのは、恐らく自分がどういう態勢でいるかに注意が向いていないのと、単にイルーゾォのがたいが良くて安定しているという2つの理由からだろうが、枕にされている方は彼女の体温を感じられていることに満足している風だった。

 ホルマジオは車に乗り込んですぐから自分にのしかかり続けている重たい雰囲気に辟易としていた。向かう先はタオルミーナ。リゾート地だ。なのに、まるで葬式のために墓地にでも向かっているかのような空気だ。しかもこの空気を、休憩をたったの1回挟んで7時間近く吸い続けなければならない。別に誰も私語禁止とは言っていないが、こんな辛気臭い中で何を話しだせばいいかも分からないし、まともな――陽気な――応えが返ってくる気もしないから喋りたくもない。眠ろうにも、出発前に爆睡してしまったので目はギンギンに冴えている。

 念には念をとの持ち物は全て検めて発信器や盗聴器――メローネのものは除くが――なんてものが仕込まれていないか確認したし、アジトを出るときもしばらく車全体をメタリカの能力で鉄で覆い、高速道路へ乗り込むまでステルス走行するなど細心の注意を払った。目が冴えていたところで意味が無いような――このまま何のトラブルもなく目的地に着いてしまうような――気がして、彼の呑気には拍車がかかっていた。到着は午前6時頃の予定だ。

 まだアジトを出て1時間。残り6時間……。限界だ。

 こうしてホルマジオは無理やり話題をひねり出し、喋り始めた。

「それにしても驚きだよな。まさか、リゾットに家族がいたなんてよ」

 驚くことに、タオルミーナへ行く者がタオルミーナへ行くと知ったその時から今の今まで一度も話に上げなかった話題だった。ホルマジオにリゾットの過去を詮索するつもりは無かったが、最低限、迎え入れる方の気を害さない程度の予備知識くらいは授かってもいいんじゃないかという考えからきた、いかにもコミュニケーション能力の高いホルマジオらしい会話の糸口だ。
 
「……こんなオレでも一応人の子だからな」
「あーいやいや、舌っ足らずで悪い。そういうことじゃなくってだな。家族との付き合いが続いてるっていうのが意外だってことだ。しかもホテル経営とか……あんたボンボンだったんじゃねーか」
「期待しているところ悪いが、それほどグレードの高いリゾートホテルじゃない。それに――」

 リゾットは少し言葉に詰まって窓の外を見やった後、続けた。

「――母に今回の頼みを聞き入れられるとは思っていなかった。一番驚いているのはオレ自身だ」
「久しぶりなのか?」
「ああ。黙って家を出て……もうそろそろ10年になる。昨日を除いて最後に連絡を取ったのも……恐らく10年前だな」

 皆が話には聞いていたリゾットの過去を思い浮かべた。従兄弟を飲酒運転で轢き殺したギャングへの復讐を遂げて以来、彼は実家に迷惑をかけまいと住み慣れた土地を離れ、ナポリへと身を移したのだろう。それから、復讐とは言え人を殺めた身で真っ当には生きられないと、パッショーネの構成員として生きていく道を選んだというわけだ。

「あんたの仕事については言ってるのか?」
「……いや。だが、母はオレが復讐を果たしたことは知っている。真っ当に生きているはずがないと、想像はつくだろうな」
「あー……じゃあなんだ。ついうっかり仕事は何かと聞かれて暗殺してますとか言っちゃあまずいってワケだな」
「おまえ普段から一般人に向かってそんな答え方をしているわけじゃないだろう」
「当たり前だろ。そこまでバカじゃねーよ」
「リゾット……同じ仕事仲間同士、口裏を合わせておく必要はあるんじゃあねーのか」

 ハンドルを握り進行方向を向いたまま、プロシュートが言った。

「それはそうだな。だが母は……それほど詮索好きな人間じゃない。万が一聞かれたら、ナポリで警備会社に勤めていて、今はその仕事中だとでも言えばいい」
「ま、確かに今はお姫さまの警護中だし……嘘じゃあねーよな」

 お姫さま……ね。

 は目を閉じていて、傍から見れば寝ているように見えたが実のところは起きていた。狸寝入りを決め込んでおけば、チームの会話に参加していなくても当然と思ってもらえて都合がいい。おかげで話を振られることもない。

 それにしても姫とは……よく言えたものだ。

 チームの厄介者。組織の反逆者。自殺願望持ちのアル中。おかげで今は肌も髪もガサガサで、到底プリンセスとは程遠い有り様だ。それなのに、彼ら暗殺者チームは私を殺そうとするどころか、それこそプリンセスのように護衛を5人もつけて“療養施設”へ送り込もうと画策している。

 ここしばらくの間、よく夢を見た。目の前に広がる自由な世界の夢を。見渡す限りに広がる広大でどこまでも青い海。後ろを振り向けば青々と茂る緑の高原。砂浜に目を戻せば、近くには赤いオープンカー。その傍で手を振る、憧れの人。顔は帽子のつばで隠れて見えない。けれど、どこか懐かしい感じのする人。――誰? 思い出せない。どうして? つい最近まで、覚えていたはずなのに。

 そう思ってすぐに目が覚める。夢を見ているか、頭の中でもうひとりの自分と話しているか、起きてアルコールを摂取して吐くかのどれかしかしていなかった。夢を見ている間だけは幸せな気分だった。夢の世界だけは、絶対に私を傷つけることがない。

 きっと、夢の世界が私の現実。皆は私を“ここ”に閉じ込め続ける。それこそが“怒り”の根源だと分からないの?

 怒り。……怒り? 忘れていた感情だ。わたしにはそれが分からないはずじゃ?

 外の世界は恐ろしいと思い込ませて、今では自由に外の空気を吸うことすらできない。そして私に囁く。おまえは正気じゃない。だからひとりにはしておけない。彼らは私たちをコントロールできると思ってるんだわ。力づくでやるなら、こっちにもそれなりの考えがある。

 待って。。あなたがそう思ってしまったら、あなたは彼らを殺すことになる。あなたは大人しくしていて。そうすれば良くなる。良くなってるのよ、分からないの?

 これ以上閉じ込めてはおけないわ。聞いて。私たちは自由になる。彼らは思い知ることになるわよ。彼らのやり方じゃ、私たちを救うことなんてできやしない。

 放っておいて。ひとりにしておいて。頼むから。

 生き続けていることが恐ろしい。落ち着きを失くしているの。私の中で、何かが暴れ出そうとしているのを感じる。しょうがないんじゃない? いくらか人が死んだっておかしくないわ。私はこんなに苦しいんだもの。

 殺す? それとも、自殺する?

 どちらも親和的な言葉だ。どちらかしかない。それだけが、唯一の道なのよ。私を、夢の世界へと近づけるための。



。着いたぞ」

 光を目の奥で感じ、はゆっくりと瞬きをした。目が明かりに慣れてくるとゆっくりと頭をもたげ、運転席と助手席の間から見える景色を見つめた。

 丘の上にいるのだろうか。目の前に広がるのは、青い、どこまでも青い海。そして視界の右端にはエトナ山。眼下には湾曲した浜辺から内陸へ向かって黄土色や赤色、淡い桃色の家々が立ち並んでいた。その合間合間には亜熱帯の植物が茂る。朝焼けに照らされた保養地の景色だ。それはとても美しかった。

 はホルマジオが開いた車のスライドドアから外へ足を踏み出した。そよ風が体を撫でるのが心地よい。胸いっぱいに空気を吸い込んで伸びをして、ふーっと口から息を吐き出して脱力する。それで彼女の気持ちがいくらか晴れた気がした。
 
 今は何も考えないほうがいい。殺されそうになっていることや、自身が置かれる逼迫した状況や、怒り、悲しみ、憂い、不安や焦燥――すべてから逃れていた方がいい。そうしていないと。

 私は今にも皆を破滅させることになる。

 一同はリゾットを先頭に石畳のなだらかな坂を上り彼の実家――ホテルへと向かった。彼らを出迎えたのは、50代後半と思しき女性ひとりだった。

「ああ、なんてこと……リゾット」

 女性はリゾットに駆け寄ると息子を抱き寄せ、胸に顔を埋めた。目尻には涙が浮かんでいる。

「もう一生会えないんだと思っていたよ」
 
 消え入るような声で女性は言った。リゾットは罪悪感からかすぐに女性を抱きしめようとはしなかったが、憤りも何も捨て置いて、ただ息子の帰りを喜んで受け入れてくれているのだと分かると、その気持ちをぞんざいにはしたくないとゆっくりと彼女を抱きしめ返した。

 リゾットの身長や骨太でがたいの良い骨格は母親譲りなのだと皆がすぐに思った。体だけでなく、髪の色も質も、目鼻立ちも何もかもがよく似ていた。

「母さん。……悪かった」
「いいんだ。こうして、帰ってきてくれた。それだけで十分さ」

 リゾットの母――セッピア・ネエロは息子から離れると、をじっと見て息子へ訊ねた。

「なんだい。嫁を連れてきたのかい?」
「違う」
「違いますよお母さん。彼女は。オレの嫁です」

 そう言ったホルマジオの頭をプロシュートとイルーゾォが同時に殴ったので、彼は地に伏すこととなった。その光景を見てふっと笑うと、セッピアは言った。

「まあいいさ。なんだかよく分からないけど、とりあえず荷物を持っておいで。部屋へ案内するよ。……ようこそ、我が家へ」

 鉄仮面はリゾットの特質というだけで、母親は幾分感情が表に出るタイプらしい。ようこそと言ったセッピアの微笑みは全てを赦し受け入れるあたたかさを感じさせた。ホテルのオーナーとはまさに彼女の天職だと思わせるような安らぎを皆に抱かせるほどだった。