ロマーノ・暗殺の期限を目前に控えた日の午後のこと。
ロマーノの身辺調査や殺害場所の下見などを進めるため、ミラノへ向かっていた皆――イルーゾォとメローネ、リゾットの三人を除く――がナポリのアジトへと呼び戻された。期限も間近だと言うのに何故? そんな疑問が皆の頭に浮かんだが、リゾットは電話で詳しい話をするつもりは無いらしかった。イルーゾォが何かやらかしたのでは、と考える者までいたが、アジトに着いた皆の目には、縛り上げられるでもなく、いつものようにソファーにふんぞり返るイルーゾォの姿が目に飛び込んできて――見る者の腹立たしさを掻き立てる態度だ。こっちがどれだけ複雑な心境で仕事を進めていたと思っているんだ。と言いたくなるのを皆堪えながらも――心底ほっとする。が、なら一体何で呼び戻されたんだ? という疑問は残ったままだ。
「さっさと席につけ」
呆然とリビングの戸口付近で立ったままでいた四人に、リゾットが真向かいから言った。何の質問も許されない雰囲気に固唾を飲みながら、渋々皆が定位置へ向かい腰を下ろした。皆が落ち着いたのを確認するなり、リゾットは言った。
「仕事が無くなった」
「……どういうことだ?」
ホルマジオが声を上げる。
「ロマーノ・暗殺の仕事が無くなった。今日の午後二時頃幹部から連絡が入ったんだ。任務は即刻中止するようにとのことだ」
なるほど。だからイルーゾォはムカつく態度でソファーにふんぞり返って余裕綽々みたいな顔をしてるわけだ。と皆の合点がいった。だが、浮かんだ疑問は解消されていない。
「一体何故だ?」
メローネが口を開き、ホルマジオの疑問に答えた。
「他に当てがあるんじゃあないか? 普通に考えて、ボスが裏切り者をほったらかしにしておくはずがないからな」
「当てって……つまりよォ、オレ達暗殺者チームを差し置いて暗殺をするヤツが他にいるってわけかァ……? クソが。ミラノまで車走らすのにいったいいくらかかると思ってんだよオイ。どんだけオレが疲れると思ってんだッ!! んで仕事も無くなって、金も入ってこねえってんじゃあよォ、金も、オレの労力も、全部無駄だったって訳じゃあねーか!! 骨折り損のくたびれ儲けって訳じゃあねーかよォ!! ふざっけんなクソ、クソ、クソクソクソ、クソがァアアア!!」
「お前が変なこだわりでレギュラーでも動く車にハイオク突っ込んでるから、余計金の無駄だよな」
「はあああああああ!?」
ギアッチョの怒りの炎にメローネが油を注ぐ。
「おいメローネ。こいつを無駄に煽るんじゃあねーよ。面倒くせえな」
メローネはプロシュートの言葉を受け、ロマーノ・からイルーゾォが受け取った手切れ金――働きもせずに手に入った金――で一時的にではあるが珍しく裕福なんだから落ち着けよ。と消火活動に回った。確かにな。と一言呟き、珍しくギアッチョはすぐに大人しくなった。一方ホルマジオは、タバコに火をつけひと吸いして吐き出すとイルーゾォへ視線を投げて続けた。
「おまえ、何か手を回したのか?」
ホルマジオにそう言われて、イルーゾォはじろりと彼を見た。
「オレにそんなことをやってのけるだけの権力があると思うのか」
「いいや。ただ、ちゃんには金って言う権力がある。その彼女をそそのかすくらいのことならおまえにだってできるだろ。……ああ別に、それがいけねえって言ってんじゃあねーんだぜ。正味な話、オレは今ちゃんのお父様を殺すはめになんかならなくって良かったと心底安心してんだ。良かったよな、ほんと。あんなイイ子の父親殺すなんて、夢見の悪い仕事したかねーもんな」
暗殺者が仕事に私情を挟むなんてもってのほかだ。皆にそういう認識があったが、今回ばかりはその認識に背を向けたい気持ちが大なり小なりあった。リゾットでさえもそうだった。だが、仕事をしなければ生きていけないので、上からやれと言われたことは、何がなんでもやり通さなければならない。そういう複雑で憂鬱な思いでいた。だから、ホルマジオの言ったことには誰も反論しなかった。仕事が無くなって良かったと、すっかり大人しくなったギアッチョも含め、皆が思っていたのだ。イルーゾォは答えた。
「オレは何もしていない。仮にが何かしたって言うのなら、それは彼女がやると決めたことだ」
「いやでも、その意思決定におまえは少しもかんでねーのか? おまえのガールフレンドだろ。それにおまえ、いつもの調子に戻ってる。腹の内じゃあ本当は何か喜んでるんじゃあねーの? 訳知り顔って感じだぜ」
「おいホルマジオ。なんでが手を回したって決めつけて詮索をするんだ? オレは仮にと言ったはずだ。オレはなんで今回の仕事が無くなったのかということについては何も知らない。それに、ロマーノが殺されるという話が無くなったワケじゃあねえだろう。オレ達が仕事をしなくて良くなったってだけの話だ。それを喜べるわけもねーだろうが」
「ふーん」
なら、そのおまえの落ち着き様は何なんだ。皆そう思っていた。だが、それ以上のことを詮索することは無かった。余計な詮索は余計な疑念を呼び、余計な疑念は余計な結果を招く。この世界では余計な詮索が身を滅ぼしかねないという認識もまた、彼ら自身の経験に根付く暗黙知だった。
「……まあ、いいか。とりあえずよ、仕事が無くなって金も入ってこねーってのにすげー晴れ晴れした気分だぜ! 久しぶりにどっか飲みに行こうぜー!!」
次の日の夜。暗殺者チームは街へ繰り出した。ホルマジオが言った通り、皆晴れ晴れした気持ちだった。こんな夜は仲間を二人失ってから一度と迎えたことがなく、皆の足取りは軽かった。
皆と言っても、イルーゾォだけは共にいなかった。皆、ロマーノ・や・に関する何かがあるのだ、と思ったが、そのことについては誰も何も言わなかった。仮にそうだとしても、暗殺者チームの皆の命に危険が及んだり、何か大きな損害が起きたりする訳ではないと確信していた。自身の心を一度殺してチームを守ったイルーゾォのことを、皆が信頼していたからだ。
そしてイルーゾォがこの場にいないという事実は、ロマーノ・の命の安全を保証する何かなような気を起こさせていた。もちろん、完全に想像でしかない。しかし、イルーゾォのスタンド能力と、の金や権力、頭脳があれば、ロマーノ・を生かすことが可能かもしれない。例えば、彼が死んだことにするなどして、だ。
ロマーノに生きていて欲しいと願うことが組織への反逆に違いないという自覚が皆にあったので、その想像を決して口にはしなかった。酒が入っても、絶対にそのことだけは口にしなかった。けれども、そう思う自分を皆心の中で戒めたりはしなかった。彼らは以前から確かに組織へ反感を抱いているし、チームの皆がそうだと信じている。その不満には、命惜しさに無理矢理蓋をせざるを得ないというだけだった。
イルーゾォが今どこにいるのか、そして何をしているのか、その結果未来がどうなるのかという想像や期待が事実だとしたら、自分たちに薄給で隷従を強いる組織に一泡吹かせてやれるということになる。もしそうなら、これほど愉快なことは他にない。尚更、皆の足取りは軽やかだった。
同日、午前一時。
ペリーコロは身を屈め、床に血溜まりを作りながら力なく横たわるロマーノの首に指を当てた。そのまま耳を口元へ近づけ、確かに脈も無ければ呼吸音も聞こえず、さらに胸も上下していないことを確かめた後おもむろに立ちあがり、を見つめた。
ペリーコロは静かに涙を流していた。父が組織を裏切りさえしなければ、ふたりは良き親友のままでいられたのだろうとは思った。そしてこの裏社会が、いざとなれば親友であろうと家族であろうと手放さなければならないような、残酷な世界であるということを思い知った。
だけど、だから何? そうする人が多いというだけで、私がその掟に従う必要なんて少しもない。私は私が愛する者を誰であろうと見捨てない。私の命がある限り、絶対に守り通す。それが私の覚悟よ、ペリーコロさん。
「さて、君。確かに、君の覚悟は見て取れたよ。これで君は晴れて幹部の身だ。今月中に定例の幹部会をやるから、君のことはそこで紹介しよう。その内招待状を送るよ」
身なりを整え帽子をかぶり、ペリーコロは部屋の戸口に向かった。
「後の処理は任せたよ。くれぐれも、君がやったと誰にも悟られないように。せっかく優秀な人材を迎え入れたのに、すぐに監獄行きなんて困るからな。ポルポみたいなやつもいるから、金さえあればなんとでもなるかもしれんが……。まあ、よきにはからってくれ」
「承知いたしました」
黒服を身に纏った男が数名、ペリーコロと入れ替わるように部屋へ入ってくる。がロマーノの亡骸を袋へ詰めるように指示するところまで耳に入れ、ペリーコロはホテルを後にした。
28: Sauced Up
「ねえ、ロマーノ。起きてちょうだい」
もう二十年前に聞いたきりだった天使の声が聞こえはっとして、ロマーノは目を開けた。まばゆい光に包まれた、死して尚も最愛の、美しい妻の姿がそこにあった。それは天使と言うよりもむしろ、女神と言えるほどに神々しい。
「ああ、マリア、マリア……。どれほど、君に会いたかったことか……!!」
ロマーノは手を伸ばし、その女神に触れた。触れることができた。死んだはずの愛する女にだ。つまり、私は死んだのだ。娘に撃たれ、眉間を撃ち抜く銃の閃光を見て、今はそのすぐ後のはず。きっと私は、死後の世界にいるのだ。
「近くで見ると、すっかりおじさんになっちゃってるのがわかる。……でも、変わらずハンサムね。ロマーノ。あなたが素晴らしいのは、その見た目だけではない。私との約束をしっかり守ってくれた。たったひとりで、を立派に育ててくれたわ」
「マリア、よしてくれ。私は君との約束を果たせなかった。を守り抜くという君との約束を反故にしてしまった。……私は、私は死んでしまったんだ」
娘に殺されたのだ。そうは言えなかった。ロマーノはを咎めるような物言いをしたくなかった。娘にそうさせたのは他でもない自分自身だからだ。そう思ってのことだった。だがマリアは微笑んだまま言った。
「いいえ、ロマーノ。あなたは死んではいないわ。……死んだことにはしないといけないけれど、命はまだ、ちゃんとここにある」
マリアはロマーノの胸に手を当てた。その手に、ロマーノは自分の手を重ねた。
「ここは、死後の世界なんじゃあないのか……? だから私は君に触れることができるんだろう?」
「おかしな人。あなた、死後の世界なんて無いって言ってはばからなかったじゃない」
「だ、だが……じゃあどうして、私は君に……?」
確かに、妻に触れているという感覚があった。もちろん、ロマーノは“生前”には死後の世界なんてものは信じていなかったし、死後の世界では魂が実体を持ててそれ同士で触れ合えるなんて想像すらしたこともなかった。だが自分は確かにに撃たれたという実感があったし、――ただし痛みなどは覚えていなかったが――死んだはずだ。頭を撃ち抜かれたら大体の人間が死ぬだろうし、自分だって例外ではないはずだ。そして今こうして死んだ愛する妻の手に触れられているのだ。これが死後の世界で無いと言うのなら、一体何だと言うのだ。
「人間が人や物に触れていると感じているのは体ではなくて脳なのよ。ロマーノ。だから、身体が実際に人や物に触れていなくたって、脳にそう思わせることはできるわ。視覚だってそう。見ていないものを見ていると錯覚させることはできる」
マリアは脳科学者だった。彼女の学者めいた発言で、結婚する前に大学のキャンパスで色々と話をしていた時分を思い出して、懐かしさに胸が締め付けられる。
ロマーノは奨学金を得てやっとの思いで大学に入った貧困学生だった。夢はエンジニア。いずれ起業して、この貧困とはおさらばするのだと自分に誓った野心ある学生だった。そんな彼がキャンパス内でマリアに出会い、恋に落ちた。彼女は名家の出であったから、相手の家柄を重視する彼女の両親には、結婚はおろか交際すら反対されていた。
しかし、マリアはロマーノの愛を信じ、親の反対を押し切って彼との結婚を果たしたのだった。
「聞いて、ロマーノ。あなたが必死で、を守ろうとしていたのは知っているわ。それが空回ったりもしていたけれど……親って往々にしてそんなものよね。あなたがを愛していることは分かったし、愛がある行動なら、誰もそれを間違いだとは言えないわ。……はそれをきちんと理解しているの。本当に、立派に育ったわ。あなたの教育の賜物よ。今まで、本当にありがとう」
別れが近づいているような気がして、ロマーノはとっさにマリアを抱きしめた。
「マリア。マリア。……私を、置いていかないでくれ。頼む。私も連れていってくれ。君と一緒にいたいんだ」
マリアはロマーノの背中に手を当てて、愛し気に撫でながらいたずらっぽく言った。
「まだ約束を果たしていないんじゃなかったの?」
「だが……死んでしまった私に何ができると言うんだ」
「だから、あなたは死んでいないんだってば。があなたを本当に殺してしまう訳がないじゃない。はあなたを恨んではいない。すべて、自分で選んだ道よ。すべて、自分の愛するものを守ると決めたあの子の行動なのよ」
マリアは顔を上げて、涙をこぼすロマーノの頬を指で拭い口づけをした。
「愛しているわ。ロマーノ。私もずっと、あなたを愛している。死んでからもずっと、あなたを愛し続けているのよ。私もあなたに触れたくて仕方が無かった。……だからこれはきっと、我慢を続けてきた私の願いを、神様が叶えてくれた結果なのね。これほど幸せなことはないわ。ロマーノ。愛してる」
「ああ、マリア。私も君を愛している。これからも、ずっとそれは変わらない」
「嫌だわ私、あなたを束縛するつもりなんてないのに……。これまでのあなたに全然女っ気が無いのを嬉しく思ってしまうなんて。でも、もういいのよ。自由になって。すべてから自由になって、あなたが生きたいように生きるの。私のことも、のことも気にせずに、あなたが思うように生きて。私はそうしたから、幸せになれたのよ。だからあなたもそろそろ、自分のために生きるの。もそれを望んでいるわ。……それに心配なんかいらない。あのこ、自分の娘ながら本当に強くてカッコイイのよ。たくましく育ったわ。だって、あなたがやり遂げられなかったことまでやり遂げるつもりでいるみたいなのよ?」
「……マリア。どうして君はそんな……すべてを知っているみたいに話すんだ?」
マリアはとびきりの笑顔を見せて言った。
「私はの幸運の女神だから」
「……マリア?」
「さあ、もう時間よ。あなたは真相を知る必要がある。そして、これからあなたが寿命を全うするためにどうするべきかについて、が話すことをしっかり聞いて。を信じて。そして彼女の言ったことを絶対に守ると約束して。わかった?」
「あ……ああ。約束するよ。君の頼みなら、何だって聞くさ」
「ありがとう。……それじゃあねロマーノ」
マリアは最後にロマーノをぎゅっと抱きしめた。ロマーノもしっかりとマリアを抱きしめ返す。最高に満たされ、幸せな気分だった。そしてその温かさを――もう二度と感じることはできないと思っていた体温を――感じる内に辺りはまたも眩い光に満たされて、光はロマーノを盲目にした。
目が慣れた頃、ロマーノは自分が変わらず生きていて、ホテルの一室にいることに気付いた。そして、自分を撃ったはずの娘の姿は無いが、代わりに見知った顔の男がそばにいることにも気付いた。
「貴様……どうしてここにいる!?」
ロマーノは少し後退り、身体をイルーゾォの方へ向けた。イルーゾォは肩をすくめた。しかし、もう何も恐れることはない。ロマーノ・はもはや何の権限も持たない齢六十を過ぎたただのおじさんである。イルーゾォはひどく気分が良くなってニヤニヤと笑いを滲ませてしまう。
「何がおかしい!?」
「お父さん。そう怒らないでくださいよ」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いは無いと言ったはずだ!!」
「ああ、そのことなんですがね、お父さん。改めて言っておきたいことがあるんですよ、お父さん。娘さんを……さんをオレにいただけませんか。お父さん」
「ならん!! 三回だ!! いま立て続けに三回もお父さんと言ったな!? 二度と私をお父さんと呼ぶな!! 貴様に大事な娘はやらん!! ふざけるな!!」
シリアスなムードだったのが何やら一気に愉快な雰囲気になったところで、バスルームのドアが開く音がした。これは、がイルーゾォの鏡の中の世界に入る前の合図だった。
「今、が説明に来ますからね。お父さん」
「やめろォ!!」
ロマーノの悲鳴は虚しく響くだけだった。それはさておき、とイルーゾォは彼の前を横切ってバスルームへと向かった。開け放たれたドアの向こうにある鏡にはの姿があった。イルーゾォは彼女を鏡の中の世界へと招き入れる。はイルーゾォにありがとうと言って頬にキスをするなり、父親の元へ駆け寄った。
「父さん!!」
「……」
驚きの内に激しく抱きつかれる。ロマーノは何が起こったのか少しも理解できずに目を白黒させていたが、先ほどの妻の体温と同じく、確かに感じる娘の体温にほっとして、心は次第に落ち着きを取り戻した。
「何も説明しないで、こんなことになってしまって……ごめんなさい」
「。私は……これまでに起こったことが何も理解できていないんだが」
「ああ、そうよね。何が現実で、何が幻なのか……分からないわよね。全部説明するわ」
ロマーノが暗殺のターゲットとなってしまったことに始まり、今日起きたことまでを全て説明しなければならない。は骨が折れる思いがしたが最後まで語り、ロマーノはそれを黙って聞いていた。
「まさかおまえにスタンド能力が備わっていたとはな」
すべて聞き終えた後にそれだけは呟いたが、ロマーノは珍しく何も意義を唱えなかった。
今宵起きたことはすべて、とイルーゾォのスタンド能力が生み出した“見世物”だった。ペリーコロはそのイリュージョンを真実と疑わず、はまんまとパッショーネの幹部になることができたという訳だ。殺されるはずだった父親の命を見事救いながら。
イルーゾォは心の底から喜びを感じていた。こんなに胸のすく思いは初めてだった。だが彼は、その喜びを押し殺して生き続ければならない。チームの仲間に“ロマーノ・が生きている”などと悟られる訳にはいかないからだ。今回のことが何かのきっかけでチームの外に漏れてしまえば、今度はが暗殺の対象となってしまう。
「父さんにはしばらく、外国で身を隠してもらうわ。ブラジルの土地と家を買ったの。もちろん、私が買ったと誰にも知られないように手配したわ。ブラジルなら、地元のギャングを嫌ってパッショーネも詮索してこないはずよ。しばらく不自由な思いをさせることになるけど、許してね」
「私のことはいい。。私はおまえが――」
ロマーノは「心配だ」と言いかけて口を噤んだ。マリアとした約束を、二度も反故にはできない。私は娘を信じ、娘の言いつけを守らなければならないのだ。それがマリアとついさっき交わした約束だ。
「――いいや。何でもない。おまえの言う通りにするさ。それがおまえの命を守ることに繋がるのなら」
は小首をかしげた。父親について、まるで人が変わったみたいだと思った。だが、こういう命の危機に立てば皆変わるものなのだろう。他でも無い、自分がそうだったからだ。
「必要なものは現地ですべて揃えさせているわ。現金も、家の金庫にたっぷり用意しているから、しばらく遊んで暮らせるはず。連絡は控えてほしい。緊急時のために、衛星電話を用意しているわ。どうしてもという時以外使わないで。しばらく休みを満喫してね。……あと、父さんが進めようとしていたあのプロジェクトについてだけれど……近いうちに、スピードワゴン財団の人をブラジルへ寄越すわ。ずっと休みだと、父さんのことだしきっと退屈すると思うから。そのプロジェクトを、私にも手伝わせてほしい。そして父さん、イルーゾォ」
は一世一代の覚悟を決めたような、真剣な眼差しで言った。この鏡の中の世界だから言えること。信頼するふたりの前でだからこそ、言えることだった。
「私、パッショーネのボスになるわ」
ロマーノもイルーゾォも、驚いて目を丸くした。
「私がこの国から、人に害を成すスタンド使いと麻薬を一掃する。父さんの意思を継ぐのよ」
欲しいのは力だ。すべての人を束縛から解放するための。周りに流されたりはしない。これで安心と、パッショーネの幹部という座に落ち着くつもりなどさらさら無い。舵を取るのは私だ。愛する人たちが自由を求め、私を信じてついてきてくれるのなら、私はどこまでも強くなれる。
は強くなった。イルーゾォとの出会いが彼女を変え、彼をも変えた。ふたりが互いを高め合った結果だ。それは留まる所を知らない。
こうして強くなって、強くなり続けるならきっと、そうなれるだろうとイルーゾォは信じた。彼女は前に進むために生まれてきた猛者だ。皆を先導する彼女の手は愛という名の旗を掲げ、彼女は光へ向いただ前進していく。彼女は革命を起こそうとしている。民衆を導く自由の女神なのだ。
それが、イルーゾォが生涯でただ一人愛する女の真の姿だった。
「ああそれと、父さん」
あまりの衝撃に――例のバッジを見た瞬間を優に超える――言葉を失っていたロマーノに、は追討ちをかける。
「私、イルーゾォと結婚するから。私もギャングになったんだもの。文句ないわよね?」
イルーゾォとロマーノはまたも目を丸くした。そしてロマーノはしばらく白目を剥いて泡を吹いた。その内に彼はマリアとした約束を思い出していた。こんな話は聞いていない。そう思った。だが、娘の言う通りにすると約束したので、彼は首を縦に振るしかなかった。さらに思い出した。自分もイルーゾォと同じく、親に認めてもらえるような男ではなかったのだ。それを振り切ってマリアが自分についてきてくれたからこそ、今こうして幸せを得られているのだと。それがマリアの幸せに繋がっていたのだと、ついさっき知ったのだ。
ロマーノは言った。
「孫を見せに来てくれるか。」
「まっ……孫? え、あ、あの……私と、イルーゾォの子ってこと……?」
「そのつもりは無いのか?」
「い、いやまだ、そんな先のことは……そりゃあもちろん、欲しいけど――」
「もちろん、見せに来ますよ。来年にでもね」
「ら、来年!? 来年って、あなた本気!?」
「イルーゾォ。貴様には聞いとらん!」
「いや、でもオレの子でもある――」
「うるさい! もう知らん好きにしろ!」
顔を真っ赤にして狼狽えると、何故か自信満々でいるイルーゾォ。そして顔を伏せて頭を抱えながらも、実はこっそり嬉しそうに笑って涙を流すロマーノの三人は、静かに現実の世界へと戻った。
その後すぐ、ロマーノ・はイタリアを発つために空港へ向かった。イルーゾォはロマーノがイタリアを発つ寸前まで、彼を鏡の中の世界で守り通した。
朝日の中、ロマーノが乗り込んだ飛行機が飛びたっていくのを、とイルーゾォは展望デッキで眺めていた。
「ありがとう。イルーゾォ」
飛行機が見えなくなったころ、は言った。イルーゾォは優し気な微笑みを浮かべて言った。
「大した女だ。おまえは」
「私だけの力じゃない。……あなたやシドがいたからこそ成し遂げられたのよ。……約束するわ。私、あなたのこと絶対に離さない」
はそっとイルーゾォの手を取り、指と指を交差させてぎゅっと握りしめた。イルーゾォもそうして彼女の手を握り返す。そんな反応が嬉しくて、は胸を高鳴らせながらイルーゾォの顔を見上げた。彼と目が合う。優しげに細められた目にとらわれて、胸はさらに早鐘を打った。
「ああ。オレもだ。もう二度とお前を離さない。……愛してる。」
「私も、愛してる」
にはやるべきことがまだまだ沢山あった。父の葬儀をやらなければならないし、会社で報告もしなければならない。死亡届をどうするかとか、メディアにどう説明するかなどを、抜け目なく考え実行しなければならない。だが、今この時だけは、イルーゾォと喜びを分かち合いたかった。
どちらからともなく抱き合い、深いキスを交わし、見つめ合った。
束の間、心の底からの安心と、幸せを噛み締めた。イルーゾォも同じだった。そして今感じている体温が、末永く感じ続けられるようにと望んだ。そのためなら何だってすると、ふたりは各々、自分自身に誓っていた。