「・・・ここは・・・どこだ?」
見慣れない清潔な色をした白い天井。ぎしぎしと軋むように痛む体。
段々鮮明になっていく視界に自分の腕を入れてみると、それは真っ白な包帯でぐるぐる巻きに、且つギプスで固定されている。もう片方は点滴の針が刺さっている右腕。これは明らかに、”あっち”にいたときの自分の体とは違うものだった。
――――何だ。成功してんのか。
どうやらここは集中治療室みたいで、よほど酷い怪我をした人間と魂を交換してしまったらしい。あの念能力者が言っていた意味がようやく理解できた。
「・・・ど・・・ドクター!!」
ふと前を見てみると、青い顔したナースがこっちを見ている。そのあとどたばたと慌てふためいて結局病室から出て行き、そのドクターとやらを呼びにいったらしい。
息を荒げて病室へ駈け込んできた医者は、まるで死人が生き返ったみたいな顔をしていた。そりゃそうだろう。死ぬ寸前の人間の体を無理矢理動かしてる状況なのだから、驚かれるのも無理は無い。
残り少ない自分の命を自分の世界で暮せない。まあ、それはそれでいいだろう。帰っても、どうせ希望など見出せないのだから。
5話:只管に、孤独
「!ああ、良かった!本当によかった!」
ああ。うざったい。半死人が半分生き返ったくらいで何をそんなに感動している。今自分にまとわりついて歓喜のあまりに涙を流している女は、どうやらというこの体の持ち主の母親らしい。それをよそに、アタシの胸に聴診器を当てて眉を潜めていたドクターとやらが、信じられないと一声あげた。
「昨日までほぼ瀕死状態だったのに、今じゃ外傷以外特に何も問題ない状態になっている・・・」
「それじゃあ、怪我が治れば・・・!」
「ええ。ただ、まだ安心は出来ないですね。しばらく安静にしておくのが懸命でしょう」
この体は自分の物ではないが今はこの体を自分のものとみなすしかないか。とにかく、自分の体の状態は大体分かっている。
――― 何が外傷以外何も問題ない状態だ。
そんなこと、聴診器あてただけでわかるワケが無い。今はまだこの痛みが何かよく分からないが、きっとこの女は頭を強打したのだろう。軽く頭痛がする。
申告?そんなものをしたからと言って何になる。
アタシは死ぬ覚悟で・・・いや。死にたい。そう思いこの世界に来たのだ。まあ、こちら側にいた人間があっちの世界で死ななければならないということには、少なからず申し訳のなさを感じる。だが、結局は死ぬ運命にあった命だ。アタシは、その命を長らえさせてやっただけでも有難く思われるべき。
昔、クロロたちはアタシのことを正義だのなんだの言っていたがその意識は既に塗り替えられているだろう。
故郷にいたときは純粋だった。遊んで怪我ばっかりする連中の治療なんかして・・・そう優しい、医者を夢見る少女だったんだ。でも、他人の命を故意に奪ってしまった時点でアタシに医者を名乗る資格など無い。いや、人として、存在するべきではないんだ。
あいつは今回しつこかった。クロロのことだ。何度断っても手紙は来るし、電話も際限なく来た。きっと今頃アタシの体は密輸業者の船の中だろう。その手回しも全てクロロによるもの。そうなる前に手を打っておいてよかったとほっと胸をなでおろす。純粋だったころの自分を知っているあの連中に、今の堕ちた自分を見られた挙句の果てに自殺をするくらいなら、いっそのこと魂だけでも逃げて、その逃げた先で死のう。
そう思ってジャポンの念能力者に依頼をしたのだった。
もうおわかりだろうか?今回のトリップ事件を企て実行したのは、=。アタシだ。
「母さん仕事があるから、ちょっと出るわね。お友達にも連絡しておいたから、もうじき来ると思うわよ」
満面の笑みでの母親が病室を出て行った。かと思えば、何かほしいものある?そう言って振り向き様に問いかける。今は特に何かをしたい気分ではなかったが、無理矢理死に損ないの体を動かしてしまっているお詫びだ。家族との残り少ないやりとりくらいまともにやってやろう。そう決めて、口調に注意し、少しあいまいに返事をした。
「私が大好きな本、持ってきて」
「・・・えーっと・・・ハンター×ハンター、だったかしら・・・?わかったわ。持ってくる」
・・・何やら変な名前の本だ。どんな話だ。
そう思いながらも表面的な笑みを返してありがとうと一言。案外母親というのは子供の好きなものをわかってるんだなぁ。なんて、生まれたときから両親がおらず、流星街のゴミだめに、ゴミみたいにして捨てられていたアタシは思う。生まれて初めて親と呼ばれる者の笑顔を受けて、なんだかくすぐったい気分だ。
とにかく、楽な格好をしていようと思って床に対し垂直に立てていた背を、丁度いい塩梅に傾いたベッドに預け、窓の外を眺める。
「何だ・・・ジャポンとあんま変わらねぇじゃん」
この病院が郊外にあるのか、周りにはそこまで高い建物は無い。しかし、ちょっと先のほうには所狭しと高層ビルが立て並べてあるのが見える。その風景はアタシをうんざりさせるのに十分なもので、興が冷めて結局視線は目覚めた時と同じ天井に注がれる。
「・・・もうちょっと違う世界を期待してたのになぁ・・・」
ふいに聞こえた、少し控えめなガラガラとドアの開く音。その向こうにいたのは、先ほど母親が言っていたの友人と思われる少女。
「!よかった・・・!意識、取り戻したんだね!」
ああ。この女も母親と一緒か。瞳を潤ませてアタシの横たわるベッドへ駆け寄った。と言うか、コイツの名前は一体何だ。少しあせる。・・・。こんなんだったら最初から記憶喪失を装っとくんだった。先ほど決めたことを既に後悔しながら、の友人の顔を見てみる。
友人・・・か。最後の最後で友人と面と向かって会えるなんて、この子はどれだけ幸せなんだろう。そう思いつつも、事実を打ち明けてしまおうとしている自分。やはり、全てを嘘で終わらせてしまうのは気持ちよくない。自己中心的な自分を心の中で嘲笑しつつも彼女にこう切り出した。
「お前の名前は何だ」
「・・・え?も・・・もしかして、記憶喪失してたり・・・するの?」
「いいや。記憶喪失なんかじゃねぇ。コイツの体も脳みそも現時点ではいたって普通に動いてるよ」
「ちょっと・・・どうしたの?・・・変だよ?口調変わってるし」
「いいか、の友人。これからアタシが話すことを、事実ととろうが絵空事ととろうがお前の勝手だ」
「・・・どういうこと?」
「まず、はっきりさせとく。アタシはじゃない。異世界の、全くの別人だ」
分かりきったことだった。女は眉間にしわを寄せ、不審そうにアタシを見つめる。女の表情も挙動も、全てを無視して、アタシは真実を語った。
「・・・ちょ、ちょっと待って。意味がわかんないよ。信じられない。異世界なんて信じられるわけ無いじゃん・・・!」
「だから、最初に言っただろう。アンタがこの話を信じようが信じまいが事実は変わらない。本当は意識も取り戻す間も無く死んでた人間なんだよ。は。アンタ、偽りのと別れたくなんてないだろ。が交通事故に会う前の会話が、本当のとの最期のお喋りだったって、ちゃんと記憶に残しとけ」
「そんな・・・ッ・・・」
酷いことをした・・・。目前の少女の泣く姿を見て、そう思った。すぐ近くの丸椅子に座っていて、アタシとの距離なんてほとんど無いにも関わらず、ベッドと己の足とのわずかな隙間に見える床をじっと見つめただポトポトと涙を零し続ける。
友を思い頬を濡らすその少女の姿を見ていると、いつの間にか自然と、得体の知れない感情を抱いた。今の自分にそんな感情が蘇るなど至極おかしなことだと心の中で再び自分を嘲笑した。
なぜか?
親友を捨て、男まで切り捨ててしまったアタシが、持っていいようなものじゃないから。
「・・・また、会いに来ても・・・いい?」
不意に聞こえた震える声。名前も知らないその少女は、涙を袖で拭いながらアタシにそう問いかけた。
「・・・構わないが、ここにお前のはいねぇ。のものだと言えるのは、この体だけなんだ。それで虚しくねぇってんならいつでも来いよ。話し相手にくらいはなってやる」
「・・・わかった。ありがとう」
「・・・あんた、名前は?」
この先、死ぬ運命のアタシには全く必要も無いであろうその少女の名前。それなのに、知らないうちに口が動き、それを聞き出していた。
「唯香。杵島唯香。・・・アナタの名前は?」
「だ」
「・・・は?」
・・・よく考えると、読みが一緒だ。あの念能力者の図りか、それともただの偶然か。どちらにせよ煩わしいだけで何の得にもならん。アタシは小さなチェストの上に乗ったメモ用紙とペンを取りその違いを示した。それで、はにかむ唯香を見てホッとした。きっとアタシは、心の隅で誰かと関係を持って死にたい。そう思っているのかもしれない。しかし、最後の最後でそれができなかったからアタシは今ここにいる。
その気持ちに現時点で気付いたところで、ただ自分の中の虚しさを煽るだけだった。
「それじゃあ・・・さよなら」
「ああ」
控えめな音で優しく閉められたドア。そこに映っていたのは、窓によって切り取られた夕日。鴉でも通ったのだろうか。その橙色のキャンパスを黒い影が一瞬で通り過ぎる。窓のほうに視線を移すと、その明かりの持ち主が遠くの山に沈みかけていた。
やっと一人になった病室。そこにすごい速さで闇が落ちていった。・・・闇はいい。誰も気にせずにいられるから。しかし、何故だ。人間らしい感情なんて向こうで捨てて来た筈。枯れたはずの涙がどうして今頃零れ落ちてくる?
「・・・ウボォー・・・。みんな・・・」
故意に失くして来たはずと割り切っていた感情は、自分の中で制御されていただけだと・・・本当は無くなってなどいなかったのだと主張するように言葉が零れ落ちた。まともに頬もふけないアタシは一人病室ですすり泣く。それを慰めてくれる知人など一人も存在しない世界で。ただひとり。