囚われの青い鳥







 その顔はまさに、彼が鏡で毎日見る自分の顔そのものだった。黒髪、切れ長の目、薄い唇。顔のパーツひとつひとつが、彼のそれと酷似していた。ただ、瞳の色が違う。瞳・・・、より正確に言うと、眼球の虹彩の部分が、普通の人間とは全く異なっている。赤い警告灯に照らされている所為で分かりづらくはあるものの、瞼を吊り上げられた状態で糸で縫い止められ、強制的に開眼させられている彼の暗い眼孔の中で、虹彩がひときわ強く、緋色に輝いているのが確認できた。

 扉を開けた瞬間、下半身に下着を身に着けているだけの、緋色の目を持つ、顔がフェイタンに酷似した男が、まるでキリストの磔刑のようにリクライニングベッドにはりつけにされているので、フェイタンは、一時的に静止してしまった。

(こいつが、リュービ・・・)

 何日か前、音飛びの激しいラジオのような喋り方をする狂人、もとい黒ずくめの男たちのうち一人が言っていた話を思い出してみると、この男は喉を切り裂かれて死んだ。と言う話だった。だが、可笑しいのだ。死んだのなら、なぜ、何度かナイフを突き刺したような傷跡だとか、切り裂かれた喉の傷が縫合されているのだろう。殺したのなら、無駄にスペースを食うだけの死体にそんな処置をして、わざわざベッドに繋いでおく必要は無いのではないか。だが、さらによく観察すると、彼の腕には輸血用のチューブが繋がっている。

(まさか)

 彼はそう思ったが、彼の目の前に広がる状況から判断するに、リュービは生きている。・・・いや、生かされているという表現の方が適切かもしれない。

 フェイタンは半信半疑で、ゆっくりと彼が磔にされているベッドへ近づいた。すると、リュービはびくりと身体を震わせ、猿ぐつわを噛まされた口から息をふーっ、ふーっと吐き、暴れ出す。フェイタンは喋れるようにと、猿ぐつわの紐の部分をナイフで切り、静かにするように促した。

「お前、て女、知てるか」

 リュービは、という言葉を聞いた瞬間、既に見開かされている目を、眼孔上部と瞼の下べりをつなぐ糸を弛ませる程さらに剥き上げて、フェイタンの顔を見た。彼もまた、自分に酷似した男の顔を見て驚愕しているようだった。

に・・・何かしたら、ゆる、さ・・・ない、ぞ」

 もう虫の息だ。そして、もしかしたら彼の精神は既に、度重なる残虐行為に疲弊を極めた末に破壊されていて、まともに会話することもままならないかもしれないとフェイタンに予見させるほど、リュービは荒れ果てた風采をしていた。

「お前、死んだときいたよ。なんで生きてるか」

 リュービには、目の前の黒ずくめの男が何故そんなことを聞いてくるのか理解できなかった。組織の一員じゃないのか。組織の一員ならば、クルタ族の私に、いったい何をしているのか、知っているはずだ。そこまで考えて、彼は自分にできる最後のことは何か、必死に考えた。

「君、は、何者だ・・・」
を、救いたいと思てる。そこで、お前があの島にかけた呪いを解きたい。誰を殺せばいいか」

 必要最低限の質問だ。かなり簡素だが、今のリュービには、それくらい端的にまとめられた問いかけの方が良かった。血液をだいぶ失くしたせいで、頭に十分な血液が通っておらず上手く回らないからだ。

「・・・この、国の・・・国家元首、始祖を、殺せ・・・。やつが、死ねば・・・は島から、開放される・・・」

 フェイタンは、自身の好奇心に任せて実験室への扉を開いて正解だったと思った。術者自身がそう言うのだから、間違いない。1号のデスク周辺を引っ掻き回した結果、手に入れたであろう“可能性”よりも確実な証言を最速で得ることができたのだ。

 すると、もうお前に用は無いと言わんばかりに、フェイタンはすぐにリュービへと背を向けた。その瞬間、まるでフェイタンにすがるように、リュービはとっさに上体だけで彼を追いかけた。

「またここに・・・戻って、きて・・・オレを・・・殺して、くれ」

 リュービの声を背中に受けて、フェイタンはゆっくりと彼の方に向き直った。

「・・・殺して、わたしに何の得があるか」
が、殺されずに、済む」

 リュービは、彼の現状について、たどたどしく話しはじめた。話し終わるまでに少し時間はかかったが、大人しく話を聞いたフェイタンは確かに彼を殺さなければならないと思った。それが例え、団長の意思に反するかもしれないことだとしても、彼はを守るリュービの念を解いた後、この男を殺すため、ここに必ず戻ると決意した。






12:彼が殺すべき者







 リュービは「国の大事なマウスをどこに隠したのか。なぜそんなことをしたのか」という質問が延々と繰り返された拷問を受けた暁に、死んだと思った。だが、薄れゆく意識の中、けたたましい声が鳴り響く。

「おい!この男、緋の目を持ってる!!」
「なっ・・・なんだって!?ただの異邦人じゃなかったのか!?」
「バカ野郎!さっさと止血しろ。これはかなり貴重なマウスだ」

 緋の目・・・。感情をあまり表に出さなかった彼は、自身の眼孔にはまったそれの存在自体を忘れていた。彼は、遠い昔に捨てた故郷を思い起こす。ああ、その故郷ももう、無くなってしまったのだった。このまま死ななければならないのに、何故、私は最後の最後に怒りという感情を抱いてしまったのだろう。

 止血されて、何やら念能力のようなもので、ずたずたにされた内臓を修復される。腹と首の傷口は縫合され、拷問されたときにできた内出血の跡と、縫われた傷だけが身体に残る状態になった。あとは、血液が足りずこのままだと死んでしまうので、そのうち輸血のため腕にチューブでも通されるのだろう。

 何とか意識を保っている状態で、リュービはぼうっとそんなことを考えた。相変わらず痛みは酷く、とても身体を動かせる状態ではなかった彼だったが、何とか考えるということだけはできた。だが、その状態を呪いたくなる。そう、死ななければならない。今すぐにでも。このクルタの血が流れる身体の秘密を解明されてしまえば、パーゴスウェイ人が、大虐殺されかねない。



 リュービが何故、だけを国から連れ出したのか。それは、彼女を愛しているからに他ならなかった。

 愛した彼女を、この国は悍ましい人体実験のマウスとして捕らえた。それは、国家の陰謀を暴こうと、町医者として働く傍らでリュービが組織の内情を嗅ぎまわった見せしめに実行された。そしてという少女を人質に、腕のいい医者の力を組織に取り入れようという動きがあった。従順なふりをして、に危害を加えないという約束を取り決めた後、リュービは組織のために働きつつ、裏ではを脱獄させる準備を少しずつ進めていった。そうして、を無事脱獄させた後、彼女をあの島へ匿った。

 彼はその後すぐに、始祖と呼ばれる国の長、クリスタ―ロ・リョートを殺すため、国へ戻る。この初老の男こそ、諸悪の根源であり、自身を支える民をあろうことか金儲けの道具とするため、非人道的行為を何の躊躇いもなく繰り返す、最低最悪の死ぬべき人間だったのだ。だが、リュービの目的は果たされることなく、組織の人間に捕らえられ、現状に至ることになった。



 リュービは今になって気づいてしまった。

 これだけは絶対に避けなればいけなかったのだ。正義感を振りかざして、国に戻り国家転覆を企てるくらいならば、いっそとそのまま世界の果てに逃亡すれば良かった。もちろん、そうすれば、あの残虐非道な人体実験は続けられただろう。多くのパーゴスウェイ人が実験の犠牲になっただろう。だが、私の身体を調べるということは、彼らを物として扱いやすくする一番の近道なのだ。私さえいなければ、パーゴスウェイ人の大量虐殺は、まだ遠い未来の話になったかもしれないのに、今、その道が完全に開かれてしまったのではないか。

 彼の予見は当たっていた。案外優秀な医者兼科学者を抱えていたクリスタ―ロの手先たちによって、緋の目を持つ人間が死んでも尚、その美しい緋色を虹彩に宿したままでいるという身体のメカニズムが、解明されかけているのだ。まるで採掘場か何かの様に、この壁に囲まれた国を人知れず蝕んでいく準備が、整いつつあった。

 自身で命を絶とうにも、両腕はしっかりと固定されているし、そもそも身体を動かすだけの余力もほとんどない。猿ぐつわを噛まされているせいで、舌を噛み切ることすらままならない。彼は、死にたくても死ねない現状に、自身を呪った。

 そんな中で現れた、彼自身にそっくりな顔をした少年のような男が、リュービには神か何かのように思えた。

「つまり何か。とりあえず、そこの机で突伏して寝てるヤツを殺せば、時間は稼げるか」
「そう・・・だな。それが、いい・・・」

 フェイタンは冷静に現状把握に努めた。にかかる念が解けてない状態でリュービを殺したのちに、クリスタ―ロとか言う国の長を殺しても、念が増々深まり収拾がつかなくなる可能性がある。その可能性についてリュービは否定しなかったので、今ここで彼にトドメを刺すことはできない。となると、順番としては、始祖を殺し、リュービを殺し、を島から連れ出すというのが、正しい。が、始祖を殺すまでの間に、そこの1号にクルタ族の身体機能を解明されてはいけないので、とりあえず一番解明に近づいていたであろう1号を殺しておく必用がある。

 フェイタンは、これが団長の意思にも背き得る決断と分かっていた。もう少し待てば、クルタ族を虐殺したときと同じことができる可能性があるにも関らず、その可能性を断とうとしている。全ては、を物に変えないため。彼の愛情のやり場を、失くさないため。絶対にこの男、リュービは殺しておかなければならない。

 がそれを望むかどうか、そんなことは少しも考えなかった。

 すでに彼女の心の中で、リュービは死んでいる。当人も、死を望んでいる。それなのに、彼をわざわざ生かしておく理由など無い。フェイタンがその決断を下すのには、少しの時間も必要無かった。

「死なないで待てることね。ワタシが必ず、お前殺しに戻るよ」

 フェイタンはおもむろに、実験室内の薬を保管している棚へ近寄り“シアン化カリウム”と書かれた瓶から少量の粉末を取り出し、薬包紙に包んだ。そして、デスクに突っ伏す1号の後ろ髪を掴み乱暴に引き下げ、開いた口の中、喉の奥深くまで先程瓶から取り出した所謂“青酸カリ”を全量落とし込む。

 その後、シャルナークに何か悟られないよう、少しの時間部屋の中を物色した。デスクから1号を引きはがし、書類の山の中から“それらしい”物を探す。報告書のようなものが、生成色の紙製フォルダーに複数挟まれているのを発見した彼は、その中身を確認した。すると、フォルダの一番下に挟まれた、トップシークレットと判を押された文書が見えたので、手に取って読んでみる。

(・・・シャルナークにはこれを見せておけば十分ね)

 読み次第破棄するようにと文末に書かれたそれを取り出し、フェイタンはポケットに突っ込んだヘッドセットの電源を入れ、元の様に片方の耳へセットする。

「シャルナーク。文書見つけたよ。お前のアンテナ、1号のどこにく付けたか」
『ちょっと、一方的に電話切らないでよね。とにかく、お疲れ様。だいぶ早かったね。アンテナはうなじの少し下あたりだったと思う。で、誰を殺せばいいか粗方の検討はついた?』
「シャルが言てた通りだたよ。クリスタ―ロ・リョート。この国の長を殺せば、恐らくを連れ去れるね」

 ヘッドセットの向うで、わざとらしい拍手が鳴る中、フェイタンは部屋を後にした。そして、シャルナークから携帯端末に送られてきたメールを確認して、示された新たな座標の元へと向かった。