暗殺嬢は轢死したい。

「ああ、。おまえどうして、そうも男という男をみんな誘惑して、虜にしてしまうんだッ」

 まるでプリモ・ウォーモの様に天を仰ぎ嘆くチョコラータを前に、カレンは辟易した様子で溜息をついた。ちょうど、自分がどこの誰で、どんな組織に入っていて、何故という女を憎み殺そうとしているのかという長い話を終え、対するチョコラータから、の出会いから別れるまでの経緯、別れた後に配属されたのがどのチームか、という簡単なイントロダクションを受けた後のことだった。が今はそのチームにどのような扱いを受けているのかと聞かれたので、自分が知る限りの情報を与えてやったら、この反応だ。つくづく嫌になる。

「まあ、しょうがないよな。あんなに美しいんだからな」

 そうね。あの子は確かに美人。でもだからって、私の愛する人の心まで奪っていい道理はない。早く、この世からいなくなってもらわなければ。そうでなければ、私の心は一生晴れない。

「さ、もういいでしょう。お互い、情報提供は終わったわ。とても有益な情報を得られてこちらは満足よ。早いとこ私を解放してくれない?」
「……あ?」

 予期せぬ訪問者の存在を完全に忘れ、自分の世界に浸りきっていたチョコラータは、横やりを入れられたような気分になって顔に怒りを滲ませた。対して、心底辟易したような顔でこちらを見る女――カレン・オー。

 この女は恋敵であるを殺したがっている。を殺したいという点について、利害は一致しているという訳だ。この女にはを完全に私の手元へ置くための情報収集に協力してもらわなきゃならない。そのためには、まだ話していないことがある。

「私は、があんたのものになって、あんたがを殺せるように情報を集める。そのためには、ここから早いとこ解放してもらわなきゃ」
「いや、まだだな。カレン。解放はまだだ」
「は?」

 聞かれたことには素直にすべて話したというのに、まだ何か聞き足りないかと、カレンは怒りに眉をひそめた。
 
「そもそもおまえは、なんのためにここへ来た」
の情報を得るためよ」
「おまえの最終目標はなんだ」
「それも言ったわ。を殺すこと」
「そこが妙な点だ。カレン。おまえはまだ、私に言っていないことがある」

 チョコラータはカレンの周りを、ゆったりとした歩調で回りながら言った。

「おまえ、を一度殺したな?」
「……だから何だって言うのよ」
「それも一度じゃない。少なくとも二度は試している。それでも死なないんで、何故なのかとかぎまわりはじめたってワケだ。いったいどんな殺し方を試したんだ?」
「……人に殺させようとしただけよ」
「そうか。……質問を変えよう。おまえは私がを殺したがっていることなんて知らなかったはずだな。だからここに来たのも単なる情報収集の過程だろう。……だが、どうやって、どんな情報を得るつもりでいたんだ? ん? 何故、私がと接点を持つパッショーネの人間だと分かった? だが一体、それが分かったからといって何だって言うんだ。……どうやったって殺せない女を殺すってのは、私も直面したことのある非常に難しい問題だが、それに答えがあるとでも思ったのか? どうやったら彼女を殺せるのかわかるとでも? おまえの目的とやっていることには齟齬がある。そこが非常に不可解だ」
「絶対に死なない人間なんて存在しないわ」
「ああ。その点については同意する」
「あの女が死なない……あるいは、死ねないのには理由があるのよ。何者かの能力か、はたまたあいつ自身の能力か。前者ならその何者かを殺せばいい。後者なら、彼女の魂を作り上げた過去の問題なので、まずはそれを暴いて解決しなきゃならない。……そもそも変よね。両親の命をパッショーネに奪われているのに、黙って構成員であり続けている。少なくとも誰かにマインドコントロールはされているわ。つまり私は、を殺すために、周辺環境やあの女の過去や人格について知らなきゃならないの。長期戦はもとより、覚悟の上よ」

 チョコラータはちょうどカレンの背後に回っていた頃だった。運が良かった、と彼は思った。の過去については、彼女の口からほとんど語られることは無かったし、彼女の過去について心の底から知りたいと思ったのは別れ際だった。命令を下したボスからはもちろんのこと、スクアーロとティッツァーノのふたりからも知らされていなかったので、チョコラータは新たな事実――いや、事実かどうかは今は定かでない。とは言え、例え嘘だとして、今この状況でカレンにそんな嘘を吐くメリットがあるのかと言えば、恐らく無いだろう。自分の言うことに説得力を持たせるための素材と考えてよさそうだ。情報源は恐らく、この女が恋慕している男。この男は、パッショーネに復讐を誓うアメリカ在住のイタリア人らしいからな――に驚きを隠せなかったからだ。表情を元に戻し、呼吸を整え、そんなことは言われるまでもなく知った上だといった風に、彼は続けた。
 
「ふむ……。カレン、おまえはそこそこ頭がキレるタイプのようだ」

 チョコラータは急に足を止め、顔をカレンの真向かいへと近づけた。鼻先が触れ合う程の距離に凶悪な顔が急接近したので、カレンは息を呑んで仰け反った。

「だが、いまひとつ頭が足りてない。惜しかったな。……ここから解放されたければ、私が求めている答えを最初から言うんだよこのバカがッ。何故おまえは、彼女の過去を探れると確信している!? 何故彼女の心を、過去をあばけば、彼女を殺せると確信しているッ!? それがおまえの能力にちがいない! さっさとおまえの能力を吐け! おまえのスタンドはどんな能力を持っている!? おまえが私を裏切り私に危害を加えようと考えた時に備えもせず自由にするとでも思ったかこのマヌケが!」

 何かを隠そうとするような、突発的な怒りだ。と、カレンは思った。怒りとは大抵、自身の尊厳を侵された時に出る反射反応だ。この男の場合――医者だったというところから察せられるに――人よりも知らないということが許せない性質なのだろう。プライドが高く博識な、医者らしい反応だ。マインドコントロールを誰にされているのか……そもそも、マインドコントロールをされているとすら想像ができなかったのかもしれない。それについては、こちらも想定の域は出ないが、つまるところ、この男はの過去のほとんどを知らないと言うことだ。

 この男は絶対に、私を殺しはしない。もちろん、それは望む情報を全て得られるまでの話だが。

 カレンには、このチョコラータという殺人狂の男が自分を殺したがっているということがよく分かった。彼女を見るチョコラータの目つきが、過去の――まだ彼とが出会いたての頃、店で店員としてに接されていた時の――ものと一致していたからだ。この男が協力関係を結んで、ただそれだけですんなりと帰す訳が無い。だからカレンは、早く逃れたくてたまらなかった。少なくとも、手足を自由にはしておきたい。そう思った矢先のことだった。

 ぞわり。カレンの両の足首から背筋にかけて寒気が走り、肌が粟立った。



91:Trashed and Scattered



 こ、この感覚。ああ……まさか。

 ずしりと重たい何かが、拘束された手首にぶら下がるのも感じた。これは恐らく、“助け”だろう。程なくして、私はこの拘束から逃れることができる。カレンはほっとすると同時に、足まわりをうごめく影や、手首にぶら下がったものが何かと想像すると、ぞっとした。もし目に見えていたら卒倒していたかもしれない。だが、今“彼ら”の存在をこのチョコラータという男に悟られる訳にはいかない。

 悍ましさから滲み出た汗がこめかみを濡らしたが、それはチョコラータの怒気に怯んでのものだと装うことができる。ナイスタイミングと言いたいところだが、その喜びはやはり悍ましさに打ち消され、かえって冷静になれた。カレンは平静を装って言った。
 
「私のことをバカとかマヌケとか言って、あなたが気持ち良くなるなら大いに結構よ。ところで、あなただって……何故を殺せると確信しているの?」
「私はの殺し方を知っているからな」
「……ならどうして、あの女はまだ生きているのよ」
「私の質問にまず答えろ! 話はそれからだッ」
「なら約束して。私がどんな能力を持っているのか教えたら、あなたの能力も教えると」
「ふっ……よかろう」

 カレンは自分の能力について語りだした。どうか、危害を加えられる前にここから逃れられますようにと願いながら。

「ドリーム・シアター」

 スタンドが姿を現した。瞬間、チョコラータはカレンから距離を取り、睨みを利かせた。久しく他者のスタンドを見ていなかったチョコラータは、スタンド使いを拘束したところでスタンドは拘束できないということをついうっかり忘れていたらしい。だが、どんなスタンドが出てこようと対処できるという余裕がすぐに湧いてきた、というように、カレンには見て取れた。

「安心して。私のスタンドには人へ危害を加える能力は無いわ」

 チョコラータはスタンドの姿をじっと見つめた。確かに、ブリキのおもちゃの骨組みだけになったような見た目をしているし、殴ろうにもその手や腕――一応人型だ――すらスカスカで、とても非力そうに見える。特徴的なのは、一昔前の映画館にある映写機のような顔――にあたる部分。人間にたとえればだ――だ。

「私は人間や物、場所、すべての過去を見ることができる。物や場所なら、私の体の一部が物に触れているか、空間に留まっているかしていないといけないわ。人間の過去を見ようと思うなら、その人間に触れていなければならない」

 カレンに過去を見せると言うことなら、スタンドの見た目から離れてはいない。まあ、嘘では無いだろう。
 
「ふーん。……おまえ、あの車屋で働いているんだったな。あの店であの店の過去を見た訳か。そこで私を見たと」
「ええ。そうよ。の同僚の話によれば、彼女の雰囲気やら生活スタイルやらががらりと変わったのは、あなたと出会ってからだった。それまで、彼女は同僚の住むアパートの隣部屋に籠り気味で、ほとんど会社と寮の往復だった」
「それも、その同僚の過去を覗いた結果得た事実なんだな」
「ええ」
「だが待てよ。おまえ、人間の過去が覗けるなら、何故本人の体に触れて過去を覗かなかった」
「言ったでしょ。最低でもひとり……最近ではふたりが彼女の周りで見張りについているのよ。あんたたちパッショーネの構成員には、スタンド使いが多いと聞いているわ。本人は薬を飲ませて眠らせればいいとしても、それをやっている間に私のスタンドを見られたりしたら、私の命が危ないでしょう」
「……ふむ」

 と私の恋路を邪魔するのは、何もこの女や、この女が恋い慕う男だけでなく、他にも大勢いるという訳だ。

 ボスが殺したがっている女を暗殺者チームの連中に見張らせるのは何故か。それはが殺しても殺しても生き返ってくる厄介な女だからだと、チョコラータは身をもって知った。しかし、何故をボスが殺したがっているかについては謎のままだった。がボスの過去を探ろうとした、あるいはボス自身を殺そうとしたからだと想像はできても、想像の域を出ることはなかった。しかし今、カレンの出現によってその仮定に肉付けが成された。

 は復讐者だったのだ。だからボスは、何度殺しても生き返っては自分を殺そうとする女をどうにかして始末したかった。そこで、医者である私に殺させようとしたが、それでもやはり殺せず、今では殺すことを諦めざるを得なくなった。どうやら、マインドコントロールによって何とか管理できている風だ。……いや順序は逆か。私がと出会った時から、おそらく彼女はマインドコントロールされていた。

 は復讐者であるというくだりから、チョコラータはカレンに話してやった。恐らく、トップシークレットだろうが、口止めされているわけでもないし、一個人の考察の域を出ない何の根拠も無い話なので問題はないと踏んでのことだ。

「なるほど。しつこい女を敵に回した代償に、パッショーネのボスは半永久的な管理を余儀なくされているってわけ」

 あの違和感。生への執着の無さ。不死なのだから、死の間際に得られる脳内麻薬を、死を求め繰り返すのは当たり前と思っていたが、そもそも、依存させる原因が何かあったはずだとまで考えなかった。私は心理カウンセラーでは無いからな。まあ、この反省は今後に生かすとして……それよりも今重要なのは、この、カレン・オーという女だ! この女をうまく利用すれば、ボスを克服し、を完全に自分のものとして愛し殺すという目標が、いよいよ実現可能となる! この女を、ここでみすみす逃す訳にはいかないッ!

「それにしても、いいな。おまえの能力。とても便利そうだ。……よし、教えてやろう。私の能力について話す前に、まずはの殺し方についてだ」
「あなたが3カ月間生活を共にしても、殺せなかったの殺し方ね」
「嫌味を言うな。はな――」

 チョコラータは再び天を仰ぎ、恍惚とした表情で続ける。
 
「――は、私を愛したいんだ」
「……は?」
「そして私に愛されたい。その愛を実感した上で、私に殺されることで脳内麻薬による最高の快楽を得られるので、満足した彼女は自ら死を選ぶのだ」

 脳内麻薬? 一体なんのこと。こいつもも、頭がどうかしている。どうやればが死ぬのかまったく理解できない。

「要するに……どういうこと?」
「彼女は言った。生きるも死ぬも自分次第だと。要は、死にたくさせると言うより、死んでも悔いは無いと思わせる必要があるということだ」
「そして、愛した女を殺せるサイコパスが目下のところあんたしかいないと」
「おい、そのサイコパスって便利な言葉で人を十把一絡げにするのはやめないか。とにかく、を殺すのに、3ヶ月じゃ足りないのは分かったな?」
「何故、殺し方が分かったのに、3ヶ月でを取り上げられたの?」
「さあな。もういいと一方的に取り上げられたんで、理由も分からず終いさ」

 カレンはあまりの不確定要素の多さに頭を抱えた。
 
 サイコパスの愛の力……。そんな不確かなものをあてにする訳にはいかない。だが、私の代わりに殺してくれると言うならそれがいい。のしがらみを解いて、この男に地の果てまで連れ去ってもらおう。そして、インヴィートにはどうにかして、は死んだと思わせる。

 これは長い戦いになる。そもそもが死ねば、また自分にインヴィートの注意が向くという確証は無い。が死なない――死ねない――のも、インヴィートが奪還を諦めないのも、自分自身がを殺したいと、インヴィートの裏切りに復讐したいと考えるのも……すべて、すべて人の心の問題だ。それを解決しなければいけないのだ。私は、泥沼にはまってしまっている。

 カレンは自分でも気付き始めた。しかし、その考えには無理矢理蓋をして、悲願を遂げようと躍起になっていた。

 ようやっと、手首足首を拘束していた縄と纏わりついていたものたちがいなくなった。はらり、と縄が下に落ちたが、チョコラータは気づいていないようだ。

 次に彼の注意が他へ向いた時に、逃げ出してやる!

「カレン。分かっているな? おまえは、のしがらみを解かなければならない。つまり、パッショーネから解放しなければならない。でなければ、のことを私に殺してもらえないのだからな」
「言われなくても分かってる」
「そしてここへ、必ず戻ってくるんだ」
「……ええ」
「ああ、そうだ。わたしの能力について、知りたいんだったな?」

 チョコラータは懐に手を忍ばせた。そして、目にもとまらぬ速さで、椅子に拘束されたままのカレンの胸に何かを突き立てた。

「痛っ――」

 カレンはとっさに椅子から立ちあがってチョコラータから距離を取ると、自分の胸元に視線を落とした。突き刺さっているのは注射器だった。プランジャーの先端はシリンジの先まで押し込まれ、薬液がなくなっていた。心臓のあたりに何かが注入された後だ。

 クソっ……遅かったか!

 胸に突き立った注射器を抜き取り、乱暴に床へ放り投げ、敵を睨みつける。
 
「おや? いつの間に拘束を解いたんだ。まったく、油断も隙もない……。まあいいさ」
「私の体に、何をしたっていうの、チョコラータ!」

 チョコラータは憎悪に歪むカレンの顔を愉快そうに見下ろしながら、今度はゆっくりと自分の胸元から同じ注射器を抜き取りカレンに見せつけ、さらに自分のスタンドを背後に立たせて言った。

「グリーン・ディ。それが私のスタンドの名前だ。今、おまえの心臓にグリーン・ディが作ったカビの胞子を注入した」
「カビ……ですって?」

 2本目の注射器には、微量の緑色の液体が入れられている。チョコラータはそれを、近くにあった有機物――ダイニングテーブル上のバスケットに入っていたリンゴ――に突き刺した。薬液を注入し終え空になった注射器をダイニングテーブル上に放り、代わりにリンゴを手に取って、天に向かって放り投げた。運動が落下へと転じ、段違いになったリビングの下へさしかかった途端、リンゴは緑色の胞子を纏い始める。そして床の上へ到達し、カレンの足元に転がる頃にはグズグズになって跡形もなくなってしまった。カレンは息を呑んだ。

「私のスタンド能力は至ってシンプルだ。カビを瞬時に繁殖させ、生物を分解することができる。もちろん、おまえもな、カレン」
「この野郎っ!」
「ああ、言葉には気を付けた方がいい。それに、おまえが私との約束を守ればおまえは死ぬことはないんだ。何も問題なかろう?」
「あんたが私の心臓につっこんだ、カビはどうするっていうのよ!」
「まあ、そう慌てるな。解毒剤があるんだ」

 チョコラータは部屋の隅に設置した整理棚へ向かうと、どこだったかなと呟きながら抽斗の中を探った。しばらくして、あったあったと言いながら何かを手に握り、カレンの目の前へ戻ってきた。そして、何か透明の液体が入った丈5センチメートル程の小瓶を目の前に突き出した。

「おまえが情報を持ってくるたびに、この薬を処方してやる。だが、途中でやめたら……分かるな? さっきのリンゴと同じ末路をたどることになるぞ」
「……クソっ!」
「いいか、逃げるんじゃあないぞ。おまえの心臓に仕込んだ毒素は時限性だ。ゆっくりとだが確実におまえの心臓を蝕み、何もしなければ1年以内に死に至る。そしてその心臓に仕込んだカビは、この薬によってしか除けないッ!」

 カレンは悔しさと恐怖に顔を歪めると、チョコラータへ背を向けリビングの隅へ走り、置いてあったオーディオセットを持ち上げ窓へ向かって投げた。凄まじい音が鳴り響き、窓ガラスは大破する。こうしてリビングに出来上がった風穴から、カレンは逃げ出した。

「まったく。もう逃がしてやろうと思っていたところだってのに……何もデカい窓ガラスを一枚割ることないだろうがッ。なんて感情的で衝動的なヤツなんだ。ヒステリーだな」

 砕け散ったガラスの破片を踏みならしながら窓辺に寄ると、チョコラータは走り去っていくカレンの後姿を眺めた。

 私のこれからの人生は、あの女にかかっている。カレン・オー。うまく立ち回れよ。期待しているぞ。

 カレンの背中が敷地の向こうへ消えた頃、チョコラータはふと、周囲が異様に静かであることに気が付いた。

「……そう言えば、セッコのやつはどこに行ったんだ?」