囚われの青い鳥




 人の心というものはなかなか思うようにならないものだ。それは分かっていたことなので憤りはしないが、実際にうまくことが運べないと、どうしてこうなったと今さら考えても仕方のないこと――本人にしか正解は示せないようなこと――に、頭を悩ませるはめになる。

 そもそも、そんなことをぼうっと考えるクロロ・ルシルフルが女を相手に思うように出来なかったのは初めてのことだった。

 クロロはホームの大広間に鎮座する本革製でボルドー色の大きなチェスターフィールドソファに腰掛けて、手放した宝――つまりを思い、うっすらと笑みを浮かべた。

 結局クロロはから、彼が求める物すべては得られなかった。いや、ほとんどだ。ほとんど得られていない。彼が道半ばで宝を手放すのは初めてのことだ。だが、もちろん彼にこのまま終わらせるつもりなど毛頭ない。

 勘のいいシャルナークならあるいは、オレの思惑に気付いているかもしれない。……いや、十中八九気付いているだろうな。あいつは勘がいいだけでなく、行間やその場の空気を読むのが上手い。恐らくパクノダに次いで、そういう能力に秀でている。だからきっとうまくやったはずだ。

 一方のフェイタンというやつは、人と関わりを持つのが苦手だ。行間や読むべき空気という概念が彼には無い。言われたことは完璧にそつなくやってのけるが、言われなかったことまで気を利かせてやろうという考えはない。それが悪いと言っている訳ではない。だからこそ彼はどこまでも冷徹に、そして即座に、言われたことだけをしっかりとやり通すことができるのだから。

 しかし直近でオレが与えた命令は果たされなかった。期待はしていたさ。がフェイタンに好意を寄せていたのだから。だが、その思いを超えたところで、は絶望していたようだ。要は、先の特性を持つ彼にはかなり難易度の高い……と、言うよりも、完全に専門外の仕事だったということだ。だから果たされなかった。それだけだ。オレもそもそも、こうなるんじゃないかという予想はしていたんだ。何も問題は無い。

 クロロはちらと横目に、対面するソファーの斜向かいに腰掛け本を読むフェイタンを見やった。表情の半分はいつも通り隠れていて、凜とした切れ長の目が本の文字列を追っている。見たところ、いつも通りのフェイタンだ。そう見えて実は、内側で激情を滾らせていたりするのだろうか。

 とにかくこの一件で、フェイタンの意外な、人間らしい一面を見られて面白かった。それに、宝は簡単に手に入れられるようでは面白くない。苦労して手に入れるからこそ、その美しさはひときわ輝くものだ。――緋の目然り、パーゴスウェイの秘宝、もまた然りだ。
 
 ふと、クロロは部屋の入口を見やった。一仕事終えたシャルナークとウボォーギンが戻ってきたのだ。気づけば外はすっかり暗くなっている。シャルナークがを連れてここを出たのは昨日の昼のこと。無事金を手に入れたと、シャルナークから連絡が入ったのは今日の朝一時とか、そのくらいだった。少し帰りが遅い気がしたが、ウボォーギンが両腕に抱えた大量の酒類を見て察しがついた。それらを手に入れるために街の方へ寄ったのだろう。打ち上げという口実でここぞとばかりに酒を飲もうという魂胆らしい。

 まったく、まだ仕事は終わっていないというのに。

 クロロはそう思ったが、口には出さずに微笑むに留めた。どうあれ、自分たちは楽しく飲むこの時のために生きている。必要なのは結果ではなく、そこに至るまでの過程だ。過程が良ければ全て良し。大抵の場合、過程が楽しければ結果はついてくるものだからだ。今はまだ道半ばだと知る者は限られているし、道半ばでも楽しいのだから、水を差すようなことはしないでおこう。






22:真意







 今宵の酒盛りに参加するのは、クロロ、フェイタン、外国で余暇を過ごして久しぶりにホームへ帰ってきたパクノダに、暇を持て余してテレビゲームに没頭していたフィンクス、二階で寝ていたノブナガ、そして先程帰ってきたシャルナークとウボォーギンの七人だった。

 酒が入ると口が軽くなる人間がここには数名いる。性格と念の系統との間に因果関係でもあるのか、強化系三人がそれにあたる。筆頭に挙げられるのはフィンクスだろう。

「お前、本当にあれで良かったのか? ちゃんとは結局何も言わねーまま別れたんだろ?」

 絶対に話題にしてほしくなかったような、迷惑そうな、それを超えて殺意を滲ませたような顔をしたフェイタンが、話を始めたフィンクスをねめつけた。
 
「別れるも何も、と付き合てたつもりないね」
「ちげーんだよ。別に付き合っていようがいまいが、お別れの言葉を交すくらいはしたっていいだろうが」
ちゃん、とーっても寂しそうだったよー?」

 これ以上膨らませたくない会話にシャルナークが便乗してくる。フィンクスとシャルナーク。こいつらはそれぞれに知らなくていいことを知っている。だが、過剰に反応を見せるのは控えたほうがいいだろう。“本気だ”と悟られかねない。過ぎ去ったことにするつもりも無いことまで、悟られかねない。

 フェイタンは無感情に言った。

「それ、ワタシに関係ないね」
「とても無関係と言えるような仲じゃないように見えたから言ったんだけど」
「それな! こいつ、二階でちゃんと寝て――」

 フィンクスが上階を指差しながらそう口走った途端、フェイタンは脇に置いておいた仕込み刀を抜いて、その切先をフィンクスの喉元に向けた。フィンクスは大して驚いた様子も見せずにじっと相方を見た。

「それ以上、そのことについて喋たら刺すよ」
「ったく。せっかくの楽しい雰囲気が台無しじゃねーか」
「台無しにしたのはお前よ」
「ちょ、ちょっと待って。……寝たの?」

 シャルナークが訊ねた。フェイタンはフィンクスの喉に刃を向けたまま静止している。
 
「寝るって、ただの添い寝……なわけねーよな」

 ノブナガが言った。パクノダは眉根を寄せて、不快感を滲ませた。

「なんつーか、フェイだってちゃんと男だったってわけだ」

 ノブナガはあごひげを手でいじりながら、いつもの気だるげな若気顔でしみじみと言った。

「シャル。そう驚くようなことでもあるめーよ?」
「いや、だってさ、まさかちゃんとそこまでの関係になってたなんて思わなくて。だって、あのフェイタンがだよ? 人を慈しむ心がまるまる加虐的な欲求に置き換わってるような残虐非道の拷問担当がだよ?? ちゃん、お別れするときまでちゃんと生きてたよ??」
「へえーっ! フェイ! おめーも中々スミに置けねー男だな! 痛めつけられてたようには見えなかったからよ、マジで優しくしてやってたんじゃねーか?」

 とうとう話はウボォーギンをも巻き込んだ。フィンクスは満足気に笑って、盛り上がりを見せた会話に便乗しようと、喉元に据えられた刃を利き手の人差し指と中指の先で退けて、フェイタンの前から居なくなった。パクノダは缶ビールを一つ手に取ると、はぁ、と溜め息を漏らしながら外へ出ていく。それが災いしてか、話の内容はどんどん下世話な方へと向っていった。

「ふーっ! フェイ、お前意外と優しいとこあんのなー」
「優しくしてって言われて言われるがまま優しくしちゃうヤツだな!」
「おいおい、オレそんなこと言われたことねーぞ!」
「バッカおめー、その規格外の体相手にするような女が優しくして欲しい、なんて言う訳ねーだろ」
「そりゃそうかもなぁ。オレとヤりたがる女がいたとしたら、大抵がデカさに期待してるだろうからな」
「ウボォーさいてー」
「こればっかりは事実だぜ。残念ながら。だからよぉ、オレはフェイが羨ましいんだ」
「すげー含みあるよな?」
「含みなんかねーさ。もしそう感じたなら、単なる被害妄想ってもんだ」

 男たちの品性下劣な会話。シャルナークは引き気味で、クロロは完全に我関せず。酒を飲みながら本を読んでいる。どこか楽しげに、うっすらと微笑んでいるようにも見えるが、フェイタンの意識は完全に強化系三人組に向けられていた。

 見てみろ、みんな強化系だ。強化系のヤツらはこれだから嫌いなんだ。後先考えずに、好き勝手に喋りまくる。無神経な言葉で神経を逆撫でてくる。

 “小さい”と暗に言われた気がしてイラついているのではない。ほとぼりが冷めるまで――例えば、シャルナークがという女のことや、今回の仕事のことを忘れるまでとか、クロロがを完全に諦めたのだと分かるまでとか、自分が余暇をもらって好きに行動できるまで――のことは忘れていようと思ったのに思い出すことになった。あろうことか、彼女をネタに下世話にも程がある話で盛り上がって――何を頭に思い描いてる? お前らは、がオレとどうなってるところを想像してるんだ? いや、のどんな姿を思い描いてる?――を穢している。

 そんなことは許されない。だからあの、を穢した男はぐちゃぐちゃにしてやった。籠に囲って好きにしようとしていた、あのリュービとかいう男も、もう二度と蘇ることができないように、めちゃくちゃにしてやった。を国ぐるみで囚えて蹂躙しようとしていた国家元首のジジイも殺してやった。邪魔になるものは全部、全部排除してきた。なのに、どうして思うようにいかなかった? どうしては、オレを愛さなかった? あの、天真爛漫で、邪気のない笑顔を向けてきたを、再びオレのものにできるのか? これから、どこに流れたかも知れないを見つけ出すことができて、囲われた籠から救い出すことができたとして、その後は?

 また囲う。囲って、今度こそ、完全にオレのものにする。そのつもりでいた。だが、離れる時間が長くなればなるほど、の心も離れていく――いや、すでに離れていたのかもしれない。リュービを殺してぐちゃぐちゃにしてやったと告げた、あの日から、ものすごい速度で――ようで恐ろしい。仮に彼女を取り戻したとしても、思い通りにならなくて、今のようにイラついて、手にかけてしまうんじゃないか。なら、どうすればいい? どうすれば、あいつはまた、オレに笑いかけてくれる?

「クソが……。余計なこと思い出させやがって……!!」

 ボソ、とフェイタンが何か言った。クロロはゆっくりと頭をもたげ、オーラを滲ませはじめたフェイタンを見つめた。彼を纏うオーラはやがて変化して、実態を伴う衣服へと変貌しかける。

「フェイタン」

 クロロが声を上げた。気付けば皆、酒を手放し話をやめ、フェイタンと距離を取り、臨戦態勢となっていた。

「お前のその能力は“心の傷”にも反応して威力は増すのか? もしそうなら面白い発見だな。肉体的な痛み、受傷そのものではなく、お前の怒りという感情が能力発動のトリガーなのか? まあいいとりあえず、落ち着け」

 団長命令だ。手足は頭の言うことを聞くのが大原則。ついでに言うと、団員同士のマジギレはご法度だ。今はフェイタンがひとりで勝手にマジギレ寸前になっているだけなのだが、この決め事の趣旨は“蜘蛛の手足が絡まるなり、換えもないのに無くなるなりを避ける”ことにある。つまり、フェイタンが念能力を発動して旅団の半数がやられる、なんてことに、クロロはしたくなかった。もちろん、そんなことにならない自信は皆にあるのだが。

「お前は今、何を考えていた?」
「クソみたいな話で勝手に盛り上がてる奴らがうるさくて殺してやりたくなただけよ」
「……本当にそうか?」

 クロロの、じっと見つめているとそのまま吸い込まれて、自分の全てをあばかれてしまいそうになるような、彼の瞳が、フェイタンの真意を探っていた。

「当ててみせようか。それとも、言わないほうがいいか?」
「言わないほうがいい。ここにいる人間とか、このホームがどうなるか、保証できないよ」
「わかった。なら、これだけは言っておこう」

 フェイタンはクロロの瞳から目を逸らさず、元より糸のように細い目をさらに細め、次の言葉を待った。

「オレはを完全に手放したつもりはない。お前には悪いがな」

 それを聞いたシャルナークは、フェイタンに見えない所でにっこりと笑みを浮かべていた。