囚われの青い鳥


 夜の闇にうごめく黒い影。それは、目指した“何か”を目の前に動きを止めた。

 彼は自分がどうやってここにたどり着いたのかをよく覚えていなかった。きちんとした道があるわけでも獣道ができているわけでも何でもないただの森の中を、フェイタンは“何か”の気配を感じ、その“何か”目掛けて、行く手を阻む木々の間を縫うように歩いたのだった。結果、たどり着いたのは澄んだ水をたたえた湖だ。真夜中に水が澄んでいると知覚できるのは、湖底の様子が月明かりに照らされてはっきりと見えるからだった。今が夜である所為か、フェイタンの目前に広がる景色はどこか浮世離れしていて幻想的だった。見る者が見れば、とても美しいとため息を漏らすのだろうが、この冷徹なアサシンの心にはそんな感情を抱くスペースが存在しないのは言うまでもない。

 しかし、ただ幻想的な湖と言って通り過ぎるには異質なものが、すぐにフェイタンの視界へと入り込んでくる。大きいとも小さいとも形容し難い規模の湖の中央に孤島があるのだが、そこに木造家屋が建てられているのだ。フェイタンがいる湖岸側と、家の建つ小島とを繋ぐ橋のようなものは見受けられない。だと言うのに、一体誰がそこに手紙の類を届けにくるのか、庭にはポストのようなものが見える。

 そしてフェイタンは気づいた。自分が目的地への道のりを外れて興味本位で目指した“何か”の正体に。

 湖が何者かのオーラを纏っているのだ。

 そのことに、湖を目前にして“凝”を使うまでフェイタンが気づかなかったのは、術者がオーラそのものの存在と、オーラで囲った中のものの存在を隠そうという意思で“陰”を用いているからだ。これがただの湖で中央に何もなければ、フェイタンは深く詮索することもせずに目的地への道のりを急いだことだろう。しかしそれを決意するには、あの不自然な家屋の存在を無視する必要がある。

 きっと・・・いや、確実にあの家の中には、何か重宝されるべき物がある。

 フェイタンは、驚異的な脚力をもってして、約50メートルはあろう水面を飛び越え、孤島へと降り立った。





02:月明かり







 扉には鍵がかかっていた。しかし、外部からの侵入を防ぐにはあまりにもお粗末な・・・錆びかけた鍵穴が一つついているだけで、扉はとても薄い。小柄なフェイタンでも、労せず蹴破れそうな扉だ。もっとも、小柄と言っても並の使い手とは比べ物にならない程の体術を会得しているため、掛け合いに出すには適さないかもしれないが。

 フェイタンは、警戒を怠らずに扉の前で中の気配を探る。いや、探るまでもなかった。念を習得していない一般人の気配をすぐに察知できたのだ。しかし、中を確認するまで何があるかわからない。なるべく物音を立てないようにピッキングをし、フェイタンは部屋の中へと足を踏み入れた。

 扉を開けたそこに見えたのは、キッチンと2つの扉だった。扉はフェイタンの向かって右側と前方に位置していた。前方の扉は中央がガラス張りになっており、奥の部屋から月明かりが漏れている。フェイタンは静かに前方の扉に歩み寄り、ドアノブへと手をかけた。

 ガチャリ。

 特に何の変化も起きなかった。しかし、やはり中には人がいた。部屋の奥にベッドが二つあるのだが、壁側にあるベッドが小さく膨らんでいる。規則正しい寝息に合わせてその白い膨らみは上下していた。丸みを帯びた形と、その大きさから成人男性でないことだけは把握できたが、肝心の顔が壁側に向けられているためフェイタンからは見えない。

 人の存在にとらわれ、この家に侵入した本来の理由を忘れかけていたフェイタンは、ふと我に返り部屋の中を見回した。生活感の薄い室内には必要最低限の家具が置いてあるだけで、“宝”を彷彿とさせるような置物など見当たらない。床下に隠し扉があるかもしれないと、部屋を一通り見て回っても、それらしいとっかかりや床の切れ目があるわけでもなかった。チェストや戸棚、押入れなどといったすべての扉を開いて見ても、生活用品以外の物は見当たらない。

 残る可能性は・・・。

 そう思ってフェイタンが目を向けたのは、ベッドで尚も寝息をたてる人物だった。これだけフェイタンが動き回っていても、部屋に入って来た時と寸分違わぬ格好で寝続けている。実際、動き回っていたと言ってもアサシンである彼が音を殺して歩くのは当然で、寝ている常人には気づき様もないといえば無いのかもしれない。

 この部屋自体に貴重と思われるようなモノ、あるいはそれに繋がる仕掛けらしきものが無いと言うのならば、あとはこの家の主が身につけているか、家の主が唯一“宝”のありかを知っている人物であるという可能性が高い。どちらにせよフェイタンは、この孤島に興味を示し立ち入った以上、ベッドで寝ている人物を起こすしかなかったのだ。

 この部屋にオレが入ったことにすら気づいてない。だから警戒するに足らない人間であることに違いはない。さっさと叩き起こして拷問して・・・何故この島を守るかのようにオーラが張り巡らされているのか聞き出すか。

 シーツを剥ぎ取り、人物の容姿をよく確認することもなく肩を掴んで仰向けにさせる。すると、特に危機を感じた様子も見せずにゆっくりとまぶたを開く少女がそこにいた。視力のいいフェイタンには、暗闇で月明かりに照らされているだけの人物が少女であると認識できた。

「・・・せん・・・せい・・・?」

 フェイタンには何と言ったかわからなかったが、現時点でそれを確認するほど、目の前の少女に興味を持っていなかった。しかし妙だ。その少女は悲鳴のひとつもあげずに、実にゆっくりとした挙動で目を擦りながら肩肘をついて上体を起こしはじめたのだ。今までフェイタンは、目的とする人物に触れた瞬間に奇声を発せられたことしかなかった。奇声を発する喉を押さえつけ、聞かれたことにだけ答えろ。それ以外のことを喋ったら殺す。と、本来ならば念を押すところなのだが、目の前でぼーっとフェイタンの顔を伺う少女は恐怖の色さえ微塵も浮かべない。そのため、いつものアサシン的対応が取れなかったのだろう。彼は眉をひそめて少女を睨みつけた。

 少女は金目のモノを身につけている風には見えなかった。見当違いの4文字がフェイタンの頭に浮かぶ。

 ・・・なら、“宝”のありか。吐いてもらうぜ。

 そう思って少女に手をかけようとした瞬間、一度発された言葉が、鮮明になって再びフェイタンへと投げかけられた。

「せ・・・先生!!」

 勢いよく腰に手を回され腹に頭突きをくらうフェイタン。警戒を怠っていたがためにとった不覚である。それもそのはず。彼女に触れた瞬間からフェイタンの予測不能な態度ばかりだったのだ。A級首の盗賊でありながら、自身が狩られる側の人間だとは微塵も思っていない彼にとって、自分と旅団のメンバー以外はすべて“狩られる者”である。今フェイタンに抱きついているその少女も例外ではない。例外では無いはずなのに、フェイタンは“狩る者”としての行動が取れないのだ。調子を狂わせられっぱなしの自分に腹を立てながら、乱暴に少女を引っ剥がす。

「先生が誰か知らないけど、とりあえず、まあ、だまるね」

 強盗としてこの家屋に押し入った以上、律儀に自己紹介するのも変な話だ。と若干口ごもり、何を次に言おうか弱冠考えた後に、とりあえず身に覚えのない誤解を解くことから始めよう。と考えたフェイタンは、少女の喉元を喋りづらくない程度に、ベッドへと押し付けた。

「・・・へ?」

 やっと自身が危機的状況に陥っているかもしれないと思い始めた少女の眼が大きく見開かれる。そしてフェイタンは初めて気づいたのだ。

 少女の目が“普通”ではないことに。

 人間の目玉を抉り出すというとんでもない作業をやり込んだ彼は、普通の人間の目玉の形態について熟知している。そう自負していたのだ。そもそも、彼が抜き取った眼球というのはクルタ族の“緋の目”であり、普通とは言い難いものかもしれないが、鏡で見る限り、瞳孔が緋色であるということ以外は自分たちが鏡で見る眼球と姿かたちが同じだった。

 そう。普通ならば、人間の眼球には“白目”が存在する。しかし目の前の少女の瞳には“白”と言える色素が見当たらないのだ。黒目はある。しかし、その周りがブルーダイヤのごとく、月明かりに照らされて輝いているのだ。

 そこで思い出す。先ほど目の前で目をこすっていた少女の右手で光る青い親指の爪を。マニュキュアというものが、コスメティックとして世に出回っていることぐらいは、フェイタンも知っている。きっとそれだ。とフェイタンは思ったので気にも止めなかったのだが、よくよく考えてみると、エナメルを貼り付けただけの爪にしては、あまりにも透明度が高かったように思える。

 青く輝く目と爪・・・。ここまできてやっと、目の前の少女が何者かをフェイタンは理解した。クロロが言っていた“氷の民”。城壁という囲いで幽閉されているはずの民族が、なぜその囲いからかなり離れているこんな森の奥にいるのか。理由は分からなかったが、“パーゴスウェイ族”の少女が確かに目の前にいる。

「お前・・・その目・・・」
「・・・すごく、似てるけど・・・別の人だ・・・」

 言葉のキャッチボールをする気のない二人の言葉が投げられっぱなしで静かな室内に響いて消えた。