囚われの青い鳥







 クリスタ―ロ・リョート。彼の一族は代々、“氷の民”パーゴスウェイ族の始祖の末裔として民を治めてきた。国として名乗りを上げる前は部族長として、この少数民族を束ねてきた。彼らは、パーゴスウェイ族の美しさに誇りを持っており、この血統は未来永劫、断たれることなく紡がれるべきであるという確固たる信念の元、種の存続、人民の健康を第一に善政を敷いてきた。故に、氷の民はクーデターなど起こそうという発想すら無いまま、幸せな暮らしを送ってきた。

 元来、パーゴスウェイ国は国になる前、未開の地・・・とは言っても、全世界の人間が未開と思っているだけだが、そんな森の奥地で静かに暮らしていた一部族の集まりでしかなかったのだが、時を経るごとにその人数は増え、それを束ねるのも難しくなってきた。善良な民の中にも、和を乱すものは少なからず現れるし、それを罰する権力が無ければ、部族の存続も危ぶまれる。

 そんな発想の元、なんの闘争も無く平和的に国として独立した彼ら。しかしそのすぐ後のことだった。彼ら同様、体の一部分に宝を有するクルタ族が、皆殺しにされたというニュースが全世界を駆け巡る。その時、既に国の長となっていたクリスタ―ロは戦慄した。それと同時に、ある残虐非道な発想に囚われてしまった。

 輸出する物は、第一次産業が大半を占めていた。労働力も大して確保できない彼らは、国として発展を望んでも、圧倒的に金が足りなかった。何とも本末転倒な話だが、時の国家元首、クリスタ―ロは貴重な労働力ともなりえる人間を金に変えることを目論んだ。そのために、ありとあらゆる人材を高額の給与を持って国内(と言うよりも、壁の中)に受け入れ、ある研究を行うよう命を下した。

 パーゴスウェイ人の黒朽化現象(死ぬと目の輝きが無くなり黒く濁る現象)を食い止める方法の解明と薬剤の開発。農業、酪農業、縫製業に民を専念させる傍ら、罪人を捕らえては実験のため、“使用”できなくなるまで身を捧げさせていた。その中に、冤罪が紛れていることも多々あった。

「増えすぎると、宝としての価値も目減りする」

 クリスタ―ロは、一族の集会の中でそんな言葉を漏らしたという。もはや、国として存続することよりも、彼の一族と、ある一定数の善良な民だけが、充足した生活を送ることができれば良いといった思想を持っていると、その言葉を聞いた者全員が解釈した。もちろん、その思想を恐ろしく思う者はいたが、自分の命が守られるのならばそれでいいと思う人間が多数だった。



「この一族の人間皆殺しにした方が、この国のためね」

 フェイタンは、そんなシャルナークの報告を受けて、堪えきらずにそう提案した。この国のためと言うか、うら若い女の子守という普通ならありえない仕事ばかりでつまらない思いをしている彼が、血を見たいという欲求まかせに発言していることを、シャルナークは知っている。

『団長命令忘れたの?今回は、ちゃんだけ連れ出せればいいし、そんな慈善活動に時間を割くようには言われてないからね。クリスタ―ロっておじさんを殺すだけで十分だよ』

 別に慈善活動などとは少しも思っていないのだが、とフェイタンは思った。だが、シャルナークに知られていない実験室でのあの出来事と、計画にない殺しをすでに一件起こしていること、そして団長の意思にも背きうることを秘密裏に行おうとしていることの3つが、フェイタンにシャルナークへ反論するという行為を抑制させていた。

 シャルナークは、今後どのように暗殺を進めるか、その計画について端的に述べた。とは言っても、彼の事前の調べによって、国家元首たる人物の住まう建物の場所も、セキュリティーレベルも、行動パターンも把握できているので、あとは殺す人数を最小限に抑えつつ闇討ちすればいい。などという、簡単なものだった。

『幸い、おじさんの住処は壁から離れてるから、組織の連中は近くにいない。最高で2人の護衛をいつも付けて動き回っているだけだから、最悪、ターゲットと護衛の2人を始末するだけで済むと思うんだよね』

 どうやら、クリスタ―ロは自身が収める国の民を信用しきっているようだった。いや、信用しているというよりも、嘗めきっている。この国では、武器を生成する技術も発達していなければ、念能力を発現している者もごくわずか。民がもし反乱を起こしたとしても、持てる武器は農作業用の器具くらいだ。そのため、彼の屋敷は警備も手薄で、シャルナークが確認した護衛の2人(恐らく組織の人間)以外、彼の身を守るシステムは無い。

「盗賊対策が聞いてあきれるね」
『ほんとそれ。壁こそ立派なもん建ててはいるけど、中のセキュリティガバガバなんだもん』
「その立派な壁も余裕でのぼれたよ。ナメすぎね」
『あ、そういえばフェイタン。オレはこれからすぐ、この国を出るよ。騒ぎが大きくなる前にね。できるだけ、おじさんが死んだことがばれないように、ぱっと見わかんないとこに死体隠しておいて』
「わかたね。血の跡も残さないように殺すよ」

 フェイタンは、シャルナークが早々にこの国を出ると聞いて、都合がいいと内心で思った。変にどこで合流しての元に行くとか、そんなことを決められては、リュービを殺しに戻る時間も、下手をすると奪われかねなかったからだ。ただ、シャルナークはの住処を知らないので、国の外で待ち合わせる必要はあった。そこでフェイタンは、彼がパーゴスウェイ国へ不法侵入する前に連絡を取り合っていた宿場町で待つように、シャルナークに伝える。

『健闘を祈る!頑張ってね』

 そんな声援を最後に、シャルナークとの通話は終わった。

 仕事自体はとても簡単なものだ。念能力の素人相手なら、絶を使わずともいとも簡単に屋敷へ侵入し、殺すべき者の背後に立てる。セキュリティもあって無いようなものならば、何も怖いものはない。年老いた男の寝首を掻き、死体を隠し、誰に目撃されることも無く屋敷を後にすればいい。今回、事をややこしくしているのはリュービの存在である。フェイタンは、もはや虫の息で回復の兆しが見られない彼に止めを刺すべく、まずは目先の目標、クリスタ―ロ・リョートを殺すため屋敷へと急いだ。

 そしてそれは、あっけなく終わった。一体リュービは、何を間違ってこの男の暗殺に失敗したのか。もちろん、彼は念能力者でもなければ、身分も組織に明かした反逆者なので、当然マークもされていて、国に足を踏み入れた瞬間捕まってしまうかもしれない。それにしても、殺せなかった意味が分からない。

 そう思うほど容易に、一国の長はフェイタンによってその命を奪われた。なりふり構わず皆殺しにしていい環境であれば、普段彼は敵の頭を切り飛ばすなど、より残虐に、血しぶきが舞うように殺害するところだが、今回は彼の死を一定期間悟られないようにする必要がある。彼はまるで頭部を身体から捩じり切るようにして、血が出ないよう、クリスタ―ロを殺害した。そして薄暗い寝室の中に、ウォークインクローゼットらしきものの扉が見えたので、その扉を静かに開け、中を確認した。コートのかかったハンガーパイプのある列の下側は薄暗く、なかなかに奥行きもあるようだったので、フェイタンは死体を引きずらないよう抱きかかえ、そっとその場所へと横たえた。

 あとは、寝室の窓から抜け出し、壁へ向かい、リュービを殺せばいい。

 時刻は午前4時30分。あたりがうっすらと明るくなる頃、黒い影はさらなる殺人のために薄闇を暗躍した。





13:嫉妬心と怒り







「驚いた、な・・・。もう、始末してきた、のか」

 再びリュービの元へ向かったフェイタンは、彼を殺すべく、手近にあった鋭利な医療器具を手に取っていた。

「お前が手こずた意味、わからなかたよ。そうね・・・。冥途の土産にひとつ、おもしろい話をしておくよ」

 彼は嗜虐性に溢れた目つきで、そんな風に切り出した。

「わたし、盗賊ね。を奪うためここに来た。少しは聞いたことあるはずね。幻影旅団。お前らクルタ族を皆殺しにした、盗賊団よ」

 どちらにせよ、自分には絶望しか待っていなかったのか。リュービはそう思った。

 救いの手とばかり思ったが、違ったのだ。結局自分は、一番大切な者を守り切れずに死んでいく。故郷への思いなど遠い昔に捨てたので、旅団相手に復讐心を抱いたことはない。そもそも、あの閉鎖的な環境に辟易して、思いなおすようすがる母を置いて単身抜け出したのだ。なので、この際だ。クルタ族のことはいい。だが、その残虐非道な行動をいとも容易くやってのけてしまう連中が今、愛するを奪おうとしている。このことは、パーゴスウェイ人を物に変える方法の開発、その糸口となってしまうであろう自身の存在を、その命を絶てなかったことよりも絶望すべき事だ。ああ、なんて私はバカなんだろう。ただ、そうは思っても、この身体ではどうしようもないし、そもそも、旅団の一員であると宣言するこの男相手では、例え健全な状態でも全く歯が立たないだろう。無駄に吠えても仕方がない。

を・・・傷つけないで、くれ。・・・頼む」

 今の彼には、そう懇願するしか無かった。そして、相対する男はさらに言うのだ。

「大丈夫。殺しはしないよ。そもそも、殺したら金にならない」
「売って、どうするんだ・・・。は、一生、籠の中か」

 見えない籠に彼女を捕らえていた自分が言うのも何だが、と思うリュービ。ただ、あの籠を出て、法外な値段でブラックマーケットに出され、買われた先でどんな扱いを受けるのか、など、彼女を愛するリュービは想像もしたくなかった。

「・・・少し喋りすぎたか。そろそろ戻らないと、はすぐ死んでしまいそうで怖いよ」
「たの・・・・む・・・。に、に・・・これ以上、辛い思い・・・を、させないで、くれ」
「安心するね。は、もうわたしのものよ」

 そんな言葉を最後に、リュービの胸に刃物が突き刺される。恐らく、他人の物であろう血を口から吐き出し、彼の頭部は糸を切られたマリオネットの様に項垂れた。その項垂れた頭をのぞき込むと、瞳は赤いまま輝いている。何年か前の様に、この瞳を抉り出して持ち帰りたいと思ったフェイタンだったが、ホルマリン漬けにして瓶を持ち歩いたとして、それをシャルナークに見られたら確実に怪しまれる。とても勿体ないと思いつつも、頭部と身体を切り離し、床に置いた頭部をフェイタンは踏みしだいた。原型も残らないよう、頭蓋骨も砕き、その柔らかい中身も、修復不可能なまでに、ぐちゃぐちゃに。

(お前じゃない。お前じゃない。お前じゃない・・・)

 嫉妬心に取りつかれたフェイタンは、怒りで我を忘れていた。その怒りをぶつけられた結果、ものの数十秒で、ミンチになったリュービの頭部。フェイタンは珍しく息を荒げ、ミンチ状の脳やら血管やらがまばらになった血だまりと、血で汚れた自身の足元をぼうっと見ると、またやってしまった、とため息を漏らす。

(ま、これできと、誰もを殺せないね)

 ところで、シャルナークはもう、国を出ただろうか。こんな無残な殺害現場を組織の連中が見たら、ザルセキュリティーの彼らもさすがに何かあったと騒ぎ出すのではないか。

 フェイタンは、未だに机に突っ伏したまま、死んだことに気づいてもらえていない1号の姿を見てそう思った。本日2度目となる下水道の道を駆け抜け、壁を駆け上り壁の天端へ立った。太陽が山の谷間から姿を現し始め、上部からその光が当たっていく。まさにその場所に、深夜の内に侵入した黒ずくめの盗賊が国を出ようとして立っていると知っていれば、彼の姿を目視することは容易だが、生憎、彼の存在を知る者は、この国にはもう一人も残っておらず、誰も見てすらいなかった。