囚われの青い鳥




 フェイタンはがらんとした廊下に立ちつくし、古ぼけた木製のドアのノブをしばらく見つめていた。その間、クロロの言葉を頭の中で反芻していたのだが、彼には何が彼女にとって幸せとなるのかが分からなかった。がここへ連れてこられた時、彼女は確かにフェイタンのことを好きだと言った。好き、という言葉を相手に投げかけることがほとんど無いに等しい彼にとって、幸せという気持ちを起こさせるために彼女に与えるべき物は何か、と想像すること自体がそもそも難しかった。

 彼女は遠くない未来にアンダーグラウンドオークションに品物として出品される。飴を与えて鞭でどん底に叩き落すかのような行為に、フェイタンは嫌悪感を抱いた。これまで散々人の命を拷問と言う残虐行為の果てに殺してきた彼は、その対象者を一度も憐れんだことは無い。しかし、に対しては哀れみの念を抱けずにはいられなかった。それによってが精神的に死んでしまうことは容易に想像できたからだ。さらに、自分の元からいずれ離れなければならないと散々言われ聞かせれている彼女は、そもそも素直に喜べないのではないかと、一抹の不安がよぎる。それには、団長の命令を全うできないのではないかという不安も孕んでいた。

 しかし、彼は何度もに告げていた。自分がどう思うかなど関係ない。全ては団長の意思のままだと。そのことを思い出して、フェイタンはドアノブに手をかけ、ノックすることもなくのいる部屋の扉を開けた。

(違う。最終的にが幸せになれるかどうかじゃない。がここにいる間、幸せだと思えるようにすればいいだけね・・・)

 はノックも無しに扉が開かれる音に驚き、振り向いた。そして、そこに立つフェイタンの姿を見て、ひどく動揺した。

「フェイタン・・・」

 彼女がこの部屋に閉じ込められるようになって、そろそろ3日が経とうとしていた。だが、ただの3日だ。まだそれだけの時間しか経っていないのに、人の表情とはこうも変わるものか、とフェイタンは驚いた。

 彼女が湖から連れ出され、リュービが死んだと聞かされた時から既に精神的衰弱は始まっていたのかもしれない。それにしても、フェイタンの目には、彼の元から離れてからの彼女の表情の変化が特に著しく映っていた。出会った頃の天真爛漫な姿を思い起こすことすら最早困難な程に、彼女の表情は死んでいる。幾度となく泣きはらした瞳は見開かれることなく、まったく生気が感じられない。

「なんて顔してるかお前」
「何しに来たの。・・・もう会いたくなんて、無かったのにっ・・・」

 そう言っては顔を伏せ、抱きかかえていたクッションに爪を立てて泣き出した。フェイタンは彼女の名前を呼びながら、ゆっくりと彼女との距離を縮めていった。

「お前、そうやって何度泣いたか」
「・・・そんなの、数えてない。たくさん、だよ・・・」
「お前は、そうやて泣いてるとき、何を考えてたか」
「あなたには関係ない」
「リュービのことか」
「だから、関係ないってばっ・・・!」

 怒りを露わにして、はフェイタンがいるであろう方向に顔向けたのだが、彼の姿が彼女の瞳で捉えられることは無かった。代わりに、フェイタンの体温が彼女の身体を包み込む。

「ワタシは・・・お前のことばかり、考えてたよ」
「・・・っ。嘘、言わないで」
「嘘じゃないよ、。ワタシ、団長には逆らえない。でも、だからてお前のことどうでもいいと思てるわけじゃない。リュービを殺したのは、本人に頼まれたからよ。でも、アイツの顔見てると、お前が好きなのがワタシじゃなくて、リュービなんだと思い知らされるようで、アイツが憎くてたまらなかた。だから、殺せと言われて何の躊躇いも無く殺したし、その後、アイツの顔踏んで、ぐちゃぐちゃにした。それで気が晴れたと思た。でも、お前は人の気も知らずに、死んだリュービのこと心配して苦しそうだたかなんて聞く。どうしたらお前が、リュービのことを忘れられるかて、そんなことばかり考えてたよ」

 フェイタンがに向かってこれほど長く話をしたのは初めてだった。そして、彼の本心から語られているであろう甘言を聞いて、突き返そうと彼の胸に当てていたの両手からは段々と力が抜けていく。

「・・・私は、先生のことばっかり考えてた。私が、もっとちゃんとしてれば、先生は死ななくて良かったかもしれないって。フェイタンにも会わずに済んだかもしれないって」

 彼女がそう言い終わった時、フェイタンは彼女をベッドへ押し倒した。憎しみや憤りなど、人間が抱きうる負の感情を凝縮したような形相で、フェイタンはを見下ろしていた。普段マスクをしていて見えない口元が今は露わになっている。下唇を噛んで、沸き起こる怒りを懸命にこらえているかのように見えた。

(ああ。やぱり、ダメだたか・・・)

 彼は衝動を抑えられなかった。これを予期していたから、にはもう会いたくなかったのだ。と声に出さずに独り言つ。

「なら、しょうがないね。何も考えられなくしてやるよ」

 彼がに長々と話したのは、本心だった。気が付いたら身体が勝手に動いてを抱きしめていたし、気が付いたらいつの間にか押さえこんでいたはずの感情がぺらぺらと紡がれていた。それに対して、煽るように、それかフェイタンをわざと拒否するかのように、はリュービのことを未だに愛しているとほのめかしてきた。

 殺したヤツが生き返るなら、また殺してやりたい。何度でも、何度でも、この嫉妬心が消えて無くなるまで、永遠に殺し続けてやりたい。

「声、我慢するね」

 そう言ってフェイタンはの口を己の口で塞ぎ、いつぞやの様に彼女を犯し始めた。






18:溢れる思い







「どうだ、フェイタン。の機嫌は直りそうか」

 大広間に戻ったフェイタンに、クロロはそう問いかけた。問いかけられた本人は、一言も発することなく首を横に振り、クロロの腰掛けるソファーの対面に腰を下ろす。

「一日二日じゃ無理よ団長。・・・あれ、時間かかるね」
「で?フェイタン。お前一体2階で何やってたんだよ?とんでもねー音が聞こえてきそうだったから、自分の部屋にも戻れなかったぜ」

 フィンクスは相変わらず、フェイタンの神経を敢えて逆なでするかのような軽口を叩いてニヤついていた。フェイタンはそれを受けて、隣に座るフィンクスをキッと睨みつけるだけで、逐一反応するのも面倒だという風にフィンクスから顔を背けた。

「フェイタン。特に急がなくていい。彼女の表情が徐々に変わっていくのを観察するのも楽しいかもしれないからな。ところで・・・」

 クロロは少し言いよどむようなそぶりを見せて、少しして事もなげにこう言い放った。

「彼女と寝たのはこれで何度目だ」

 フェイタンとフィンクスは、打ちっ放しのコンクリートで囲まれた部屋で響いたクロロの言葉に呆気を取られた。フィンクスは、やはりオレの勘は当たっていたんだ。と思った。フェイタンは、既にばれていたのだと、茫然自失とした。

「ああ。いいんだ。オレは別に彼女をオンナとして所有しているつもりはないからな。ただ、女性は肉体的快感よりも、精神的幸福感を行為に求めるものだ。だから、ひどく抱くんじゃなくて、ちゃんと愛してるとか囁いてやって、優しく、こわれものに触れるかのような手つきで、抱いてやるんだ。今のお前のやり方じゃ何度抱いても彼女は心を開かないぞ」
「お、おい団長。一体何を・・・」
「フェイタンはそれを分かっていないだろうから助言してやってるだけだが?」
「・・・団長の口からそんな助言が出てくるとは思わなかったぜ」

 まさか、あの部屋にカメラでも仕掛けていたんじゃないかと、フェイタンは勘繰った。だが、クロロは、ブラフで発した「何度目だ?」という問いに対して見せたフェイタンの態度で、彼女と寝たのは確実と判断しただけだった。そして、の心からの笑顔を見るため、幸福感を宿したクリスタルの輝きを最短期間で手に入れるために、何かの書物で得た知識をフェイタンへ与えてやっているだけに過ぎなかった。

「団長。それは、ワタシがに何をしてもいいてことか」
「殺す以外・・・そして、彼女を悲しませるようなことでなければ、何をしてもいい。いや・・・。お前が求めている答えは恐らく違うな。お前が一人の男として、彼女を愛そうが遊ぼうが好きにしろ。オレが求める物を手に入れられればそれでいい」

 フェイタンはその言葉を聞いて安堵した。今しがた彼がを犯したということをクロロに見透かされていたことで沸き起こっていた羞恥心よりも、その安堵の方が上回っていた。今まで、散々団長の宝となるという女に執着することを、そして彼女を穢すことを、クロロへの裏切りに等しいと感じていた彼が呵責から解放された瞬間だった。

「なんなら、ずっと一緒にいたっていいぞ。お前の部屋に連れ込んだってかまわない。オレが彼女と面会する時間は都度伝える」

 クロロは最後にそう言って、席を離れた。フィンクスは扉の向こうに消えゆくクロロの後姿を、ただただ呆然と見ていた。

「何呆けた顔してるか。フィンクス」
「・・・・・ったくよぉ。お前もお前だぜ。何ちゃっかりおこぼれもらってんだよ羨ましい・・・」

 オレなんてもう何か月ってご無沙汰なんだぜ。と、フェイタンは同僚の耳に入れたくも無い愚痴を大人しく聞き流しながら、先程のの表情を思い浮かべていた。

(・・・何か決意でもしたみたいな顔だたね)

 ここにを連れてくる前にフェイタンが彼女を抱いた時、彼女は確かに幸せそうだった。女の悦びを既に知っていた彼女は、痛みだとか苦しみを感じている風には見えず、ただ快感と幸福感に身を委ねているように見えた。しかし、先ほどのはそうではなかった。リュービが生きているという希望を抱かされた後すぐ、フェイタンにそれを絶たれた事を知って絶望の淵に追いやられた結果現れた絶望の色とその他に、彼女の表情には何か決意めいたものをフェイタンは感じていた。

 彼女は確かに抵抗していた。フェイタンの身なりからは少しも想像できない“男の力”に、彼女は確かに抗おうともがいていた。はじめのそれは犯すと言うよりも動意の上での行為のように感じられたが、今回はまさにフェイタンが強姦している気分になるような行為だった。

(・・・まあ。もうそれも関係ないか・・・)

 彼こそがこう心に決めていた。彼の求めるままに、気の赴くままに彼女を愛すると。それは歪んだ愛情表現に他ならなかったが、団長に助言を受けたような“愛”を他人に注ぐ要領など彼は知らない。相手がそれを求めようがいまいが関係無い。彼はただ、彼の欲するものを手に入れるために動く。

「・・・フィンクス。それ、まだ余てるか?」

 フェイタンはフィンクスが手にしている皿を指してそう尋ねた。その皿には、ピラフとエビフライの残骸―――甲殻類の尻尾だけが残っていた。

「あ、ああ。キッチンにあるぜ。シャルナークがこさえて出て行った。そのって女にも持って行ってやったらどうだ」

 つい先ほどまでシャルナークとはどっちがに食事を持っていくかと揉めていたのに、今ではそれを率先してやろうという気が起こっていることに、フェイタンは驚いた。団長の物である彼女だったが、団長にはもうどうしたっていいというお達しがあったのだ。今となっては躊躇いなど少しも無く、彼の感情や欲望にブレーキをかける物は何もない。

 その想いを、が受け止められるのか・・・受け止めるつもりがあるのか、フェイタンは知らないし、知らなくても何も問題は無いと思っていた。

 フェイタンはキッチンに残っていたピラフとエビフライを、自分の分との分の二皿分を取り分け、再び の元へと戻るべく、大広間の扉を開く。

「フェイタン。あんまいじめてやるんじゃねーぞ。しつこいと嫌われるからな」
「余計なお世話ね」

 相棒の、どこか大人びて見える後姿を見送ったフィンクスは、ひとり取り残された大広間で天を仰いだ。