午前5時頃、フェイタンは目を覚ました。うつぶせ寝の状態で、顔を窓側へ向けて外を見ると、空はうっすらと明るくなりかけていた。徐々に朝焼けするように色づいてくる空をゆっくりと眺めていた彼は、安らかな寝息を立てるの気配を背中で感じながら、考えた。このまま、ここにいてはいけない。と。
ここ何日かと一緒にいた彼は、確かに、彼女に好意を抱いていることを自覚した。それは昨晩、彼女に「人を好きになったことは無いのか」と問われ、言い放った言葉と矛盾するものであることは彼自身、痛いほどよくわかっている。だが、だからこそ、彼女を手放さなくてはならなくなるその時に、独占欲からくる嫉妬だとかいう思いを抱くことになる可能性が少しでもあるのならば、引き際を間違えると恐らく後悔することになると確信したのだ。
いや、もしかするともう遅いかもしれない。彼が何故を抱いたのか。彼がその原因を考えると、言い訳がましく、まず思い浮かんできたのは、彼女が自分の性を煽ったということ。彼女の指から垂れ流された赤い血、その血の味と・・・そして殺さないでくれと懇願する彼女の表情。だがそれはただの感情の起爆剤にすぎず、もっと根本には・・・そう、彼女を自分のものにしたいという、独占欲があるんじゃないか。もっともっと根幹を言えば、彼女を愛してしまっているんじゃないか。それはもう、好意どころではなく、重く歪んだ愛情があるからじゃないのか。
果たして彼は、そう遠くない未来に何の抵抗も無く、団長へ彼女を宝物として捧げることができるのか。すでにそれすら、できる、と自分の心の中で断言できずにいた。ただひとつ言えることは、彼女が団長に殺されることは無い、ということだ。殺してしまうと、彼女の市場価値はたちまちゼロになるからだ。それがわかっているから、彼女を欲望のままに抱いてしまったのかもしれない。彼女が生きているのなら、その後はどうにでもなるんじゃないか。
(・・・少し、アタマ冷やすね・・・)
彼女との未来を夢見る自分自身に辟易したフェイタンは、おもむろにベッドから抜け出した。そして彼女の姿を敢えて視界に入れないように身支度をし、寝室を後にした。
とりあえず、今彼がすべきことは、から聞いた情報を仲間へ伝え、彼女をこの島から解放する段取りをつけることだ。シャルナークには子守をしていろと言われたが、少し離れたくらいどうということは無いだろう。どうせ、彼女はここから出ることはできないのだから。
そう考えて、彼女を3日ほど一人にしておいたことを後悔することになるとは知らずに、フェイタンは森の中へと姿を消し、仲間が暗躍する壁内の小国へと向かった。
10:核心
『フェイタン、彼女の元、離れてきちゃったの?早かったねー』
フェイタンは、道中にあった小さな宿場町でシャルナークへコンタクトを取った。太陽が傾きかけた、昼過ぎ頃だ。あと2、3時間走れば、目的としているパーゴスウェイ国へとたどり着く。そんな情報を添えて、同僚へ挨拶をする。
「子守と言ても、何もすることなくてヒマよ」
『そりゃそうか。まあでも、人手は欲しいと思ってたとこなんだよ』
団長から、この仕事にシャルナークとフェイタン以上の人員を裂くつもりはないとの連絡があったと、シャルナークは言った。人さらいの対象となっているのが、念能力も何も持たない少女であるということが一番の要因だ。そして、対象が生きていないと宝としての価値がないので、あからさまに騒動を起こして国のセキュリティを掻い潜り、何十人と連れ去ろうとしたところで思う通りに行かない可能性の方が高い。また、団長が宝を愛でる必要があるので、見た目も厳選しなければならない。さらに、愛でる間に生かしておく必要があるので、人数が多くては食料調達の手間とコストがかかるばかりなので、今回盗むのは一人で十分。という今回の宝の特性から、ターゲットは一人に絞られている。そして、彼女にまとわりつく厄介な念を解く以外に大した作業はないので、そう何人も旅団内の手練れを送り込む必要は無い。という団長の最終判断があったらしい。
つまるところ、あとは彼女を生かして団長の元に連れていくだけということだ。
『そうそう。一昨日の夜なんだけど、ハンターとして潜入してるオレに、何やら怪しげなお誘いがきてさあ』
「怪しげな?」
『それで、壁の中のある部屋にお呼ばれしてきたんだよ。かなりデリケートな話らしくて、あらゆる通信機器の持込みをご遠慮されて、周りを黒づくめの男たちに取り囲まれたんだけど・・・。彼ら、今結構な人手不足みたいだね』
「ああ、それならきと、わたしが何人か殺したからね。の住処に侵入して彼女を連れ出そうとしたから、頭と胴体切り離して投げておいたよ」
『投げ?ま、いいや。じゃあきっとそれでオレに白羽の矢が立ったんだろうな。この国で働いてくれないかって。仕事内容は諜報活動、要人警護、エトセトラ・・・。報酬は、ジェニーに換算して、月約50万。なかなかの好条件だよねー。副業しちゃおうかなって思ったけど、仕事以外で国は出られなくなるし、守秘義務がっちがちだから基本的に普段から同僚意外とおしゃべり禁止とか言われてさ。プライベートも何もあったもんじゃないって感じだから、丁重にお断りしたんだよ。まあ、それは置いといて、何とか小型のアンテナなら持ち込めそうだったから、黒ずくめの男のうち2人にアンテナ刺しといたんだ。そしたら、すごく面白い音が聞こえてきて・・・』
操作系のシャルナークは、実物のアンテナを相手に刺して、その相手に自身の念を送る(その際、実物の携帯電話を用いる)ことで相手を思いのままに操作するという能力を持っている。が、そもそものアンテナ自体は、GPS機能と盗聴機能を持ち合わせているので、念を発動せずとも諜報活動には多分に応用できる。彼はそんな便利道具を常に持ち歩いていた。今回は、携帯電話はあからさますぎるということで、入り口付近の見える場所に大人しく没収されておいたようだ。商売道具で、見えない所だと不安だと言うと、案外優しく見えるところに置いておいてくれたらしい。盗聴してたらどうするんだとか、案外ザルだなとか、シャルナークは思ったが、そのゆるゆるの体制はこちらとしてはありがたいことなので、敢えて口にする必要も無かった。
フェイタンは、音、と聞いて、昨日のの話を思い出した。彼女が冤罪で投獄された際に聞いた、断末魔だ。きっとシャルナークが聞いた音は、これだろう。と確信した。他に面白いと彼が形容する音が、フェイタンには思いつかなかった。
『壁の中に、牢獄があるみたいだね。鉄格子の扉ががしゃんがしゃん鳴る音とか聞こえてきたよ。あと、人選が良かったかもしれない。1号、肩まで伸びる髪を後ろでいっちょ結びにしてた身長175cm程度の陰気そうな男なんだけど、彼、役柄的には研究者?みたいなやつらしくて。ずっとぶつぶつ何か言っててさ、その間、彼の近く遠くいたるところから叫び声が聞こえてくるんだ。すごい痛みに耐え抜くような・・・そうだな、ちょうどフェイタンが拷問してるときによく聞くような悲鳴だよ。そんな中で彼、ぽろっと呟いたんだ。あと少しだって。あと少しで“緋の目”に近づけるって。緋の目っていったらもう、アレしかないじゃん?この時点でオレは確信したんだ。やつら、この国の人間を実験台にしてるって。こんなサスペンスドラマみたいな陰謀ってほんとにあるのかって、心躍ったよ!』
自分がから得た情報を与える前に、彼は核心にたどり着いていたらしい。フェイタンは、シャルナークの長いおしゃべりを黙って聞いていた。その間、図らずして答え合わせをすることができ、手間が省けてよかったとも思った。さすがに、が夢で見たと言った話を信用して、どこにあるかもわからない壁の中の牢獄を探し、侵入するなどリスクが多すぎるのだ。あくまで隠密に、という団長の命令もある。その点を考慮すると、今回のシャルナークの行動は殊勝な心がけと言うほかなく、フェイタンは口に出すことは無かったが、内心でシャルナークをグッジョブと褒める。そして、自身がから得た情報も提供すると、二人は一つの結論にたどり着いた。
パーゴスウェイ国は、人民の命を金に換えようとしている。罪を犯した人間は、その報いとして人体実験に体を捧げなければいけない。実験体が手に入らない時は、のような無実の人間に罪を被せ、裁判で死刑を言い渡し、正々堂々と“マウス”を調達するのだ。
シャルナークは言った。今夜、内情をより深く探るために壁内への侵入を決行すると。急すぎるとフェイタンは異を唱えたが、いつ、1号、2号に取り付けたアンテナに気づかれるかもわからないので、早いに越したことは無いと言って、フェイタンを呼び寄せることにした。
『座標を送るよ。常人ならこの壁をよじ登ることはできないだろうけど、フェイタンなら余裕だろう。その座標の場所に、壁を越えて来てほしい。ちなみに、オレの見立てだと城壁上部にはセンサーが張り巡らされてる。でもきっと、この場所なら一番見張り台から遠いし、警報が鳴ってもフェイタンの速さなら絶対に見つかることは無いはずだ。きっと誤作動で片づけられる。オレは正々堂々と内情を探るために正面から公式で入国したけど、不法侵入なんて簡単にできるよ。30m近くそびえ立つ壁を超えて俊敏に姿をくらませるだけの身体能力を持つ人間ならね。総じて、この国のセキュリティーは“ザル”だ』
幻影旅団のような盗賊の対策のためだって?笑っちゃうよね。シャルナークはそう言って、待合わせの時刻を伝え、電話を切った。
シャルナークは、程度はわからないが監視されている。そのため、表立って動くことはできない。フェイタンが主になって壁内へ侵入し、内情を探ることになるだろう。彼はちょうど体が鈍りそうな気分だったので、シャルナークの言いなりになって働くことに不平不満を漏らす気にもならなかった。約束の深夜2時までまだ時間はある。フェイタンは軽く食事を取り、ゆっくりとアフタヌーンティーを楽しんだ。