マチはつい先ほどフェイタンに連れてこられた、パーゴスウェイ族の女の世話をクロロに頼まれていた。マチは団長が欲しいというそれが、生きた状態でないと宝としての価値を持たない人間であるという事前情報を聞かされてはいた。そして、フェイタンかシャルナークに連れてこられる“お宝”を、クロロが気が済むまで愛でるということも想定できていた。ただ、その人間が、美しい容姿をした女だということは、目の前で憂鬱そうに外の景色を見ている若い女がフェイタンに連れてこられるのを見るまで知らなかった。
(なんでアタシが、この子の世話なんか・・・)
マチはあまり気乗りしなかった。彼女はクロロに好意を寄せているからだ。それが恋愛感情か、尊敬からくる憧れにとどまる好意かは彼女のみぞ知るところだが、うら若い女がクロロに囲われ、一日に何時間も密接に話したり、美しいとか言われているであろうことが気にくわなかった。
対して、囚われの身でクロロの寵愛を受けているは、定期的に食事を持ってきたり、衣服を調達してきたりしてくれる女性が、敵意剥き出しでさも気にくわないと言いたげな顔でいることに気づいていた。
(きっと、クロロさんのことが好きなんだろうな・・・)
はクロロの私室の傍にある狭い空き部屋に匿われていた。窓からは、流星街のゴミ山以外見えないのだが、天気がいいと夕方には美しい夕日が見られる。部屋にはクロロが読まなくなったのか、彼の自室から追いやられたであろう本たちが隅に積まれていたので、ひとりでいる間はその本を読んで過ごしていた。別に鍵をかけられているわけでは無い。同じ階にあるトイレへ行くのも、階下にあるバスルームに行くのも自由だった。だが、必要に駆られない限り、は部屋を出ようとはしなかった。
フェイタンに会いたくなかったからだ。
この先人間らしい生活を送る権利が与えられることはないと、彼女は分かっていた。クロロは恐らく、飽きたらのことを手放す。手放すついでに大金をせしめようと、ヨークシンの闇オークションか何かに売り飛ばすつもりでいるだろう。売り飛ばされた先でどんな扱いを受けるか、愛玩動物のように扱われるならまだいい。好きでも無い男に、奉仕することを強要され、性欲の捌け口として扱われる毎日が続いたら、精神崩壊でも起こして自殺しそうだ。とは思った。つい先日、彼女は見ず知らずの男に手籠めにされたばかりだからだ。あの時は、じきにフェイタンが助けに来てくれると分かっていたから、我慢ができた。そうでなければ、見ず知らずの男に犯されるなどという辱めは、希望も何も無い中で耐えられるようなことでは無い。
これ以上、フェイタンの姿を目にとめてしまうと、胸が張り裂けそうになる。どうせ彼との未来を望めないというのならば、このままもう二度と会うことなく、さっさとこの場所からおさらばしてしまいたい。
はそんなふうに思っていた。失恋と言ってしまえばそれまでだが、彼女を待ち受けているであろう暗澹たる未来が、より一層に彼女の悲愴感を煽った。そのたびに涙が流れてくるのだが、この涙はいつ涸れ果ててくれるのだろう。と腫れぼったい瞼をこすり溜息をつく時間が、部屋に案内されてしばらくの間続いた。
が旅団のアジトに連れてこられて丸2日が経った日の朝。いつものようにマチが朝食を持ってのいる部屋へ訪れた。いつもであれば食事を置いてすぐに部屋を出るのだが、マチはいつもより機嫌がよさそうにへ話しかけた。
「アタシ、明日からここ出るから。あんたの身の回りの世話、他のヤツに頼んでおくからね」
「・・・わかりました。ありがとうございます」
は囚われの身であるので、普通に考えると自分を違法に捕らえて軟禁している族相手に、別にありがとうなどと言う必用は無い。だが、他にどう返答すればいいか、感じのいい言葉が思い浮かばなかったので、はそんな風に言ってお茶を濁した。
「・・・ねえ。最後に聞かせなさいよ。団長の寵愛を受けるお姫様の気分ってのを」
マチは口を衝いて、今までに積もった鬱憤を吐露してしまった。
「マチさん、クロロさんのことが好きなんですね」
「・・・変なこと聞いちまったね。今の忘れて」
「私も!・・・私も、好きな人が、いるんです。でも、それももう忘れなくちゃいけない。マチさんは、もし、クロロさんともう会えないことになってしまったら、どうしますか?」
純真無垢。世の穢れを知らないお嬢様だ。この娘は、今まで食べ物に困ったことも、命の危機に瀕したことも無いのだろう。色恋沙汰に現を抜かせるだけ幸せだ。とマチはに言ってやりたかった。マチは生まれも育ちもこの過酷な環境で、自分のことはすべて自分でやってきた。もちろん、気の置けない仲間たちの協力があってこそ、自分を失わずに何とか生き抜いてこられたということもある。だが、強くあることこそ自分を守る唯一の方法だと幼いころから分かっていたので、強くなるための努力だけは怠らなかった。もちろん、世の中の女性が皆そうあるべきだと思っているわけでは無い。だが、悲劇のヒロインか何かのように悲愴な面持ちを隠さず、そんな甘っちょろい質問をぶつけてくるに、マチは腹立たしいという思いしか抱けなかった。
「アタシは自分が求めることは自分でどうにかする。他人に期待なんて持たない。あんたみたいに世の中知らない甘ちゃんがどうやったら上手い事この世を生き抜けるかなんて知らないけど、好きなヤツから離れたくなければ、そうならなくていいように自分が変わるしかないと思うね」
そう言って、マチは部屋を後にした。取り残されたは呆然と、マチが消えた扉をじっと見ていた。
(自分が変わるしかない。か・・・)
こと恋愛においては、自分が変わったところで相手に受け入れられないこともあるのではないか、という反論も頭に浮かんだだったが、同時に自身のこれまでの行いを振り返りはじめた。
今までは、全てにおいて受け身だった。自分から何かしようと奮起したことなど一度も無い。
国の監獄に捕らえられた時も、冤罪に怒り逃げ出すことなど諦めていた。おとぎ話の王子様のように、リュービに監獄から助け出された時も、いったい国で何が行われていて、何故自分が囚われてしまったのか聞くこともしなかった。ただ呑気に、王子様のような彼を愛しいと思っていただけだった。リュービを愛しているなら、何か一人ですべて抱え込んでいるような彼を引き留めて、協力することもできたかもしれない。もちろん、リュービはを巻き込むまいと敢えて関わらせないように振舞っていたが、その暗黙の内の制止を振り切って、とどまらせることもできたかもしれないのに、彼女はそれをしなかった。そして、リュービの死を悟り島から出ようとしたとき、自分が死んでしまうのが何故か知ろうともしなかった。一通りの事情を知っていたであろうリュービの協力者であるミロ爺に頼めば、その理由くらい探ることはできたかもしれない。リュービが帰ってこない間も、島から出られないことを理由に、ただただ呑気に帰りを待っていた。
その結果が今の状況なんじゃないか。とは思い至った。籠から出る術も力も無い鳥が空を飛べないように、愛玩のためだけに囲われてただ死を待つのみ。マチの話を聞いて、やっとは理解した。
(先生を助けられた可能性があったのは、私だったんだ。私だけだったんだ。そして、もし先生のことを私が助けてあげられていれば、フェイタンのこと好きにならずに済んだんだ・・・)
結局、彼女が思い至った結論は、到底現状を打開できるようなものでは無く、更なる後悔の念を心に植え付けるだけだった。
16:もう会いたくない
「何でワタシがそんなことしなくちゃならないね」
「だって、他に適任がいないのよ。仕方ないでしょ」
団員たちがリビング代わりに使っている大広間で、フェイタンとマチは言い争っていた。その話題は、誰が団長が囲う“お宝”の世話をするかだ。
「シャルナークがいるよ。別にワタシじゃなくても」
「えー。だって彼女、フェイタン以外に心許してなさそうだし」
「余計なこと言てないでやれよ」
「ま、アタシ以外の誰かが団長の頼み聞いてくれるってんなら文句は言わないから、あとは勝手にやってちょうだい」
そう言ってマチは自室に戻っていった。憎々し気に彼女の背中を睨みつけるフェイタン。彼女の背中が見えなくなると、その鋭い視線はシャルナークへと向けられる。
「まあ、手伝うけどさ。料理作って部屋に持っていけばいいんだろ?」
「じゃあ任せたよ」
「いやいやだから、手伝うって言ったよね。全部、マチが戻るまでやるとは言ってないから」
団長の頼みだけあって、無下に断ることができないのと、団長の“お宝”である を餓死させる訳にはいかないということが、この不毛な責任のなすりつけ合いを生んでいる。だがフェイタンはどうしてもに会いたくない理由があった。それは、彼女の顔を次に見てしまうと、団長の物である彼女をどうにかしてしまうという確信があったからだ。
シャルナークは、これまで散々 と行動を共にしてきたフェイタンが、なぜ突然彼女との接触を拒むようになったのかが分からなかった。ただ、長い付き合いのフェイタンがまさか・・・とシャルナークが思う程、あり得ないある一つの仮定をすると、フェイタンのその不思議な言動も腑に落ちる。意を決して、シャルナークはフェイタンに言い放った。
「フェイタンさ。ちゃんのこと、好きになっちゃったんでしょ」
瞬間、フェイタンは殺気という名のオーラを身に纏い、仕込み刀を抜いてシャルナークの喉に切っ先を突き立てた。
「それ以上下らないこと言うと殺すよシャルナーク」
(図星だ・・・)
シャルナークは、フェイタンの思いに薄々気づいてはいた。ほとんど殺しもなにも無い仕事に、フェイタンが珍しく熱を入れていたように見えたからだ。それに、湖に辿り着いた時、 のことを恐らく犯していたであろう間男をだいぶいたぶった挙句の果てに殺していたし、アジトへ戻る途中、自分たちに比べて足が遅いということもあるが、率先して彼女を抱えて走っていた。さらに、少しではあったが仲睦まじげに会話もしていた。シャルナークが二人から離れ先にアジトに向かったのは、居心地が悪かったからというのが正直なところだった。
「あーギブギブ!ごめん!オレが悪かった!」
シャルナークはわざとらしく両手を上げて降参のポーズを取る。これでフェイタンが引き下がらなかったら、団員同士のもめごとはご法度なので、蜘蛛のコインを取り出さなければならない。だが、フェイタンもそれを分かっていたので大人しく刀を納めて元の場所に戻った。
「じゃあさ、こうしようよ。オレがちゃんのとこにごはんとか運ぶからさ、料理はフェイタンが作ってよ」
それを聞いたフェイタンはとても嫌そうな顔をシャルナークに向けた。だが、フェイタンは渋々その提案を呑んだ。に会わなくていいのであれば、それに越したことは無いと思った。
(それにしても、珍しいな。フェイタンが女の子にぞっこんだなんて・・・)
団長は、この事実を知ったらどう思うだろうか。いや、カンのいい団長のことだから、もう気づいているかもしれない。シャルナークがそんなことを考えていた時、クロロは丁度、ある“壁”にぶち当たっていた。
(の色んな眼を見たいのに、最近の彼女はまるで人形みたいで面白くない。一体どうすれば彼女はもっと輝くだろう・・・)
目は口程に物を言うという言葉があるが、彼女の目はクロロに何も語らなかった。希望を無くした彼女の瞳は虚ろで、輝きは失われていた。
緋の目であれば、その美しさは固定されていた。美しさを引き出すためには彼らを興奮させて輝かせ、その後に目を抉り出し腐敗させなければ、その美しさは永久に瞳に残る。だが、の種族、パーゴスウェイ族は、元から美しいクリスタルを眼孔に宿してはいるものの、喜怒哀楽によってその様相を如何様にも呈し、まるで万華鏡か何かのように見る者を楽しませるものだとクロロは考えていた。つまり、必然的に鑑賞にかけるべき時間は緋の目よりも長くなるし、そのためには人間らしい感情をに興させなければならないのだ。
もちろん、嫌々ながらにこの場所に連れ去られているので、ハードルは極端に高くなることをクロロは理解している。
(もう、悲しみに暮れた彼女の瞳は見飽きたな・・・)
クロロは彼女が何を求めているのか、それを尋ねるためにの部屋に訪れることにした。
生きることとは、求める物を手に入れること。その繰り返しだ。実際、クロロ自身がその信念に基づいて今まで生きてきた。彼が一般的な人間と比較して、突出して“物”を求めコレクションし愛でることに執着しているというだけであって、それは大なり小なり、どの人間にも言えることであるはずだ。とクロロは思っていた。
そして、求める物を手に入れて、手に入れたものが己が手から意に反して離れていく完全なる絶望。最後にその感情を呈した瞳を見られれば、クロロの“鑑賞”は完了する。そんな彼に悪意は無い。ただ単純に、彼は求める物を手に入れるためならば、仲間以外の感情や命などはどうなっても構わないと思っているだけだった。