あり得ない

非日常的なあなたと私の関係




「オレをこの場から一歩でも動かさせることができれば、お前の勝ちだ」

 できないと思った瞬間に勝敗は決まる。物事は常に自身の心の持ち様によって変わるもので、できると思えばできるし、できないと思ってしまえば一生できないのだ。

 もそうだった。彼女は初めてノブナガにそう告げられたときに、できるわけがないと思った。その日は月曜日で、店は休み。1日中特訓は可能だったので、体力の続く限りノブナガに刃を向け続けたが、かすりもしなかった。

 策が足りない。速さも足りない。その上力も足りない。そもそも気持ちが足りていない。彼に勝ちたいという気持ちが。

 なぜなら、彼女は彼に恋心こそ抱いているものの、殺意や闘争心といった類の感情は微塵も抱いていないのだ。そもそも何故彼に刃を向けなければならないのか。もっと他に特訓の仕方はないのか?そう訊ねたい気持ちでいっぱいで、どうやれば彼を一歩でも動かせるかなどと考える隙は無かったのだ。

「・・・はぁ、はぁ」
「どうした?もう諦めるのか?」
「・・・ねぇ・・・なんで、ノブナガに刃を向けないと・・・いけないの」
「なんでって・・・お前ハンターになりたいんだろ?」
「そうじゃなくって、他になんかやりようないの?」
「はあ?」

 この鈍感野朗!はそう心の中で叫んだ。

 どうにもこいつは乙女心に疎い。それは今に始まったことではないが、それにしてももう同棲生活のようなものを半年以上続けているというのに、何故私のこの思いに気づかないのか。このままハンター試験に挑んで、運悪く死んでしまえば悲しんで恋しく思ってくれるだろうか。

 そんな考えも浮かんでしまうほどに彼女は追いやられている。しかし、彼女から思いを告げるつもりは毛頭ないし、もうここまできてしまえば絶対にあっちから告白させてやる。そんな風に意地になっている節が彼女にはある。

「お前な。オレに稽古つけてもらえるとかそうとうラッキーなんだからな?それわかってんのか?そもそもオレは他人に稽古なんてつけた試しねぇんだぞ」
「何?私は特別なの?」
「ああああああああうるせえしのごの言ってねぇでかかってこいや!!」
「ああもうわかったわよ!!!」

 そうだ。このもどかしさと怒りを胸に、彼に刃を向ければいいんだ!シースナイフを強く握り締め、振りかざした。

 もちろん。ナイフを持つ手の手首ははいとも容易くノブナガに掴まれる。力任せに押し込もうとしても、自身の身が彼にじりじりと近づくのみ。

「さーて。オレに勝てるのはいつになることやら」

 そう言って息を荒げるの額を小突き、ノブナガはその場から離れていく。

「腹減った。メシ!」
「・・・あああああああああああああああ!!!」

 発狂しかけたの虚しいオタケビが真夏の夜の空に響いた。いずれヤンデレになってしまうのではないかと危惧しつつも、例の特訓は続き、さらに3ヶ月が経った肌寒い秋のある日。絶対に自分から告白なんかしてやるもんかという意地と、それによって平行線をたどる二人の関係に対する苛立ちおよび怒り、それらが極限にまで達し振り切れた瞬間、は初めて勝機を感じた。

(勝てる・・・!)

そう思った瞬間、ノブナガが光のごとき速さで己に向けられた刃を避けるために、一歩たじろいだ。はやっと、ノブナガに勝利したのだ。それはが受験を目指す第286期のハンター試験が始まる4ヶ月前のことだった。








あり得ないヤツ








 受験戦争真っ只中の自分の子供を試験会場へ送り出す親の気持ちが分かる気がした。こんなにも危なっかしいのに、じっと家で待っていろと言われても無理がある。これがペーパーテストならばどれだけ気が楽なことだろう。ハンター試験は最悪の場合命を落とす可能性があるのだ。そんなわけのわからん試験に、これから、愛しいが、挑戦するのだ。

「どうしても行くのか」
「行かなきゃ・・・。いったいなんのために1年近く血の滲むような特訓してきたのよ」
「まあそれもそうだが・・・ああ、心配だ」
「心配してくれるのはすごく嬉しいんだけどね。わりと力も自身もついたつもりよ。これでも」

 そう。思いのほかは飲み込みが早かった。身体能力がずば抜けた野生児だったわけでも、実家が悪名高い暗殺一家であるわけでもない。ただ、センスはあった。そういうことなんだろう。

 残念なことに1年にもおよぶキツいトレーニングのせいで、の体はほどよい筋肉で無駄な肉の無い健康的なものとなった。見るヤツが見れば非常にそそる体なのかもしれないが、個人的には少しくらい無駄な肉のついたグラマラスな体の方が好きなのだ。つまり、トレーニングを始める前の、出会ったころののままでいてくれれば。

 それはそうと、は今にもオレの元を離れハンター試験の会場まで向かおうとしている。

「あ、私が不在の間、家のこと頼んだわね」
「おう」
「毎日掃除して?」
「・・・おう」
「調理器具および食器も使う度にきちんと洗って?」
「・・・・・・おう」
「できれば3日に一回はまな板と包丁、ふきんを漂白剤で殺菌処理しておいて」
「だああああ!もう!分かったからとっとと行って来い!」
「ふふ・・・!行ってくるね」
「おう。負けるんじゃねーぞ」
「うん!ノブナガ!」
「あ?」
「ありがと」

 は照れくさそうにそう言って。言ったかと思うとすぐに踵を返しオレに背を向けた。こう素直になられるとこっちの調子まで狂っちまう。そして、ありがとうと言った彼女の表情が一時の間頭から離れなかった。

「・・・死ぬんじゃねーぞ!」

 そうの背中に向かって叫ぶと、彼女は振り返ることなく右手を大きく振った。








 彼女が家を出て3日経った日の、昼下がり。リビングルームのソファーに寝そべり雑誌をぱらぱらとめくり暇をつぶしていたのだが、窓から差し込む春のやらかな日差しは部屋の室温を徐々に上げていき、お昼寝に最適な環境へと仕上げていく。襲ってくる眠気に負けそうになったそのとき、テーブル上に置いていたケータイのバイブが鳴る。

 とは一応ケータイの電話番号を交換しているが、試験中でオレに電話をかける余裕も無いだろう。あとは団員の数名にしか教えていないので、仕事の話かとおおかたの検討をつけながら画面を見る。するとそこには、という二文字。オレは驚きつつも応答する。

「どうした。試験に落ちたか?」
『ノブナガかい?』

 おかしい。の声ではない。というかどこかで聞いたことのあるような声・・・。

「てめぇ・・・ヒソカか!?」
『ご名答』
「なんでてめーがのケータイからかけてやがる。てめーまさか・・・」
『大丈夫。殺してなんかないよ。ところで、のことだけど、なかなか筋のある子だね。気に入っちゃった』
「ああ!?殺すぞ!!!」
『ふふ・・・実は次で最終試験なんだけどね。と意気投合しちゃってさ。このままのことさらっちゃっていいかな?」
「コロス。そこで待ってろ今すぐ・・・てめぇを殺しに行ってやる」
『それは面白いね!待ってるから早く来なよ?明々後日の朝には今いるとこ出ちゃうから』
「場所は!?」
『さあね。シャルナークにでも聞けばわかるんじゃない?じゃあね」

 プツっ・・・プーップーップーッ

「くそおおおおおおおおお!」

 なんだ、なんだ、なんなんださっきの電話!ヒソカ!マジで殺す!!!!!

 オレは勢いあまってソファーに端末を投げつける。シャルナークに聞けばわかる!?分かるわけねーだろ!!試験会場なんて公の目につかないよう配慮された、関係者以外からの妨害の可能性をほぼほぼ除外した環境で行うのに、そんな場所がどこかなんてシャルナークにだって分かるわけがねぇ!

 だが、このままではいられない。相手がヒソカじゃ、いくら強くなっただって歯もたたねぇし、アイツが本気で攫う気なら100パーセントどこかに連れ去られる。試験会場までの距離がどれくらいで、着くまでにどれくらいの時間を要するのかも全く分からない状況。だがしかし、アイツが腹立たしいことに本当にと懇意になっていると言うのであれば、アイツの家がどこかくらいは話している可能性があるし、これからじゃ到達困難な場所から連絡を寄越そうなどと思うはずも無い。おそらく、のいる場所、つまり試験会場まではさほど遠いわけではないということ。

 肝心なのは場所だ。シャルナークに聞けば分かる?どういうことだ。とりあえず時間が惜しいということで、オレはソファーにシュートしたケータイをしぶしぶ掬い取り、シャルナークへ電話をかける。あいつはなかなか律儀で、かけた電話にはよほどのことがなければ出ないということがない。初めてヤツの生真面目な面に感謝した瞬間だった。

『もしもし。ノブナガ?どうしたの。珍しいね』
「オレのおん・・・もとい友人がヒソカにさらわれた。あいつ・・・あろうことか友人のスマホ使って電話かけてきやがって・・・くそっ!」
『あの、それで用件は?』
「どうすれば電話かけてきた場所がわかる」
『そうだね。逆探知の仕方なら分かるよ。けど遠隔じゃ無理だから、自分でなんとかして?』
「ああ!?オレは機械は無理だ」
『そんなこと言われたって。至急なんでしょ?メールで詳しいやり方教えるから、それでなんとかしなよ。それじゃあね』

 数分としないうちに、シャルナークからメールが届く。他に何か必要なものがあるわけではないようだ。例えばPCとかなんか奇怪なアンテナついた機械とか・・・?とりあえず、手順に習って場所を確認した。案外すんなりとのスマートフォンの位置が判明し、オレは身支度を整え刀を携えその場所に向かった。








 2次試験からずっと私に目をつけていたらしいヒソカ。その妖艶な見た目と猟奇的雰囲気には惹かれるものがあるが、1次試験から4次試験に至るまで人を殺さないことがなくて、倫理的かつ生理的に受け付けない存在だ。気に入ったといわれて付きまとわれている現状をどうにか打破したいと思いつつも力が及ばないことは火を見るより明らかなので、言いなりになって孤島でのバトルロイヤル(と言っても、2人組みのチーム3組が最終試験に通るので正確に言うとバトルロイヤルではないが・・・)方式の試験でチームメイトとして共闘している。

 そのうちになぜかスマホを掏られ、なぜかノブナガに連絡を入れられている。

「ねえ。何がしたいの?」

 電話を終えた彼は、私にスマホを手渡しながら不気味に微笑んだ。

「キミは幻影旅団のこと、もちろん知ってるんだよね?もちろん、ノブナガがその一員だってことも」
「うん。知ってる。それがどうしたの」
「ボクはね。ノブナガと一度戦ってみたいんだ。キミはそのエサだよ。どうも彼はキミのことが好きみたいだから。ボクがキミを気に入ってるって言ったら、ボクに向かってコロスって言ってきたんだ。ほんと、ゾクゾクするよ」

 変態だ。こいつは紛う事なき変態だ。何度かこいつの股間がテントを張っているシーンを目撃したが、こうなるとコイツの下半身に目も向けたくなくなる。

「ああ、嫉妬しないで?キミにももちろん興味はある。だけどね、キミはまだ青い果実。実ったあとにおいしくいただくのが、ボクのポリシーなんだ」
「別に嫉妬とかしてないから大丈夫です」
「それにね・・・」

 ヒソカは壁と自分の体とで私を挟み込み、私の耳元に口を寄せる。

「女性として、興味がないわけじゃないんだよ」

 瞬間、悪寒が体全体を瞬時に駆け抜けた。

「やめて」

 私はヒソカの胸板を自分とは逆方向に押し返しながら言う。本当は本人に伝えてしまいたいことを。

「私はノブナガのことが好きなの」
「くっくっく・・・君は本当に面白いね。その気になれば、力づくでもキミを組み敷けるのに」
「あんた案外紳士だから、そんなことしないわよね?」
「さあね。ノブナガが、タイムリミットまでにここに辿り着けばいいけど」

 私は切に願った。

(ノブナガ・・・!早く私を助けて!!)