あれから3年の月日が経った。
いずれ消えると思っていたへの思いは消えるどころか年を追うごとに増していき、彼の足を自然と流星街の隣町、“スモーク・タウン”へと向かわせていた。
スモーク・タウンはその名の通り、煙に満ちた街だ。前と同じ重い空の下には、深呼吸が躊躇われるような空気が満ちていた。フィンクスがゆったりとした歩調での家を目指して歩いていると、自身が血を流して倒れていた路地に差し掛かる。あの時の彼女は、傷つき弱っているフィンクスよりも悲痛な面持ちだった。朦朧とする意識の中でも、その表情だけはしっかりと覚えていた。彼が意識を手放すその一歩手前では視界から消えたため、当初恐がってないで助けてくれてもいいじゃないかと心のうちで毒を吐いていたが、今の彼にはよくわかる。あの表情が、傷ついて血まみれのオレの身を案じて、まるで自分も同じ傷を負ったかのように彼女の顔に浮かびあがったものだったということが。
彼女と過ごした日々。もともと過去にとらわれない彼が唯一忘れることができなかった、短くも濃く甘い思い出。その全てが一瞬にして頭の中を駆け巡った。あえてこの地を避けて、思い起こすまいとしていた記憶が堰を切ったかのようにあふれ出す。いても立ってもいられず、彼はの家へと駆け出した。
の家。・・・否、かつてがいた家。
フィンクスはパン屋だった家の前で足を止めて、ただ立ち尽くした。場所は間違ってなどいない。考えが甘かった。ただ、父親に追い返されるだけだと思っていた。二度と来るなと言っただろうなどと罵倒されて、棍棒でも投げつけられて・・・。
産業革命以降徐々に衰退する小さな街、スモーク・タウンに人口増加など望めるはずもなく、3年と言う短い月日のうちに寂れ果てていた。空き家となったそこは、おそらく3年前の状態のまま放置されている。鍵などかかっておらず、当時フィンクスがぶちまけた血痕はそのまま床にこびりつき、色だけがただどす黒く染み込んで変わっているだけ。
家の周りを見渡すと分かるのが、この一帯がほぼゴーストタウン化していることだ。フィンクスが思うことではないかもしれないが、彼でも少し気味が悪いと感じていた。がまだこの街にいた頃はまだ人は住んでいた。
(確か、庭で隣の家のじいさんとよく話を・・・。)
それを思い出してふと、彼は庭の花壇に目をやった。そこには黄色の花が花壇いっぱいに群生していた。殺伐とした風景には似合わず違和感さえ感じるが、それはフィンクスを安堵させるに足りる光景だった。
エピローグ
「お、めずらしい。旅の人かね」
しばらく、フィンクスは花壇から溢れんばかりに咲きほこる黄色い花に見入っていた。背後から声をかけられるまで老人に気づかなかったのは、おそらくその老人に敵意や悪意が込められた念を感じなかったからではあろうが、フィンクスは我に返った。
「いや、それにしちゃあ荷物がなさすぎるな」
老人は笑いながら、フィンクスの横を通って花壇に近づいてゆく。手には灰色のじょうろ。中の水がシャワーのように降り注ぎ、花々の根元を潤していった。
「最近は曇るばかりで雨が降らなんだ。花たちがかわいそうでたまらんよ」
「じいさん。あんた誰に頼まれてやってんだ。・・・もしかして、か?」
老人の手がぴたりと止まる。目だけをフィンクスのほうに向けてゆっくりと口を開く。
「あんた・・・例の人殺しか」
老人の口調は一変してきつくなった。少なくとも、彼に好感は持っていないようだ。なにかフィンクスに対して恨みのようなものが感じられたが、だからといって老人は多くを語ろうとはしなかった。
「・・・頼まれちゃいないよ。ただ、あの子がこの街にいた頃のことが懐かしくてね。あの、太陽みたいな子に似てると思わんか。今じゃこの花の世話だけが生きがいさね」
そう言って老人は花壇に向かって微笑んでいた。老人にとってもフィンクスにとっても、この花の存在が、がここにいた証だったのだ。
「じいさんは、がどこに行ったか知らねーのか」
「・・・それを聞いて、あんたはどうする」
「会いに行く」
「・・・知らんよ。どこか遠くの平和な街にでも越したんじゃないか」
「・・・そうか」
(あの時のもう会えないって勘は、当たってたらしいな)
「お前さんはその花の、花言葉を知っとるのか」
「はぁ?なんだ、そりゃ」
「再会。1ヶ月に一度花を咲かせる植物はそう多くない。おそらく、また近いうちに会えることを楽しみにしているといった意味合いで、先人たちがこの花を手紙に添えて送っていたそうだ」
「再会・・・か。できたらいいけどな」
「全くだよ。お前さんさへこの街に来なければ」
老人から最後に放たれた恨み言は思いのほかフィンクスの心にきれいに収まった。それもそうだと開き直れた。には二度と、会えない。そんな勘が、確信に変わったからだろう。老人は家に帰る。そして、落胆したフィンクスが流星街へ戻ろうと2,3歩歩み出したそのとき、聞覚えのある声が彼の耳に届いた。
「フィンクス・・・さん?」
眉をひそめ、ただの幻聴だととっさに思い浮かべた思い人の顔を頭の中からとっさに去なす。ただ名を呼ばれた気がしただけだと。勘違いを起こしてしまうほどに自信のに対する思いが強いだけだと、彼はなかなか声のするほうに顔を向けようとはしなかった。するとまた、背後から聞こえる・・・の声。
「フィンクスさん!」
今度は、聞き間違いなどではない。はっきりと、背後から、それは聞こえた。反射的に声のするほうへ向き直ると、少しだけ大人びたの姿がそこにあった。幻覚でもない。そこに、確実にの姿はあった。
「・・・!!!」
言うが早いか、フィンクスはの元に駆け寄り、とっさに彼女の華奢な体を抱きしめていた。
「・・・く、苦しい・・・!」
「す、すまん・・・。つい・・・」
フィンクスは顔を真っ赤にさせて、を開放した。力の加減が上手くできていなかったようだ。
「何でお前、こんなところに・・・」
「フィンクスさんこそ、どうしてココに?」
疑問をぶつけ合う2人は、お互いに同様して二人同時に口を開いて投げかけられた問いに答えようとする。そのことでまた二人の時は止まってしまう。埒が明かないと思ったフィンクスは、お前から先に答えろとの回答を促した。
「実は・・・父が・・・父が亡くなってしまって・・・」
「そう、だったのか」
聞けば、新境地に引っ越したはいいものの、この3年間商売がうまくいかず心労が重なり体を壊し、流行り病に倒れついこの前死んでしまったと言う。フィンクスは、彼女の父がそうなってしまったのも全て、自分のせいだと思い言葉に詰まる。自身の近況を語り瞳に涙を浮かばせるだったが、そんなフィンクスの様子を見た彼女は、なぜあなたがそんな顔をするのかと問いかける。
「フィンクスさんの所為じゃありません。だから、そんな顔、しないでください」
「・・・それで、お前はなんで戻って来た」
「父が亡くなったあの街で、今後も生きていける自身がなくて戻ってきました。・・・でもここも、変わってしまったんですね。まるでゴーストタウンだわ」
彼女もまた、フィンクスと同じように感じていた。たった3年でこれほどまでに様変わりしてしまうものかと。ただ、自分のもと住んでいた家がそのまま残っていることにだけは安堵できた。彼女はおもむろに家の玄関に近づき、扉を開ける。ドアの軋む音が室内に響き渡る。埃っぽい室内ではやはり、あのときの血痕が目立っていた。部屋の隅には蜘蛛の巣が張られており、窓ガラスは曇って所々割れていた。ふと、は思い出した。フィンクスを狙って放たれた弾丸が、窓ガラスに当たって割れたその光景を。
「あの時のまま・・・」
「・・・」
思いつめた表情で、彼女はフィンクスに背を向けたままその場に立ちつづける。フィンクスのせいではないと言ったものの、やはり親子の関係や周りの環境が変わったのは、フィンクスと出会い、抗争にこの家が、二人が巻き込まれてからだ。本心からフィンクスのせいでないと言えるほどに、今の彼女は純朴ではいられなかった。人の心の穢れを、ゆがみを・・・そして残酷さを、あの日を含むこの3年間で十分に思い知らされてしまったのだ。彼女もまた、この街と同様に変化していた。もちろん、それを感じ取れないほどフィンクスも鈍くはない。
「そういえば、フィンクスさんがここにいる理由、聞いてませんね」
本心を偽り、彼女はフィンクスに微笑みかける。前の彼女には微塵も見られなかったその表情の歪みに違和を感じながらも、フィンクスは口を開く。
「・・・お前が、まだここにいると思った。会いにきたんだよ。お前に」
「・・・それは、どうして?」
彼は感情を隠す術を、躊躇いを、知らない。それをする必要がない環境で育ったためだ。ただ、なんだかむず痒い気持ちで話し辛い。しかし、言わなければすっきりしない。
「お前に、会いたかったんだよ」
「・・・私に?」
は困惑した。なぜ私に会いたいなんて・・・。
「あ、看病のお礼ですか?いいんですよ、あれは」
「違う!」
思わぬところで言葉を制され、さらに困惑を極める。しかし、頬を染めて必死に何か訴えようとするフィンクスの表情を見て、言葉を詰まらせる。
「もちろん、あのときのことには感謝してる・・・!ただな、オレが言いたいのは・・・3年も経ってお前に伝えたかったことってぇのは、それじゃ・・・それじゃねぇんだよ!」
「・・・フィンクスさん?」
「みなまで・・・言わせるつもりか・・・!」
フィンクスはを抱き上げ、無理やり家から外に連れ出した。
「え?え、どうゆうこと?」
連れ出されることに抵抗はしないが、フィンクスの突拍子も無い行動に驚きを隠せない。
「覚えてるか、おれの職業」
「た、確か・・・A級の盗賊さん・・・」
「正解。オレは、欲しいものは奪い取る主義だ」
「それって、どうゆう・・・」
「お前の気持ちは知らねえ。ただオレが、もうこんな思いしながら待つのがイヤなだけだ」
「待つ・・・?」
「オレはお前が欲しい。それだけだ。それに対するお前の気持ちが、どうかは知らねぇって言ってんだよ分かったか」
が彼をどう思っているか。そう、現時点で彼女は恋心など微塵も持ってはいない。そんな思いを抱かせる暇がないほど、この街を父と出てからの3年間は過酷なものだった。治安がいいと噂の街で、人のつながりの薄い都市部で、擦れていく人格。貧窮と苦心の末の父の豹変。1年と半年が過ぎたころには、元の暮らしに戻りたいという、郷愁の念が彼女には確かに沸き起こっていた。父が死んだ今、彼女には何も無い。孤独なのだ。頼るあてもなく、結局たどりついたのがスモーク・タウン。彼女の故郷だ。
そこに、フィンクスがいるなどと期待はまったくしていなかった。そんな彼に、よもやお前が欲しいなどと告げられるとは、夢にも思っていなかっただろう。しかし彼女は嬉しくて、泣いていた。久しぶりに感じた、人の体温。その体温は彼女のからだを包み込み落ち着かせる。孤独を少しだけ、忘れさせてくれる。
「お前が植えてくれたあの花、覚えてるか」
「はい。あの、黄色のお花」
「あれの花言葉をな、隣のじいさんが教えてくれたんだよ」
「なんなんですか?」
「“再会”だそうだ。・・・運命なんてもんを信じる性質じゃねえが、今回ばかりはそうも言ってられない。だからオレはお前を攫うぜ」
彼女はふと思い出す。父の死に際の言葉を。
「すまなかった。オレのせいで、お前には辛い思いをさせてしまった。思えば、あのフィンクスってやつは、悪いやつじゃなかったのかも知れない。ただ、自分たちと違うからと恐れを抱いて、突き放して逃げてしまったが・・・それが間違い・・・だったのかも、しれないな」
今となっては後の祭りだけどな。そう言って、久しぶりに父は微笑んでいた。それはとても自嘲的で、は死期の近い父の手を握って、泣いていた。
「もし、そうする気があるのなら、お前はあの街に戻って、オレのパン屋を継いでくれないか。流星街出身だったよな?あの男は。隣町だし、もしかしたら、またお前のことを守ってくれるかもしれない。なんて・・・ちょっとムシがよすぎるかな・・・」
そんな話をした後に、の父は眠るように息を引取った。知人などいない彼女は、ただ一人で父を見送った。故郷に連れ帰りたかったから、火葬にして骨壷だけを持って、ここに帰ってきた。
これで良かったのだと、今は思える。それも全て、フィンクスがここに偶然居合わせたから。もしも辿り着いたとき、一人きりだったら。途方にくれて、更に精神を病んでいたかもしれない。そんな想像をしただけで恐ろしく感じた。
「フィンクスさん・・・ありがとう」
「それは、攫っていいってことだな」
とりあえず、父の後を継ぐのは、彼に連れて行かれたあとに考えよう。今は、この心地よさに癒されていたい。はうれし涙をその瞳に浮かべて、ぎゅっとフィンクスにしがみついた。
彼女がフィンクスに思いを寄せるようになるのは、そう遠い話ではないかもしれない。