昨日から雨は降り続けていた。普段なら暖かな朝日が届いてあたたかいはずの店内は、どんよりとしていて薄暗い。そんな中、窓辺の2人席に腰掛け、が淹れてくれたコーヒーを片手に、オレはぼうっと窓の外を眺めていた。向かいの席では、がオレと同じように窓の外を眺めている。お互いに言いたいことはたくさんあるはずなのに、重くのしかかるような空気が鼻孔から進入して、発声させまいと抑えている感覚がる。それで、なかなか口を開けないでいた。
次第に雨脚は強くなり、大きな雨粒は強い風に煽られてガラス窓を叩く。
「・・・こんな天気じゃ、帰る気失せるな」
やっとの思いで喋ったのは天気のこと。朝起きてカウンターに向かうと、よく眠れなかったのか、それとも寝てないのか・・・昨日と同じくらい覇気のないがコーヒーを淹れていた。そのコーヒーが注がれたマグカップを受け取ったときの、どうも。という言葉以降、本日初めての言葉らしい言葉がこれだ。
は昨日、彼女の人生においておそらく過去最悪の経験をしたばかりだ。本来ならば、慰めの言葉なりなんなりかけて、元気付けるべきなのだろうが、何度も言うように、オレは口下手だし正直何て言ってやればいいのか皆目検討もつかない。というか、昨日の夜出し切ったので、完全にネタ切れだ。
一体どんな言葉をかけてやればいいのかと必死に思考を巡らせていると、本日初めてが口を開いた。
「・・・帰るつもりだったの?」
「長居するわけにもいかねーだろ」
「いいよ。いてくれたほうが、私は嬉しい」
目を合わせずに、はそう呟いた。そこでオレは思った。何故はこうも思わせぶりなことばかり言うんだ?もう、そろそろ聞いてしまえばいいのか?直接、口に出して、お前の好きな男って誰なんだって。
しかし、その答えとなる男が誰か知ったところで、どうにもならない。万が一、オレだったとすれば今すぐにでも聞いてしまいたいところだが、所詮万が一・・・万が一にも無いことだ。そもそも2,3ヶ月にいっぺん会えるか会えないかわからないような男を好きになるわけがない。完全に望み薄だ。
おそらく、あの3年の間に何かあったのだろう。どうせ聞いたって無駄だ。聞いて、他の男の名前が出てくるくらいなら、あと少しこのままと会い続けて、そのついでにここを借り宿として使わせてもらう方がよっぽどいい。もう来ないでほしいと、に言われるまで、オレはここに通い続けたいんだ。なんとも都合のいい話だが、オレは定職に就いてる一般人ではないし、足元固めてないのは恋愛に限ったことじゃない。根無し草は根無し草らしく、フラフラと遊んでおくさ。
半ばやけくそになってしまったが、今のオレの心境がこれだ。の言う思い人が誰かってのはものすごく気になるところではあるが、あっちが言うまでオレは追求しない。絶対にだ。
「・・・ノブナガ?」
心が内側に向かっていた中、が唐突にオレの名前を呼ぶ。オレは生返事をしてコーヒーをすする。
「つきあってくれない?」
「・・・・・・・・・・・あ?」
今、なんつった?
あり得ない挑戦
「ノブナガ・・・あのさ、特訓に・・・」
さっきから何か考え事でもあるのか、窓の外を眺めたままぼーっとしているノブナガに、お願いがあって語りかけたものの一度で聞いてないようなので再度問いかける。
「つきあってくれない?」
「・・・・・・・・・・・あ?」
ハンター試験を受けると言ったはいいものの、何から始めればいいやら皆目検討もつかない。けど、今はいい師になりそうな男が目の前にいる。ノブナガだ。彼はA級首の盗賊。おそらく武芸に富んでいる。というか、その腕は3年前に実際目の当たりにした。かといって、私が刀を扱える可能性は低いが、戦闘ができる体作りの基本は変わらないだろう。だから、もしすぐにでもここを離れる必要がないというのなら、特訓につきあってほしいという意味で話しかけたわけだが、当の本人は顔を真っ赤にして口を開けたままポカンとしている。
「どうしたの?都合、悪い?」
「い、いや・・・その、オレなんかでよければ・・・つきあうが」
「やった!!なにからやればいい??」
「・・・は!?そ、それは一体どういう意味なんだ」
ん?どうも様子がおかしい。話しかけて応答してもらったときからではあるけど、そのときにも増して顔が赤くなっている。そして明らかに目が泳いで落ち着きがない。一体私に何をさせるつもりならこれほど赤面できるんだろう?
「ん?特訓!何からすれば、ハンターになれるかな??」
「・・・・・・・・あ」
ノブナガはそう短く返答したあと、みるみる顔から赤みが引き冷めた眼差しを私に向ける。そしてコーヒーをひとすすり。
「お前あれ本気だったのか?」
「う、うん。あれ?さっきオレでよければって・・・」
「そ、それはそれだよお前。あ、あれだよ。ハンターとかそんな簡単になれるもんじゃねーぞ」
「・・・そうかもしれないけど・・・私だって、頑張れば・・・」
「ハンター試験。最悪死ぬ可能性だってあるんだぞ」
死ぬ・・・か。まあ、怖いけどこのまま平凡な日常をここで過ごすよりも、何かに挑戦するために何かに没頭して、その上で死ぬんだったら、それもまたいいのかもしれない。なんて、今はそんな無責任なことを考えてる。つい最近までの私の夢は、いい旦那さん婿養子にしてお店継ぐことだったけど、これまでこの田舎町に残ってくれるような青年に会ったことがないし、こんな夢はもう叶わないんだろうなと諦めてもいる。それだったら外の世界に出て、お店繁盛させて、うまいこと子供作って後を継いでもらうとか、そんなんでもいいかなって。最悪養子取ってもいいかなって、どうにかなるかなって思ってる。特に明確な将来的ビジョンがあるわけでもないが、とにかく、私が今一番したいことは、平凡からの脱却と弱い自分を捨てること。
少なくとも、このままここにいては、年を重ねるだけ重ねて何も残らない。将来性も生産性もなにもない。変わりたい。何か自分に変革を起こしたい。その変革の過程で死んでしまっても、それはそれでいい。
そうノブナガに告げると、眉をひそめてひとこと。
「ふうん。なら、ま、付き合ってやらんでもないな」
「ほ、ほんと!!?やった!!ありがと!!なら何から・・・」
「ただし。だ」
どうやらこの交渉は条件つきのようだ。このまま勢いで押し通せないかと思っていたが、仕方ない。無償でコーチをつけるなんてむしが良すぎたか・・・。
「寝泊り、食費、風呂、酒・・・特に酒だ!酒重要!無償で提供することな!」
「なんだ!そんなこと?何を要求されるかとヒヤヒヤしたわ」
「なんならついでに添い寝とか・・・」
「は?」
「すみません」
私は顔を真っ赤にしながらも、ツンケンした態度をとったけど、勢いで添い寝もやるって言えばよかったと、後悔したのはノブナガには言えない私だけの秘密だ。
いかんいかん!色恋沙汰にうつつを抜かしている場合じゃない。
「で?何をすればいいの??」
「とにかく、基礎体力つけねーとな。最低でも半日走り続けるだけの持久力と、そのための筋力づくりが基本だ」
「は・・・半日!!?」
「当たり前だ。午前中は筋力トレーニング。午後からは走りこみ。当分はそれを繰り返して持久力と筋力をつけろ」
「りょ・・・りょうかいです」
ノブナガ曰く、ハンター試験の倍率は年によって変動はあるものの、数万分の一から下ることはないらしい。それもそうか。ハンターライセンスを売るだけで一生遊んで暮らせるだけのお金が手に入ると聞いたことがある。それなら、死ぬ思いくらいしなきゃハンターになれないのは素人の私でも分かること。
「ノブナガはハンターライセンス持ってないの?」
「持ってねーな。そんな肩書きに興味もねーし、金もいらねえ。盗むから」
「なるほど~。でもなんでここではお金使ってくれるの?」
「・・・金払わねーとサービスは受けられねえだろ。オレはうまい酒とうまいメシには金を払うぜ」
「でも、その使ってるお金って、何か盗んで作ったお金なんだよね」
「まあな。盗賊だから仕方ねえ」
むしろここまで開き直られると逆にすがすがしいというか、さすが盗賊と褒めてあげたくなる。まあ、どこで手に入れた金だろうと、私が困ることはなさそうなので糾弾はしないであげよう。
「あ!そうだ!ノブナガも一緒に試験受けてくれたらイージーモードじゃない!?」
「ばーか。誰が蜂の巣自らつつきにいくよ。試験官皆プロハンターだぞ。負ける気はしねーがはむかって半殺しにしたらお前オレ失格だぞ」
「そっか・・・残念」
「さあさあ。思い立ったが吉日、だぜ。早速筋トレな。まず腹筋1000回」
「せ・・・せん!!!?いや無理無理無理」
「あ?なら連続でどんくらいできんだよ」
「ごめんたぶん50で限界・・・」
ノブナガは大きなため息をついた。
「おいおいさんよ・・・先が思いやられるぜ」
「ごめん!やる!やるから!ノブが足ずっと支えてて!」
「あああ!?支えねえとできねーのかよ!!」
とにかく、これからさき怒られることばっかりな気がしてきたけど、ノブナガがついていてくれるなら、めげないで頑張れる気がする。
そんなこんなで、私とノブナガの持ちつ持たれつな共同生活が始まった。