君が生きていたせかい


「・・・・・・?」

 ウボォーギンは己が目を疑った。それは、いつも夕焼け空を仰いで思い浮かべていた、愛する彼女の姿・・・。もう二度と目にすることは無いだろうと、諦めかけていた、行方も知らずにいた、の姿だ。その両隣には、小さな子供が二人いる。

(よかった・・・。幸せに暮らしてたみたいだな)

 に子供がいるということは、父親がいるということ。それを複雑に思うものの、それを嫉む資格が自分には無いことを彼は理解していた。オレはが安全な場所で、幸せな家庭を築いて、生きているだけで幸せだ。そこまで考えたところで、ふと思う。今すぐにでも、オレはを抱きしめたいが、それをしてもいいのか。二人の子供がいる前で、父親以外の男が母親に身を寄せることなんて、許されないんじゃないのか。

 オレがそんな葛藤をしているとき、長く続いた沈黙を破る元気な声が、ガラクタの山々の間で響いた。

「とーちゃん!!オレのとーちゃんだ!!!!!」
「あれが・・・私たちの、お父さん・・・?ねえ、お母さん。そうなの?」

 オレが状況をよく飲み込めずに無言で突っ立っていると、ノブナガがはぁ!?と声を荒げる。

「おい・・・。そのガキ・・・ウボォーとの子・・・なのか?」
「・・・そうだよ。ウボォーと、私の子」
「言われて見れば・・・二人とも、ウボォーと髪の色やら目の色やら似通って・・・」
「嘘・・・だろ」

 ウボォーギンの口からやっと紡ぎ出された言葉がそれだった。彼が困惑している様子が、その言葉尻から読み取れたのか、は切なげに微笑んだ。

「ホントだよ。この子たちが、ウボォーに会いたがって・・・」
「お母さんがね・・・!お母さんが一番、お父さんに会いたがってたんだよ!」

 母の言葉を制してエルデが悲痛な面持ちでそう訴える。ウボォーはゆっくりとガラクタの山から下りて、とその子供たちに近づく。彼の大きさに驚いたのか、少し後ずさる子供たち。彼はそんな子供たちにかまわずに近づき、そして抱きしめた。

「オレもずっと・・・お前に会いたかった」
「ウボォー・・・ウボォー・・・!!」

(あったかい・・・)

 8年間一度も忘れることなどできなかったウボォーの体温。は泣きながら、何度も何度も愛する者の名前を呼んだ。その存在を確かめるように。

夕日が沈むまで、ふたりはずっと抱き合っていた。






07:今でも僕はあたたかくて狡い







「・・・みんな!」

 聞覚えの無い声にみなが驚きに駆られる。知らない人間の声ならば、アジトに近づくその者の気配を察知できるはずだからだ。しかし、そんなよそ者の気配は誰一人として察知していなかった。その上、聞覚えのないその声は、ウボォーギンが扉を開ける気配とともに聞こえてきたのだ。察しのいい者はすぐに感づいた。それが、今まで一度も言葉を発することの無かったの声だと。

 マチは声のした方へと駆け出した。玄関先にいたのはやはり、だった。瞳に涙をうっすらと溜めて頬を染めたが、ウボォーギンの傍に佇んでいた。

・・・あんた・・・!」
「話せるようになったよ・・・!マチ!!」

 マチはたまらずにに駆け寄り、抱きしめた。

「よかった・・・!。あんた、ほんとキレイな声・・・してたんだね・・・」
「マチ・・・ありがとう!ウボォーだけじゃない・・・マチと、そして他のみんなの、おかげ・・・」

 マチ以外にも、ノブナガ、フランクリンそしてパクノダがの元へと駆け寄った。まるで鈴の音のような美しいの声には、皆が驚きを隠せなかった。皆が口々に祝福の声を上げる中、ウボォーはまるでオレがの声を取り戻したんだといわんばかりに胸を張っている。そんなウボォーの顔を見て、は微笑んだ。

(ありがとう・・・ウボォー。わたしの命を救ってくれて。そして、本当の愛を教えてくれて・・・)

 10年と言う長い間声を出すことができなかったは、やっと声が出せるようになった今でも、溢れんばかりの気持ちを彼に伝えることができない現状に憤りを覚えた。言葉たらずでもいい。この気持ちを、みんなの前で、彼に伝えたい。

「ウボォー」

 ポツリとがつぶやいた。ウボォーギンは彼女と目線を合わせるためにしゃがみこむ。

「ん?どうした」

 ニカっと歯を見せて笑うウボォーギン。そんな彼の首には己が腕を絡ませ、突然抱きついた。

「ウボォー!私のこと、助けてくれて、ありがと・・・!ウボォーのおかげで、今、私すごく幸せ!」
・・・」

 ウボォーギンはふと思い出した。自分がに抱く思いを。

 最初は興味本位だった。まるでぼろきれのようにゴミ山のふもとに横たわる人間。を拾ったのは、自分は力まかせに物を、人を壊すだけではなく、生かすことができるのか?そんな素朴な疑問を解消したいと思ったが故の行動だった。柄にもなく、こまめにの体力回復に尽くし、看病をした。そうこうする中で、彼女が時折見せる笑顔に、涙に、声が出せないために表情で、体全体で感情を表現しようとする健気な姿に惹かれていった。旅団の仲間全員と仲良くするようになったを見るようになってからは、気づかぬうちに嫉妬の念を抱いていて・・・。そんな思いがなぜ生まれるのか、少しも理解できない彼は、たまに一人になって狩りに専念する。そんな中でもやはり、脳裏を掠めるのはの姿で・・・。

(オレは・・・オレはのことが・・・好きなんだな)

 今ならわかる。この腕で、彼女を抱きしめて、その思いを伝えることができる。

「ウボォー」
・・・」

「私・・・」
「オレ・・・」

「あなたのことが」
「お前のことが」

「好き」
「好きだ」

 抱き合う二人を見て、ギャラリーは散り散りになる。

「さて、と。後はお若い二人で楽しく・・・」
「ちょっと、黙って去りなさいノブナガ」
「ウボォー!あんま強く抱きしめてのことつぶすんじゃないよ」

 齢18にして、は初めて愛を知った。しかし、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。





 ウボォーギンと愛を告げあって2年たった日のことだった。流星街に珍しく恵みの雨が降ったその日、蜘蛛のアジトには湿った空気とともに不穏な雰囲気が漂っていた。1週間前から出払っており、昨日の深夜にやっと戻ってきた旅団のメンバーのためには朝食を準備していたのだが、かすかに違和感を感じ取ってはいた。

「みんなー!ごはん、できたよー!」

 そう2階に向かって叫ぶものの、みなの返事は無く、代わりに聞こえたのは男のくぐもった悲鳴だった。ふだんめったに近寄らない地下から聞こえたその断末魔に、は戦慄する。恐る恐る、彼女は地下への階段を下りて、ドアの前に立つ。震える手をドアノブに近づけようとした瞬間、中からフェイタンとおぼしき声が聞こえてくる。

「ささとデータのありか吐くね。それが身のためよ」
「誰が・・・言うもん・・・ぐああっ・・・!」

 苦痛にゆがむ声。この世のものとは思えないそれに、は恐怖する。中で何が行われているのか、大方検討はついた。しかし、彼女の中の旅団メンバーを信じたい気持ちと、真実を確かめたい気持ちがせめぎあい、彼女は堪えきれずに扉をゆっくりと開けた。音を立てないように、ゆっくりと。

 蝋燭の炎に照らされぼんやりと明るい室内に、3人の影が浮き上がっていた。目を凝らすと2人にかこまれ、椅子に縛り付けられ頭部を布で覆われた男が息を荒げていた。その男の傍に佇むのがフェイタン。彼はペンチのようなもので男の足の指を切断しようとしている。すでに何本か足の指を失ったのか、男の足からは鮮血が噴出し、まるで影のように足元へ血の海を広げていた。
 
 そんなおぞましい光景を、が永遠と見続けられるはずもなかった。自分でさえ、血が出るほどの暴力は受けてこなかった。餓死寸前に追いやられても、鈍器で腹を殴られようとも、いくら汚い言葉でののしられようとも、目の前で起こるような惨劇よりはマシに思えた。

 バチンと再び音が鳴る。と、同時に男の悲鳴。

 はとっさに耳を覆った。

(これが・・・みんなのすること、なの・・・?)

 フェイタンと、フィンクス。拷問を受ける男性。呆然とその場に立ち尽くし、バクバクと心臓が音を立てる。それは確かな恐怖と、何か信頼していたものを一気に突き崩されたかのような衝撃によるもの。

「おい、

 後ろから突然肩をつかまれ、はひっと声を上げる。ウボォーギンは彼女を抱きかかえ、上階へと運び出す。

「お前、こんなん耐性ねーんだから、わざわざ見に来るんじゃねーよ」

 は状況を把握できていない。まるで悪夢でもみたかのように錯覚していた。しかし、ウボォーギンのその言葉が現実だと知らしめる。彼はいたって平常心で、を諭しにかかっているからだ。リビングのソファーに座らされ、隣にウボォーギンが座った。

「・・・あれは・・・何・・・」

 ウボォーギンは頬をポリポリと掻きながら、なんのためらいもなく発言する。

「拷問、だな」
「・・・・・・・・・・あんな、ひどいこと・・・する人だったの・・・」
「・・・?どうした。当然だろ。団長の求めるお宝のためだ。ありかを知るためには、ああでもしねぇと」
「信じられない・・・」

は愕然とした。今まで信頼してきた仲間の本性を知らずに、のうのうと生きてきたという事実を知って。暴力の無い世界を求めていた。暴力の無い、愛に溢れる世界を。旅団のメンバーは、外での仕事の内容などわざわざに告げたりはしない。そのためは、旅団がただ盗みを働くだけの存在だと思っていた。

(知ろうとしなかった私が・・・悪いの?)

 震える体をウボォーギンは抱きしめるが、にとってその体温がいつもとは違って感じられた。愛する者の裏の顔を知ってしまったが故に、ウボォーギンがまるで別人のように感じられた。

 は震える脚を律して、ウボォーギンの腕を振り払い駆け出した。

(こんなところに、もういられない)

 自室にもどり、大きなボストンバッグにありったけの衣服と、金と、非常食と水を詰め込む。そうこうしている間に、大粒の涙が彼女の頬を濡らす。

(信じてたのに・・・!信じてたのに!!)

 自分が彼らに求めすぎたせいなのか。どうしようもない思いに駆られ、涙はとめどなく零れ落ち、荷造りをする手も震えておぼつかない。

 扉をノックする音。

「おい・・・!大丈夫か?ショックなのは分かるが・・・」
「入ってこないで!!」

 このとき、ウボォーギンはが自分の元を去るなどとは少しも思っていなかった。ただならぬ雰囲気を察したノブナガがウボォーギンのもとに寄り、喧嘩でもしたのかと声をかけるが、ウボォーギンはなんでもないと答える。そして、いつもの日常に戻れると思いこんで、の部屋の前を後にした。

 後日、は早朝にホームを去った。もちろん、ウボォーギンはそれを引きとめようとしたが、の決断は揺らぐことはなかった。旅団の中ではを連れ戻そうという意見も起こったが、クロロは言う。

「無理やりお前たちがをここに引き止めていても、は幸せになれない。いずれ、彼女の過去の記憶が、オレたちの仕事の残虐性と被って、耐えられなくなって精神は崩壊する。彼女の幸せを願うなら、引け」

 そうして8年という月日が経った今、彼女は大人になって流星街に帰ってきたのだ。しかも、8年前に奇跡的に宿っていた命を携えて。



「とーちゃんって強いのー!?」

 両親から引き離されたヒンメルとエルデは、ノブナガやパクノダ、マチといった面々に囲まれていた。ヒンメルは世紀の大盗賊を前にしてやや興奮気味だが、エルデは緊張して身をこわばらせている。ノブナガはまるで父親か祖父のようにヒンメルをひざに抱きかかえ、かわいがっている。

「強いぞー!おめーの父ちゃんとオレはいつも一緒に戦っててだな~」

 盗賊談を興味深々に聞き込んでいるヒンメル。そんなヒンメルにそわそわと視線を寄せ、あまり調子に乗るんじゃないと無言の圧力をかけているのがエルデだった。しかしそんな圧力をものともせずに、ヒンメルはノブナガと話し込んでいる。

 パクノダはエルデの頭を撫でる。びくっと身を震わせるエルデを面白がって微笑んだ。

「緊張しなくて大丈夫よ。取って食おうなんて思っちゃいないわ」
「・・・お姉さんは、ママのお友達?」
「そうよ。パクノダっていうの。あんたほんと、キレイな髪してるのね。パパそっくり」
「ありがとう・・・。ママは・・・ママは今どこにいるの?」
「久しぶりに、パパとママでデートさせてあげましょう?その間、お姉さんたちがあんたたちの面倒見てあげるから」

 腑に落ちない様子のエルデではあったが、パクノダやマチの優しさに徐々に心を許し、場の雰囲気にのまれていった。