!」
「・・・母さん?」

 の母親が紙袋を手にして室内へ入ってきた。ご機嫌らしい母親の表情。その紙袋の中身はきっと昼、この女が言っていた、はんたーはんたーとかいう読み物だろう。どうやら連作の書物らしいな。その袋の大きさと見た感じの重さからして、2・3冊程度の冊数ではない。即読は得意だし、明日までには全て読み終わるだろう。死に際にふさわしい本じゃなきゃ、発狂して窓から投げ捨ててやる。

「持ってきたわよー。重かったんだから~」
「わーい。ありがとう」

 なんて、ベタベタな返事をする。ほぼ棒読みに近かったが、母親はそれを気にすることなく紙袋からそのうちの一冊目を取り出し、アタシの空いたほうの手にそれを乗せた。

 ・・・漫画・・・かよ。

「あら?それじゃなかった?」
「えっ!?いやいや、これで合ってるよ!大丈夫!ありがとう」

 漫画だったら・・・そうだな。全部で25巻。1冊20分で読みきるとして、途中休憩も交え、睡眠時間も入れるとしたら明日の昼までには読んでしまいそうだな。漫画かよ。とか思っていても結構乗り気である。まあ、漫画はキライじゃないし、むしろ好きだ。しかも嬉しいことに、表紙からするとキャピキャピの少女漫画ではなさそう。それでまあ、読んでもいいかと思い1巻の表紙をめくってみる。どの世界にも漫画ってあるもんなんだなーと思いつつ・・・。

「それじゃ、母さん家に戻るわね。お夕飯の支度しなきゃ。明日健史も連れてくるから。あ・そうだわ。チェストの上に次の巻も置いといてあげるわね」
「ああ。わざわざありがとう。気をつけて帰ってね」
「ええ。それじゃあね」

 タケシって誰だよ。・・・弟か何かか?それはともかく、この漫画・・・。面白そうじゃねーか!

 そうして、消灯時間が来るまで夢中で読みふけっていた。







10話:逃げた先は籠






 今日は高校も休み。午前中からの入院している病院にお見舞いに行くことにした。いや、正確に言うとのお見舞いではない。どうかすると、お見舞いという言葉も私にとっては窺わしい表現になってしまう。そう。昨日、の口から私に告げられたのはあり得ないような話だったのだ。

 の体には、すでにの魂は無い。彼女はの体に憑依している全くの別人。霊なんかじゃない。彼女の元いた世界に実在する彼女自身の魂。つまりその世界が・・・

「異世界・・・か・・・」

 大病院前の横断歩道。早朝のためか、人通りもそこまで多くない。それに気付いたのは、そんな独り言を呟いた後。改めて、近くに人がいないことに安心して、青信号になった横断歩道を渡り始める。

 昨日、さんはこう言った。が交通事故に会う前の会話が本当のとの最期のお喋りだったって、ちゃんと記憶に残しとけ・・・って。

 でも今、の体は正常に動いてるんだ。どうして1週間後に死んでしまうんだろう。大親友は死んだんだって言われても、その死んだはずの人間の体の口から言われたら信憑性なんてあったもんじゃない。そもそも異世界なんて、存在するはずが無いんだ。

 私が昨日、「明日も来たい」って言ったのは、その信憑性の薄さと、明日になれば元のに戻ってるかもしれないっていうわずかな希望を胸に抱いていたからだった。





「・・・・・・」

 そのわずかな希望が、叶ったのかと思った。

 ・・・?いや、さんがHUNTER×HUNTERを片手に、静かに涙を流していた。しかも、それは10巻。ウボォーが死んじゃう話。2日前、が事故に会う寸前までそのことについて語っていたからちゃんと覚えてる。

「どうしたの?さん・・・。それとも、・・・なの?」
「・・・唯香・・・?」
「うん。そうだよ。・・・?」
「・・・生憎、アタシはじゃない。・・・だ」
「・・・そっか。ちょっと期待してたんだけど・・・」

 すこしがっかりして、私はさんを見つめる。するとさんは間もなく10巻の読みかけたページを閉じて、表紙を私の顔面に押し付けてきた。

「・・・お前、この漫画知ってるか?」
「うん。知ってるよ。大好きだけど・・・」
「・・・そうか。これな・・・」

 涙は流したまま、さんは語り始めた。このあと、私は信じられないことを告白されることになったのだ。















 おかしい。

 そう思い始めたのは、読み始めてすぐのことだった。・・・ハンター試験。この、フィクションであるはずの漫画にはその様子が主人公の少年ゴンを中心に、1巻から5巻にわたって描かれていた。しかもそれは、287期のハンター試験。今年行われたばかりの試験だ。作中に描かれたハンター免許証も、アタシの記憶が正しければデザインは全く同じ。

 ・・・そして次に現れたのは、ゾルディックの名。世に名を轟かせる暗殺一家のセカンドネーム。その一家の豪邸が存在する国の名前も、山の名前も・・・更に、その時、パソコンに現れていた地図もすべてアタシの元いた世界と一致していた。

 私はあせって次の巻、次の巻と読み進めて行く。すると見覚えのある顔が、第7巻で現れた。

「・・・マチ・・・!?」

 天空闘技場(もちろん、この建物もよく知っている)で負傷したヒソカと言う男の千切れた腕を治す女。それは紛れも無い、故郷の旧友、マチだった。

 そこで彼女が発した言葉。

「暇なヤツ改め全旅団員、8月30日正午までにヨークシンシティに集合」

 9月1日のヨークシンで行われる世界的なオークション。そこで盗みでも働くのだろう・・・。クロロ、基、幻影旅団の団長が収集をかけていた。アタシもこの収集を受けたうちの一人だからよく分かってる。

・・・この漫画は・・・。




















「嘘・・・!」
「この状況で嘘なんか言うかよ」

さんは、前に突き出したハンター×ハンターの単行本をシーツの上に放り投げて片手で自分の顔を被った。

 これ以上、悪い冗談は言わないで欲しい。そう思った。けど、彼女はふざけているようには見えない。それに・・・少し、泣きそうな表情だ。

「私・・・この漫画好きだよ。それに、も・・・大好きなんだよ」
「・・・。唯香。アタシがこの前話したのって何処までだったか覚えてるか?」
「・・・誘拐されそうになったんでしょ?私はそれが誰かは知らないけど、すごく今会いたくない人だったんでしょ」

 彼女は涙を堪えて、でも懸命に私に見られないように顔を伏せていた。気の所為じゃないはず。さっき話してたときの声は震えてた。この人はわかってない。私だって、泣きたいくらい悲しいってこと。彼女が本物だったらどんなに楽しく一日を過ごせていただろう。

「アタシさ・・・人、殺しちゃったんだ」
「人を・・・?」
「しかも、子供。アタシ、医者なのにさ。それで、お前らと同じ殺人集団とは違うんだって吐き捨てて・・・喧嘩別れみてぇなことして、何年も会ってなかった連中にあわせる顔なんてねぇだろ。せめて、別人になって、少しでもダメージ減らそうと、こっちで死のうとしてんのにさ・・・」

 シーツに彼女の涙がポツッと落ちた。そのひと滴を皮切りに、雨のように次々とそれが彼女の瞳から零れ落ちた。もう、涙を見せないようにと意地を張るのはやめたらしい。

 私はようやく、話がつかめた。昨日今日で彼女が言っていたこと。そして手に持って離そうとしないハンター×ハンターの十巻。殺人集団・・・か。友達であるはずなのに、彼女はいとも簡単にそう言ってのけた。

「知ってたか・・・?ウボォーさ、死んじゃうんだぜ?あの怪力バカがさぁ・・・。ありえねーだろっ・・・。アタシ、最後の最後で、ウボォーに酷いこと言った・・・」

 自嘲気味に、大粒の涙をボロボロと零しながらそう言うさん。痛々しかった。見ているだけで辛かった。彼女が語りだすまで信じていなかった、彼女の元いた世界がハンター×ハンターの世界であったことも、今ではもう信じきっていた。嘘を語った上で、こんなにも感傷的で痛々しく、優しい涙は流せないだろうから。

 ここに来る前、彼女がどんな状況にいたのか詳しくは分からない。でも、幻影旅団の皆さんと仲良しだったことは確かだ。それなのに彼女は彼らと会うことを恐れてこの世界に逃げてきて傷つき、死んでいく仲間のことを思って泣いている。

 に戻ってきて欲しい。その気持ちが一番。でも今は何故か、さんのことを思って元の世界に戻って欲しいと願う自分がいた。

「絶対に・・・戻れないの?」
「・・・ああ。一度こっちに来たら7日間は絶対に戻れない。今日は・・・何日だ?」
「・・・えーっと・・・。今日が始業式だったから・・・8月29日。」
「そうか・・・きっとあっちはこの世界と同じ日時だ。明日、ウボォーは死ぬんだな・・・。クソッ・・・。死ぬ直前まで、何でこんなに苦しまなきゃいけねぇんだ・・・!」

 フィクション。フィクションなはずなのに、これは私を巻き込んで瞬く間にノンフィクションへと変貌した。私は涙腺は弱くない。映画とか小説とかでもあまり泣くことがない。でも今日はおかしかった。涙が止まらない。世界を超えてあの”絵空事”の当事者になってしまった私は、あまりにも痛々しいその”絵空事”のヒロインに対面して涙を流し続けている。

 彼女はウボォーギンの彼女だったと言う。この事実をあっちにいるが知ったら、彼女は何を思うだろう。きっと心優しいの事だ。絶対に運命を変えようとするはずだ。

を・・・私の親友を信じてみない?」

 私は少し落ち着きを取り戻して、真っ赤な顔をしたさんに向かってこう言った。なら、出来る気がする。クラピカと戦いに行こうとするウボォーギンを止め心臓に刃を刺され、殺されてしまうパクノダを救うことが。しかし、さんはただ顔を横に振るだけだった。

「無駄だ。あっちの運命を変えようとすると、あの男の念が発動してそれを阻止する。それらしい言動・・・発言、筆記、ジェスチャーにでさえ目ざとく感知して、の脳内を荒らし、絶対に運命を変えられないようにされてる」
「その男って、さんをこの世界にトリップさせた人のこと?」
「ああ」
「・・・どうにもできないってこと?」
「そうだ」

 堪え切れなかった。この世界に戻ってきても死しか残っていないのことを思っても、元の世界に戻っても愛する人間が2人も死んでしまっているさんのことを思っても、悲しすぎた。

 ここでようやく思い知らされた。はもう・・・戻ってこないかもしれない。ということを。