は再び、路頭に迷うことになった。ありったけの金を旅費に詰め込み、できるだけ彼らの、幻影旅団のもとから離れようとしたために、一銭たりとも手元には残っていなかった。辿り着いたのはどこか遠くの工業都市。その街がどこに位置するのか、名前が何なのか。言語が通じるのかなど、リサーチすらしていない、見ず知らずの土地。
(まずはここで、どうにかしてお金を稼がなくちゃ・・・)
その国は運よく人手不足で、政策として移民を積極的に受け入れていた。そんな国で働き口を探すのは案外簡単で、彼女はまかないつきの住み込み労働という好条件で雇われることとなった。
移民を積極的に受け入れており、宗教的派閥も紛争も無い平和な国。幸運なことに、彼女の周りにはとても温厚な人間が溢れていた。こここそが、私が求めていた世界だと、彼女にはそう思えた。娯楽を知らない彼女は、働いて、食べて、寝るの繰返しで着々と金を溜めていった。ただ、不安要素はあった。生理が来ないのである。
彼女は過度のストレスから止まっていたものと思い込んでいたが、いざ婦人科へかかってみれば、彼女の中に命が宿っていた。
「双子ですね。おめでとうございます」
医者にそう祝福されるものの。とても複雑な心境だった。最後に男性と行為に及んだのは流星街を出る前日。
「ウボォーの・・・子・・・?」
しかも、双子である。自分が生きられる程度の金は溜めている。しかし、子供を生めるほどの・・・しかも2人も養っていけるほどの収入は得られていない。
「中絶を・・・」
「え?」
祝福したばかりだというのに、この女は何を言い出すのか。そんな医者の眼が彼女に向けられる。しかし、出産を望まない女性に無理強いできる権限など、医者にはないのだ。
「一応、資料は渡しておきます。ただ、これはあなたにとっても、おなかの子にとっても、さらに相手の男性の方にとっても重要な問題です。くれぐれも、慎重に決断してください」
(相手の、男性の方・・・か)
ウボォーギンのことを思い出す。は彼のことを愛していた。とても。金銭的問題というだけで、簡単におろせるはずもなかったのだ。帰り道、彼女は医者にもらった妊娠中絶の資料をゴミ箱へと捨て、早々に決断した。
(働けばいい。働いてお金を稼げば・・・私が頑張ればいいだけの話じゃない)
このときから、彼女は2児の母親となった。
08:今日を迎えて幸せでしたか?
「お前・・・オレがいない間どうやって二人を育てたんだ?」
珍しく、空は晴れていた。高化学スモッグや有害ガスによる汚染もない、流星街ではめずらしい、美しい夜空が二人の頭上に広がっていた。はウボォーギンに後ろから抱かれ、彼の厚い胸板に頭を預けている。久しぶりに彼女の体を包む大きな体温が心地よい。睡魔に襲われている彼女は、なんとか目を開けながらもゆっくりと言葉をつむぐ。
「働いたよ。真っ当にね」
お世辞にも真っ当な職業に就いていないウボォーギンにとってはいささか痛い返答ではあったが、それが皮肉であることには気づいている。ウボォーギンはふん、と鼻を鳴らして口角を上げた。
「心配しないで。他の男の世話には、ほとんどなってないから。今のところ、無利子で足りない分お金借りてるだけ」
「そんなムシのいい話があんのか?お前、ヤバいことに首つっこんでねーだろうな?」
「大丈夫よ。あんたたちよりヤバいやつらが他にいるとは思えないもの」
は笑いながらそう言った。
そう言えば、はこんなに口が達者だっただろうか。ウボォーギンはそんな疑問をふと抱く。思えば、彼は声を出せるようになった彼女とさほど長い時間を過ごしてはいなかった。二人を繋ぎ止めるのに必要なファクターではなかったといえばそれまでだが、夫婦どころか恋人としても、会話を交わした数はそう多くは無かった。その数少ない会話の中、思い出せるだけの記憶の中ではあるものの、は皮肉を言えるほどに口が達者ではなかったはずだ。ただただ純朴で、言葉よりもまずさきに感情が顔に出ていた。当の本人も長い間口を利けなかったがために、顔に出してしまえばわざわざ口にすることもないだろうと思っていた節があった。
何が彼女を変えたのかなど問うまでもない。彼女がお腹に子を宿し母親として生きていくと決心してから8年が経っているのだ。母は強しと言うが、一度に二人も子を産んで立派に育てられるほどとは思わなかった。シングルマザーで流星街を出るまでまともに喋ることすらできなかった彼女が、おそらく辛い経験を重ねながらも渡世術を身につけ、全うに金を溜め、子を産み育てるなど、およそ母親と呼ばれる人間を知らない彼には想像すら容易でないことを、やってのけたのだ。
「お前、変わったな」
ウボォーギンはを少し抱きしめてそう言った。彼が今発することができる精一杯の一言だった。一緒にいられなかった8年間を惜しむかのように、それはゆっくりと紡がれた。
「ウボォーは、変わってないね。・・・でも昔よりももっとかっこよくなってる」
「。お前もキレイになったな」
そう口にして、ウボォーギンは更に切なくなった。が一番キレイで輝いていたであろう時期を一緒に過ごせなかった。そして、母親として仕事もこなしながら一生懸命に生きる彼女を、少しも支えてやることができなかった。彼女に再会できたからこその・・・そして存在すら知らなかった自分の子供2人を目の当たりにしたからこその後悔の念ではあるが、その後悔はしてもしきれない。彼にとってはこれ異常無いほどの重い罪に思えた。
「ウボォー?まさか・・・悪いことした、とか思ってる?」
「・・・・・・」
ウボォーがよりも更に感情が表に出やすい。長いこと人の表情からその人の感情を読んでいたにとっては、ウボォーがこころうちで何を思っているかなど、造作も無く手に取るかのようにわかるのだ。会ったときから彼が纏う陰鬱な雰囲気を読み取れないほど、流星街時代のの勘は鈍っていなかった。
「勝手に出て行ったのは私のほうなんだから、自業自得だ~ぐらいに思ってくれていいんだよ?結局ほら・・・我慢できずに、会いに・・・来ちゃったし」
の体が小刻みに震えているのを、ウボォーギンはその腕で感じた。
「・・・?」
「ごめん。ちょっとだけ・・・泣かせて?」
ウボォーギンは黙ってを抱きしめた。抱きしめられた途端に、は堰が切れたかのように涙をボロボロと零し始める。
「会いたかった・・・ウボォー。寂しかった・・・!」
「ああ。オレもだ」
「今日、会えて・・・本当に良かった・・・!」
「ああ。オレも・・・お前に会えて良かった」
もう二度とこの腕で抱くことができないだろうと思っていたが、今自分の腕の中にいる。夢でも見ているんじゃないかと錯覚するが、確実に自分の皮膚を通して彼女の体温を感じる。息遣いもしっかりと聞こえる。震える声が胸に刻まれる。これは夢じゃない。幻覚でもなんでもない。愛した、いや今も尚愛しているが、今ここにいる。
はウボォーギンに自分を責める必要は無いと言う。しかし、やはりそれは彼にとって至極困難で。今からでも、彼女の夫として、そして子供たちの父親として、できることがあるだろうか?もしあるのなら、償いにもならないだろうが、できる限りのことをしてやりたい。盗賊として人命などゴミのように扱ってきた自分が、よもや愛するもののために、そして愛すべきもののために何かしてやりたいなどと思うことになるとは思ってもいなかった。
「なあ?やり直せねえか?オレ達」
「・・・ウボォー?」
「オレは・・・数え切れないほど人を殺してきた。力を振るうことが生きがいで、それ以外のことを大切に思ったことなんて無かった。けどな、お前に会えて、そして今日、俺たちの子供を見て思った。お前らのためならオレは何だってできる。できることなら何だってしてやりたい。そしてオレのために、お前らと一緒にいられなかった8年間を、全力で取り戻したい。・・・ダメか?」
はうれし涙を瞳に溜めて、大きく首を横に振った。
「ダメなわけないじゃない!」
「と、言うわけで。オレちょっくらお父さんしてくるわ」
旅団のメンバーを目の前に、ウボォーギンはそう宣言した。右肩にヒンメル、左肩にエルデを乗せて。その傍らに、が嬉しそうな顔をして立っていた。
「おおお!まさかお前が所帯を持つ日が来るとはな!!」
ノブナガも嬉しそうにウボォーギン一家を眺めながら賛辞を述べる。一方、マチやパクノダと言った女性陣は名残惜しそうにしていた。ウボォーだけではなく、彼女たちもまたとの再会を心待ちにしていたのだから。
「もう行っちまうのかい?」
「もう少しゆっくりしていけばいいのに。団長にも顔見せていったら?」
「クロロが帰るの待ってたらいつまで経っても帰れなさそうだもの。それにこの子達、学校に行かなきゃいけないのよ」
そんな母の一言を聞いたヒンメルはぶーぶーと文句をたれながらウボォーギンの肩の上で暴れる。
「学校なんて行かねーでいいだろ!人間なんてな、生きてるうちに自然に賢くなるんだよ」
「だってよかーちゃん!さすがオレの父ちゃんだぜ!!!」
「ちょっと変なこと教えないでウボォー!」
まるで8年間ずっと一緒にいた家族のような会話を聞き、マチもパクノダも顔を綻ばせる。
「大丈夫、またこの子達連れて会いに来るから!」
そう言っては二人と軽くハグを交した。
「それじゃ、またね!」
「ノブナガのおっちゃん!また遊びに来るよ!!!」
「おお!楽しみにして待ってるぞー」
朝日が彼らの行く先を明るく照らしていた。昨夜に引き続き流星街の空気は概ね澄んでおり、家族の絆を深めることに専念できる道のりが、流星街の出口まで続いた。ふと、流星街から一歩足を踏み出したは思った。
「ウボォーの普通の服買わなきゃね」
「この格好じゃまずいか?」
ウボォーギンは例の野生感たっぷりでワイルドな格好のままである。公共交通機関を乗り継ぐ旅路ではいささか他人の目が気になる。と言っても、2メートル半超える身長の男性などそうそういるものでもないので、服装を気にする意味があるのかどうかという問題もある。ただ、今にも人を取って喰らいそうな野性味溢れる格好をして歩くよりも、威圧感はないのではないだろうか。
ということで、まず一行は服屋に向かった。
結局、ショッピングや観光などと寄り道をしながらの長旅となり、4人はゆっくりと確実に家族の絆を深めていった。とエルデ、そしてヒンメルの家に着いたのは流星街を出て3日後の夕方だった。