「国の規模は小さくなれば小さくなるほど、国家元首は民を操りやすくなる」
先生とは普段、医療関係のことか、たわいない雑談以外で話すことはなかった。でもその日は何だかとても思いつめた様子で、そんなことを唐突に話し出した。ちょうど午前中の診察を終えて、一息ついた昼下がりの出来事。いつも笑顔でとても穏やかな先生が、今までに見たことも無いくらいに、それはもう思いつめた表情だったので、私はその日先生と話した内容を、とてもよく覚えていた。
覚えているだけで、先生が私に何を伝えたかったのか、その神髄はよく分からなかった。
「とりわけ、外界との交流を進んでしてこなかったような私達のような民族は特にね」
まだ十代の私には難しい話かもしれないが、と前置きをして先生は話し続けた。今思えば、先生は私に自らの頭で“考えること”を諭していたような気がする。
「。君は善悪の判断を他に委ねてはいけないよ。必ずしも皆が言うことが正しいとは限らないのだから・・・」
ちょうど、壁の建設が議会で承認され、国を挙げての一大事業として突貫工事が進められていた時のことだった。この国はとても規模の小さい単一民族国家だから、反対する人などおらず、ほぼ全会一致で決められたことだと、先生は言った。何でも、私達パーゴスウェイ族によく似た一部族が、盗賊に一夜にして滅ぼされたというニュースを受けての対応だから、私達国民を守るためには必要不可欠だと、誰もがそう思った。
きっと、皆が言う正しいこと。それは“壁”のことを言っているんだろう。
「壁を作るのは悪いこと?」
「・・・それをして、本当に得をするのは誰か、考えてみるとわかることだよ」
先生はそう言ったっきり、机に向かってしまった。私は、先生に言われた通り考えてみたけれど、どうしても国民を守るという元首様のお話が本当としか思えなかった。
そんなこんなで、昨日の先生のお話にモヤモヤとした思いを抱いたまま、次の日を迎えた。
私たちの開くクリニックはとても小さかったけれど、入院患者さんも4人程抱えており、毎日がとても忙しかった。私は一応医者見習いなんだけれど、やっていることは恐らくナースと変わらない。けれど、点滴の針を刺すのは上手だと褒められるし、今まで重大なミスを犯したことも無かった。
ナースコールで入院患者さんに呼ばれ、点滴液が切れたのだろうと思い病室へ赴いた。その途中でいつもは見ない人物と、病室を出たすぐのところですれ違った。すれ違いざまに挨拶をしたら、意味ありげにニヤリと笑っただけ。嫌な予感がしたので、急いで病室の状況を確認すると、旅の道中で怪我をしたという旅人が一人、力なくうなだれていた。
(死んでる・・・)
私は慌てて患者に駆け寄り蘇生措置を取ったけれど、患者が息を吹き返すことは無かった。先生を呼び見てもらったけれど、やはり蘇生は無理で・・・。
先生は分かっていた。怪我をしたと言って訪ねてきた旅人だったけれど、何か他に病は無いかと尋ねていたから。感染症などを心配してのことだったんだろう。けれど、心拍も脈もいたって正常で、喉の腫れも何も無い超健康体質の人で、持病も何も無かった。突然死した理由など全くわからない。そもそも崖から転落した際に捻った足首を見てほしいと言っていたので、添え木をして安静にしていてくださいと、ほとんど宿代わりみたいなものでベッドを貸していたため、点滴も何も行っていなかったんだ。医療ミスなど、あり得ない。
「毒だ。毒を盛られてる・・・」
私には所見で分からなかったが、先生に言わせれば、そんな反応が見られたらしい。先生のそんな発言を聞いてほかの患者たちが不安そうにこちらを見つめていた。
「そう言えばさっき・・・」
亡くなった旅人の隣のベッドに寝ていたおじさんが口を開いた。
「見慣れない男が病室に入ってきたな。カーテンで仕切られてるから何をしているのかは分からなかったが、言われてみれば会話らしい会話なんてなかったような・・・」
ほかの患者さんも同じようなことを言っていたけれど、結局誰だったのかは何も分からなかった。先生と私は、ザワつく病室を後にして、すぐに自警団を呼んだ。取り調べを受けることになったので、その日は診療をお休みにした。そして、使われた毒が何だったのか調べる間も与えないようにして、すぐに遺体は回収されてしまった。
明くる朝、私は逮捕され、裁判にかけられることになった。
今思えば、それはとても不自然かつ唐突。私の罪では無いと知っているはずの3人の入院患者さんたちは、完全に嘘で塗り固められた証言をしていた。情状酌量の余地のない無差別殺人だとして、私は終身刑を受けることになるらしい。
目まぐるしく変わる私を取り巻く環境と、あまりに唐突に訪れた絶望に呆然としていて、今この時が昼か夜かもわからない状態で、私は“壁”近くの地下にあるという牢屋への道を歩かされていた。
薄暗い廊下。呆然としていたけれど、よく覚えている。男性の断末魔に近い叫び声。一度で終わるかと思いきや、その叫びは幾度となく地下の石壁に反響して私の耳を突き抜けていった。その男性がいると思われる一室を過ぎ去り、区画を別にする重厚な鉄の扉を開けて閉ざすまで、何度も何度も私の心に、今までにないほどの恐怖心を植え付けた。
刑務官に誘導されたのは、簡素なベッドと便器しか用意されていない場所。鉄格子の扉を開けて、乱暴に突き入れられたあと、ガシャンと音を立てて扉は閉ざされた。
あの、いっそのこと殺してくれと言わんばかりの叫び声を聞いた時、先生の言葉が脳裏をよぎった。考えることしか出来ない環境になって初めて、気づいてしまった。
私たちが何故、隔離されたのか。
07:疑惑
『今、潜入中だよ』
電話の受話器の向うで、シャルナークはそう言った。
「シャル、お前何で簡単に壁の中に入てるか」
フェイタンは公衆電話ボックスの中で背を預け、自身がの住む小屋で得た情報にそぐわない同胞の近況に眉を顰めていた。リュービの手記に寄れば、分厚いコンクリートに囲まれた隙間ない壁で、民族の特性上そう簡単に入国を許されないはず。国内への入り口は数少なく、そのすべてに門番がいるらしい。まあ、シャルナークの能力があれば、門番を殺すことなく掻い潜ることは可能だろうが、とフェイタンはそこまで考えて納得した。しかし、シャルナークの返答は意外なものだった。
『ハンターライセンス見せたら案外あっさり入れたよ』
なんでも、敵は寄せ付けたくないパーゴスウェイ国だが、それ以上にそんな敵から国を守ってくれる傭兵も必要としているようで、強いハンター等を招き入れては好条件をちらつかせ永住してもらうという思惑があるらしい。なので、出生やその能力が保証されている人間であれば、簡単な面接を済ませた上で入国できるようだ。
「それで、何か情報は掴めたか」
『そうだね。国家元首がだいぶハバ効かせてるクサいってことだけかな。今のところ』
国家元首。つまりこの国のトップ。トップであるからハバを効かせてくるのは当たり前のことでは?との疑問が浮かんだが、フェイタンは黙っておいた。
「それより、そちで探してほしいヤツがいるよ」
―――“あの男が死ぬまで、は絶対に奴らに渡さない。”
自身によく似ていたという今は亡き男、クリムゾン・リュービ。彼の強い念を解くために、殺すべき男が恐らくパーゴスウェイ国内に存在している。フェイタンは、話は少し長くなるが、と一言断り、シャルナークへ事情を説明した。
『・・・なるほどね。除念師、案外必要ないかもね』
「・・・確かに」
かなり重い愛情をに傾けていたリュービのことだから、もしかしたらよそ者を寄せ付けないために、まるで鉄格子のない鳥かごのように、一生をあの小島で過ごさせる可能性すらある。だがしかし、もしそうであれば、そもそもよそ者を小島に寄せ付けないよう囲うべきだ。念能力を習得したものであれば容易に見つけ出すことができる程度の絶で、小島を覆っていただけというところから、いずれはを自由にするつもりでいたという思惑が読み取れる。そして、その念を仕掛けた時期的に、もう自分が死ぬことは予見できていただろうから、除念師が必要なほどの手間を、念能力というものの存在すら知らないにかけさせるつもりは無かっただろう。
『ということだね。わかった。この国の陰謀をいっちょ暴いてやりますか』
「何かわくわくしてるか。シャル」
『そうだねぇ。好きかも、こういうミッション。隠密行動!』
「ワタシも行きたいよ。楽しそうね」
『ダメだよ!ちゃん、だっけ?フェイタンのこといたく気に入ってるみたいだし。それにこの国の追手が、またちゃんのこと攫いにくるかもだし。さらに、団長命令で盗みが終わるまではあくまで隠密にってことだし。殺しは最小限。フェイは向いてないよ』
フェイタンは舌打ちをして、二言三言シャルナークと言葉を交わし、受話器を置いた。
(そういえば、ここ最近この街との家の往復ばかりね。いい加減景色も見飽きてきたよ)
の住む小屋へ戻る道のり。だが、初めの頃よりも足取りは重くない。そして、早くの元へ戻りたいという焦燥感にさいなまれていた。自然と足を交互に交わす速度も上がっていく。
もしも、こうして自分がの元から離れている間に、追手が迫っていたら?あろうことか、傷つけられていたら、襲われていたら、汚らわしい手で触れられて貶められていたら・・・?
そんな考えが頭を過った。
(そんなこと、にしていいのは、ワタシだけね・・・)
の柔らかく美しい肌に映えた赤黒い血。そこにひそむ傷だけはゆっくりと治癒されていくが、遠目から見れば、苦しみ倒れる彼女の姿はまるで死体だ。そんな姿はフェイタンを確かに欲情させた。美しいと、心から思わせた。この歪んだ感性こそ常軌を逸してはいるものの、その根源は確かに、常人が言うところの愛であり、彼女を他の誰にも傷つけさせたくないと思うその心は、慈しみ以外の何物でもなかった。
愛という物をおよそ知らない彼は確かに、愛の衝動に突き動かされていた。