君が生きていたせかい


 流星街は地図に無い街だ。街と言えばさほど広くも無いが、それが廃棄物に埋め尽くされた最終処分場だと考えると広いと思えるかもしれない。人が住んでいることなど、普通に生活している一般人は知りもしないし、彼らにとってはただの大規模なゴミの最終処分場でしかない。そこには世界中から得体の知れない“ゴミ”が集まり、無秩序に捨てられていく。下手をすればとんでもない化学物質や微生物で汚染されたものが、上空から降り注ぐような危険な場所。そんな場所に自ら踏み入ろうなどとする者はいない。そのため、警備も一応形だけはあるものの、街を囲う有刺鉄線にはところどころ人が通り抜けられるような“穴”が空いている。

 とエルデ、ヒンメルはその穴を抜け、無法地帯へと足を踏み入れた。

 この“街”は、たった1日で風景が変わる。もともと道と言えるような道が存在しないのだが、それでもゴミ山の谷間を道と称するならば、その道とは、その日平坦なものだったのが次の日には坂道になっていたり、道自体消えていたりなどということはザラである。相当の方向感覚がなければ、人間の居住区にたどり着く前に挫折し、引き返すことになるか、帰ることすらままならずに死に絶えることになる。

 それは過去にこの街に住んでいた者にとっても例外ではない。居住区以外は投棄されるゴミによって毎日風景の変わる別の場所だからだ。もう何年も街から離れていたは、足を踏み入れた瞬間に絶望した。想像はしていたが、この街を出た日・・・忘れもしないあの日の、涙で滲んだ風景とは全くの別物だった。もちろん、過去に抜け出した穴と、今現在くぐった穴の位置は全く同じである。果たして自分は子供二人を連れて幻影旅団のアジトへとたどり着くことができるのか。

「・・・お母さん?」

 唖然として前を見つめるだけで足を動かそうとしない母を心配してか、娘のエルデが声をかけた。声音からして、少女もまた不安げであった。

「大丈夫?」

 我に返った母は少女を見下ろして微笑む。

「大丈夫。さ、行きましょう。暗くならないうちに」

 一方、息子のヒンエメルは母のもとを離れ、近くのそう高くないゴミ山に登ってあたりをキョロキョロと見回していた。

「母ちゃん!早く行こうぜ!父ちゃんに早く会いたい!とーぞくのかっけえ父ちゃんに!」

 好奇心をむき出しにして元気な息子の姿。本当に、父親そっくりの息子だった。

「はいはい。気をつけなさいね。何が落ちてるかわかんないんだから」

 しぶしぶゴミ山からおりて母の元に戻るヒンメル。は、放っておけばあられもない場所に好き勝手に踏み込んでいってしまいそうな息子の手をしっかりと握って、足を踏み出した。






06:広がる空にいるわけないだろ







 ウボォーギンはたまに空を見上げてある女性のことを思い出す。決して帰ってくることはないと知っていると、思い出すことさえ苦痛に思えるときがあったが、それでも彼女と過ごした何年かは、彼の記憶からは決して切り離すことのできない大切な思い出だった。過去の彼女の見た目から現在の彼女を脳裏に描いて、今はどんな生活をしているのか、とか、結婚なんてしているんだろうか、とか、子供は何人いてその子供が男か女か・・・。やがてそれは想像から彼の願望へと変わっていく。世間一般で言う幸せな家庭像を思い描いて、是非とも彼女がそんな幸せな家庭の中にいてほしい、と願うのだ。

 その家庭の中に自分の姿だけは決して投影しない。それは、彼女が最も望まないことだとウボォーギンが思うからだった。自分だけの想像の世界でも、それだけは許されないこと。そんな決め事と、彼の本当の望みとがぶち当たったところで、彼はいつもその想像の世界から現実世界へと戻る。

「おいウボォー。お前いつまでそうしてるつもりだ」

 夢の世界から戻ったばかりのウボォーは気が短い。そんな彼に面倒だと思うことなく自ら絡みに行くのはノブナガただひとりだ。ノブナガはウボォーギンが寝そべるコンクリート廃材に腰掛ける。

「あれか?いつもの妄想か?」

 気心の知れた仲だとしても、こいつにだけは話すべきじゃなかった。と、ノブナガのニヤついた顔を一瞥して、ウボォーギンは舌打ちした。

「妄想じゃねーよ。想像だ」
「・・・いくら妄想・・・もとい想像しようが、は帰ってこねーぞ」
「んなこた分かってる」
「じゃーさっさと他の女で性欲処理しろ。いい加減タマぁ腐るぞ。仙人じゃあるめーし」
「お前ちょっと黙ってろマジで」

 あと2年もすれば、彼女がこの街から去って10年だ。その10年に近い間、女性と交わろうとしないウボォーギンを心配するノブナガの気持ちも分からないでもないが、センチな今のウボォーギンにとっては邪魔者以外の何者でもなかった。

 今日は彼女が旅団のアジトから離れてちょうど8年になる日だった。丁度、今と同じ夕刻の、あかね色の空をした日だった。と親しかったマチも、毎年、この日だけはいつもの気勢が削がれて大人しくなった。冷酷無比と思われる旅団員に、そんな一面をもたらすほどの存在は大きなものだった。

 ノブナガも、がアジトを離れたことを悔やんでいないわけではない。しかし、彼は自分たち幻影旅団が正しい選択をしたと信じて疑わなかった。会いたいとは思う。連れ戻したいとも。しかし、それをしてしまえば自分たちはやはり、にとって残虐非道な盗賊にしかなれないのだから。

「・・・団長が言ったことは間違っちゃいねえさ。それを守ったお前もまた然り、だぜ」



 ある“仕事”の真っ只中。彼女は衝撃的な非日常を目の当たりにする。ウボォーギンは呆然と立ち尽くす彼女を諭そうとしたが、受け入れられることなどなく、翌日には彼女はホームを旅立った。

 一度考えなおすように引き止めた彼だったが、の決断は揺らぐことはなかった。後に再び彼女を追いかけようとしたウボォーギンに、クロロは言った。

「無理やりお前がをここに引き止めていても、は幸せになれないぞ。いずれ、彼女の過去の記憶が、オレたちの仕事の残虐性と被って、耐えられなくなって精神は崩壊する。彼女の幸せを願うなら、引け」

 幸い、はもう喋れるし、知識もあらかじめ与えておいた。何とか自分で生き抜くだろう。そんなクロロのつぶやきが、の後ろ姿をただみつめるだけのウボォーギンの耳をかすめた。



「確かにな・・・」

 ウボォーギンは思った。いくら自分が彼女のことを想い続けようと、彼女にはもう愛すべき家庭が、並の人生があって、ここでの生活のことなど、思い出したくもない過去でしかないのかもしれない。彼女がこの街に捨てられる前の辛い記憶同様に、かなぐり捨てられているのかもしれない。

 虚しくなって、廃材から降りたその時だった。背後から、彼女の声が聞こえたような気がした。自分の名を呼ぶ、彼女の声が。

 幻聴かどうか確かめるために、隣に座っているノブナガの様子を見る。すると、彼もまた、幻聴かどうかを確かめるために自分の方を伺っているのだ。二人ははっとして、声がした方を振り返る。

「・・・ただいま・・・」

 両隣に小さな人影を持つ、見覚えのある顔が山の麓からこちらを見上げている。幻覚じゃないかと、女性の姿を眺めながら二人は思いっきり拳で殴りあった。

「痛いな・・・」
「ああ。夢じゃねえ」














 にとって、幻影旅団は盗賊団ではなかった。彼女にとっての友(または恋人)であり、家族だった。

 その家族の真の姿を知った時、彼女は思った。

 自分はここにいてはいけない。私と彼らとは決して一緒ではない。何を錯覚していたのか。一体何を勘違いして、自分はひとりじゃないなどと思い込んでいたのか。

 今の自分が求めるのは、安定ではなく、恐怖からの隔絶だ。それを心の底から・・・いや、ある種反射的に彼女に望ませたのは、幼少期に継父や母親、その他血の繋がっていない兄弟たちから受けた精神的且つ肉体的な虐待という経験である。もちろん、彼ら幻影旅団が自分へ危害を加える可能性など無いに等しいと信じたい気持ちもあったが、それよりも早く彼女の心に潜在的な畏怖の念が沸き起こったのだ。・・・世界中の価値のあるあらゆるものを、彼らが欲しいと思ったもの全てを、不当に、暴力をもってして強奪する彼らに。



 彼らの前から存在を消そう。

 所詮この世に暴力の無い平和な世界など存在しない。ならば、可能な限りでいい。そんな世界から離れた場所に身を置こう。でないと、自分が死んでしまう。今は、死ぬのが怖い。生きていたい。

 流星街に捨てられる前までは、生きていくだけの勇気の無い臆病者だったということと、死にたいと思っても消えることすら許されない環境にいたということがあったが、今は逃亡を阻む自己も他者も存在しない。

 だから、私はここから逃げよう。



 その時既にウボォーギンとの子を身ごもっていたので、母親としての潜在意識が彼女をそうさせたと言えばそうかもしれないが、少なからず彼らの存在に恐怖を抱いたし、それ故の逃亡でもあった。結果的に後悔することになるなどと、当時の彼女には知る由も無い。

 生きていくのに大切な“愛”を教えてくれて、それを与えてくれる存在から離れてしまうことが、どれほど辛いことか。

 今ではそれが痛いほどに分かる。だから、会いたくなったのだ。愛を知らなかった彼女に、愛を教え、与えてくれた者たちに。

 愛しい人を見上げて、嬉しくて泣きそうになりながらも、は微笑んで、再び言い放った。

「・・・ただいま・・・!!」