囚われの青い鳥


 フェイタンは夜の闇に乗じてパーゴスウェイ国へ不法侵入した。壁を駆け上がった先、幅約25m程度の天端部分に降り立つと、赤い光線を放つセンサーが、その中央部分、壁と同じ軌道を形どるように張り巡らされていた。おそらく、跨ぐと警報が鳴る。が、壁に降り立った時点でセンサーライトが彼を照らすわけでもなんでもないし、確実に現時点でノーマークだ。国を取り囲む円形の壁には等間隔で見張り台が設置されているが、フェイタンに言わせてみればその間隔は広すぎる。シャルナークの言う通り、ザルだと痛感した彼は臆することなくセンサーを跨ぎ、天端から飛び降りる。

(警報すらならないか・・・)

 だが、警報が鳴らないからと言って油断はできない。恐らく、侵入者ありと、あの黒ずくめの男たちに通達は行っているだろう。そう警戒しながら、フェイタンはシャルナークの指示通りの座標を目指す。座標の場所に到達すると、開けた農耕地には似つかわしくない、50cm四方の雨桝が設置されていた。

(とりあえず、ここに身を隠せってことね)

 フェイタンは、鉄製で格子状の、留め具も何も無いただ重いだけの桝蓋を開け、その中へ身を隠す。下水を流しているわけでは無いのか、深さ3m程度の桝の中は案外居心地が悪くない。左右には直径1.5m程度の管が伸びており、明かりは無いが、ここから地下、壁の中へともぐりこめるのだ。とフェイタンは予想した。排水設備からの侵入など、テレビゲームでもかなりオーソドックスなタイプだと思い、フェイタンは笑ってしまう。そのオーソドックスな侵入経路を侵入者に与えてしまっているあたり、セキュリティーはお粗末、というか、あって無いようなものと言っても過言ではない。フェイタンは、まだシャルナークから詳しい侵入経路を聞いたわけではないが、つい3時間ほど前まで滞在していた宿場町で調達したヘッドセットから、仕事仲間からの指示を受け取ると、ほら、思った通りだ。と一人納得した。

 の家で見つけた、リュービが脱獄に使ったと思われる地図は、現地と照らし合わせてみないと読み取れないような簡単なものだった。フェイタンはその地図を念のために持ってきており、シャルナークへあらかじめメールで送信していた。シャルナークのGPS機能を持つアンテナの動きと、地図、シャルナークの記憶のすべてを合わせれば、フェイタンを壁の中へ導くことは簡単だろうと踏んでのことだったが、思った通りだった。

『オレが言う通りに動いてくれる?とりあえず、1号、つまり研究者の近くに行ってみてほしい。きっとそこに行けば、何かしらの書類があると思うんだ。誰がこんなこと指示してるのか、大まかな人物像が分かるような、ね。報告書とかまとめてあるだろうし、それの宛先とか、何でもいい。その辺を探って欲しい。これはあくまでも、オレの想像でしかないけど、国家元首があやしい。行政名宛に書かれた文書とか、通達文とか、その辺も見て来てほしい』

 そんなシャルナークの話を聞いて、フェイタンは軽くイラついた。団長の、隠密に。という命令さえなければ、正面突破で皆殺しにするのに。と。ただ、この国の壁が築かれた原因が自分たち幻影旅団であることから、今後、全世界でターゲットとすることになるであろうモノのガードが固くなり、大なり小なり動きづらくなることはできるだけ避けておきたい、という考えがあることは理解できたので、イラつきを抑えて言われた通りに暗い水道管の中を進んでいく。

 彼の身長のおかげで、大してかがむ必要もなく進むことができた管径1.5m程度の雨水管は、真新しいコンクリート製だった。フェイタンの胸のあたりの高さには10m間隔程度で、小口径の管口が開けられていた。おそらく、黒ずくめの連中が人知れず暗躍しているのは、半地下程度に掘り下げられた場所で、地下にあるが故にどこからか流入してくる雨水を流下させるための管だろうと推察された。生活排水は浄化槽か何かを設置して、生物処理したものをこの管に流し出しているのだろう。若干のどぶの様な臭いはしたものの、硫化水素ガスを含んでいそうな泥だまりがあるわけでもない足元に、フェイタンは感謝したい気分だった。おかげで彼の俊敏さはそのままに、施設への道を急ぐことができる。

『そろそろ右手に、フェイタンの身体ならギリギリ入り込めるくらいの鉄格子が見えてくると思う』
「・・・というか、何でお前、わたしがいる場所、わかるか」
『フェイタンが動いてるのが見えるんだ。1号が近くにいるからね。でももう小一時間同じ場所で動かないから、実験に疲れて多分寝てるんじゃないかな?心配しないで』

 シャルナークの言う鉄格子から暖色系の明かりが漏れ出しているのを前方で確認したフェイタンは、それへ駆け寄り、どかして室内へ侵入しようとする。その間にシャルナークは、自身のアンテナの機能について講釈を垂れていたが、フェイタンは自分で問うたものの詳細には大して興味が無かったので、ふうんと言って話を受け流していた。

 彼が侵入した室内は、打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた閉塞的な部屋だった。なるほど、シャルナークが1号と呼ぶその研究者は、彼が予見した通り、無防備に机に突っ伏し惰眠を貪っている。途中で起きられても困るので、フェイタンは首の裏すじに手刀を打ち込み、男が気絶したのを確認して周囲をゆっくりと見回した。簡素なベッドと書棚が置いてあることから、ここはこの男の自室と取れた。恐らく、シャルナークが言っていた実験室に併設された部屋だろう。男の背後には扉があったが、擦りガラス製のその扉の窓枠に視線を移すと、警告灯でもあるのか赤い光が浮かび上がる暗い実験室の様子を想起させた。

 シャルナークの言う通り、気絶させた男の周辺を探れば、彼が言っていた系統の文書は見つかっただろう。だが、このまま目的とする文書を見つけ出し、来た通りの道を戻るのでは面白くない。そして、やシャルナークの話によれば、この扉の向うでは、フェイタンの興味をそそるような残虐行為が繰り広げられている。

『フェイタン。君の気持ちはよくわかるけど、長居は禁物だよ』

 どうやら、シャルナークのアンテナは、アンテナを刺した人物を中心に、まるで魚群探知機のように物質へ飛ばした音波だかなんだかの反響でモノの位置を把握しているようで、建物の形状だとか、動く人間の影だとかをしっかりと捉えているようだ。フェイタンが興味津々に実験室へ足を運ぼうとすると、それがすぐに分かったので彼を窘めたのだ。

『2号が割とせわしなく動いてるから、やっぱりセンサーは作動してるみたいだし、侵入者を必死に探してるんだと思う。まあ、もうそろそろ諦めるだろうけど、念には念をってね』
「・・・うるさいね。すぐ終わるよ。終わるまで、電話切るね」
『あ、フェイ!ちょっ』

 ずっと誰かに監視されているということにストレスを感じたフェイタンは、抑えたはずのイラつきを露わにしながら、自身の片耳に装着していたヘッドセットを乱暴に取って、その電源を切った。そして、実験室への扉を開く。暗闇の中、赤い警告灯に照らし出される“何か”があった。目前の光景をまじまじと観察するフェイタンは、それが何かを理解した時、めずらしく驚愕して、身動きを取れず、しばらくその場に佇むことになった。






11:闇にうごめく物







 は、シーツでかたどられたフェイタンの寝ていた跡を撫で、ため息をつく。恋煩いだ。物心ついたときに、リュービに抱いていたそれと変わらない思いが、彼女の中で再度沸き起こっている。リュービとは、顔以外、背丈も性格も、何もかも重なる部分は無いが、所謂裏社会を知らない純粋な彼女には、アウトローなフェイタンの姿が、とても刺激的に映っていた。リュービに似ていて、中身が真反対で興味をそそる。最初はただそれだけだったのに、いつの間にか彼女は、たびたびこの家を出ていくフェイタンの帰りを心待ちにするようになっていた。

 今まさに、彼女はフェイタンの帰りを心待ちにしている。早く帰ってきて欲しい。けど、きっと・・・いや、必ずだ。必ず彼は自分の元に帰ってくる。

(それが彼の仕事だから・・・)

 あくまでも、仕事でしかないのだと、分かってはいた。けれど、少しでもいい。振り向いてほしい。彼が一体、何をすれば喜ぶのかは分からなかった。いや、自分が血を見せれば、喜ぶんだろうが、そうゆうのではなく、もっと普通の、どんな男性でも喜ぶような何かをしてあげたい。

 リュービはよく、仕事の後の夕飯を用意した時、とても喜んでくれていた。用意したものが何であろうと、おいしいと言って食べてくれたのだ。フェイタンはかなり食が細そうではあるが、仕事で疲れた後、おいしい料理を用意していれば、喜んで食べてくれるのではないか。実際、これまで何度か用意していた質素な食事でも、フェイタンは何も文句を言わずに黙々と食べていた。少し手の込んだ料理を出せば、もしかしたら“旨い”と一言でも呟いてくれるかもしれない。

(今日はミロ爺が物資を届けてくれる日だ。ちょっと無理を言って、明日も来てもらうように言ってみよう)

 彼女は、頭の中に思い浮かべたご馳走のレシピから、必要な材料をメモに書き出した。

 は普段から緊張感に乏しい性質ではあったが、この島に囲われている限り死ぬことがないという状態は彼女の危機意識をさらに希薄にさせていた。そんな恋する乙女が浮ついた心を律する意識など持つはずも無く、そして、今まさに、背後に迫る悪の手に気づけるはずも無かった。