それはりんごですか?


 神様。俺に恋のABCを教えてください。

 いやむしろ、俺はまだ知ってる方なので、目の前で泣いてる彼女に教えてやってください。

 人を愛するということが、いかなるものなのかを、彼女に。






いいえ、違います。それはバナナです。







 ウボォーギンが寝る女を選ぶ時に考えるのは「この女はめちゃくちゃになっても構わない女かどうか」だった。

 それは、体格、体力、握力・・・女と寝るときに使う力という力が常人の何百倍もある彼が、もしちょっと力んでしまった時に、相手の体がどうにかなっても特に問題ない相手。つまり、愛していない女。でないと、自分が気持ちよくなれない。

 寝る女を性欲処理という一面のみを考慮して選ぶ時の判断材料はそれだった。決して心から愛する女を、抱こうなんて考えたことはなかった。もっとも、人を心から愛したのなんてが初めてだが。

「・・・だから、とまともに目も合わせてないのか」

 それを聞いたシャルナークは変に納得してしまった。

 だが、愛しているとやはり体は相手を求めてしまう。だから、付き合って欲しいと言われるまでも、言われたあとも、あまりとは話さないようにしていた。でも、いつまでもこうしていては愛想をつかされる。いや、もうつかされているかもしれない。そんな心配を払拭するために、酒を飲んでる。

 今のウボォーギンの心情をすべて述べた結果がこれである。

「意外と繊細ね。ウボォー」

 フェイタンがぼそっと言う。それを聞いてウボォーはうるせぇと一言漏らした。

 なんとなくナーバスな表情で、ウボォーギンはを思った。

 本当は抱きしめて、キスをして・・・。ああ、俺がもっと常人に近かったら・・・。

 恋愛においてだけは、自分の戦闘力に絶大な自信を持った彼がそんなことを考えてしまうのだった。とにかく、彼がを愛しているのは紛う事なき真実である。








 それを知らないは一人自室のベッドで泣き崩れていた。先程まで開いていた女子会もお開き。パクノダとマチはバツが悪そうに、二人だけで飲んでいた。

がB専だったとはね・・・」
「パクノダ、それちょっと失礼なんじゃないの」
「違うわよ。このBはあれよ。ビーストのBよ」
「・・・まあ、確かに、美女と野獣みたいよね」
「意思疎通がてんでできてないじゃない。それに、聞いてないわよ。ウボォーがヤリチンだなんて」
「・・・パクノダ、だいぶ酒入ってるね」

 滅多に酔わない彼女の頬がだいぶ赤くなっているのと、周りに散らばるビール缶の多さから酔っていることは明確で、それでお下品な言葉をうっかり漏らした原因が酒だとするのは至極当たり前な思考だろう。マチは若干会話しづらくなるも、を思って話を続ける。

「とにかく、今の二人に必要なのは意思疎通ってわけだね」
「そうよ!・・・あのふたり、話によるとろくにしゃべってすらいないらしいじゃないの。まったく・・・変な気遣いばっかしあってないで、さっさといちゃいちゃすればいいのよ」

 うーん。とうなって、を今後どう説得するか考えるマチ。とにかく、今は気を落とさないように彼女を落ち着かせるのが先だと、となりの部屋から聞こえてくるすすり泣きを聞きながら思った。ふとパクノダに目をやると、先ほどのパクノダの目線の位置に彼女の顔は無く、下に目をやれば顔を真っ赤にして睡眠に入ろうとする姿が。マチはため息をついて、パクノダを担いで彼女の部屋に連れて行く。ベッドに寝かせて布団をかけてやった後、次にマチが向かったのはの部屋だった。

 の部屋の前に着いたわけだが、未だに中からはすすり泣く声が聞こえてくる。扉をコンコンとノックして、入るよ。と一言かけて部屋に踏み込む。向かって左手にあるベッド上には、シーツに全身を覆われたまま泣き寝入りしそうなの姿がある。

「・・・。言っても無駄かもしれないけど、そう気に病むんじゃないよ」
「・・・・・・・」
「ほ、ほら。ウボォーなりに、何か理由があるのかもしれないじゃないか。彼女だけは大事にしておきたいとか、嫌われたくないとか・・・あいつもあいつでそれなりに繊細なとこあったりするし・・・」
「マチ・・・ありがとう。・・・さっき、マチとパクが話してたの、聞こえてたよ」

 マチは一瞬ギクッと身を強ばらせたが、意外との声が穏やかそうだったので、B専云々の会話は流されている(?)ことに安心して、の背中をさすりながら「いいんだよ」と返答した。

「それで、はどうしようと思ってるんだい?」
「・・・意思疎通が、大事なんだよね?」
「そうだね。私も、そう思うよ」
「・・・だったら明日・・・きちんと話し合おうと思うの」
「うん。それがいいよ」
「今日は、私のために・・・本当にありがとうね」
「いいって。ほら、早く泣き寝入りしちまいな」

 マチがそう言ってベッドから立ち去るとすぐに、すやすやと安らかな寝息を立て始めた。








「ねぇ・・・ウボォー?」

 ウボォーギンがうっすらと目を開けると、そこにいたのは愛しい恋人の悩ましげな表情。少し唇を突き出せば、その愛しい恋人の唇にキスができそうなほどに、彼女の顔は近かった。

 けれど、いたって冷静なウボォーギン。正しくは冷静を装っているだけである。実際彼女の見ていない彼の下半身は(寝起きなので)既に戦闘態勢なのだから、悟られないようにポーカーフェイスでいるのはしごく当然のこととも言える。

 彼が必死に自身の野性と戦っていることなど知らずに、はその端正な顔を近づけたまま言う。

「ウボォーは私のこと・・・どう思ってるの」
「・・・どうしたんだよ突然」

 彼女がそういった類の質問をそろそろしてくるだろうと予想はしていた。だから前々からその問いに対する答えは用意していたのだ。用意するも何も、付き合い始める前から持っていた答えである。

 けれど、それを今口にすることは避けなければならない。その答えを今に与えれば、が頬を染めることは必死。そんなかわいい彼女を前にしてしまえば、必死に抑えようとしている野生が暴走して、彼女を傷つけかねない。

 もちろん、が体の交わりを求めていることなど、彼は知らない。だから、当たり障りのない返事でその場をやり過ごそうと決めたのだ。これからどんな攻防が始まろうと、ウボォーギンは絶対にに手を出さないと、心に誓った。

 けれどどうだ。ウボォーギンが返答したとたん、彼女の瞳に涙がたまり始める。下唇を噛んで必死にそれがこぼれ落ちるのを抑えようとしているが、重力に逆らうことができなかった雫はウボォーギンの頬にぽたりと落ちた。

「おい。お前、なんで泣いて・・・」
「ごめんなさい。昨日からずっと・・・」

 昨日から?

 ウボォーギンは不思議に思った。昨日はといっぺんたりとも話をした覚えはない。もちろん、それが原因であるかもしれないと想像はつくが、は気丈で割とサバサバしている。そんな幼馴染の彼女が簡単に泣かないこともよく知っているウボォーギンはおかしいな、と眉をひそめて首をかしげる。

 こいつが、一日オレと話さなかっただけでこんなにボロボロ泣くか?

 口に出さずに自問する間もは泣き続けている。肩を揺らし、しくしくと。のこんな姿を、ウボォーギンは一度も見たことが無い。原因が自分にあることはなんとなく想像がついているので、彼女を泣かせているのは(心当たりがなくとも)実質自分である。ウボォーギンはバツが悪そうに、これ以上ひとの顔に涙を落とすことはできないと離れたの肩に優しく手を置いた。

 びくり、との肩が揺れる。

「昨日、何があったんだよ」

 はウボォーギンにそう問われて最初は渋って泣き続けていたが、しばらくたってぼそぼそと昨日のことを話し始めた。

 自分たち二人が、付き合っているのか付き合っていないのか、判然としないこと。それが故に昨夜、パクノダと飲みながら話をしていたこと。途中参戦のマチに、ウボォーギンのことについて聞いたこと。その後ずっと泣いていたこと。

 すべて聞き終わって、しばらくの間沈黙が訪れる。

 ウボォーギンは話を聞いていなかったワケでは無い。けれど、言い訳がましく「お前を大事にしたいんだ」なんて、口にしたくはない。それでが納得できるはずもない。

 だまっていると、は座っていたソファーから立ち上がり、部屋の出口へと向かう。

「おい、どこ行くんだよ」
「・・・言うこと無いんでしょ・・・。私のこと、何とも・・・思ってないんでしょ」

 はドアノブに手をかけ、扉を開ける。

「なら別れ・・・」

 ウボォーギンはが決別の言葉を言い終わるやいなや、近寄って彼女の体をしっかりと抱き上げる。俗に言うお姫様だっこ。こうなってしまえば彼女は逃げることなどできない。

 ウボォーギンが何を考えてこのような行動に至ったのか理解できないは、顔をそむけて涙がぼろぼろと溢れるのを見られないようにする。まさか引き止めてくれるとは思っていなかったし、自分に触れてもらえるとも思っていなかったので、既に涙がこぼれ落ちる原因は悲しみから嬉しさに切り替わっていた。

「こっち向けよ」

 優しくそう言われて、涙を手の甲で拭いながらウボォーギンに顔を向ける。そしてゆっくりと目を開けると、そこには案外端整な(に言わせればイケメンなウボォーギンの)顔がすぐ近くにある。鼓動が高鳴り、は瞳を閉じることができなくなった。どんどん近づくウボォーギンの顔。そして自然とまた閉じる瞳。触れ合った唇。

「最初から、こうしてやればよかったんだよな」
「・・・ウボォー・・・?」
「オレがお前を大切にできるかどうか、不安でな・・・。けど、もう限界だ」
「・・・え?」

 ゆっくりとソファーにおろされあと、はウボォーギンに覆いかぶさられる。

「もう、我慢はしねぇよ」

 低い声で、ウボォーギンは呟いた。まるで、自分に言い聞かせるように。そして再び、にキスをする。先ほどの触れるだけのキスとは違う深いそれは、これから起こるであろうことをに予見させた。そして、口内を侵す舌にも舌を同調させる。自分の思いが一方通行ではなかったと、確認できた瞬間だった。