あのやきもきする旅行から帰ってきて、私は変わった。
おそらく、自分がハンターライセンスを持っているということ。これはひと時前の平々凡々な自分とは一線を隔す決定的“証”であり、自信の源だった。もっと早く思い立っていれば・・・なんて、マットの死を悼むんだけど、おそらくハンターになりたての私には到底敵う相手じゃなかっただろう。
相手との力量差を計るセンスは、戦闘においてかなり重要なものだとノブナガは言う。その言葉に、最初はピンとこなかったけれど、ハンター試験を通してそれを実感することができた。
運悪くヒソカと組まされたとき、私がずっと気が立ってイライラしていて、あからさまにヒソカへ嫌悪感を示していたのは、当の本人に“殺す気”がさらさらないのにも関わらず、彼と自分との力量差を無意識のうちに体が感じ取っていたからなんだろう。
まあ、あいつの場合、常に性的な目で嘗め回すように自分を見てくるからっていうのもあったんだけど・・・。
簡単な昼食を作って、コーヒーと一緒にリビングでくつろぐノブナガに差し出す。
「はい、朝ごはん」
ノブナガは、ん、と短い返事をして手渡された皿とコーヒーをローテーブルの上に乗せた。それにしても、さっきからノブナガはやけに静かだ。
「・・・仕事が入った」
キッチンに戻り、自分の分を皿に盛っていたとき、唐突にそうぼそっと呟くノブナガの背中を見て、少し残念な気持ちになりながらも、ハンターライセンスを持つ前の自分よりも、確実にノブナガへの依存は減っていることに気づく。今度は笑って彼を送り出せそうだ。
「そっか。・・・いつ出て行くの?」
「3日後」
「あら。だいぶ急なのね」
あとたったの3日しかノブナガと一緒にいられないの?今度はいつ帰ってくるのかな。なんて、思っても口にはしない。束縛っぽくなるのはイヤだし、そもそも彼を束縛するような間柄でもないから。
私があれやこれやと考えていると、以前よりも反応の薄い私の言動にイラついてか、ノブナガが続けて口を開いた。
「はあ・・・。今度はお前も連れて行く」
「え?なんで???」
まるで私が何もわかっていないとでも言いたげな態度。何をそのように軽度なイラつきを見せてこられるのか・・・?そう。私はまだ何もわかっていなかった。
ハンターでいること、ハンターでい続けることの難しさを・・・。
あり得ない世界
「お前な。なんか勘違いしてるみてーだから言っておくとよ・・・。ハンター試験受けて終わりじゃねぇからな。ハンターライセンスってなぁ表で堂々と動きたい奴のタダの肩書きであって、ハンターとしてのその実じゃねぇ」
「ごめん。何言ってるかわかんない」
「だから、ハンターは強さの証じゃねぇって言ってんだよ」
は思いっきり、隠しもせず“ハンターになれた私強い”みたいな顔をして日々を過ごしていた。それは、ハンターライセンスを手にした当初から、少しずつ彼女の周りを満たしていき、今日、ノブナガはそれを確信した。それと同時に、彼女の身にそのうち危険が及ぶことを、ノブナガは危惧していた。
が営む酒場は、地元の人間だけでなく、かなりの頻度でノブナガのような根無し草も立ち寄るオアシスとなっている。治安もそう良い方ではないので、3年前にあった事件の原因ともなった様な輩が訪れるリスクも少なからずあるわけだ。
が今のまま、ハンターになったことを口には出さないまでも、その危うい雰囲気、自信を垂れ流していると、ハンターライセンスを狙う連中が彼女を襲うなんてこともあり得る。
今の彼女は、危なっかしくてとても一人にはしておけない。理由を話すと、は気持ちしゅんとして、ノブナガの隣に座った。
「やだ・・・私恥ずかしい。思い上がっちゃってたんだね」
「・・・お前今人生で一番命が危ない状態だぞ。だから、“念”を覚えろ。そのためにお前を連れて行く」
「ネン・・・?何それ・・・」
「お前が筋トレやら何やらで鍛えてる間、オレはお前の知らない内に、少しだけ念を纏った手でお前に触れてた。お前は気づいてないだろうが、トレーニング中、やけに代謝がよかったり、体が暖かかったりしてなかったか?」
「・・・・・言われて見れば、すごく体が火照ってた気はする・・・かも。汗も滝みたいに出てたし。念ってやつのおかげなの?」
「目を凝らして、オレの手のひらを見てみろ。すげー目を凝らしてだ。尋常じゃないくらいに集中しろ。何も見えなくても、何も言うな。何か見えるまで、絶対に一言も喋るな」
訳もわからず、ノブナガの謎の気迫に圧倒され、は冷や汗を垂らしながら言われるがままに、ノブナガの手の平を眺める。集中して目を凝らしてと言っても、いったい何を見ればいいのか。対象の形態も知らないのに。ほくろやあざ一つないふつうの肌色をした手のひら。視線が泳いでしまうのは当然で、その間は集中することもできない。は釈然としないまま、自然とノブナガの手の平を手にとっていた。
(あったかい・・・。それに何か、ノブナガの手に触れてる私の手もなんだかふわふわする気がする。なんだろこれ・・・)
一方ノブナガは、“凝”での体を巡るオーラの動きを目で追っていた。若干だが、彼女の体を薄いオーラが纏っており、自分の手を取る彼女の手だけに少しオーラの厚みが増していくのを確認していた。
(いい反応だな。まず感覚的にオーラを捕らえようとしてる)
“凝”までの完成度は求めない。目にオーラを少し傾けて、念が何なのか、感覚と実態をつかめれば合格点。まずは念の正体を認識しないことには、修行を始めることなんてできない。
そう思っているのも束の間、の目にオーラが傾き始めた。
(結構センスあるのかもな。ヒソカの野朗はその素質を買ってたのかもしれねぇ。を女として見てたってのが大半だろうが・・・。殺さなかった、後の楽しみのためにとっておいた・・・・。心底いけすかねぇ野朗だ)
「ね・・・何これ・・・。何か、ふわふわしたのが・・・ノブナガの手の周り覆ってる・・・」
「それが念だ。生命エネルギー。オーラ。まあ何でもいいが、お前にもそれがある。それを出したりしまったり、変形させたり・・・自在に操ることで、お前の矛や盾にする。それができて初めて一人前のハンターなんだよ」
は呆然としていた。
「ノブナガはその、念ってのが、自由に使えるの?」
「まあ、自由にって言っても個人個人で系統があってだな・・・。ある程度制限はあるが、使える」
彼女は生唾をゴクリと飲み込み、ひとこと「すごい」と呟いた。と、同時に、念能力とやらに無限の可能性を感じたのか、あからさまにワクワクした様子で、念を纏うノブナガの手を凝視していた。
「ノブナガはどんな能力なの」
「普通念能力者は自分の能力を簡単に他人に話したりしない」
「・・・へえ」
「・・・・・・・・」
は長い間ノブナガの手を掴み続けている。お互い目的は達したので、もう手を放してもらって構わないのだが、ノブナガは妙に緊張して「もう放していい」と言い出せないでいる。
「気は済んだか」
「・・・・・・・・え?何が」
「もう念が見えたみたいだから、手を放してもらっていいんだが」
「あ、ごめん」
生娘のごとく頬を染めて、とっさにノブナガの手を解放し、彼から目をそらす。そんな彼女の様子を見て、ノブナガは不覚にも、彼女の頭を撫でてしまった。
「な、何さ!その幼子を見るような目は!」
「いや・・・」
(かわいいと思ったから・・・つい)
なんて言えないが、という彼の気持ちを知ってか知らずか、は「やめろ」と言わんばかりに、自分の頭頂にある手のひらを掴み、二人の間、ソファーの上にそれを押し付けた。
「で?その仕事はどこであるの?」
「ラビアだ」
ラビアと言えば、天空闘技場がある連邦国家だ。は天空闘技場の存在自体は前々から知っていた。死んでしまったの元カレも、よく入り浸って(彼女のことを放置して)修行していたことがあるようで、ラビアと聞いただけで彼女は少しだけ眉間に皺を寄せた。ちょっと試合して何度か連勝してしまえば、その辺のサラリーマンの平均月収くらいの金が手に入るのだから、腕っぷしの立つ者であれば一度は挑戦したいと思う娯楽施設。TVでもよく試合の様子が生放送されている。世界で4番目に高いと言われるタワーがある観光名所でもある。つまり、知らない人間は少ないということだ。
「それじゃ、ノブナガが仕事してる間私は観光を・・・」
「いや。おめぇはオレがいない間ホテルの部屋に引きこもってろ。観光なんか一人でやってたんじゃ、ここで一人でいるより危ねぇからな」
「え、何で」
「天空闘技場があるのは知ってるだろう」
「知ってるけど、何で危ないの?」
「あそこで戦ってるランク上位の奴らはみんな念能力者だからだ」
「・・・へぇ。知らなかった・・・」
(ノブナガと出会ってから、私の世界は広がるばっかりだわ・・・)
はうきうきとした表情でノブナガの話を聞いた。そして話を聞いているうちに、の表情はだんだんと陰っていく。そう、ラビアという国には現在、あの忌まわしい男ヒソカが滞在している可能性が高いというのだ。彼はよく天空闘技場で血気盛んに戦って挑戦者をいたぶって楽しんでいるらしく、今回一応旅団メンバーとして召集を受けてはいるものの、絶対に仕事をしにはこないと旅団メンバーみんなが予見しているとのことだ。
「あのクソ野郎、基本団長が姿を見せない仕事には顔を出さねえ。オレが仕事してる間に、暇を持て余した野郎がお前を襲いに来ないとも限らない」
「まさか。私が泊まるホテルをばらすわけじゃあるまいし。大丈夫じゃないの?」
「いや。やつはオレがラビアに行くことを知ってる。そして偶然仕事の場所は天空闘技場の近くなんだ。変に鼻が利くしカンもいいやつだからあぶねえんだよ」
でも、せっかく旅行するのに・・・とがごにょごにょと文句を言うと、仕事が終わればいくらでも付き合ってやる。と、に優しい言葉をかけた。それはつまり、デートだ!とは解釈した。口には出さないが、そんなご褒美があるなら、いくらでも部屋に引きこもろう。
「部屋にこもってる間は、念を磨いとけ」
「念を磨く?具体的にはどうすれば・・・」
長い修行の間、微弱ながらノブナガはの身体に己の念をあて続けていた。そのおかげか、ノブナガがの身体を纏うオーラを“凝”で確認する限りでは、全身の精孔は開きかけている。後は精孔から流れ出るオーラの絶対量を増やし、“纏”をマスターすれば、念能力会得の第一歩を踏み出したことになる。そんな説明を受ける。
「お前が念を意識しだしたのはついさっきだ。まだ第一段階完了までだいぶ時間がかかるだろう。だから、オーラが全身を駆け巡っているというイメージ修行をホテルでやってろ。移動中もできるならイメージしてろ。でも変に急に脳力が開花して、ラビアに着くまでの間に虫に寄ってたかられても面倒くせぇ。なので船に乗ってる間はなるべく普段通りにしてるんだ。やり方はホテルに着いたら教えてやる」
「はーい。なんか楽しみになってきたなぁ」
は、ノブナガがいなければ広がらなかった世界に思いを馳せる。3日後にまた、彼女は平凡な日常からの脱却を果たすことができる。もはや人生の一大テーマとなったそれは、彼女の好奇心をより一層に掻き立てた。念能力。それは今まで彼女が見てきた世界が、がらりと違うように見せてくるようなものだ。たった今、誰もが内に秘めるそんな能力を認知したばかりのだったが、まだ見ぬ世界へ飛び出すのが待ちきれない。まるでコミックやアニメのように、体の周りにキラキラと光るダイヤのようなものをちらつかせん勢いで、さっそく荷造りを始めようとソファーから立ち上がる。一方のノブナガは嫌な予感しかしなかったが、今はを一人にさせておきたくはなく。それが最善だと自身に言い聞かせるように、の淹れた濃いめのブラックコーヒーを一気に飲み下した。
「ノブナガ!ありがとう!あなたのおかげで私の人生、すごくすごく楽しくなってきた!」
リビングの扉から思い出したかのように顔を覗かせ、はノブナガにそう伝えたかと思うと、ノブナガの反応も何も確認しないまま、軽い足取りで荷造りすべく2階へと駆け上がっていった。リビングに一人取り残されたノブナガは妙な緊張感に頭をぼりぼりと掻きむしった。
(ったく・・・。人の気も知らねぇでアイツは・・・)
しかし、ノブナガは思った。そんながやっぱり好きだと。なんやかんや理由をつけて、彼女を手放したくない。彼女と行動を共にしだして何度目かもはや分からない、そんな根源にある己の欲望を再認識させられるのであった。