はフランチェスコ・ラウリーア通りに面した、イタリアでも群を抜いて悪名高い刑務所にいた。その悪名高さを象徴するのは、イタリア全土を牛耳る巨大なギャング組織――パッショーネの幹部に公然と会えるということだろう。幹部ポルポを前にしたは、大きな独房の扉にある小窓へ、蓋が開いたままで火の灯ったままのライターを立てて置いた。
「ほほう。……素晴らしい」
ポルポは・をなめまわすようにじっと見つめる。そして彼女がつい二十四時間前にこの場所へひとりで乗り込んできて、パッショーネの入団テストを受けると宣った時のことを思い浮かべた。
「あなたがポルポさんですか」
規格外の大きな黄色い塊を前に、は狼狽えることもせずに言ってのけた。ポルポは驚いた。
「君みたいに若く美しい女性が、こんな薄暗い監獄に一体何の用だい?」
「パッショーネの入団テストを受けさせていただけませんか」
「ふむ。……キミ、名前は?」
「。・です」
幹部ポルポの元へは、パッショーネに関するありとあらゆる情報が瞬時に集まってくる。ロマーノが娘に会社を譲ったことも、娘の名前も、そしてロマーノが組織を裏切ろうとしていること。さらに、それが所以で組織の暗殺者チームに、ロマーノ暗殺の指令が下りたことも。何もかもを、ポルポは知っていた。故に彼には、今目の前にいる女がロマーノ・という組織への反逆者、その娘であることがすぐに分かったのである。
暗殺者チームの仕事は他のどのチームよりも確実であり、ロマーノが死ぬこともほぼ確定しているようなものだ。そんな最中、何故その娘がパッショーネへの入団を希望するのか。ポルポが怪しいと感じるのは当然のことだった。だが彼は怪訝な顔は少しも見せずに、飄々と聞いた。
「キミ、ロマーノ・の娘だね?」
「ええ。そうです」
「今やイタリア全土に名を轟かせる大企業のトップだ」
「ええ」
隠しもしないか。名前を偽らなかったのだから、隠すつもりなどはなからなかったということだろう。つまり彼女は、自分がこれから組みしようとしている組織に父親を殺されることを知らない悲劇のヒロインというわけだ。あるいは、知っていて父親をどうにかして救おうと、どうにかできるはずと夢見る乙女か。
もちろん、父親が死に瀕していることなど、漏らしはしない。言ってどういう反応を示すか確かめてみたい気も少しはあったが、トップシークレットを敢えて漏らし組織からの信頼を失ってまで試すことではない。そして、ポルポは問う。
「私には分からないんだがね、君。ここに入団を希望してやってくるのは、その辺の路地裏をうろつくゴロツキがほとんどだ。金も名誉も権力も才能も美貌も……何もかもを兼ね備えているであろう君が、どうしてわざわざ、ギャングになんかなろうって言うのだね?」
はさして迷いもせずに言ってのける。
「金も名誉も権力も、とおっしゃいますが、ポルポさん。私は現状に満足していません。父がこれまでに得てきたもを、私も当然に手に入れられると確かめたい。そのためにここに来ました」
「ふむ。……父がこれまでに得てきたものとはつまり、パッショーネの幹部の座のことかね?」
「ええ。そうです。……ポルポさん。パッショーネの幹部になるには、どうすればいいんでしょう」
ポルポはさらに驚いた。これまで、彼の目の前でここまでの大口を叩いた入団希望者はいなかったからだ。入団試験など合格するのは当たり前のことで、その先を見据え、幹部になるには、などと聞いてくる者など、これまでにひとりとしていなかった。
ちょうどいい。どうせ幹部の座には穴が空くところだ。この自信満々の女が私の試験を無事通過できるのかどうか、高みの見物といこうか。
「金だよ。君。組織に金を献上するんだ。と言っても、君には簡単に支払えてしまうだろうから、さして問題は無いだろうがね。……ざっと百億リラといったところかな」
「百億ですか」
この女、ひるみもしない。ポルポは少し、面白くないと思った。多少はたじろぐかと思ったが、やはり大企業の創設者の娘で、自身も実力ある技術者兼社長ともなれば、百億程度は簡単に支払えてしまうのだろう。
「それだけの金を得る素質の持ち主であるということだ。……信頼だよ。他人からの信頼があってのことだ。だから、君が簡単にその金額を払うことができるのなら、幹部になる素質は十分にあるということになるというワケだ。……だがね、君」
ポルポは続けた。
「それは、パッショーネに入団できてからの話だよ。残念だが、君がいくら人望に恵まれた才色兼備の敏腕社長であると世間に広く知られているからって、君だけを特別扱いするわけにはいかない。私が君の“信頼”を試し、資格があると判断しなければパッショーネに入団はできないんだ。才能があるとか、頭がいいとか、そういった“下らない”ことが通用するのは、君がこれまで生きてきた表の世界でだけだからね」
ポルポは、囚人が食事や手紙、外部からの差入れなどを受け取る監獄の扉についた小窓を開け、火がついたままの銀色のライターを差し出した。
「さあ。そのライターを受け取りたまえ」
は、火がついたままの自立したライターに手を伸ばす。ライターを掴もうとした瞬間、ポルポが釘を刺すように続けた。
「そのライターの炎を二十四時間消すことなく、ここに持って戻ってくるんだ。いいかい。きっちり、二十四時間後だ。蓋を閉じたり、水をかけたり、強風に煽られたりすればすぐに火は消えてしまうから、気をつけたまえよ。もちろん、ガソリンはしっかりと補填しているから、そこは気にしなくて大丈夫だ。それでは、幸運を祈るよ。君」
「承知しました」
ポルポには、火を消さずに差し出されたライターが、入団希望者が火をうっかり消してしまい再点火した後のものなのか、バカ真面目に二十四時間火を消さずにいた結果なのかを知ることができない。矢を持たせた彼の遠隔自動操縦型スタンド、ブラック・サバスが出現したかどうかすら、彼には知る由もないからだ。
もしも前者なら、矢に射られて生き残る素質を持っていた、普通のゴロツキよりも有力な鉄砲玉として使える闘犬となるということ。もしも後者なら、組織に従順な飼い犬となるということだ。どちらでもいい。ポルポはここで組織の頭数を増やすついでに、スタンド能力者の“開発”を非合法に行っているだけにすぎない。信頼を試すとは言うが、そもそも会って間もない人間など信頼できるはずもないので、そのどちらであっても死に対する恐怖を首輪に飼い馴らすことさえできれば、彼の使命は達成される。
だが、は鉄砲玉と言うにはあまりにも気高く気品に溢れていて、組織に従順な飼い犬と言うにはあまりにも慧眼に富んでいるように、ポルポの目には映っていた。彼女に対面した当初に抱いた疑念はさらに根深くなっていく。本当のところは、父との確執があるというだけのシンプルな動機であるように見せているだけなのかもしれない。ポルポは、父と同等かそれ以上の金、権力を欲しているという彼女の言葉だけを鵜呑みにする気にはなれなかった。彼女には幹部どころか、ボスの座を、とまで言ってのけそうな気迫があった。
今更そんな憶測を連ねて、を入団させられないと突っぱねる訳にはいかない。それこそ、ポルポが最も重要と考える“信頼”からは程遠い、自身の名を貶めることにも繋がりかねない愚行である。それに、幹部になるつもりがあるのなら、ひとまず組織に金を貢がせるべきだろう。父親を殺されたことについてどう感じるか――その後であっても彼女が組織へ忠誠を誓うか、はたまた反逆者となるかを考えるのは、組織がこの女から金を受け取った後でも遅くはない。
ポルポは渋々と口を開いた。けれど、抱いた疑念を臭わせないように、はつらつと決まり文句を吐き出した。
27: Not That Kinda Girl
はレストランの入口に歩み寄り、ドアノブに手を伸ばした。昼時の少し手前で人も少ないためか、店の入口付近で手持ち無沙汰にしていたボーイが、ガラス窓の向こう側からの姿に気付き、彼女に開けられる前にと慌てて駆け寄り扉を開けた。
「いらっしゃいませ。……さん、ですね」
「ええ。ブチャラティさんは?」
「はい。中でお待ちですよ。どうぞ、お入りください」
ボーイに店内へと誘われる。複数の客席が置かれたホールの奥に個室があり、ボーイはその扉を開けると、中へ入るように促した。テーブルのそばに、白いスーツを纏ったマッシュルームヘアの、二十歳かそこらの青年が立っていた。
「驚いたな。こんなに美しい女性が来るとは思わなかった」
そう言って屈託なく笑いながら、ブローノ・ブチャラティはに歩み寄る。
「どうも。ポルポさんから、話は聞いていますよ」
は求められた握手に応じる。ちらと微笑んで見せただけで、それ以上愛想を振りまくような真似はしなかった。入団テスト終了後、はブチャラティの配下となったが、今回彼女がここに来たのは、ブチャラティが抱えるチームとの顔合わせのためではない。彼の配下とは、にとって一時的な止まり木でしかなかった。
「なんでも、幹部になるおつもりだとか」
「ええ。そのつもりよ、ブチャラティさん」
「さん付けなんて、よしてください。幹部になるような方が、オレなんかに。……それにしても、随分と身軽ですね?」
ブチャラティは、小さなハンドバッグ以外を手にしていないの姿を上から下まで見下ろした。幹部になるため組織へ献上する金が入っているような大きなケースの類が見当たらないからだ。はブチャラティが言いたがっていることにすぐ勘付いた。
「ああ。……持ち運ぶためのケースまで含むと三十キログラム近くあって、とてもハイヒールじゃ歩いて来られそうになかったから……ほら」
は入口付近の部屋の隅を指さして、ブチャラティの視線を誘導した。そこは、コートをかけるスタンドと、縦長の形をした壁掛けの姿見がある場所だった。その鏡の前に、今まで無かったはずのものが――大きなアタッシュケースが――忽然と姿を現していた。
「い……今、扉開きました? 誰かこの部屋に入ってきましたか?」
「さあ。どうかしら」
コツコツと音を立ててアタッシュケースの元へ歩み寄ると、は後ろを振り向いてブチャラティに助けを求めた。
「テーブルの側まで運んでくださらない? 重たくってしょうがなくて」
「え、ええ。もちろん」
「ありがとう」
こうしてふたりは席につき、幹部がやってくるのを待った。ブチャラティは少しの間マジックでも見せられたような素っ頓狂な顔をしていたが、彼もまたスタンド使いである。マジックではなくスタンド能力なのではないかとすぐに思い至った。だが、次期幹部相手に探りを入れるなんて、しかも絶対に本当のことを言わないと分かりきったことを聞くなんて、この女性の心証を悪くするだけだと思い、口を噤んでいた。そうして一度収めたはずの好奇心だったが、それはすぐに顔を出した。
「失礼ですが、さん」
「何? ブチャラティ」
「あなたはとても……ギャングらしからない。一目見ただけでも、聡明で気品に溢れた女性だと分かる。私も大してギャングとして長く生きているわけではありませんが、パッショーネに組する者で、あなたのような人間は一度だって見たことがない」
「……それで?」
「気になるんですよ。どうしてあなたがギャングになんかなろうって思ったのかってことがね」
「ふふ。……皆そう言うのね」
はブチャラティに差し出されていた紅茶を一口飲むと、カップをソーサーへ置いて続けた。
「私はただ、どこまでも貪欲なだけよ。一度欲しいと思ったものは、それを手に入れるまで、この命が続く限り絶対に諦めない。手に入れることができたなら、その後も死ぬまで守り続ける。そういう思いを遂げるためにここにいるの」
ブチャラティは揺らぎのない意志を感じた。しかし何か含みがあるようにも受け取られる。まるで、幹部の座などひとつのステップでしかないとでも言いそうな、志の高さを。何か、希望の光のようなものを感じた。にわかに胸が高鳴った。ブチャラティは何とも言えないその高揚を本人に気取られぬように、慌てて言葉を吐いた。
「嘘はついてない。けど、芯はついていない。そんな感じがしますね」
「何とでも」
幹部の座とは、金も名誉も手に入れているであろう彼女にとって、それほど魅力的なものなのだろうか。それを手にして、彼女は満足するのだろうか。本人が自分は貪欲だと言っている。彼女が本当に欲しているものとは、一体――
ブチャラティの、・という美しき幹部候補へ対する興味は尽きない。けれど、彼のチームへ仮配属されたとさしで話す時間はもうおしまいなようだ。
先程が入ってきたドアが、向こう側からノックされる音が個室に響いた。ブチャラティは即座に立ち上がり、扉を開けに向かう。そして部屋に入ってきた小柄の老人に向かって深々と頭を下げた。もブチャラティに倣い、起立して頭を下げる。
「君が、・君だね」
老人――幹部、ペリーコロはジャケットを脱いでブチャラティに渡すと、にこにこと人好きのする笑顔を浮かべながらに歩み寄った。は瞬時に床へ膝を付き、彼の手を取って甲に軽く口付けをした。
「お会いできて光栄ですわ。ペリーコロさん」
「ほっほっ。こんなに若くて美しい女性に口付けをされたのなんか、いつぶりじゃろうな。こちらこそ、会えて嬉しいよ。さあ。ふたりとも席に付きなさい。一緒に昼食でもどうだね」
季節野菜と生ハムのサラダ、カポナータ、ラザーニャにスパゲッティ。ブチャラティが元締めを務めるこのレストラン一押しのメニューがずらりと卓上に並ぶ。は何の躊躇いもなく皿へ手を伸ばした。仮に毒物の類が入っていたとしても関係ない。彼女には、幸運の女神がついているのだ。
もちろん、ブチャラティやペリーコロには、彼女に毒を盛ろうなんて考えは少しも無かった。つまり、食事会は穏やかに進んだ。ポルポやブチャラティがに訊ねたようなことは、もちろんペリーコロも訊ねた。しかし彼に詮索の意志などほとんどなく、ただ単に美しい新人の組入りに心を躍らせているような雰囲気で喋っていた。
食事が一通り済み、ドルチェにティラミスが出てきたところでペリーコロは言った。
「さて、君。そろそろ、本題に入らせてもらおうか」
は待っていましたと言わんばかりに微笑んだ。
「君が幹部になるという話なんだがね。残念ながら、今は空きが無いんだ」
「そうですか。……私が空きを作ることはできますか?」
「ふむ。ワシに空きを作れと言わない所が、とてもいいね。君。どうしても幹部の座が欲しいらしい」
ペリーコロはとても愉快そうだ。もさして焦っているようには見えなかった。気が長いのか、それともすぐにどうにでもできるという自信があってのことなのか、ブチャラティには分からない。けれど、の姿はすでに幹部然としていて、すぐに幹部になれてしまうだろうと予想させる。
「今いる幹部のうちの誰かが死ねば、当然席は空く」
ペリーコロの一言で、場の雰囲気はガラリと変わる。穏やかに過ぎ去ったランチタイムが嘘のようだった。
「なるほど」
「君に、それができるかな?」
「……仮に、ですが。誰なら殺して構わないんです? 今、私が存じ上げているパッショーネの幹部は、私の父、ロマーノ・と、監獄におられるポルポさん、そしてあなた、ペリーコロさんのお三方です」
が人を殺すという話を平然と吐いたことにブチャラティは驚いた。もちろん、パッショーネの幹部になろうというのだから、人を殺せるだけの冷徹さも時には必要だろうが、少しもギャングらしからない女性の口から出てくるような話ではない。しかも、何の躊躇いもなく、今目の前にいるペリーコロまで、彼女の頭の中にある殺害対象リストに名を連ねるのだから不敬どころの話ではないのだが、何故だが、迂闊さなど微塵も感じない。
は理路整然と、とても機械的に、そう考えているのだ。肉身である父親ですら、必ずや殺して見せると言わんばかりに。
「ポルポは難しいだろうな。ヤツは厳重なセキュリティつきのスイートルームにいるようなものだから。ワシか君の父君を殺すのが、最短で幹部になる道じゃろう。……と、なると、ワシとしては君の父君を推薦するね。何と言っても、ワシは見ての通り老いぼれだが……まだ死にたくはないからね」
はは、と笑いながら、ペリーコロは言った。は頷いた。
「わかりました。では、ロマーノ・に、席を譲ってもらいましょう」
ブチャラティは目を剥いた。父親を殺すなんてことが、この女性にできるのか?
「ほう。……何か、恨みでもあるのかね。殺してやりたいほどの恨みが?」
「ええ。この場で赤裸々に語るつもりはありませんが……父親を殺していいと言われることを、期待するくらいには。期待、と言うよりも予見していたと言ったほうがいいかしら」
は椅子から離れ、床に置いてあった現金入りのアタッシュケースを、皿が片付けられて広々となったテーブルの上に置いて蓋を開けて中を見せた。
「会社の保有する個人情報を意のままにできるという点で、父と私とでは役目が重複しています。しかしこの通り、私は組織に貢金することができる。そんな私と、役目を終えた――いわば椅子にしがみつくだけの退役軍人と、どちらが組織に貢献できるかなんて……言うまでもないことですから。おまけに父が死ねば、莫大な遺産がすべて私に引き継がれるようになっている」
はほがらかに笑って言った。その冷酷さに、ブチャラティは身震いすらした。ここまでの意志を示さなければ、幹部になどなれはしないのだと思い知らされるようだった。
ペリーコロもまた、さして驚く様子も見せずに椅子から立ち上がると、が開けて見せたケースの中からひとつ札束を取って、パラパラとめくった。また、一枚取り出して透かして見る。そして二段、三段と重なった札束の底の方まで手を伸ばし、同じ作業を繰り返した。
「――ふむ。偽札じゃあなさそうだ。……良かろう。君の意志はよく伝わった。なら、その意思が嘘でないと証明してもらおうか」
「……如何様にいたしましょう」
「私の目の前で、ロマーノが確かに死んだと分かるように殺すんだ」
「仰せのままに」
ペリーコロは席に戻り、ティラミスを頬張った。
「うむ。美味いな、ブチャラティ。おまえの店の料理はどれもこれも格別に美味い」
「え、ええ。……ありがとうございます」
も、出された物は少しも残さなかった。とくに、ティラミスを頬張る姿には可愛らしささえ伺えた。それこそ、その辺りを歩く女性がそうするように、ひどく美味しそうに、一匙一匙丁寧に食べていた。この場の雰囲気は、幹部ペリーコロと、幹部候補の・に支配されている。その圧倒的な存在感に、ブチャラティは気圧されていた。
ペリーコロは去り際に、へ連絡先を書いた紙を渡した。
「準備が整ったら、連絡してくれ。ひとまず、金はワシが預かっておく。ロマーノに席を譲ってもらえればそのまま組織へ献上し、君は晴れて幹部の身。失敗に終わればそのままお返しする。ブチャラティの元で次の機会を待つことだ」
「……承知いたしました」
そう言って、個室の外で待機していた付き人に百億リラの入ったアタッシュケースを持たせ、ペリーコロはレストランを後にした。もその後に続くが、彼女はふと足を止め、ハンドバッグから財布を取り出した。ブチャラティは言う。
「お代は結構ですよ」
「ありがとう。とても美味しかったわ」
そう言って笑ったの顔はとても美しかった。
「なあなあブチャラティ!」
の背中が入口の向こうに消えて見えなくなった頃、ふいに彼の名を呼ぶ声が聞こえ、ブチャラティは我に返った。が店から出ていくより少し前に店内に入ったナランチャ、フーゴ、ミスタ、アバッキオの四人が、いつもの溜まり場を求めてブチャラティに近寄っていたのだ。
「さっきのキレーなねーちゃん、どこの誰だよ!?」
「まったく、あんたもスミに置けねーなァ。どこのご令嬢だァ? あんな美人とあんただけ会食なんて、ズルいんじゃあねーの?」
ニヤけたミスタが肘でブチャラティの腕を突く。ブチャラティは煩わしそうにミスタの肘を払い除けて言った。
「そんなんじゃあない。……オレのチームに仮で入った女性だ」
「仮? ……って、彼女、パッショーネの人間なんですか!?」
「声がでかいぞ、フーゴ」
呆れたようにブチャラティは個室の扉を開け、やってきた四人を中へ入れた。それで彼らの好奇心が収まるはずもなく、詮索も止まない。
「彼女、とてもギャングには見えませんでしたよ? 身なりも整っていて、とてもこの辺じゃ見かけない感じだ」
「それにしても、仮ってなぁどういうことだ、ブチャラティ」
アバッキオが言った。
「彼女は……幹部になりたいらしい」
「は!?」
皆が声を上げた。
「ポルポの試験を受けて合格して、うちに仮配属されたんだが……彼女には、このチームに留まる気なんかさらさら無いようだ」
「幹部って……なるほど。それなら、あの身なりの良さに納得が行きますよ。金持ちじゃあなきゃ、幹部になんかなれないですからね」
「あのねーちゃんすげーッ!!」
「にしてもよー。もう少しここにいてくれたって良かったんじゃあねーか? こんな、オスばっかのむさ苦しい所には癒やしが必要だと思うんだよオレはよォ。なーんで引き止めなかったかなァ」
「忙しい人なんだろう。話が済んだらすぐに出ていったよ。引き止める間もなかった」
そう。本当のところ、ブチャラティもと話がしたかった。彼女への興味は、未だに尽きていない。彼女の人となりをもっと知りたかった。けれど、もう会うことは無いだろう。――いずれオレが、幹部にのし上がる、その時までは。
ブチャラティは確信していた。彼女は必ず、幹部になると。それはすなわち、彼女が彼女の父親を殺すということなのだが、それほど残虐非道で冷酷なことを平然とやるような人間には、とても見えなかった。けれど、やるのだろう。幹部になってしまうのだろう。
ブチャラティの中で、の印象と言動はチグハグだったが、それが逆にブチャラティの興味を煽り立てていた。そして期待した。
幹部同士として、顔を合わせることになるその日を。彼は夢見ていた。