君が生きていたせかい


 時は遡ること10余年。流星街のとあるゴミ山の麓に、一人の少女が倒れていた。ボロボロに破れ、薄汚れた衣類をまとった彼女は、ぼろきれか何かのようにそこにいた。

 じりじりと照りつける太陽の日差しは肌に刺さるようだった。意識絶え絶えに目をうっすらと開く。太陽光線が目に刺さり、眉をひそめて目をそらす。そらした先に見えたのは、ひとつの人影。彼女は陽炎のごとく揺らめくそれに助けを求めて手を伸ばした。「助けて」と言いたくて口を開くが、声は出ない。彼女は声を出せないのだ。涙をにじませて必死にもがく。水が欲しい、少しの食べ物も・・・とにかく喉に何かを通したい。

 その人影は特に急ぐ様子も無く、彼女のもとに近づいていた。助けるつもりなのか、興味本位で見にきたのか、ただ彼女の存在に気づかぬままこちらに向かっているだけか・・・目的は不明だが、確かに彼女のもとへ向かってきていた。しかし、彼女はその人物の顔を知る前に意識を手放してしまった。




 少女の名前はといった。とある富豪の家に生まれたその少女が、流星街のぼろきれよろしく倒れ干からび、死にかけるまでに至った過程を話すのに、さほど時間はかからない。

 ただ単に、親に捨てられた、可哀想な娘。

 捨てられるまでに、ひどい虐待を受け、精神を病み、声が出せなくなった状態で、流星街に捨てられてしまった、可哀想な娘。

 それがという少女だった。

 そんな彼女がウボォーギンという幻影旅団の荒くれ者に、気まぐれで拾われ、看病してもらえたことは、彼女が生まれて初めて掴んだ幸運だったと言えるだろう。





02:涙がこぼれても毎日笑うから







「ウボォー。それは何だ」
「落ちてたから拾ったんだよ」

 ウボォーギンは腕の中に少女を抱えたまま、眉をひそめるクロロにそう言った。もっとも、クロロにとってウボォーの抱えるそれは、人間だとかろうじて分かったとしてもとてもではないが性別まで判然とする見た目ではない。更に少女は虫の息だ。室内に死体を運び込まれたとクロロが誤解するのも無理はなかった。

「・・・生きてるのか」
「生きてる。一応息はしてる。食料やってもいいか?」
「好きにしろ」

 クロロは読みかけの本に視線を移しがてらそう言った。既にクロロの興味は死体もどきの少女から本の中身へと移ってしまっている。ウボォーは、そんなクロロの態度に大して憤慨することもなく、大人しく食物庫へと向かった。

 ひんやりと冷たい打ちっぱなしのコンクリート壁に囲まれたそこに、食料は詰め込まれていた。これらはすべて盗品である。ペットボトルに詰められたミネラルウォーターがダンボール箱の中に綺麗に並べられて入っている。ウボォーは抱えていた少女を優しく壁にもたれかけさせて、部屋に入ってすぐの場所に置いてあるそれを手に取った。キャップを開けて少女の口元にペットボトルの口を寄せる。

「おい、水だ。飲め」

 そう呼びかけても、少女は反応しない。

「死んだか?」

 ウボォーは少女の手首を取って脈を確かめた。かすかだが、脈は動いている。死んではいない。無理やりに少女の口を開け、少しだけ水を口内に注いでやる。カラカラに乾いたそこに、久しい潤いを感じた少女の体はぴくりと反応する。そしてうっすらと目を開けた。

「お!」

 ウボォーは嬉しそうにニカッと笑った。味をしめたのか、手に持ったペットボトルを一気に傾けて水を注ぐ。少女の口の端から飲み込みきれなかった水がこぼれ落ちるが、ゴクリゴクリと喉を鳴らしていた。少女は確かに自分の力で水を飲んでいる。

「とりあえずなんか食わねぇとな。ミイラみてーだ」
「・・・」

 少女は何か伝えたそうにウボォーを見て口を少し開いたが、声を出すことができなかった。





「・・・ウボォーが女の子連れ込んでるって本当なの?」

 パクノダはウボォーに相手をしてもらえず暇そうにしているノブナガに問いかけた。

「ああ、3日前だったなぁ。アイツ、つきっきりで看病してやがる」
「病気なの?」
「病気ってか・・・餓死寸前の手前で助けたって感じだな。アイツ、自分の食いもん気にしねーであのガキに食べさせてんだぜ。全く、どーゆー風の吹き回しだ?」
「ほんとね・・・珍しいわ」

 そうつぶやいて、パクノダはウボォーが付きっきりで看病しているという部屋に向かった。ドアの無いその空間を覗き込む。粗末なベッドに寝かされた、ボロ切れのような身なりの少女を見てパクノダは憤慨した。

「ちょっとウボォー!!何そのかっこ!!」
「・・・何って・・・いつも通りだろ」
「違うわよ!私が言ってるのはその子の格好よ!!」

 ずかずかと部屋の中へ入っていき、改めて少女の服を見る。少女はすやすやと寝息を立てていると言うのに、そんなことお構いなしにパクノダはウボォーの看病にダメだしをする。

 薄汚れた白い服からは薄れてはいるもののゴミの匂いがし、ところどころ破れて肌が見えている。髪はボサボサで体も汚れたまま。

「普通、拭いてあげるでしょ!体!」
「かっ・・・体ってお前・・・」
「何恥ずかしがってんのよ気持ち悪い!!」
「何だと!!?」
「・・・」

 二人は騒ぐのをやめ、視線を感じる方向へと目を向ける。上体を起こし、目をこすりながらあくびをする少女の姿があった。気まずそうに顔を見合わせたウボォーとパクノダはひとまず口論を止め、再び少女へと視線を戻した。

「わ、私はパクノダ。こいつと同じ仲間よ。よろしくね」

 優しい微笑みが嬉しかったのか、少女は目を細めて微笑んだ。

「あなたの名前は?」
「・・・」

 少女は口をパクパクさせて、喋ることができないということを伝えようとした。

「声、出ないの?」

 頷いてパクノダの問いに返答する。それならば、とパクノダが持って来たのは短い鉛筆と紙。パクノダはそれを少女に渡して、名前を書くように促した。少女は少しぎこちない所作で紙に文字を書き始めた。パクノダとウボォーはその紙を少女の両サイドから覗き込む。

・・・?」

 自分の名前を口にしてもらえて、は今までで一番の笑顔を見せた。ウボォーだけでなくパクノダまでもの笑顔にノックアウトされた。見た目はウボォーに拾われた時と大差ないはずなのに。

「知らなかったぜ・・・」
「知ろうとしなかったんでしょ。アンタは」
「いや、知りたかったんだが、そんな方法があるとは・・・ありがとうな!パク!」
「・・・普通、真っ先に思いつきそうなもんだけど・・・」

 パクノダは呆れて、それ以上突っ込むことはしなかった。

「さ、体洗いましょうか、。このままじゃ衛生的に問題があるわ」

 は目に見えて狼狽えていた。頬を赤く染めて体にかけられていたシーツの裾をギュッと握ったままパクノダを見つめ、時折ウボォーをちらちらと見て気にしている。

「大丈夫よ!この獣はついてこないから!」
「おい!だ、誰が獣だ!」
「何ちょっと顔赤くしてんのよスケベ!」
「うるせぇ!!」

 ウボォーは女子二人に背を向けて部屋を出ようとする。

「ちょっと、何逃げてんのよ!を風呂場まで運んであげて!」
「来んなっつったり、連れてけっつったり・・・何だってんだ!」

 依然として顔の赤いウボォーは口をとんがらせたままを抱きかかえ、その後ろからパクノダがにやにやしながらついていく。

 はひとり、久々に感じた人のあたたかさと優しさに涙して、また、それを隠すようにひとり、ウボォーの腕の中で笑っていた。