月明りが差込んでくるのを閉じた瞼で感じたは、薄く目を開いた。どういう経緯か、はベッドへと身を横たえており、彼女の隣にはフェイタンがうつ伏せで眠っている。その白く無防備な背中はやけに筋肉質で、彼はだいぶ着やせするタイプなのだなあと一人納得するだったが、下半身の鈍い痛みに眉をひそめ視線を降ろすと、自身が衣服等を何も身に着けていないことに気づく。そして彼女は思い出す。夕刻に始まったはずのフェイタンとの行為と、それがすでに終わってしまったということを。
強姦を受けた女性は、貶められたこと、身体と精神の双方を傷つけられたことに絶望し、悩み、あまりの恐怖心から、犯されたという記憶を心の奥底へ閉ざす。それが、ごく自然な防衛本能に則った反応だ。しかし、の反応はそうではない。明らかに名残惜しい気持ちでいるし、気恥ずかし気に頬を染めてさえいる。彼女は、あのフェイタンの一方的な行為を嫌だと思わず“終わってしまった”と思ったのだ。
(そういえば、どうしてベッドにいるんだっけ。)
彼女は、ぼうっとする頭をもたげ、記憶を辿った。ダイニングテーブルの傍に押し倒され、キスをしているとき、木の床のささくれが彼女の背に刺さり、その痛みに声を上げたのだ。その声をきっかけにフェイタンがキスを止めたときに、は言ったのだ。床が冷たいし、ベッドでしようと。
明らかに拒絶されていると、そして無理やりに彼女を犯しているという認識でいたフェイタンは驚いたのだが、熱に浮かされ平常心でいられなかった彼は、が何故自分を拒否しないのか、だとか、これから何をされるか分かっているのは何故か、だとかと、いろいろ考える余裕も無かった。ただ、床が冷たいなどと余計なことで喚かれ、萎えてもアレなので、と思い、を抱えベッドへと乱暴に降ろしにいったのだ。
(意外と、優しかったな。もっと、めちゃくちゃにされるのかと思った)
恐らく、をベッドへと連れていく間に少しクールダウンできたのだろう。床に押倒されたままでいたら、どうなっていたことやら。下半身の痛みは、今とは比べ物にならないくらいになっていたかもしれない。そう思うと、少しだけ身震いがしてしまいそうになっただった。
09:沈溺
彼女が初めて性行為を経験したのは、つい最近のことだ。リュービがを脱獄させ、この小屋に連れてきた夜。それまで固く意思を持ち、には手を出さないと決めていた彼だったが、緊張が解けてからの抱擁には熱がこもり、その熱に浮かされたのか、どちらからともなく唇は近づいていった。
フェイタンとの性行為は、先に経験したそれとは似ても似つかないほどに一方的で荒々しかったが、不思議と痛みがひどいとか、ストレスだということはなかったとは思い返す。
「お前、何で嫌がらなかたか」
「え・・・?」
フェイタンは、に背を向けたまま、呟くように問いかけた。彼は寝ていると思い込んでいたは間の抜けた返事をしてしまった。しかし、しばらくして、彼の問いかけに答える。
「・・・フェイタンと、したかったから」
「淫乱か」
「ちっ・・・違うよ!そんな、誰でもいいってわけじゃないもの」
の恥じらいを含んだその声に、カンのいいフェイタンはある結論に至った。は初めてではないし、その相手はリュービだと。誰でもいいわけではない、と彼女が言っているのになぜ自分が受け入れられたのか。それは自分がリュービとうり二つの顔を持っているからなのだ。
「何か。センセーに犯されてるて妄想でイけたか。淫乱じゃなきゃただの変態だたかお前」
「・・・フェイタンに変態扱いされたくないな・・・」
確かに。と、フェイタンはの的確な指摘に、心内で頷いた。よくよく考えると、誰にも言えないようなことをやってしまったのだ。フェイタンは血液のニオイや味に興奮を覚えるなど、かなりの嗜虐性を持ち合わせている。平たく言えばドの付くサディストなわけだが、要はノーマルの人間からすればアブノーマルな変態である。ここまでは、別に誰にも言えないようなことでもなければ、旅団員全員が知っている彼の特性である。問題は、団長が欲している、手に入れた暁にはその手で愛でるであろう生きた“人形”相手に、性行為に及んでしまったことだ。いくらに煽られ(彼女自身全く煽ったつもりはないのだが)興奮していたからと言っても、許されることではないと、フェイタンは思った。まあ、ばれなきゃ大丈夫だろうと楽観的に考えている内に、が続けて口を開く。
「それに、勘違いしないで欲しいの。・・・私、別に先生に似てるからって思ったわけじゃない」
「それにしても驚きね。三十路の男とこんなとこで何してるかと思えば・・・」
意図的にフェイタンはの思いをかわした。彼にとって重要なのは、自分がどう思ってどう行動するかではない。団長がどう思ってどう命令するかなのだ。そこに彼女の思いももちろん関係などない。
(癪だけど、まだ先生て言われてる方がマシだたか・・・)
「・・・私も望んでいたことだったから」
「ま、そういうことに興味が出てくる年頃だたてワケね」
「フェイタンは、人を好きになったこと、ないの?」
「ないね。殺しやるのに邪魔なだけよ」
長年思いを寄せていたリュービに求められたことで、はこれ以上ないほどの幸福感を得た。その幸せが長く続けばいいと思っていたが、リュービが殺されたと知らされたことですぐに終わりを迎えた。しかし、リュービによく似たフェイタンが表れ、の心をかき乱す。最初はもちろん、先生に似ているところが好きだった。短い期間ではあるが次第に、リュービとは真逆の性質を持った彼そのものに惹かれていった。彼が自分をここから出そうとしてくれているのは、もちろん仕事のためだということは分かっている。けれど、その上で身体を求めてくるのに、勘違いしてしまうのは至極当然のことなんじゃないか。
彼女はその経験不足が故に、男が身体を求めるのは、対象の女性のことを必ずしも好いているからとは言えないことを理解できないでいた。
好きだから、愛しているから。でないと、体液を交換しあって身体をまさぐりあうなんてこと、できないんじゃないのか。だから、少しも私のことを好きだと思っていないわけがない。好きだと、愛していると思ってほしい。言ってほしい。
「私は、フェイタンのことが好き」
沼地で足を踏み外し、溺れていく少女。少女は音もなく、さして苦しそうにもがくわけでもなく、ほの暗い水の底に沈んでいく。そんな彼女に何の手助けもしないまま、岸辺に立ち、様子をただじっと眺めている。そんな状況に似ていると、フェイタンは思った。それは彼女の承認欲求という沼。ただ、溺れて欲しいわけでも、溺れてほしくないわけでもない。傍観するしかないのだ。
フェイタンは、そうまっすぐ言い放たれた言葉を背中で受け、何も言えないままに夜は更けていった。