あり得ない

非日常的なあなたと私の関係




 夕立だ。所謂“雨の匂い”が、開け放たれた協会の扉の間から入り込んでくる。さっきまでとは一点して薄暗くなった協会の中、教壇の前にただ黙って座り込む私。

 整理のつかない感情がごった返して、泣けばいいのか怒ればいいのか笑えばいいのか、それすらも分からない。今こうして、ノブナガが私のために戦ってくれているというのに、その姿を見守ろうという気力すらわかない。私はなんて自分勝手で、薄情で、情けなくて、みじめでみっともなくてかっこわるくて他人任せで最低で・・・。

 なんて、弱いんだろう。

 近くに、あの男が私の喉元に据えていたナイフが転がっている。無意識のうちに、鈍く光るそれを手にしていた私。

(マット・・・ごめん。ごめんね。・・・許してもらえるなんて、思ってないけど、でも私・・・こうしないと、だって・・・ああまた言い訳しようとしてるの・・・私は・・・・・・・)

 最低な自分の存在を終わらせてくれる誰かすらいない。なら、自分で終わらせたらいいじゃないか。そうだ。今の最低な自分を知覚している自分がいらないから、私はナイフを手に取ったんだ。自殺の動機なんて、それでいいじゃない。私が死んだからって、一体誰が泣いてくれるって言うの。泣いてくれたかもしれない人は、もう先にいってしまったんだから・・・。だから・・・。

「おい。お前何やってんだ」

 雨粒を滴らせた冷えた手が、ナイフを持つ私の腕を掴んだ。ナイフは取り上げられて、床に放り投げられる。

「見守りもしねえんだな。薄情な女だ」

 そう言って、雨に濡れて冷えた体が私を包み込んだ。

「・・・帰ろうぜ。客がお前の帰りを待ってる」
「嘘だ」
「・・・
「誰も、私のことなんか」
「聞け」

 鋭い眼光だ。きっとノブナガは怒ってる。私の情けなさに。

 死ぬことも許されなくて、この世に存在してることが私は許せないのに、だったらどうすればいいの。

 結局泣くことしかできないから、泣くことにした。下唇をかみしめて、ノブナガから目をそらして、肩を揺らして・・・ただ泣いた。

「・・・聞け
「なに・・・」

 ひと呼吸置いたあとに、ノブナガが情けなさそうに言った。

「腕の手当をしてくれ」







あり得ない決意








 強かった。久しぶりに骨のある敵と戦った。今までわりかしすんなりと殺せるような手応えのない相手と対峙することが多かったからだろう。不覚をとって、最後の一太刀を左腕に受けてしまった。オレは鈍った体と精神に叱責したい気持ちを抑えながら、の家へと向かう。

 一足先を行く。オレが彼女に言ったんだ。

「お前いつ死のうとするかわかんねーからオレの前を歩け」

 って。そしたらどうだ。オレは冗談のつもりで言ったのに、は何の反論もしないで先を歩き始めた。全く、今日のには調子が狂う。

 ・・・男を片付けた後、のところへ戻ると、あのいつも陽気なが思いつめた表情でナイフを自分の胸に突き刺そうとしていた。

 何とも思ってない女がそれをやろうとしても、オレは絶対に引き止めなかっただろう。しかし、オレはが好きだ。死んでほしくなんてない。

 男に殺されそうになっていたと、自刃しようとしていた・・・つまりこの短時間で2回も命を救ったと言うのに、全く喜ばれている感じがしないことが不愉快だ。まあ、後者は歓迎されないかもしれないとしてもだ。偽幻影旅団からを救った時はあんなに喜んでくれたのに、何故だ。

 が死のうとした理由。それを考えてみる。 

 ふと思い出した。の喉元にナイフを据えながら、あの男が言った言葉を。

『安心しろ。キサマの逝く先には彼氏が待ってる』

 を殺そうとした男が言ったこの言葉。つまり、の彼氏が、あの男に殺された・・・?

 を救うことしか頭に無かったあの時に、そこまで推察する余裕は無かった。ほんと、を攫われて危険にさらしたり、不覚をとって斬られたり・・・今日は散々な日だな。

 そうと気づいたら、突然声もかけられなくなってしまった。彼氏を殺されたんだ。後を追いたくなったんだろう。やっと納得できた。だが、悲しくなった。

 ・・・少しでもオレの存在を気にとめてくれなかったんだろうか?



 街に明かりが灯り始めた。行き交う人々は傘をさして、今日の飲み屋を探していた。そんな中、傘もささずに歩くオレたち二人。さして気に止められることもないまま、家の裏口に回って中へと入る。

「・・・濡れた服脱ぎなよ。ジャージ、貸したげる」

 家に入るなりそう言って、は2階へと向かった。その後ろ姿を見るとまた心配になる。オレはとっさにの腕を掴んだ。は覇気のない顔でうっすらと微笑んで言う。

「大丈夫。死んだりしないからさ」
「・・・早くジャージ持って来い。寒い」
「はいはい」

 オレは風呂場に向かって、上着を脱ぐ。雨と血に濡れて左腕に張り付いた上着の左袖を引き剥がすのに少し勇気がいった。結構傷は深い。死ぬほど痛いわけでもなければ、こんなもん消毒すりゃ二日、三日で痛みも引いて傷はふさがる程度だ。処置なんて自分でもできたが、それをに頼んだのには理由がある。今のあいつには「生きる理由」が必要だ。そう思ったからだった。じゃあ、この傷の手当をした後はどうするんだ、なんて言われたら、今のオレにはそれに対する答えなんて用意できない。重要なのはこれからだ。何て言えばは生きてくれる?

 そんなことをあーだこーだと考えているうちに、風呂場のドアが開く。

「・・・まず、その傷洗わなきゃね」

 も雨で濡れていたから、軽く体を拭いて部屋着に着替えたのだろう。普段通りのの姿にオレは何故か安堵する。オレが黙ってに目を向けていると、上半身裸で立っているオレを直視できないのか、は目を逸らしついでに床へ救急箱とオレ用のジャージを置いた。背中を押され、浴槽の淵に座るように言われた。シャワーを手に取って、少し熱めのお湯が出るまで待っていると、が自分の肩にかけていたタオルを引っ張ってオレに渡す。

「痛むかもよ。タオル噛んでなくて大丈夫?」

 オレが痛みに慣れていて、本来なら他人に処置されるまでもないことをやらされていると知らない。とりあえず、それを悟られないように、痛い振りでもしとかないとな。

「・・・もらっとく」

 熱いお湯が左腕にかけられる。血と泥が混ざり合ってタイルの上にながれていくのを、わざとこめかみにシワを寄せながら眺めていると、が心配そうに大丈夫か、と問いかけてくる。オレは黙って首を縦に振って、大丈夫だと伝える。

 ある程度汚れが落ちると、は白いハンドタオルを熱湯に浸して、傷口に当てていった。そして、救急箱を持ってきて、てきぱきと処置をしていくに関心しながらも、オレは何と話しかけようか必死に考えていた。すると、から話を始めた。

「・・・びっくりしたでしょ」
「ああ。まさか死のうとするなんて思ってなかったからな・・・。けど、無理もねえさ」
「・・・?どうして?」
「みなまで言わせんなよ」

 彼氏が死んだことなんて、触れてほしくないはずだ。それなのに、なぜはどうして?と真顔で訪ねてくる。オレがそのことに対してどうして?と言いたい気分だったがそれでは押し問答になってしまう。

「そっか。少し話は聞いてたんだ」
「ああ。でも、オレが協会についたときにはもう、お前、殺されそうになってたからな。あんまりまともに聞いちゃいなかった。お前が死のうとした理由も、協会から出て少ししてから気づいたんだ」
「・・・。死のうとした理由・・・ね」
「何だよ」

 は少し迷うような素振りを見せて、自分の口から“動機”を話し始めた。

「私ね、他に好きな人ができちゃったの。マットはハンターだったから、あんまりここに戻ってきてくれることがなかったし、そろそろ潮時かなーなんて思っちゃってて。それで3年前に一応別れてたんだ。けど、彼は私のこと忘れられなかったみたいで・・・年に何回かはここに戻ってきてたの。私がもっときっぱり断ってたらよかったんだけど・・・。そのせいであの男に幻影旅団を倒した本人だって勘違いされて、捕まって・・・殺されちゃったみたいなのね・・・。全部・・・全部私が浮ついたことばっかりやってた所為じゃない・・・。結局私も捕まって、殺されそうになって・・・またノブナガに助けられて・・・。情けなくて仕方なくて・・・それで・・・」
「そんな理由でお前・・・死のうとしてたのか?」

そんな理由って・・・」
「お前のどこに非があるってんだ。そりゃ、運が悪かったって言葉で片付ける気になるわけはねーだろうけど、後追い自殺よりタチの悪い動機だぜ」
「だって、もう自分にうんざりだったの・・・!こんなに、誰かに守られてばっかりで、私の存在のせいで大切な人が死んだり傷ついたりするなら、私なんて死んだほうがマシじゃない!!」
「お前が死ぬことで悲しむヤツがいるって思わなかったのかよ」
「そんな人・・・もういないよ・・・!」
「いる。今日な・・・協会に行く前、この家に来たんだよ。店の前には、開店を待ち遠しく待ってる客が大勢いた。お前の酒とつまみと笑顔が、この街の連中に必要とされてる。それとな・・・お前が死んじまったら・・・」

 オレは少し躊躇った。これからオレが話すことは、オレのへの思いに触れてしまう気がしたからだ。しかし、この際どうだっていい。が何とか思いとどまって、これからも元気に店を開いてくれるなら・・・。

(オレが悲しいんだよ。・・・オレにはお前が必要だ)

 そう言えたら良かったんだろうが・・・。

「オレはこれからどこで身を休めたらいいんだ」

 出てきた言葉はあまりにも身勝手な訴えだった。言えなかった。の「他に好きな人ができちゃった」という言葉が頭に浮かんだのだ。やはり、オレの思いは報われないのか。オレが複雑な気持ちでを見つめていると、がやっといつものように笑い始めたのだ。

「・・・わかった。私・・・決めた!街の人とノブナガのために、生きるわ!」

 オレの発言が心底面白かったようで、はそう宣言した後でもまだ笑い続けていた。

「ノブナガ!私、ハンターになる!」
「いや、ちょっと待て、何でそうなった。店続けるんじゃねーのか」
「そのために、だよ!もっとお店で出すお酒の種類増やしたいし・・・。オツマミとか料理も、他の店に無いようなもの出したいしね。あと、もうノブナガに守られるだけのアタシにはうんざりなの!だから、強くなりたい!」

 ・・・とにかく、少し元気を取り戻したの笑顔を見て、オレは安心した。しかし、気になるワードがやはり頭から離れない。

(・・・誰だ、お前の好きな人って・・・)