「フィンクスさんは、どのお花が好きですか?」
は、インターネットサイトの“種から一ヶ月以内に咲く花”と銘打たれたページを印刷したプリントを、一枚フィンクスに見せてきた。敵を迎え撃つ体力をつけるためにも、と出会って次の日の朝に自家製のパンを始めとして大量に用意された朝食に舌鼓を打っているときのこと。
計12種類の色とりどりの花たち。しかし花に対して好き嫌いを抱けるような感性を持ち合わせていない彼は返答に困った。かと言って、の質問に答えないのも気がすすまない。好きな色なら答えられるので、形状などには配慮せず指をさす。
「この黄色いのがいい」
そう答えたとたん、は屈託のない笑みを浮かべる。
「私もお庭に植えるなら、この黄色のお花がいいなって思ってたんです!フィンクスさんみたいだし!」
自分がに選ばれたようで気恥ずかしい。そんな勘違いをして頬を染めるフィンクスだったが、照れ隠しに毒を吐く。
「髪の色しかかぶってねぇだろ」
「そういえばそうかも!フィンクスさんの髪の色が、こんな色だったら、このお花が好きって思ってたかもしれないです!」
そう言って彼女が指差す先に載るのは7枚の丸っこい花びらを持つ七色の花。
「少なくともオレはこんな髪の色した人間見たことねーぞ」
「あはは!でも、一緒のとこありますよ!一ヶ月以内に、元気にお花咲かせるんです!フィンクスさんと一緒です!フィンクスさんもこのお花も、私が責任持って育ててあげるんです!」
えへんと誇らしげに胸を張り、その後無邪気に笑う。
フィンクスは、そんな彼女に見入って、今まで食べることに必死になって休むことなく動かしていた手を止めた。
(オレ・・・こいつのこと好きだわ)
と出会って1日と経たないうちに、フィンクスは彼女に心を奪われていた。
後編
一般的な人生を、可も無く不可もなくすごすような男にとってならば、彼女は平凡すぎる存在かもしれない。しかし、彼女の全てがまぶしい。フィンクスにとってという女はそんな存在だった。彼女には何かキラリと光る突出したような才能があるわけでもなんでもない。ただただ懇ろで、かわいらしく、穏やかな雰囲気をまとい、自分のために尽くしてくれるという存在は、幼い頃から流星街という特殊な環境に身を置いてきたフィンクスにとって、特異な存在だった。
のそんな性格は、彼女の見た目がフィンクスのドストライクであることを出発点として、どんどん恋心へと発展させる要因でありまた、彼をを魅了してやまない要因でもあった。そして、まるで自分が一般的な家庭と呼ばれるものへ溶け込んだかのように錯覚させるほど、とその父親が住むこの家は暖かかった。フィンクスの怪我も3日ほどしてほぼ治り、動こうと思えば動くことができたし、流星街へ身をくらませようとおもえばそうすることも容易にできるほどに、彼は回復していたにも関わらず、彼はその場を離れようとしなかった。
完全回復に至るまでの連日、花に水をやり、隣人とにこやかに会話を交わし、空を仰ぎ伸びをするをフィンクスはベッドの傍にある窓から覗き見ていた。彼女がフィンクスの視線に気づきにっこりと笑いかけると、フィンクスは赤面し顔を背けて頬を掻く。もはや病気だと自分を叱責したい思いに駆られながらも、今までに体験したことのないあたたかな環境から抜け出すことはできなかったのだ。
しかし、そんな天気のいい穏やかな日々はすぐに終わりを告げる。それはフィンクスというA級首の盗賊が、その対極にいるような町娘・と稀代の出会いを遂げ5日が経った昼すぎのこと。一発の銃声が平穏を打ち破った。
ちょうどとフィンクスが、共に昼食を終え談笑していたときだった。フィンクスは家の中で鈍く響きわたった銃声の発生源へ向かって駆け出した。
(まさか、の父親が・・・)
フィンクスは最悪の事態を想定していたが、父親はパン屋として開放している一室の壁にもたれる形で、低いうめき声を上げながらうずくまっていた。不幸中の幸いとでも言うべきか、彼は生きている。火薬のニオイをたどると、黒いスーツをまとった大柄の男が5人、家の内外にいた。集団のトップと思われる男が、銃口を父親に向けたまま口角を上げてにやついている。そしてすぐに視線をフィンクスへと向け、奇人よろしく首をかしげた。
「みぃつけたぁ」
平穏だったパン屋に突如現れた黒いスーツを纏う強面の男たち。彼らは大都市に3箇所ほど拠点を据えるそこそこの規模を持ったマフィアの幹部とそのつれだ。大都市以外にも、拠点は小中さまざまな街に持っており、フィンクスがいるこの街もその一つだったらしい。一月ほど前、流星街は大金と引き換えに十数名の若者をこのマフィアに売った。しかし、それとは別に何の承諾も得ないまま、女子供を街の外へと連れ出して人身売買を行ったことが判明し、流星街の上層部の人間に復讐を依頼されたのがフィンクスだった。彼は基本的に流星街が重んじる規範や執念などといったものに興味は無かったが、修行ついでに依頼を受け暴れまわることはあった。その結果、今回はなめてかかったマフィア連中が案外強く、痛手を負って流星街の復讐を完遂させることなく逃亡した。これが、フィンクスがに拾われるまでのあらましである。
男はケタケタと笑いながらフィンクスに近寄っていく。
「随分早かったんだな。深手を負ったオレが逃げ果せるくらいてめーの部下共がトロかったんで、正直油断してたぜ」
近寄る敵を睨み付けながら、フィンクスは言った。男は拳銃のハンマーを引き倒し、フィンクスの眉間付近でカチっと音を鳴らす。
「ここはオレらがネグラにしてる街のうちのひとつだぜぇ?居場所がわれねぇとでも思ったか?」
「それなら尚更トロいな。一日二日でつきとめろや。亀かおめーら」
瞬間、引き金が引かれ、再び銃声が室内に響き渡った。至近距離で撃たれた弾丸を驚異的な反射神経で避け、その上敵の顎に掴みかかるなど、誰にでも真似できる芸当ではないだろう。フィンクスという的を外した弾丸は空を貫き部屋の奥にある窓ガラスを割った。
「お父さん・・・!!!!」
悲痛な叫び声とともに、は右腕を打たれて血を流す父親に駆け寄った。
(バカっ・・・出てくるんじゃねぇ!)
そうフィンクスが思った瞬間、黒い影が彼の前を横切った。
「きゃっ・・・!」
部下と思われる男が父親にすがるを羽交い絞めにして、頭に拳銃を突きつけた。フィンクスはちっと舌打ちをして、右手で男の顎を掴み上げながらの様子を伺う。おそらく、このような非常事態に当事者として巻き込まれるのは始めてなのだろう。瞳に溢れんばかりの涙を浮かべ、下唇を噛んでフィンクスに助けを請うような眼差しを向ける。突きつけられた拳銃は更に頭へとねじ込むように動かされ、は恐怖のあまり声も出せずに、目をきつく閉じて涙を零す。
「・・・!!」
これまでに経験したことのない激痛のためか、父親は振るえながらもを羽交い絞めにする男から娘を取り戻そうと起き上がる。すると、すかさず他のメンバーが父親に銃口を向け、言い放った。
「おっと。それ以上動いたらあんたの娘の脳天ぶち抜くぜ。てめーもだ。さっさとアニキを離しやがれ」
フィンクスは、面倒くさそうにため息をつく。
「分かったよ・・・オレが大人しくここを出て行きゃいいんだろ?娘を離してやってくれ。オヤジさん、悪かったな。長居しすぎちまったみてーだ」
を羽交い絞めにする男がその言葉を聞いて銃を握る手を緩めた瞬間を、フィンクスは見逃さなかった。右手で掴む幹部の男の顎をすさまじい握力で砕いたあと、目にも留まらぬ速さでのもとへと近寄り、彼女を羽交い絞めにする男の頭部をひとひねり。すかさず、の父親に銃口を向ける男のみぞおちに強い蹴りを入れる。残りのマフィアは遅ればせながら銃を構えるものの、照準など定まる間もなくフィンクスに首をひねられ床に己の躯体を打ち付けた。まだ息のある者は激痛にもだえ苦しみながらも何とか家の外へと出ようとする。フィンクスはそれを見逃さなかった。見逃したがために報告されて、またここに来られても面倒だと思い、足元の拳銃を拾ってとどめの銃弾を彼らの脳天へ打ち込んだ。
「・・・あっけねーな。おい・・・大丈夫か?」
は父親に抱きしめられていた。抱きしめられてもなお、震え続ける体。彼女はただ呆然と、鮮血にまみれた死人が転がる室内を焦点が定まらないままに見ていた。フィンクスの問いかけに答えることは無い。
「・・・おい」
フィンクスが二人に近づこうと足を踏み出したとき、父親の鋭い眼光が彼を捕らえる。それと同時にフィンクスは動きを止めた。近寄りがたい怒気を確かに感じたのだ。
「出て行ってくれ・・・」
「でも、おっさん。医者呼ばねーと・・・腕」
「私のことは・・・!私のことはどうだっていい!!」
ならば尚更のこと、自分に怒気を向けられる意味が、フィンクスには理解できなかった。確かに自分がここにいなければ、こんな惨事にはならなかっただろう。が危険にさらされることも、彼女の父親が負傷することもなかったはずだ。しかし、それ以外の損害は、床が血で汚れたことと、3発の銃弾で床や窓が傷ついたことくらい。父親が負傷したことに対して怒っているわけでは無いとすれば、一体何に怒りを覚えているのか?フィンクスが眉をひそめて硬直していると、父親は続けた。
「君は何故、一歩間違えばが殺されていたかもしれない状態で反撃した?・・・君は何故、そう躊躇無く人を殺せるんだ・・・!?」
フィンクスは思った。
(ああ。やっぱり、オレは普通じゃないんだ)
はじめの問いに対する答えはこうだ。彼には確固たる自信があった。反撃を受ける前にを助けることができる。父親に向けられた銃口からはじき出されるであろう銃弾の軌道を変えることができる。そんな自信が。しかし、それを知っているのは自分だけだと気づく。もその父親も、彼の普段の強さを知らない。銃を持つ4人の男を相手に素手の男が立ち向かえるなどとは、普通の人間なら思わないだろう。いくら一瞬の内に繰り広げられた惨劇だったとは言え、父親としては気が気ではなかったのかもしれない。
それより何より、の父親にとって、フィンクスの存在そのものが恐怖の対象だった。おかしな角度に曲がった頭部。頭に風穴のあいた死体。非日常的な風景を作りだした張本人が、目の前にいる。それが例え、自分たちに危害を加えないであろう人物だとしても、遠ざけたい存在であることに変わりはない。人は殺してはいけないという倫理観を持つ一般的な人物なら、誰もがお近づきにはなりたくない存在。幼い頃から人攫いや盗み殺しなどという不条理の中に身を置いてきたフィンクスが、そんな一般的倫理観など持っているわけもない。これが二つ目の問いに対する答えだ。しかし、フィンクスはそれを知らない。
「は優しい子なんだ。死にそうな人がいるからって、私を呼んで、医者を呼んで、君を助けるように懇願してきた。私にはわかっていたよ。君が只者ではないことも、追手がいるであろうことも。ここも随分治安が悪い街だからね。でも、だからっての意志をないがしろにしたくはなかった」
は相変わらず、震える体を父親に預けている。フィンクスの方を見ようともしない。
「助けてくれたことには感謝しているよ。でもね、こういったことに慣れていない人間にとっては、君は恐怖の対象でしかない・・・。だから、早く出て行ってくれないか・・・」
「フィンクス・・・さん」
か細い声がフィンクスの耳に届いた。だ。
「もう・・・痛むところ・・・ないですか?」
涙をこぼし、声を震わせながらそう言葉をつむぎだしたのだ。父親の意志とは反して、フィンクスの容態を気にかけるその言葉。ただただ胸を締め付ける思いでフィンクスの口が動かない。そもそも、何を言えばいいのかさえ分からなかった。感謝の言葉か、それとも弁解か、はたまたお前は大丈夫なのか?と気にかけるべきなのか・・・。フィンクスにはもはや何も理解できなかった。彼女の、傷ついた人間を助けたいという思いも、自分を惨劇に巻き込んだ対象に、それでもなお怪我の治りを気にして、声をかけるという慈悲深さも、なにもかも・・・。彼は何を言っても正しくないとふんで、二人に背を向け駆け出した。
(もうには会えないんだろうな)
もっと一緒にいたかった。もっとの笑顔を、近くで眺めていたかった。この時点から後悔していたことが、後々もやもやと徐々に肥大化して、いても立ってもいられなくなると知っていれば、フィンクスはもっと別の方法を取っていただろうか?
否。どちらにせよ、彼に許されるのは無言の撤退。他に何か許されるとすれば、一方的にここ五日間の感謝の気持ちを述べることぐらいだろうか。
「フィンクスさん。・・・・・・・ありがとう」
のそんな言葉は、悔しさと悲しさがせめぎあう彼の心中にまで、届くことは無かった。
「・・・ここはあぶない。この街を出よう」
父親のそんな言葉が血の匂いでよどむ店内に響き渡り、数秒置いて、は静かにうなずいた。