「。君のことを聞かせてくれないか」
が幻影旅団のホームに囚われて3日程経ったときのことだった。クロロはまた予告なく彼女の部屋に訪れ、ベッド脇に置いてあるスツールに腰掛けると、突然彼女にそう問いかけた。
今までクロロが彼女に尋ねていたのは、どの文献を漁っても記されていなかったパーゴスウェイ国の郷土史みたいなものだった。はある程度、パーゴスウェイ国の成り立ちを学習していたので、クロロの質問には大方回答することができた。パーゴスウェイ国は国として自立してすぐに壁を作ったので、その存在や歴史などというものは他国にほとんど知られていない。壁から抜け出したの存在は世界的に見てもかなり貴重な存在かもしれない。そのことも相まって、クロロはの口から語られる話をとても熱心に聞いていたし、彼の視線は彼女の顔からほとんど外されることは無かった。
話を聞き終わったクロロは部屋を出る前に決まって、俯くの顔を優しく掬い上げ、双眼のクリスタルを見つめて出ていくのだが、はクロロに見つめられるのが恐ろしかった。全てを吸い込んでしまいそうな真っ暗な闇。彼の目はそれだった。とても純粋な黒・・・だが、残酷に、全てを攫って行きそうな闇がそこにあった。
そんな彼が、まさかパーゴスウェイ人や国そのものでなく、自身のことについて聞いてくるとは思ってもみなかったは、唐突にそう問われて戸惑った。一体何故、そんなことを聞く必要があるのだろう。
「私の・・・ことですか」
「そうだ。どこで生まれて、どんな環境で幼少期を過ごし、フェイタンにここに連れてこられるまで、どんな生活を送ってきたか。それを教えてくれればいい」
“フェイタン”と聞いた時のあからさまなの動揺を、クロロは見逃さなかった。現時点で、彼女がなぜそんな反応を見せるのか、理由は分からなかった彼だが、に自分の存在について語らせることで自ずと分かってくることだろうと思っていた。
「私は・・・小さな商店を営む母の元に生まれました。物心付いた時には既に父は死んでいて、母も私が8歳の時に病で死にました。その後、他に頼れる親族もいなかった私は、町の小さなクリニックを営む男性の元で学習し働くことと引き換えに、養っていただくことになりました。先生の名前は・・・クリムゾン=リュービ・・・」
先生と慕う男の名前を口にした途端、の片側の目尻から涙が流れ落ちていった。クロロはすかさず彼女の柔らかく白い頬に一本の指を這わせ、涙を拭い去る。
「泣いてばかりだな。。いや、オレが泣かせてしまっているんだよな。・・・それで、君はその町医者の元で、何をしていたんだ?」
彼女は涙を拭いながら話を続けた。彼女がクリニックで学んだこと、担っていたこと。リュービのことと、だんだんとリュービの様子がおかしくなっていったこと。その後すぐに自分が冤罪で囚われたこと。牢獄から助け出され、森の中のコテージに匿われていたこと・・・。
今日はここまで。といつもなら打ち切られるくらいの時間が過ぎても、の話は終わることがなかったが、クロロは興味深げに彼女の話を聞いていた。
あらかじめ、シャルナークから、パーゴスウェイ国が裏でやっていたことについては報告を受けていたが、の目線で語られるその惨劇はまた新鮮に感じられた。まるで悲劇の物語、あるいは陰鬱な雰囲気のサスペンス小説を読んで聞かされているような気分にする彼女の経験―――ノンフィクションのヒューマンドラマは、クロロの好奇心を際限なく煽った。
ところどころ疑問に思った点などで言葉を挟んでいた彼だったが、フェイタンがその“ドラマ”に出てきたところで、彼女が彼女自身の感情などについて話さなくなったことに気付く。あったことを、そのまま機械的に話していた。
そうして、の話が、フェイタンとシャルナークにここまで連れてこられた、と言うところで終わった。
「ありがとう。すごい壮絶な人生だな。最も、お前の人生を壮絶にしているのはオレ達、幻影旅団以外の何者でもない気がするが・・・」
「幻影・・・旅団?それって・・・クロロさんたちが・・・そう、なんですか?」
「・・・フェイタンからは聞いてなかったのか?」
フェイタンは一度たりともに自分たちが何者かは明かさなかった。“盗賊”とだけ伝えていたのだ。もちろん、フェイタンは特に何も考えずにそうしていたのだが、は訝しく思ってしまった。わざと自分たちの正体を隠していたのか。眼を抉り取るなどという悍ましいことをやってのけた人間だと、クルタ族と同様に瞳に宝を宿す民族相手に明かしてしまえば、十中八九抵抗されるだろうから・・・。
は、幻影旅団を知っている。言ってしまえば、この、目の前に座っている男の欲望による世紀の大虐殺が、パーゴスウェイ国に壁を作らせたし、国の頭首を猟奇的な思想に傾倒させた。直接的で無いにしても、彼ら幻影旅団さえいなければ、彼女の時は今とは比べ物にならないほど穏やかに過ぎていったかもしれない。
だが、の心の中で不思議と怒りの感情は湧かなかった。幻影旅団という存在は、彼女を悲劇に追い込んだ直接的原因では無いからだ。たらればの話をするのはお門違いだし、もしフェイタンがを攫いに来なかったら、きっと彼女は一生をあのコテージで過ごすか、除念師でも連れてこられて監獄へ逆戻り。どちらにせよ、囚われの身であることに変わりは無い。
今も囚われの身だが、悍ましい実験台にされる未来を待つよりは、大分マシに思えた。
「ところで。お前にとって、リュービという男は何だったんだ?お前の話し方から察するに、どうも恩師以上の何かであったように思えるんだが・・・」
「・・・っ、私・・・」
「なるほど。愛していたんだな。彼のことを」
「何で分かったんですか」
「。自分で気づいていないかもしれないが、お前は感情が表に出過ぎだ。オレはまともに恋愛なんてしたことが無いが、そんなオレにすら分かるほど顔に出てる」
「・・・そうです。最愛の人を、亡くしたんです。だから、もう、出て行ってください・・・!」
「そして。お前にとってフェイタンはどういう存在なんだ」
の要望は、何の反応も返されずに却下され、代わりに返ってきたのは、彼女が今一番思い出したくない人間の名前だった。
「・・・どういうって、私のこと捕まえに来た・・・ただの盗賊さんです。それ以上の何者でも・・・」
「いいや。お前が初めてオレの部屋に入った時、お前が、離れて行くフェイタンをまるで縋りつくかのような目で追っていたのを覚えている。今日だってオレがあいつの名前を口にするたびに、少しだが緊張したり動揺したりしていた」
はどう伝えるべきか分からなかった。もしここで、フェイタンのことが好きだとクロロに伝えてしまったら、きっとフェイタンに迷惑だろうな。と思った。きっと、これなら彼の追求から逃げおおせるかもしれない。そう思って、は言った。
「フェイタンの顔が、先生に似ていたんです。似てる、なんてものじゃなかったかも・・・。生き写しに見えました」
「・・・ストックホルム・シンドロームだな。」
「え・・・?」
「お前のその感情は、まさにそれだ。誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることで、犯人に対して過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。生存戦略として本能がそうさせているのかどうか知らないが・・・」
「感情って・・・一体何のことですか」
「お前、フェイタンのことを好きになってしまったんだよな?」
瞬間、クロロは席を立ち部屋を出て行った。はその後ひと時、ただ呆然と、クロロのいた場所をじっと眺め続けた。
16:団長命令
クロロは打開策を得た。彼女に幸福感を得させる方法を思い付いたのだ。の話を聞いた限りでは、彼女は今悲劇のどん底にいる。話を聞き終わった時点では、もう何をやっても彼女に幸福感を与えることはできないのではないかと半ばあきらめてはいたが、最後の最後で活路を見出すことができた。
フェイタンと一緒にいさせれば、恐らく彼女に幸福感を与えることができる。一体何が原因でそうなったのかは全く見当もつかないし、冷酷なアサシンに惚れ込む女がよもやいるとは思わなかったクロロだったが、それが彼女の様々な表情を見る最後の手段だと確信した。
クロロは足早に階段を駆け下り、フェイタンがいるであろう大広間の扉を勢いよく開け放った。ウボォーギンが上機嫌で帰って来たのかと思わせるほどに勢いよく開いた扉の向こうを、大広間にいたメンバー全員が一斉に見る。
フェイタン、フィンクス、シャルナークの3人だった。
「どうした団長。珍しく元気いっぱいだな」
フィンクスがいの一番に反応するのだが、そんな彼の問いかけには一切応じることなく、クロロはずかずかとフェイタンの前まで進んでいった。
「フェイタン。話がある」
「・・・何か。団長」
「に優しくしてやってくれ」
「・・・・・・・・・・・・は?」
フェイタンは呆れた様子で間の抜けた声を上げた。
「団長。気は確かか?」
「確かだ。・・・全く。お前もなかなか隅に置けない男だな」
「・・・いたい何の話か・・・」
「はお前のことが好きになってしまったようだ。だから、彼女のことを喜ばせて欲しい」
「団長。どうしてそうなるのか、訳を教えてほしいね・・・」
珍しくタジタジな様子のフェイタンの様子に、シャルナークは含み笑いをした。ついさっき、シャルナークの喉元に仕込み刀の切っ先を突き立てたときは、恐ろしいほどの殺気を放ちながら牽制してきたというのに、今は団長に彼がしたのと同じような話を振られて反論できずにいる。
フェイタンの団長に対する忠誠心だとか、リスペクトだといった感情は、旅団メンバーの中でもかなり厚い方だった。なので、先ほどシャルナークに見せたような対応はまずしない。今はただ、珍しく額に汗を浮かべ、すごい気迫で迫ってくるクロロからのけぞるようにして身を引いているだけだ。
「彼女の境遇はまさに悲劇と言う他無いので、オレに悲愴感で満ちた暗い目を向けてくるのは当然だと言えるだろう。だが、彼女の悲しみに暮れた瞳を見るのはもう飽きたんだ。だから何とか彼女にプラスの感情を持って、できれば朗らかに笑って欲しい。オレはそう思ってる」
「・・・かなり無茶振りだよ。団長」
「頼む相手間違ってんじゃねーか?フェイタンには無理だろ。こいつきっと、女と付き合ったことすら無いぜ。女の扱いに慣れているとは到底思えねー」
フェイタンの鋭い視線が、いらない世話だ黙れ殺すぞ、と言わんばかりにフィンクスに向けられるが、彼は慣れているのか、少しもひるむことなく口角を上げてニヤついていた。
「今日は彼女のことについて聞いていたんだ。彼女が囚われていた島にやっかいな念を仕掛けていた男について話すときだけ、彼女は少しだけ穏やかな表情を垣間見せていた。聞けばその男は彼女が愛した恩師で、その恩師とフェイタン、お前の顔は生き写しなんじゃないかと思わせるほどに似ていたらしいな。だから、オレは確信したんだ。はお前のことが好きなんだってな」
団長は、が一方的にフェイタンに恋心を抱いていると思い込んでいる。そのことにフェイタンは安堵しているのだが、フェイタンの気持ちを知っているシャルナークがすぐそばにいる。とにかく、あの口の軽い男が何か至らないことを話し始める前に、何か言わなくては。フェイタンはそう思った。
「・・・何、すればいいか」
「分からない。彼女が幸せな気分になるように、何か話してやってくれ」
「幸せな気分て何か。分からないよ」
「フェイタンで言うところの、人をさんざん拷問して、殺した後の気持ちかな」
「シャル。それ言うとなんか勘違いして、あいつって娘のこと拷問しかねねーぞ」
「フェイタン。拷問はダメだ。はもう生き返らないんだからな」
「とりあえず、優しく抱きしめてあげたらどうかな?」
「その優しくってのがあいつには分からねーんだよ」
あーでもない、こーでもないとフェイタンを除く3人が議論を交わす中、フェイタンは恐れていたことが起きてしまったと思っていた。この流れだと、団長の頼みは断れない。だが、言われるがまま彼女の部屋に行ってしまうと、恐らく3人が提案すること以上のことを、彼はにしてしまう。それが彼女にとっての幸せかどうかなど関係なくだ。
「の部屋・・・いつ行けばいいか、団長」
「今すぐだ」
そう即答されたフェイタンは、溜息をつきおもむろに立ちあがると、気が進まないという気持ちを全面に押し出しながら上階へと向かった。
「団長は同席しなくていいの?」
「別にオレは2人がいちゃついてるところを見たいわけじゃないんだ。オレが見るのは結果だけでいい」
「ところで団長。あの娘、存分に愛で終えたらどうするんだよ」
「いつも通りだ。ずっとここに置いておくつもりは無い」
シャルナークは、もフェイタンも可哀想だな、と思ったが、それを口に出すことは無かった。フェイタンもいずれそうなることは覚悟の上だっただろうし、クロロに彼女を手放さないよう抗議するなんてもってのほかだ。
(彼女の幸せはいつまで続くのかな・・・)
クロロがに興味を失くす日。それがと一緒にいられる最後の日となることを、フェイタンは薄々感づいている。ただ、それがいつになるのかは、クロロ自身にも分からないことだった。