あり得ない

非日常的なあなたと私の関係




 オレは悪い夢でも見てるのか。もし、これが本当に夢ならば、個人的にはすげぇいい夢、なんだが。もし、これが夢じゃないなら、これからオレはどう振舞えばいい・・・。知らなかった、気づかなかったこととして処理していいのか。オレはお前が目を覚まさない限り、何をやってもいいのか。

 そんな答えの無い自問を頭の中で繰返す。

 オレが今どんな状況に陥っているのか細かく説明すると、だ。まず、との旅先で宿泊施設を利用することに当然なるわけだ。だが、そのホテルはハイシーズンにこの地を訪れてしまったが故に部屋に余裕が無く、ダブルベッドが一つ置いてある部屋しか残っていなかった。つまり、今まさにと同じベッドで寝ている。ここまではいい。ある程度二人の間にマージン(余白)があれば、問題は無い。無いと言い切れるほど聖人と化したつもりはないが、まだ自制心は保てる。が、しかし、ダブルベッドなどと言いつつも、ほとんどセミダブルに近いベッドだ。言うほどのマージンがあるわけではないので、二人の間に“肉体関係に無い男女”のための離隔は取れない。

 そして今まさに、何が起きているのか、その詳細を説明する。酒に酔って自制心を完璧に無くした状態で眠りに落ちたが、ほぼ全裸に近い身なりでオレの足に自身の足を絡ませている。それだけでなく、オレの胴体に腕を回し、ほぼゼロ距離で彼女の胸の柔らかさを左半身で感じている状態だ。不幸にもオレは相当な量の酒を飲まないと自我を忘れ去れない。ので、完璧に今、目は覚めている。覚めているので、当然、こんな状況で男としての性が騒がないわけが無い。事実、オレの中心は今熱を帯びて、完璧にせり上がりきっている。

(・・・・が起きてなくて、良かった)

 オレは一体いつから聖人になったのか。そう言って自分を称えてもいいほどの対応だ。そうだ。オレは今、寝ているのだ。これは夢だ。オレが欲望のままの行動を取ったところで、それを目覚めた後に覚えていてはただただ虚しくなるだけ。動くな。だめだ。SAMURAI道を貫け。

 落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け・・・・・・・・・・・・・・。







あり得ない旅行








「よっし!私がハンター様になってからの初仕事はこれよ!」

 バン!と効果音がしそうなほどに叩きつけられた古地図。その地図に示されているのはどこぞの島。

「沐浴ついでに酒狩りに行くわよ」
「は?」

 曰く、この古地図に示された幻の泉からは美酒が湧き出でるらしく、現地人は古くからこの幻の泉で沐浴をし、身を清めているというのだ。湧き出る酒はボトリング可能で、土産として観光客に人気とのこと。

「おい。ハンター様。Dランク以下のミッションじゃねーか」

 ノブナガがそうツッコミを入れるのも無理は無い。古地図を前に出された所為で、全うなハントらしく見えてしまうが、その実は旅行雑誌に掲載されているほど有名な観光名所。なんなら、ハンターでもない、念能力者でも何でもない一般人が年間に何万人とその地を訪れていると言う。ノブナガは眉をひそめながら、のスマートフォンでその観光情報を検索し、該当ページを見せる。

「い、いいじゃない!あのね、とりあえず、本当にこのハンターライセンスが使えて、ハンターとしての特権を濫用できるか確認するためにも、ノブナガと旅行・・・もとい、ハントしに行きたい
のよ!」

 若干本音が漏れていたが、敢えてツッコミを入れずに、ノブナガはスマホで観光地情報を漁る。

 よくよくこの島一帯の観光名所やらグルメやらホテルやらの情報を見れば、目立ってくるのは「オーガニック」「スパ」「エステ」「ヨガ」などと、いかにも女性受けしそうな字面。一人で行くのがイヤだから、とりあえずノブナガについて来て欲しい感丸出しの提案である。

 ただ、ノブナガもといるのがイヤなわけではなく、むしろ好意を寄せている状態であることから、このの女子力向上本意な提案を却下する理由も特には無いし、今のところ蜘蛛としての仕事があるわけでもない。

 そんなこんなで訪れた、南半球の赤道近くに位置する国“リバ”。の住む街からは飛行船でおよそ8時間程度飛んだ場所に位置していた。飛行船から降りた瞬間から肌を照りつける太陽。だが、湿気があまり無い時期のせいか、暑いことに対する不快感はさほど無かった。

 ノブナガは頭頂部でのその長い髪を結い(所謂ポニーテール)、白の半袖VネックTシャツにベージュのカーゴパンツというラフな格好で、思いっきりバカンスの装いだった。対するも花柄のワンピースに麦わら帽子。とてもハンターライセンスを所有するようには見えない彼女は既に、そっくりそのまま見た目通り、何かハントする気を完全に失っていた。自分がハンターであることすら、忘れているかのよう。

 ただ、ハンターになりたての人間が最初に一番苦労するのは、ハンターライセンスを守ること。バカンス気分でずっといられるわけではないことは、彼女自身きちんと自覚していた。

「わー!着いた!!」
「はしゃぐなはしゃぐな」

 飛行船から降りて駆け出したの後ろを、ノブナガは頭を掻きながらゆっくりと歩く。するとは突然ぱたりと足を止めて、無邪気にノブナガへ向き直り、にこやかに口を開いた。

「私、あの街から出たのなんて何年ぶりだろ。嬉しいな」
「・・・・・・そうか。そりゃ良かった」

 そんなの姿を見て、遠目からは分からない程度に頬を染めて、ノブナガは返事をする。

 初めて、に好意を抱いたのはいつだっただろう。

 彼はの笑顔を見て過去を振り返る。そう、それは彼女がどこの馬の骨とも分からない自分を、何の疑いも無く自分の家に泊めると言ったときだ。当時の彼女のハツラツとした笑顔の中にはどこか影はあったが、その影が何故か彼を惹き付けた。その影が、今となってはどこにも見当たらないが、かと言ってそれが故にノブナガの興味が薄れることは無く、今も尚、彼女は彼を魅了し続ける。

(こんないいオンナを前にして、どうしてオレはいつまでたっても男になれない・・・?)

 理由はいくつかある。ひとつは、罪悪感。が付き合っていた男は、ノブナガの所為で死んだ。ノブナガがの飲み屋に出入りしなければ、殺されることは無かっただろう。彼もハンターの端くれ。死とは常に隣りあわせであることは自覚していただろうが、それをまだハンターでは無かったは理解できなかっただろう。もうひとつは、の「好きな人がいる」という発言。好きな男がいるのに、なぜ自分と一緒にいるんだ。という鈍感すぎる考えを後押しするのは、自分がA級首の盗賊で全うな人間ではなく、と釣り合うはずの無い人間だと言う思い込みだった。そして、漠然と抱えている、いつか別れなければならないときがくるだろうという予感。それは自分の死であったり、彼女の身に迫る自分が原因の危険、その他もろもろの理由で、いつか寿命を全うする前にお互いに辛い思いをして別れる日が来るだろうという、何の確証も無い思い込みだった。

 要は、これらのまどろっこしい言い訳を盾に、据え膳を食えずお預け状態に自らを追い込んでいる情け無い男が、今のノブナガであるということである。欲しいものは奪う主義という旅団の一員として掲げるべきポリシーを、の前では貫けずにいるのだ。


「・・・え、ダブルベッドの部屋しか、空いてない・・・・?」

 ハントとは名ばかりの観光で散々歩き疲れた果て。観光客だらけのハイシーズンにリゾート地を訪れてさえいなければ、こんなことにはならなかっただろう。キングサイズのベッドが置かれたスウィートルームであれば、まだ離隔を十分に取って各々十分な休息をとることはできただろう。もちろん、金銭的にハンターライセンスを持つにかかればスウィートルームの一つやふたつ、余裕で取れてしまうわけだが、問題は金ではなく空きが無いと言うこと。ビジネスホテルではないので、ある程度の部屋の広さは確保されているものの、ベッドはひとつ。

「もう、疲れたし、他に探すのめんどいし・・・いいよね?」
「おう」
「ノブナガはソファーで寝てね」
「は?お前がそうしろ」

 フロントの受付は申し訳なさそうな表情で部屋の鍵をに渡す。ごゆっくりおくつろぎくださいという受付の言葉を背中に受けるが、ノブナガもも心の中で「寛げるか!!!」というツッコミを飛ばしていた。

 部屋に入るや否や、ノブナガは服を脱ぎだす。

「突然脱ぎだすな!何!?風呂!?レディーより先に入ろうっての?」
「なんなら一緒に入るか?」
「っ・・・は、はあ!?何言ってんの!スケベ!!!!!!」
「はっはっは」

 は怒り心頭でソファーにどかっと座り、観光先で手に入れた例の酒を酌んだボトルをドンとテーブルの上に置いた。

(先に飲んじゃお)

 普段は酒を入れるグラスにまで配慮するだが、備え付けのガラスコップしか無い現状で文句は言えないので、しぶしぶそれに酒を注ぐ。清涼感のある、香りだけで身を清められそうなその酒を一口含むとと若干の辛味の後に、芳醇な旨みが口内に広がった。

(おいしい!遠路はるばる来た甲斐があった!)

 つまみも何も無しに、はグラスを空けては注ぎ、空けては注ぎを繰返し、4Lのボトルの4分の1を飲んでしまった。ノブナガが風呂に入ってあがるまでの20分間でだ。いくら酒に強いでも、ハイペースで1Lも度数が30ある酒を飲んでしまっては、正気を保てはしない。

「おい・・・珍しいな。お前が酔うなんて」
「酔ってないよ~」

 いや、明らかに酔っている。事実、素面のときに目のやり場もないとばかりに音速で目をそむけていたノブナガの半裸を、今は朗らかに笑って見ているのだから。

「・・・つまみも無しに・・・ったく」
「ノブも一緒に飲も~」
「・・・それもそうだな」

 本当なら風呂上りはビールが至高だが、今回の旅のメインは秘境から湧き出たこの酒を飲むことだ。ノブナガはの隣に座り、グラスに酒を注ぐ。一口飲むと止まらなくなるのは理解できる味。だが、それより何より、隣のよっぱらいの存在が気になるノブナガ。

 普段は快活で歯切れのいいオンナが、酒を入れただけでふにゃふにゃふらふら、頬を染めてこっちを見ている。

「おいし~でしょ~」

 いままでがこんなに酔ったことがあっただろうか?いや、無い。おそらく、飲み屋では自分の財産である酒を温存しつつ、適度な量を適度なスピードで楽しんでいたのだろう。時間を置きつつ飲めば、チェイサーをはさみつつ飲むクセをつけているが、確実に酔っ払うことはなかった。今は店主としての責務も何も無い状態で、言うなれば完全にリラックスした状態で、好きなだけ酒を飲める状態。もちろん、4Lという限度はあるが、30度もある酒を4L飲み干せる常人など存在しない。

 もういっそのこと自分の思うがまま、欲望のまま、性をさらけ出し好きなように振舞ってしまえばどうか。酔っ払っていれば、運がよければ、翌日には昨日のことなど何も覚えていないだろう。今なら、何でもできる気がする。ソファーにを押し倒し、はだけさせ、柔らかな乳房に己が唇を這わせて・・・。

 それを実行できるほど、彼はまだ酔っていない。この妄想を実現させるためには、自分も酔って明日のことなど何も考えず獣よろしく己の性欲をぶつけるしかない。機動力が欠けるが故に、どんどん妄想は失速していき、自分のスケベさに辟易し、ノブナガは頭を抱えた。

「どーしたのノブ?頭かかえちゃって。脱水症状~?」
「ったくお前は、人の気も知らずに・・・」
「え~?なになに~?言いたいことがあるなら~ちゃんと言わなきゃダメなんだぞ~?」

 今まで、彼女との距離がここまで縮まったことがあっただろうか。いや、ない。彼女の胸が、自分の左腕に押し当てられているのも初めてだ。すぐ傍に迫るその谷間をまじまじと見つめてもきっと咎められはしないだろうが、彼のSAMURAI道とやらがそれを許さない。早くこの異常事態をどうにか収束させなければ身がもたない。そう思った矢先、の鼻をすする音が聞こえた。彼がいぶかしげに左隣に座るの方へ視線を向けると、瞳に涙を溜め、悲しそうな顔でノブナガの顔をのぞき込む彼女の姿があった。彼女とノブナガの視線が合致したのと同時に、ノブナガの腕に絡められていた腕はそっと離れていく。

「ノブさ・・・。アタシのこと、嫌いなの?」
「は、はぁ?」

 なぜ突然そんな発言をするのか、彼女の真意を知りたいがために思考を巡らせるが、そもそも泣き上戸と知らなかった酔っ払い女の戯言など理解できるはずもない。しかもこの鈍感を極める男、ノブナガにそんな他人の心情を慮るスキルは無い。それがきっと、このひっつきそうでなかなか引っ付かない男と女の関係をこじらせる原因なのだろう。

 は突然立ち上がり、数歩先にあるベッドへ千鳥足で向かい、倒れ込んだ。ノブナガは慌てて駆け寄り、ベッドの脇にあるサイドテーブル上のミネラルウォーターのキャップを開け、を仰向けにさせる。

「おい。おめぇが脱水症状起こすぞ。あとそのまま吐いたらゲロまみれで窒息死すんぞ」

 はのろりと状態を起こし、差し向けられたペットボトルの水をごくごくと飲み下した。腹が水で満たされると、彼女はまたベッドに身を預けた。これで一先ず安心だと、ノブナガはペットボトルのキャップを閉じ、サイドテーブルに置いた。

「ったく。世話の焼ける女・・・」

 そう吐き捨て立ち上がろうとしたそのとき、が彼の手首を掴んだ。

「ねえ。さっきの返事、聞いてない」

 一瞬、何のことだと言おうとしたが、一呼吸置き、先ほどのの質問を頭の中で繰返した。繰返してからの返答は早かった。考えるほどのことでもないことだからだ。

「嫌いだったら同じ部屋で寝たり・・・そもそも、お前の旅について来たりしねぇよ」
「・・・そう。ならいいの。安心した」

 酔っ払って若干気分が悪そうに眉をひそめていた彼女の表情が、ノブナガの返答を聞いて緩んだ。そしてしばらくすると、彼女はすやすやと寝息を立て始める。ただ彼女の右手が、なぜかノブナガの手首を掴んだまま離されることはなかった。もちろん、彼が無理やりにでも引っ剥がそうとすれば簡単に取れる拘束だが、このままの傍で寝てしまっても、朝目覚めた時に拒絶はされないだろうという根拠のない自信があった。

(・・・近いな)

 目測10cmと言ったところか。目と鼻の先にあるの寝顔。

(今目を開いて、明日の朝、オレがにこれからすることを覚えていても、酔っ払いのうわ言だと言い切る)

 そんな情け無い決心をして、彼はそっとの唇にキスを落とした。幸か不幸か、彼女が目を覚ますことはなく、言いようのない虚無感を得たノブナガもまた、ゆっくりと眠りに落ちていった。その後、何故か身にまとっていたはずの衣服を脱ぎ、ノブナガの体に密着してくる(もちろん無意識)に、自分至上最高に困惑させられることになろうとは、ノブナガが知る由もなかった。