囚われの青い鳥


 時は1ヶ月ほど前に遡る。

 どこぞの地下室と思われる一室に、粗末な椅子に拘束される男の姿があった。その周りを黒づくめの男たちが5人、タバコをふかしながら退屈そうに取り囲む。一人がこらえきれずに言った。

「ヤっていい?もうヤっちゃっていい?ねえ、ねえ!?」

 頭の弱そうな男がナイフをうっとりと眺めながら、音とびの激しいステレオのように「殺る」と連呼し続ける。クレイジーな仲間に辟易したリーダー格と思われる男が舌打ちをし、椅子に拘束された血まみれの男に向かって歩き出す。

「あっ、ずるい、ずるいよリーダー!ヤっちゃうの!?オレを差し置いて!?」

 部下のやかましさへ対するイラツキでやつ当たるかのように、男の髪を乱暴に鷲掴みにし、腫れ上がった顔を無理やり上へ向かせる。正気の無い男の顔。もはや生きる気力など微塵も感じられないそれに、リーダー格の男はますます辟易した。

「おい。ヤれ。これ以上、こいつからは何も得るものはねぇ。上ももう、何も文句は言わねぇだろう」
「ヒッヒヒヒ!!オレヤる!!ヤるよぉリーダー!!」

 銀色に光るナイフが迫り、ブスリと嫌な音を立てて己が腹へと突き刺さる。痛みよりも、熱いという感覚が先に彼を襲う。

(楽に死なせてくれるつもりは毛頭無いらしいな)

 男は朦朧とする意識の中でぼんやりとそう思った。

「いいねぇ、いいねぇ。すっげぇ苦しそうじゃん!ヒッヒヒヒぃ!楽しいなぁあああああああ!!!!」

 うな垂れた彼の顔色をしたから覗き込んでケタケタと笑う狂人が、ナイフをありとあらゆる箇所に刺し始める。



 男の名はクリムゾン=リュービ。パーゴスウェイ国の数少ない医者の一人だった。罪状は、パーゴスウェイ国の中でも極刑が適用されるパーゴスウェイ人の国外への誘導、或いは拉致。

 彼が死に際までずっとつぶやいていたのは、愛するものの名前だった。

・・・・・・」

 喉を裂かれ、まともに息を吐くことさへままならなくなったにも関わらず、まるで呪文でも唱えるかのように動く口元が気味悪く、周りを取り囲んでいた男たちは狂人一人を部屋に残し去っていった。

 彼が腹にナイフを刺された後から死にいたるまでの時間はおよそ1時間。痛みによる失神の後、出血多量で息を引取った。失神する間際まで、彼の口元は動いていた。

 生涯でただ一人愛した人間の名を呼んで。



「先生っ・・・?」

 その頃、の嫌な予感が的中していたと、本人は知る由も無かった。






04:死ならざる死







 フェイタンが湖を離れて丸一日が経った。は彼がこの家へ戻るのを心待ちにしていた。何せ、ここにリュービと住み始めて、初めての客人だ。一人きりでただ医学書を読みふける毎日に飽き飽きしていた彼女にとっては最高の客人だった。あえて言及すると、フェイタンを客人と称すべきかどうかという一般論は、危機感の抜けたの頭の中にあるはずも無い。

 そもそも、この小屋に二人で住み始めて、と言っても、国で小さなクリニックを開いていた頃と同じ様な平穏な生活は1週間と続かなかった。1週間もしないうちに、リュービは一人をこの湖に残し、国へと戻ったからだ。

 彼女は、リュービが去り際に言った言葉を再び思い出す。

『この湖から絶対に出てはいけない』

 は恩師の教えを、何故なのかと追求することもなく、純粋に守りつづけていた。例の嫌な予感を感じるまでは。そして自分の体が不可思議な“念”とやらで生かされているのは、恩師の教えを破った報いだと思い込んでしまった。

(どうして先生は、こんなこと・・・)

 悪いのは自分だと思っていても、生きているのか死んでいるのかさえも判然としない自分の状態を恨めしく思ってしまうのは自然なことだろう。

 彼女はフェイタンが家を去ってからずっと、鬱々とベッドの上で考え事をしている。考えたからと言って、とらわれの身である彼女に何かできるわけではないが、それでも考えずにはいられなかった。

 なぜ湖の外に行くと死んでしまうのか。
 なぜ先生は自分をここに置き去りにして出て行ったのか。
 そもそも、何故先生は自分を国外へ連れ出したのか。

 謎が謎を呼ぶとはまさにこのことか。彼女は考えれば考える程憂鬱になる思考回路から抜け出すために、楽しいことを考えることにした。

(そうだ!盗賊さんがここにいる間に先生が帰ってきたら面白いだろうな!あんなに似てるんだもん。ふふふ!ドッペルゲンガーだ!とか言って先生が卒倒しちゃうかも!・・・あ。そういえば、宿題があるんだった・・・。先生が帰ってくるまでにやらないと、また怒られちゃうな・・・がんばろう!)

 少しだけいつもの明るさを取り戻したはベッドから降り、本棚のそばのデスクへと向かった。

 そのとき。

「こおおんにいいいちわああああああ!!」

 小屋の外でバン!と荒々しくドアが蹴破られる音がした。

「はぁい!」

(また盗賊さんかな?)

 こちらへ向かう足音がしたので、出迎える必要は無いと判断したは、のんきに返事をして客人を待った。すると、背の高い黒ずくめの男たち5人がぞろぞろと部屋に押し入ってくる。

「・・・まさか、呑気に返事をくれるとはな。お譲ちゃん」
「うっほおお、かぁああわいいねぇええ!ねぇ、ヤっていい!?ヤっていい!?」
「ちったぁ黙ってろ変態」
「おじちゃんたち、賑やかだね!どうしたの??また、盗賊さんなの?」

 リーダー格と思われる男が、の“また”という言葉に疑問を覚えるが、あまり深く考えずに用件を述べた。

「パーゴスウェイの監獄へお前を連れ戻しに来た」

 そう聞いて、は今までには微塵も見せることの無かったような真剣な表情を見せた。一瞬で彼女を纏う空気が変わったのを、その場にいる全員が感じ取った。

「・・・そう言えば、私は殺人の罪を着せられてるんだったね・・・」
「お前が実際に罪を犯したかどうかなんてオレ達には関係無い。お前はパーゴスウェイの罪人であり、極刑を受けなければならない。そして、その罪人を国外に連れ出した罪でリュービもまた極刑を受けなければならない・・・。いや、受けた、の間違いだな」
「・・・!?どうゆう、ことなの・・・」
「極刑を受けた。・・・平たく言えば、ヤツは死んだよ」

(先生が・・・死んだ・・・?)

・・・・・・って最期まで呼んでたなぁ・・・?キモかったあああ」

 狂人がヘラヘラと笑いながら、リュービの最期を語る。リーダーが狂った仕事仲間をにらみつけるが、男の下衆な表情は一向に改善されない。

って君のことかなぁ?かわいそーにさぁ、ずううううっと呼んでたぜえええ?ヒッヒヒヒぃ!喉かっさばいてやったのによおおお、ずうううっと、ずうううっと・・・」
「おい!黙れ!」

 は涙があふれそうになるのを必死にこらえるが、怒りと悲しみに打ち震える体の振動でその場に留まれなかった雫がぽたり、ぽたりと床へ落ちていく。は男に“殺意”を抱いた。

(・・・こいつ、殺してやる・・・!)

 デスク上にあったペーパーナイフを手に取り、ケタケタと笑い続ける己が仇に向かって突進する。が、素人が殺しのプロに勝てるはずもなかった。次にぽたりぽたりと床に落ちるのは、自分の血液。

「おい!!刺してどうする!!こいつは“外人”じゃあねえんだぞ!!」
「オレ悪くねえよおおお!こいつが刺してくるんだもおおおん!ヒッヒヒヒぃ!」

(痛い・・・痛い痛い痛い・・・!!)

 燃えるような痛みにこらえきれず、はその場にうずくまる。

「ったく。上に文句言われるのはオレなんだぞ・・・。どうしてくれんだ」

 頭を掻きながら、リーダー格の男はのそばにしゃがみこんで言った。

「お前は国の大事な研究材料だ。おとなしくしてくれな。あと、国に戻るまで死ぬんじゃあねぇぞ」

 ぽんぽんとの頭を軽く叩き、男はを担ぎ上げる。

(私が、国の研究材料・・・?一体何のことなの・・・?)

「さあ、撤収だ」

 そう言って小屋から出た一行。しかし、彼らの視野は次の瞬間に地面へと落ちる。天地が逆さになった視界と、美しい湖の景色には到底似つかわしくない紅蓮が映える。それが自分たちの血液であると気づかぬままに、多くのものが絶命した。

「なっ・・・何だ?」

 一行の最後尾にいたリーダー格の男は、部下たちの首から上が無くなり、血が噴出す瞬間を目の当たりにした。自分の視界もまた地に落ち、ばたばたと体がくず折れていく音も聞いた。そして、自分を見下す冷酷な目と、その目の持ち主に抱きかかえられる少女の姿が視界に入る。

「これ、ワタシたちの獲物ね」

 それが、男の聞いた最後の言葉だった。