「うわああああ!おっきーい!」
「お前小学生か。少しは静かにしてろ」
天高くそびえる闘技場。そのすぐそばを航路とする船に、ノブナガとの二人は乗っていた。ノブナガが言う通り、まるで幼い子供のように好奇心を剥き出しにし、飛行船の窓に顔面を押し付けんばかりにはしゃぐ。そんな彼女を、ノブナガはまるで保護者のように呆れた様子で眺めていた。しばらくして、着陸態勢についた飛行船は空港の停泊所の真上に到着し、徐々に高度を落としていく。
『皆様。本機はただいまラビア国際空港へ着陸いたしました。この先、通信用の電波を発する電子機器もご使用いただけますが―――』
飛行船のアナウンスが鳴ったとたん、は頭上の収納棚から持ってきた荷物(パンパンに張った布製のキャリーバッグ)を取り出そうと座席から立ち上がった。
今日のラビアの天気は晴れ。空港の大きな建物の向うには天空闘技場がそびえ立っている。は異国の地に立ち、ノブナガとリバへ旅行へ行ったときと同じような高揚感を覚えた。
「ノブナガのお仕事って、何時に始まるんだっけ?」
「・・・・・・・」
そう言って、キャリーケースを転がしながらが後ろを振り向くと、ノブナガはかなり真剣そうな表情で感覚を研ぎ澄ましているようだった。そしては反省した。今回の旅は、旅行ではない。娯楽ではないのだ。ノブナガが気を引き締めているのに、私が浮かれてしまっていてはいけない。は、勇み足で進んだせいで広がったノブナガとの距離を足を止めて縮め、ノブナガの歩調に合わせた。そして、申し訳なさそうな顔でノブナガの顔を見上げた。
「ノブナガ・・・なんか怒ってる?」
近くで話しかけられてはっとして、ノブナガは声のしたほうへ顔を向けた。が上目遣いでこっちを見ている。
(・・・近い。そして、カワイイ・・・。あと、なんか・・・)
世の男たちが、女性のこの上目遣いに弱い理由について、ノブナガは今の今まで一度も考えたことはなかった。しかしながら、自身の頭に浮かんだ下卑た妄想によって、一つの仮定に行きついてしまった。困ったような表情で、眉を寄せ悲しそうに口をつぐみ見上げるそれはまさに、男女がとある行為に及んだあと、男性側が吐き出した欲を飲み込んだあとのそれに似ているからではないか・・・。
(エロい・・・)
もちろん、彼は“ここにの貞操や生命を脅かすような脅威はない。”と確信した上で、気をゆるませている。だが、そんな状況が次の瞬間には変わってしまうかもしれない。ノブナガは思い浮かんだ卑しい妄想をさっさと頭の中から往なし、に返答すべく沈黙を破った。
「あ、いや・・・。済まねぇな。怒っちゃいねぇ。警戒してるだけだ」
「そっか。良かった」
危うく夜の慰めのネタにされかけただが、当の本人はそんなことを知る由もなく、軽快な足取りで空港の到着ゲートへと向かった。ノブナガは人知れず罪悪感に駆られながらの後を追う。
(ったく・・・末期症状だな)
への思いが溢れ、男としての本能を剥きだしに、オレがあの柔肌に牙を立てるのは、そう遠くないのではないかと、ノブナガは自分自身の信念を疑い始めていた。
あり得ない客
「いいか。絶対に、何があってもこの部屋から出るんじゃねーぞ」
「はーい!ノブナガも気を付けていってらっしゃい」
髷を結い刀を腰に下げ、戦闘準備万端という格好でノブナガは、夜10時ごろホテルの部屋のベランダから、外へ飛び出していった。夜の闇に消えるノブナガの背中を見送った後、はしっかりと戸締りをし、カーテンを閉め、一息ついた。仕事は2、3日で済むという話だったので、その間は絶対に外に出られないわけだ。さらに、ゆっくり休んでいていいわけではない。念能力を開花させるという精神修業が待っている。
(ま、明日の朝からでいっかー!)
ハンターライセンスを提示したおかげで、かなり広くラグジュアリーな一室を借りることができた。彼女にとっては、まずは修行よりなにより、広くて豪華な装飾が施された陶磁器製のバスタブに湯を張り、同じく浴室の大開口の窓から一望できる街の夜景を堪能しつつ、日頃筋トレやバーテン稼業で鞭打っている身体を癒すことが先決なのだ。
バスタブに湯を張っている間、ラビアのグルメ情報をスマートフォンで検索する。飛行船から降りたすぐのときに内省したことを忘れてしまっているように、彼女は旅行気分でサイトをめぐっていた。
(あ、でも、そっか。一人で外に出歩けないんじゃん。あああ!この三日間結構つまんないかもなー)
近くに天空闘技場があるというのに、勉強のためと試合観戦にも行けないのだ。なんてことだ。やはり言いつけ通り、精神修業にいそしむしかない。改めてそんな現実を突きつけられたは、携帯端末をソファーへ放り投げ、バスルームへと向かった。風呂上がりに赤ワインとチーズ、クラッカーをルームサービスで頼み楽しんだ後、その日はキングサイズのベッドでひとり、心地よい眠りについた。
朝目が覚めたのは午前7時ごろ。はカーテンを開けて日の光を浴びると、朝食が運ばれてくる午前8時までに軽い身支度を済ませ、携帯端末のメッセージを確認する。ノブナガからの連絡はもちろんない。超必要最低限のことしか連絡してこないノブナガのことだ。変な期待はやめて、雑念を捨て、修行に集中しよう。
すると、ホテルの廊下へと通じるドアからコンコンとノックされる音が聞こえた。
「様。ご朝食をお持ちいたしました」
「あ、はい。ドアの前に置いておいていただけますか」
「承知いたしました。お食事が済まれましたら、いかがいたしましょう」
「カートごとドアの前に置いておいてもいいですか?」
「かしこまりました。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
これも、がノブナガから教わった食事の受け取り方だった。基本的にホテルの従業員であっても接触は厳禁。まるでノブナガにすごい寵愛を受けているような錯覚に陥る。実際のところ、8割型そうなのだが、驚くべきことに二人は付き合っているわけではない。ダブルベッドの置いてある部屋を借りたにも関わらずだ。
オーガニックにこだわった、健康志向の朝食に舌鼓を打ち、は至福の時を過ごした。ハンターライセンスを獲得してからというもの、今までの人生が嘘のように豪勢な待遇を受けている。やはり資格を取得するのは、人生を豊かにする上で重要なことだと思い知る。オーガニックの果汁100%のグレープフルーツジュースを飲み干して朝食を終えたは、いよいよノブナガに教わった通り、まずは瞑想から始めることにした。
宿泊しているホテルは、小高い丘の上にあった。デラックススイートルームは、1LDK+プールといった間取りで、建物の角に位置している。東に海側、つまり天空闘技場のある夜景の美しい街を一望できる側、西に森林や川のせせらぎを聞くことができるプールとテラスがあるという、ほぼヴィラに近い作りとなっている。森林側のテラスはそれこそ瞑想をするのに最適で、ペットボトルのミネラルウォーターを片手に、は瞑想を始めた。
次々と思い浮かぶ思考。そのすべてを静観し、考えることをやめる。川のせせらぎや、木々の葉が風に揺れる音、鳥たちのさえずりが身体を包む心地よい感覚に身を委ねた。すると次第に、身体じゅうをめぐる、あたたかな水・・・いや、水よりも質量のある液体のようなものの存在に気づく。それと同時に、身体じゅうの汗腺からじわりじわりと汗が染み出てくる感覚を覚えた。3時間ほど瞑想を続けると、立ちあがった瞬間に軽くふらつき、思いの外体力を消耗していることに気づく。シャワーを浴び、昼食を取った後、午後は日課の筋トレと有酸素運動に徹し、森が夕焼けに染まる頃、もう一度瞑想をおこなった。
その後2日間は同じことの繰返しだ。ありがたいことに、ヒソカの急襲を受けるようなことも、ハンターライセンスを狙うホテルの従業員が、食事に毒を盛るなんてこともなく、の身の安全は保たれていた。なんだ、ノブナガの考えすぎなんじゃないかと、気分は軽くなり、さらに瞑想による脳のと心のデトックスでスッキリ爽快。考えていたよりもつまらないことはなく、かなり充実したいいホテルステイだった。2日目の夜は部屋のキッチンで軽いつまみを用意し、高級ワインのボトルを一本空けた。
そして明くる日の朝。スマートフォンの通知音で目を覚ます。見るとノブナガからショートメッセージが入っていた。
「今日の夜戻る・・・か。ほんとさっぱりしてるよね。メッセージが」
は毎度のことだが物寂しい気持ちになりながらも、彼が無事仕事を終え戻ってくるであろうこと、そして今夜ノブナガとどんな夜を過ごそうかと考えるといてもたってもいられなかった。さっそうとベッドから飛び降り、身支度を済ませ、朝食を済ませると、浮ついた心を鎮めるため瞑想すべく、テラスへ向かった。
(いい加減何か成果的なものを出さないと、おこられちゃうかな・・・)
などと考えるも、過ぎた2日間と同程度かすこし多い程度の発汗と、体を包むあたたかなオーラの存在を感じたというくらいだった。少しがっかりしながらも、昼食を済ませ、筋トレ、有酸素運動が終わった午後16時頃。シャワーを浴び、夜のノブナガとのデート(とが勝手に思っているだけだが)のため、軽く化粧をしているときだった。コンコンとドアがノックされた。
(ノブナガ・・・?少し早いけど、帰ってきたのかな)
基本的に、高級ホテルともなると、フロントから客室へ向かう部分のセキュリティが固いため、部外者が簡単に入ることはできない。ホテルの従業員であればその旨を伝えるはず。なのでつまりノブナガ以外にあり得ない。そういう結論に至り、はドアを開けた。
「お帰り!ノブ・・・な、・・・ん?」
ドアを開けた。否、うかつにも開けてしまった。ホテルの従業員からの食事の受け取り方は完璧だったが、その徹底ぶりが一気に水疱と帰すことになった。そう。彼女の目の前に佇むのは、ノブナガではない。
「やあ。久しぶりだね」
「いやああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
ヒソカだ。まごうことなきヒソカだった。ヒソカはチェーンも何もかけることなく開け放たれたドアの取っ手を奥へ押しのけ、簡単に客室へと侵入する。完全には気を抜いていた・・・。