暗殺嬢は轢死したい。

 絶叫が耳を劈いた。男は何が起こっているのか理解できずにいたが、後退り、窓辺に寄って部屋を見渡す――自分に襲いかかった異形の者は、絶叫した長髪の男の元へたどたどしく歩み寄り、大丈夫ですか、などとカタコトで話しかけていた。は死んだ。いや、オレは殺していない。あの女は自分で、銃を使って頭を撃ち抜いた。ゼロ距離での発砲で、頭の一部が撃ち抜いた方向とは逆に爆ぜ散っている――と、とにかく今が逃げ出すチャンスだと悟った。

 男は慌てて窓辺に足をかけて外へ飛び出そうとした。瞬間、顔面に凄まじい痛みが走る。悲鳴をあげて顔に手をやると、手が何か鋭利な固いものでスパッと切れた。それから手は尋常じゃないほどに痛みだし、男は手のひらを上に向けて両手を見た。内側から皮膚が盛り上がっている。その形はまるで――

「カミソリ……!?」

 男はやがて全身に痛みを感じはじめ、まともに立つことすらままならなくなり、窓から外へと転落してしまう。幸い下は柔らかな土――何も手入れされていない、雑草が繁茂した庭――だった。そして転落による衝撃よりも体中の刺すような痛みがすぐに上回る。転げ回れば転げ回るだけ痛みは増す。そのうちに、自分の周りは自分の血で塗りつぶされていく。

「暗殺が得意だったんだが」

 いつの間にかそばに見知らぬ男が立っていた。黒尽くめの大柄の男は壁のように静かに、こちらを見下ろしていた。

「そう叫ばれちゃあ、暗殺にならんな。だが、貴様のような下衆の悲鳴はいくらでも聞いていたくなる」
「やめろ! たのむ、たのむから、よしてくれ!!」
「悪いが、これは仕事なんだ。止められない」

 リゾットは働かせる磁力を、男の体の内側で作り上げたカミソリや釘などの鉄を引き上げるに足る最低限に留め、ゆっくりと表皮を突き破ってやろうかと考えた。だが、銃声と、――おそらくたが――メローネの悲鳴に胸が騒いでいた。それでいて冷静な彼は、まずは獲物を仕留めることに徹することにする。

 しかしその前に、彼にはひとつだけ確かめておかなければならないことがあった。

「おまえ、どうしてを狙った」
「痛いッ!こ、答えたら、助けてくれ!」
「いいだろう」
「どうしてもこうしてもあるかよ! 彼女がオレの、好みの見た目をしていたというだけだ!」

 リゾットは地面をのたうち回るターゲットを睨め付けて、自分のいる方に磁力を少し強めた。

「痛い痛い痛い〜〜〜ッ!!」
「大抵の男がそう言う。オレが聞きたいのはそういうことじゃない。どうやって、彼女の居場所をつきとめた。どこで彼女の存在を知った。そもそも、何故彼女はほいほいと貴様についていった」
「一体なんなんだ!?って女は!てめーの頭をてめーで撃って死んじまうし――」
「なんだと……」
「そう、そうだよ! 元から自殺願望でもあったのか!? そうじゃなきゃあ、たったあれだけのことで死のうなんて思うワケがねぇ!!」

 つい先程の銃声。あれは誤射でも何でもなかったのだと知って、リゾットは平静を失う。そしてあの悲鳴は、が自死したところを見たメローネの悲鳴だったのだ。ターゲットの話を聞いただけで、リゾットは頭上で起きたことを的確に想像できていた。事実かどうかを早く確認しなければとはやる気持ちと、もしも事実であれば凄惨な現場を見ることになり、見なければよかったと後悔すると容易に想像できるがために、上階へは向かいたくないという気持ちがせめぎ合った。

 ふとリゾットは、がチームに入りたての頃、ランボルギーニのディアブロに轢かれて死んだ時の事を思い出した。この強姦魔の言うことが本当ならば、あれより見た目のグロテスクさはまだマシだろう。だが、彼女がどんなに血みどろになって、臓物も骨も何もかもが外に出ている所を見たとしても、その結果生まれる嫌悪感は副次的なものでしかない。が死ぬ。自死を選ぶということ自体が、リゾットにとっては最も嫌悪感を掻き立てることなのだ。そして、に自死をさせたらしい足元に転がる男を、この上なく痛めつけて殺してやりたいという憎悪に呑まれる。

「殺す」
「や、やめてくれ! 言う、言うよ! あんた、な、なんでか知りたいんだよなッ!? あ、あれだよあれ! ダーク・ウェブで彼女を見つけたんだ! インターネットで娼婦の斡旋やってる闇サイトだよ! それで彼女とコンタクトを――」

 釘やカミソリやハサミ、その他もろもろの金属が男の表皮を突き破った。まるでハリネズミだ。心臓からは柄の無い果物ナイフのような刃物が突き出ていた。男を取り囲む漆黒がじわじわと広がっていく。その漆黒の真ん中でぴくぴくと小刻みに動いていた男の体はやがて、微動だにしなくなった。

 仕事は終わった。憎き強姦魔に、正義の鉄槌を下してやった。だが、リゾットは少しも晴れやかな気持ちにはならなかった。

 リゾットは身を翻し家の玄関から中へ入った。上階へ向い、ガタのきた木製の階段を踏み鳴らしながら、ゆっくりと二階へ向かっていく。そうして、開け放たれたドアの向こうに見えたのは、ベッドの上に転がると、彼女のものと思しき血など、彼女の頭の中に収まっていたであろうものを手で掻き集めながら、何かブツブツと呟くメローネの姿だ。

 ああ。やはり、事実だったのだ。が自死したのは事実だった。

 リゾットは呆然とその場に立ち、凄惨な光景をじっと見つめた。彼には、絶対に取り乱せない理由がある。チームの指揮を取る立場にあるからだ。愛する女の死体を見たからと言って理性を失くしてはいけないし、涙を流すことも許されない。何故こうなったと、あれこれと考察をするのも後だ。今は何よりも、外の死体が人目につく前にこの家から離れることが最優先なのだ。彼はぎゅっと握りこぶしに力を入れると、部屋に足を踏み入れた。

 メローネは血の海に横顔を浸しをじっと見ながら、尚もブツブツと呟いていた。リゾットは改めて部屋の様子を見回す。暗く、ランプの明かりだけがともった部屋の隅に、こちらもまた茫然自失となって佇むスタンドの姿があった。まるで電源スイッチを切られたように微動だにせず、ベッドの上にいる育ての親の方へ顔を向けている。

 も微動だにしない。頭を撃ち抜けば、相当の強運と生命力を持たない限り大抵の人間が死ぬので当然と言えば当然だ。ただし、は死んでも生き返る。時速百キロを超える速度で走る車に轢かれて臓物をそこらにばら撒いても生き返ったのだから、今回もまた生き返ることは可能だろう。

 しかし、死んで――頭を撃ち抜けば恐らく即死だ――から今までの間に蘇生を始めてはいないように見えるし、そもそも生き死には彼女の心に委ねられている。彼女が何を思い死にたいと思ったのかはわからないが、きっとただならぬ理由があったに違いない。普通に考えれば、自分で死にたいと思って自死した人間が生き返りたいと思うはずがないので、絶対にまた息を吹き返すとの確証は持てない。 

 これまでのにも、確かに自殺願望はあった。だがそれは、精神的に追い詰められた末の、絶望しての身投げではない。が求めるものは普通の自殺志願者が求めるような今生からの隔絶ではない。肉体が死に向かう過程で得られる快楽物質だ。だから、他者に速やかに――痛みも感じない内に――殺してもらい快楽に溺れたいというのが、これまでの彼女の死ぬ理由だった。それに、リゾットは確かに、彼女の口から聞いていた。自傷行為や自殺体に見られる“ためらい傷”ができる心理と同じで、自分ではうまくすみやかに死ぬことができない。だから、自分で自分を殺すのは最終手段だと。はめったなことでは自死はしないと。

 を自死に追いやった原因が何かは、本人に聞かなければ分からない。しかし、それが可能かどうかすら、現時点では分からないのだ。もう、生き返らないかもしれない。

 だから関わらせるつもりが無かったのに、どうしてこうなってしまったのだ。

 リゾットは取り乱しそうになるのを必死に堪え、メローネの上になった方の肩を揺さぶった。しかし、心神喪失状態は解除されず、彼が能力で作り上げた子供の方もやはりぴくりとも動かない。

 の頭にできた大きなクレーターからは、血が流れ続けていた。リゾットは止血のために、の創傷部付近の血液で薄い鉄板とビスを作り上げ、頭蓋骨に固定した。その後、携帯電話を取り出した。

「ホルマジオ。今どこにいる」
『近くだぜ。一体何があったんだ。さっきの銃声は――』
「話は後だ。周囲を警戒しながら身ひとつでここまで来い。運んでほしいものがある」

 リゾットはそれだけ伝えるとすぐに電話を切って元の場所に戻した。再度メローネを揺り起こそうと試みたものの、やはり彼の意識はすっかりどこかへ飛んでいる。観念したリゾットはメローネの腕を肩に担ぎ、反対側――の血に浸っていた体側――に手を回して抱き起こした。まだ少しだけ体温を保った、どろりとした血液の感触にリゾットは眉根を寄せた。そうしてメローネの体をベッドから床の上へと退け終わると、リゾットは辺りを見回した。何か、容器になるものが要る。

 のものだった肉片を、骨片を拾い入れるための容器だ。

 彼女の能力は驚異的な治癒能力と言ってもいいが、一から体組織を作り出せる再生能力ではないというのがリゾットの解釈だった。無から有を生み出すのではない。が車に轢かれた後に彼が見たのは、まるで生物のように蠢く彼女の臓物だ。体外へ飛び出た血液までもが粒立って彼女の体へと歩み寄る。つまり、彼女の体の一部は、彼女の体の近くへ置いておくべきで、そうすれば回復も早い。

 かもしれない、というだけだった。本人の口からそう聞いた訳ではないし、ほとんど、どうか早く息を吹き返してくれと願う気持ちから行う願掛けのようなものだ。

 部屋の隅に、プラスチック製のボウルがあった。雨漏りでもしていたんじゃないだろうか。天井を見てもシミだらけで雨水を受けるためにそこに置いてあったと確証は得られない。だがまさか、汚物が入れられていたわけでもあるまい。そんな心配を少ししたあと、リゾットはボウルを拾い上げてベッドの方へと戻った。

 ぬちゃり。目に見えたそれを掴んだ。ひどく柔らかく、もろく感じる肉片。いや、肉片というか、脳ミソの一部――外科医でもない限り、およそ大半の人間が触る機会になど恵まれないであろう無数の細胞の塊――だ。リゾットはメタリカを発動し、の血液を鉄の塊に変えて引き寄せる。その引力を感じた方へ行き、血液と分離された肉片を摘みに行って、ボウルの中へそっと入れる。それを繰り返す。

 気が狂いそうだった。傍から見れば明らかに狂人の所業だ。あの、心神喪失したメローネが途中までやっていた作業を続けているのだ。愛する女の脳ミソを拾い集める。ボウルの中には、の血液だった鉄の欠片と、脳ミソの欠片、そして骨の欠片が入っている。一体、どこの悪趣味なスプラッター映画だ。だがこれは現実だ。が死んでしまい、生き返らないと決めた後かもしれないというのもまた現実。銃声が聞こえてから、すでに十分は超えている。相変わらず彼女の一部は動き出さない。息が詰まり、リゾットは深呼吸をした。
 
「……ッ!?」

 リゾットが最後――恐らく最後だ――ののかけらを拾い上げたところで、ホルマジオが部屋に入ってきた。

 頭に鉄板を付けた。ベッドの上の鉄の塊。ベッドの際で頭を抱えて震えながら、何かブツブツと言うメローネ。何かの気配を感じて後ろを振り返ると、さっきまで元気よく動いてメローネメローネと言っていたのに、今ではすっかり大人しく、死んだみたいに固まったままのジュニアの姿。何か良くないことが起こったのは明白だが、現況からは確かなことは何も伺い知れなかった。ホルマジオは言った。

「何があったんだ?」

 リゾットはゆっくりと立ち上がり言った。

「話は後だ。メローネとを運んで、家へ連れて帰れ」

 ホルマジオは、ゆっくりと近付いてくるリゾットからボウルを受け取る。中を見て、彼は鳥肌を立てた。

「な、なんだ、こりゃあ」
の脳と頭蓋骨の一部だ」
「ま、まて、待てよそしたら、は――」
「話は後だと言ったろう。早く二人を運んで車へ乗せろ。それも一緒にな。きっと、に必要なものだ」

 ホルマジオは一度とメローネに向き合ったはいいものの、仲間へ攻撃をするという躊躇いや、現状把握が追いついていないがための戸惑いに苛まれていた。どうしても説明はしてもらえないのか、と後ろを振り向くと、これ以上の質問は受け付けないと、無言という圧力をホルマジオへ押し付け、入口横の壁に背を預け腕組みをしたリゾットの姿が目に入った。

 諦めたホルマジオは、自身のスタンド、リトル・フィートを出現させ、メローネの腕のあたりを鉤爪で引掻かせた。そうと見てわからないゆっくりとした速度で、メローネは縮んでいく。次はだ。うつ伏せになったの背中を、リトル・フィートが引っ掻こうとしたところで動きはピタリと止まった。ホルマジオの躊躇いが、リトル・フィートを止めたのだ。彼の心が、への攻撃を躊躇していた。

 まさか、二度も彼女を攻撃することになるとは。だが、状況は前と違う。前にずたずたにされて苦しんでいたを殺した。今度は、死んだの体をもてあそぼうとしている。

「ホルマジオ。……死んだように見えるの姿を、他の誰に見られるわけにもいかない。もちろん、ここにいる全員の姿を含めてだ」
「あ、ああ。さっきの銃声を、通報されているかもしれねーしな。わかってる。わかっちゃいるんだ」

 また、生き返ってくれるよな。だから、連れて帰らなくちゃならないんだ。オレたちのアジトに。オレたちの家に。

 ホルマジオが目をぎゅっと瞑り見開くと、リトル・フィートは攻撃を再開した。浅い傷跡から血が滲む。だが、は痛みに顔を歪めたりはしない。血の気の引いた白い顔は、まるで人形のようだった。



76:more than life



 朝が来た。が目覚めないまま、朝が。

 の一部が入っていたボウルは清潔でより大きなものに変えた。少しでも状態良く保っておこうと、中身はホルマリンに浸した。密閉すると彼女の一部がはい出せなくなるからと、蓋はしないままでいるから完全に保存はできていないが、何もしないよりマシな気がしたのだ。そして彼女の頭にできた穴を塞いでいた鉄板はガーゼに変えた。リゾットの能力で鉄の塊に変えられていた血液は元に戻り、ホルマリン液の底に沈殿している。

 なるべくすぐに元の場所へ到達できるようにと、ボウル自体はの頭のそばに置いておいた。そうまでしていても、は一向に目覚めない。メローネは生きた心地がしなかった。

 心は開かないようにしていた。もう、何度もバラバラにされたから。けれど君は、君だけはオレを遠ざけないでいてくれた。オレの中身を――きっと、オレを形づくってきた過去もろとも――、拒絶しないでいてくれた。だからオレは君に恋をした。君に愛していると言った。もう何度も。全部本気だったんだ。こんなに、人を心から愛しいと思ったことなんかないんだ。だけど君も、オレを置いていくのか?

 オレの肩越しに見えた死神の姿が――。あれはきっと君の本心で、あれが本当の君なんだろう――脳裏をチラついてる。ああ、やっぱり、君とは一緒にいられない、そういう運命なんだろうか。

 でも、君がいないとオレは死んでしまうし、死にたくもない。今日も明日も今夜も、オレは君の笑顔を見ていたい。だから死にたくないんだ。オレには君が必要なんだ。

。頼む、頼むから……」

 オレの命なんかより、君が必要なんだ。オレの命なんかより。オレの命なんかより。オレの命なんかより。

「君が生きていてくれなきゃ、オレは……オレは生きていけない。そうなってしまったんだ。君がオレをそうしたんだ。だから、君がオレを置いて先に死ぬなんて、ダメだ。頼むよ、お願いだ。オレは君を、君を心から愛しているんだ」

 幼い頃、母の冷たく固くなった手を握り涙をポロポロとこぼしながらつぶやいたようなことを、メローネは何度も繰り返し唱えた。

「聞こえてるんだろう? 君がどれだけオレにとって大切な存在か、分からない訳じゃないだろう? 返事をしてくれよ。頼むから。どうか、お願いだよ」

 の冷えた固い手を握りながら、メローネは眠りに落ちて夢を見た。普段と変わらぬが、普段と変わらぬ笑顔を自分に向ける夢を。