君が生きていたせかい


「・・・なんだ。普通に生きてたんだな」

 人間生活をひとりで普通にできるまでに回復したは、その初日にリビングで旅団の面々と顔合わせをすることになった。はウボォーギンの背後に隠れ、クロロの、見つめているとそのまま吸い込まれてしまいそうな瞳から逃れようとした。

「隠れてちゃ、家族にしてもらえねーぞ。

 ウボォーにそう諭されるも、クロロのオーラか何かを敏感に感じ取っているのか、なかなか顔を見せようとはしなかった。

か・・・。それがお前の名前か?」

 そうクロロに問いかけられてやっと、ウボォーギンの背後から恐る恐る顔を出す。その表情はとても穏やかで、嬉しそうだった。彼女はクロロの問いに、こくんと頷いて返答した。クロロは意外なの表情に驚きつつも、その広い心で新しい家族を迎え入れようと思った。後に、彼女が喋ることができないと知るが、それでも、は旅団の一員としてホームにいることを許されたのだった。

 誰かに認められ、笑顔を向けてもらえることが、こんなにも嬉しいものなのか。

 は生まれて初めて、幸福を感じた。ただし彼女は、自分の属するコミュニティが史上最悪の盗賊となる人間の集まりであることを知らない。幸か不幸か、その事実を知り、旅団の元を離れるまでに、最高に幸せな時間を過ごすことができた。これから語られるのは、そのひと時の話である。






03:掌に生まれた熱も愛していた







「噂には聴いてたけど、ホントだったんだね」
「こいつ、口きけないか」
「拾って来た時はミイラみてーだったって話だ。よく回復したな、おめぇ」

 フランクリンに頭をぽんぽんと優しく叩かれながら、は自分を取り囲む幻影旅団の面々の顔をよく観察していた。肩までのミドルヘアーの猫目美人と、少し背が低めで目の細いナマリ男。体が横にも縦にも太い優しい目をした男。

 今まで部屋にこもりきりだったは、突如として目の前に現れた人物たちが非常に新鮮だった。そして、自分に少なからず興味を抱いてもらっているという事実が嬉しかった。その気持ちを伝えようと思っても、彼女にはそれを伝える術が無いのである。一方通行なコミュニケーションに旅団のメンバーは戸惑いを、自身はこれまで以上に憤りを感じていた。

「この子ね、喋れないのよ。その原因は分からないけど、それでも、こっちが言ってることは理解できるみたいなの。多分、以前まで言葉は話せてたのよ」
「なら、声が元に戻る可能性もあるってことだね。よろしく、。私はマチ」

 そう言って差し出されたマチの手を、はしっかりと握って幸せそうに笑った。

「オレはフランクリンってんだ」

 フランクリンの大きな手を片手で握るには、の手は少しばかり小さかった。は両手を差し出して、フランクリンの大きな手を握る。その健気な姿に心を射抜かれたのは、フランクリンだけでは無かった。フェイタンもまた、その一人であったが、何ぶん尖った性格の彼だ。ふん、と鼻を鳴らして部屋から出ていこうとしたが、それを止めたのがだった。フェイタンの腕をとっさに掴んだのだ。フェイタンが眉をひそめて振り向くと、は慌てて顔を隠すように頭を下げた。

(よろしくお願いします!)

 フェイタンには、そう言っているように感じられた。自分に反抗しない人間は、嫌い様がない。そう思ってフェイタンは、に背を向け、やはり部屋を出て行った。は、フェイタンが一番仲良くなりづらいんだろうな。と不安に思ったが、フランクリンがやはりその大きな手のひらで頭を撫でてくれた。

「気にするな。あいつはいつもあんなだから」

 そう元気づけられたの横顔を、少し離れたところからウボォーギンが見守っていた。

 彼は複雑な気分だった。今まで、パクノダか自分にだけ向けられてきたその笑顔が、旅団全員に向けられるようになっていく。自分が拾って看病していなければ、死んでいたであろう彼女。の一番の恩人は自分だから、彼女が自分から離れて行くはずなんてない。そう思っていたが、ウボォーギンにとっての「裏切り」の片鱗が、そこにあった。この感情を独占欲などと言うのだろう。しかし、その感情以前に、芽生えている自身のに対する思いに、彼はまだ気づいていなかったのである。

 パクノダは、隣で複雑そうな表情を見せるウボォーギンを見て、彼自身が気づいていない彼の思いを察知した。しかし、このコミュニケーションはにとって必要なもの。が過去に人間と会話ができていて、それで声を失ったのであれば、その原因は身体的に起きた支障ではなく、人的要因のストレスによる可能性が大きい。ならば、それを克服するためには、今まで注がれたことなどないような愛情をもって、より多くの人にコミュニケーションを取ってもらう必要がある。

(大丈夫よ。は心からあんたに感謝してるはず。そう簡単に離れはしないわ)

 そう言ってやりたかったが、彼女はすんでのところで飲み込んだ。いらぬおせっかいだとつっぱねられるのがおちだと、そう思ったからである。そうしてウボォーギンは、面白くなさそうに部屋を出て行った。はウボォーギンが離れて行くのを察知して即座に振り向くが、目を向けた時にはすでに、彼の姿が扉の向こうに消えた後だった。





 それから1週間、ウボォーギンはホームに帰ってこなかった。

、元気無いね」

 窓ガラスに額をつけて、窓の外ばかり気にするの姿を見かねて、マチが言った言葉だった。パクノダにはその原因がよくわかった。今まで決して自分から離れることのなかったウボォーギンが、突如として何も言わずに離れたからだろう。

 ウボォーギンのことだ。きっといつものように、気まぐれに山にでもこもって珍獣狩りをしているのだろう。しかし、これほどに精神的ダメージを与えているとは思いもしていないはず。帰ってきたら、とりあえず説教をしなければいけない。

 パクノダがそう思った矢先のことだった。の瞳がかっと開いて、次の瞬間、弾丸のように階下へと向かい駆け出した。

(やっと帰ってきたのね・・・あのバカ)



「やっと帰ってきやがったか・・・」

 フランクリンがそう言ってウボォーギンを迎える。

「何も珍しいことじゃねーだろ」
「俺らにとってはな・・・」
「ああ?」

 真意のつかめないフランクリンの言葉にイラつくウボォーギンだが、自分の真ん前に感じる気配に目を向けた。そこにいるのは、泣き腫らして充血した目で彼を睨みつけるだった。ウボォーギンには何故彼女が泣いているのか、そして何故自分が恨めしそうな顔で睨まれなければならないのか、その理由が全く分からなかった。

「おい、何で泣いて・・・」

 問いかけるや否や、はウボォーギンのもとへ駆け寄って、足にしがみつき、泣き始めた。もちろん、声は出ない。聞こえるのは、嗚咽と鼻をすする音。ウボォーギンは戸惑い、しゃがみ込んで、目線をにあわせる。

「・・・どうしたんだよ」

 言っていることは聞こえて、理解できても、彼女は声を出して悲しみを伝えることができない。その悲しみも加わって、涙は今まで以上に溢れるだけだった。

「おいおい・・・」
「お前、を泣かせてんじゃねーよ」
「うるせーな!泣いてんのはおめーらのせいじゃ・・・」
「ないわよ」

 の後を追ったパクノダが、ウボォーギンを見下ろしていた。

「あんたが拾ってきたんだから、あんたが責任持って、一緒にいてあげなさいよ」
「・・・寂しかったのか・・・?」

 は目をこすり、涙を拭いながらに頷いた。

「・・・何照れてんのよ!」
「う、うるせーばか照れてねーよ!」

 はウボォーギンの手を取って、その手をしっかりと握った。片手で握るには大きすぎるその手を、しっかりと両手で、もう離さないと言わんばかりに握った。そして、まるで掌に生まれる熱を確認するかのように、その手はしばらく離されることがなかった。