「歌、うまいのな」
街が夕日に包まれる頃、はいつもレコードを持ち出して、丘の上で歌っていた。緑の生い茂る丘ではないが、それでも彼女はとても気持ちよさそうに、綺麗な歌声で歌っていた。
その彼女が家から持ち出すレコードが、近所の悪ガキ共に虎視眈々と狙われていたことを、フィンクスは知っていたのだ。彼女がレコードを他の誰かに奪われて、泣いてしまわないように。まだ幼い頃のフィンクスは、まるで専属ガードマンのように、丘のふもとで彼女の歌声を聞いていた。
その日は何故か、今まで一度も話しかけたことのないに、話しかけてみたい気分になった。突然背後から話しかけられ驚いた彼女は、態勢を崩して腰掛けていたコンクリート廃材の上から転げ落ちる。
「・・・そんなにびっくりさせるつもりは無かったんだけどな」
「っ・・・・!は、恥ずかしい!」
「・・・?何で」
「聴いてたの!?」
「ああ。ってか、いつも聴いてる」
そう言って、フィンクスは彼女の座っていたところを横取りする。
「なんで・・・?」
「・・・このレコード。あんまり不用意に持ち出してちゃあぶないぜ」
「守ってくれてたの?」
「・・・ちっ、ちが・・・そんなんじゃねーよ」
目に見えて狼狽えるフィンクスを見て、おもしろがる。そんな彼女の無邪気な笑顔を見て、フィンクスはますます赤面する。
「ありがとう!」
「だ、だから、ちげぇって」
「ううん。歌、うまいって言ってくれて!」
「・・・あ、ああ。どう・・・いたしまして」
これがきっかけで、二人はたまに一緒に遊ぶようになった。しかし、その幸せも、そう長くは続かない。
二人が出会って3年後、は両親に街の外のマフィアに売られてしまった。連れ去られるの後ろ姿を、使いのマフィア3人にボコボコにされて起き上がることもままならずに、ただじっと、唇を噛み締めながら見つめることしか、当時のフィンクスにはできなかったのだ。
これは二人がまだ、12歳のころの話である。
後編
「・・・アタシにはもう・・・生きる術も気力も価値も・・・何も無いのよ・・・」
はボロボロに泣き崩れながら、必死に訴えた。
「アタシは・・・誰かに依存して生きていくことしか、できないの・・・。アンタたちはいいわよね。誰にも従わずに、好き勝手に暴れて生きていける。強いから。・・・この世で生き抜く術を持ってる・・・。けどね、私には何も無いの!!誰かに依存しないと、生きていけないの!!でも死にたくないの!!怖いの!!・・・この弱者の気持ちが、あんたたちに分かるっての!?ねえ、アタシこれからどうやって生きていけばいい!?教えて・・・教えてよ!!」
フェイタンはマッチーニを拘束しながら舌打ちをする。
「フィンクス。ささと終わらせて帰るよ。余計なお世話だたみたいね」
「・・・・・・」
フィンクスは思い出す。ボロボロに泣き崩れながら、幼い時分の彼を必死に振り返り、いやだ、離れたくない。そう叫ぶ彼女の姿を。
あの時、彼は誓ったのだ。いつか絶対にマフィアの手から、を取り返せるくらいに、強くなると。そして、二度とを泣かせない。
今、彼女に余計なお世話だと思われようと、そんなことはどうでもよかった。ただ、初恋の女の涙を見たくない。ただただ、その一心でいた。
「・・・お前、持ってるだろ。生き抜く術ってやつ・・・」
「そんなもの・・・私に・・・」
「いや。あるさ。歌ってたじゃねーか。・・・さっきまで」
「あんなの、誰も聴いてない・・・。アタシの歌声なんて、誰も・・・」
「いや。聴いてる。・・・少なくともオレは・・・昔からお前の・・・」
バン!!
突如、凄まじい破裂音が響き渡る。そして、目の前でくずおれるの姿。
「・・・おい。フェイタン・・・てめぇ・・・」
「気づいてたよ。生き残りがいることくらい。女を狙ってるのにも気づいてた」
「・・・お前なあ・・・マジで、言えよ!」
「助けてやったのに、態度悪いが悪いよ」
「・・・はぁ・・・」
ため息をついて、フィンクスは発砲元を睨みつける。
「ひ・・・ヒヒヒ・・・ファミリーに、楯突いた・・・報い」
言い終わるや否や、フィンクスは床に伏していた男の顔面を踏み潰す。床に穴が空く程に。そして、ゆっくりとの元に近寄って、彼女の体を抱きかかえる。気を失っている彼女の左肩からは、どくどくと赤い血が流れ出ていた。
「ふっ・・・ざまぁねーな」
マッチーニがそう言って笑うが、フィンクスは意に介すことなく部屋を出て行こうとする。それを引き止めたのはフェイタンだった。
「待つね。こいつ、どうするか」
「好きにしろ。拷問してーんだろ」
フィンクスがフェイタンの方を振り向いた時には、真っ赤な血しぶきが、マッチーにの首から吹き出していた。
「かっ・・・ぐぁっ・・・」
床に転がってうめくマッチーにを一瞥して、フェイタンは舌を打つ。
「・・・フィンクス、お前、わたしの楽しみことごとく奪ていくね」
「を怪我させたお返しだバカヤロー」
知ったことじゃないと言い返してやろうと思ったフェイタンだったが、それをする前にフィンクスは部屋を出て行った。
そもそも、戸籍を持たない二人が、怪我をしたからと言って正規の病院に入院できるわけが無い。なら闇医者の居場所くらい知っているかもしれないが、その肝心のが気絶していては、この地のことを何も知らないフィンクスが闇医者を探すのは難しいことだろう。そんなことをぼんやりと考え、フェイタンは我に返る。
「・・・てか結局あいつ、何しに来たか・・・」
そして、ほとんど仕事をしなかった相方に呆れながらも、ホームへと向かったのだった。
「嫌!離して!フィンクス!!フィンクス!!お願い、フィンクスを離して!!」
幼いが、涙を流してボロボロに泣き崩れながら、少年を殴るマフィアを止めようと、必死に叫んでいた。その少年とは、幼き日のフィンクスである。
「お願い!何でもするから・・・!なんでもするから許してあげて!!」
その言葉が、を娼婦へと導いたのかもしれない。フィンクスは、の願いを聞いたマフィアの顔が、下衆な笑みを浮かべたのをしっかりと覚えていたのだ。
あれから今自分が抱えているこの美女が、どれほど辛い思いをして生きてきたかを想像するだけで、幼い頃の弱い自分が憎らしく思えた。
(オレはお前の歌が・・・いや、お前が・・・好きなんだよ・・・!)
決して口にすることのできないこの思い。せめて、彼女の好きなことができるように・・・歌を歌えるようにしてやりたい。何と非難されようと構わない。ただただ、フィンクスはを愛し、助けたい一心で、雨の降る街を駆け抜ける。
「おい!そこのあんた!」
薄暗い路地に灯るランプの明かり。その下に、フィンクスとその腕に抱えられたを見る老人が、キセルをふかせながらこちらを見ていた。
「そのじょーちゃん、ワシが診てやろうか」
「あんた、医者か!?」
「ああ。正規の医者じゃないがね。アンタもその方が都合よかろう?」
「・・・頼む!」
こうしての左肩に埋まった弾丸の摘出手術が始まった。手術中、そしてその後が目を覚ますまでの間、フィンクスは一睡もせずにの目覚めを待ったという。