私が求めているのは、安定じゃない。
安定してて、安全で、幸せに生きるなんてしょうに合わない。本懐じゃない。私が捨てたのは、元彼じゃない。・・・いや、まだ捨てきれてないんだ。平々凡々な日常を。これじゃ、今までと何も変わらないじゃない・・・。
たまに帰ってくる男を待って、ただ親から受け継いだ店で日々を過ごしているなんて。
暗い部屋で私はそんなもやもやとした思いを抱いたまま、寝付けないでいた。上を仰ぐと、いつもと変わらない位置に見える木目。それが嫌で目をつむって聴覚が研ぎ澄まされると、いつもと変わらない、夜の静けさが耳を侵す。それが嫌で耳を塞ごうとシーツを被ると、またもんもんと考え事をしてしまう。そうしているうちに、睡魔が襲ってきて・・・。
変化を、ここでは無い何処かを望む私は、最近こんなふうに眠りにつく。そしてまた、同じ部屋の窓から射すいつもと変わらぬ朝日で目を覚ます。
・・・はずだった。
「お前がか」
暗闇に降ってきた知らない声。驚いてシーツから顔を出すと、黒い影が私に覆いかぶさる。
「静かにしていれば、あるいは殺さないかもしれない」
そんな意味の分からないことを唐突に告げられて、私は意識を手放した。
あり得ない別れ
マットがその男に捕まった理由はふたつある。彼がの彼氏として、何年も前から彼女の切り盛りする酒屋に度々足を運んでいたこと。もうひとつが、マットこそ、幻影旅団を騙る悪党共を瞬殺した張本人だと、男が勘違いをしていたということだ。
しかし男はふと、自身の確信に違和感を覚える。
本物の幻影旅団の団員ならば、強いはずだ。その強いであろう人間が、なぜ斯様にも簡単に自分に捉えられているのか?
その答えに至るや否や、マットの首を掴んでいた手に力がこもる。
「お前じゃ、ないな」
「てめぇっ・・・に手ぇだしやがったらっ・・・タダじゃおかねぇっ・・・!」
男は更に手に力を込める。やがてマットの脳へ血液が通わなくなり、彼の意識はとぎれとぎれになる。そんな中でも、しきりに愛する者の名を呼ぶが、その声が本人に届くことはなかった。男はマットの亡骸をその場に捨て置き、呟く。
「安心しろ。女には興味が無い」
ただ単に戦いのみを求める男は、再び町へ向かった。かつて偽の幻影旅団がくすぶっていた町へ。連中が瞬時に殺されたという酒場へ。
「来る。きっと、オレを満足させるような力を持った者が」
「・・・?」
久しぶりに訪れた酒屋の前に人だかりができていた。不思議に思って、その人だかりをかき分けて酒屋の扉の前に出ると、扉にかかる「CLOSE」の看板。
「おいおい。ちゃん風邪でもひいたのか?」
「勘弁してくれよ!おれはここで毎週末酒を飲むことだけが楽しみで生きてるってのに!」
扉の前で立ち往生していた町の住人たちが文句をたれていた。
(・・・今日は金曜だぞ。なにやってんだアイツ・・・仕事しろ)
扉を蹴破って中に入ったら絶対どやされる。かといって、このまま引っ込むわけには行かない。・・・何より、早くアイツに会いたい。と・・・とりあえず、裏に回って扉を叩くことから始めることにしたオレは、勝手口へと向かう。回りに誰もいなくなって気づく。静かすぎる。物音ひとつしないなんておかしい。前会ったとき(と、言ってももう3ヶ月も前だが)に、旅に出るなんて話は聴かなかったし、だからこうしてオレはここに来ているというのに、今日の宿はどうすりゃいいんだ・・・。
とにかく、本当にいないことを確かめるべく、勝手口の扉を叩く。もちろん、期待はしていなかったが、返事は無い。そしてなんとなく、ふと、暗くなりかけた空を仰いだ。そして異変に気づく。2階の窓は空いている。・・・たしかあそこはの寝室・・・。
オレは窓から部屋に侵入した。ベッドからかなぐり捨てられたような形で床に落ちているシーツ。そしてかすかだが、以外の人間の匂いがする。胸騒ぎがしてあたりを見回すと、部屋の済みのチェストの上に紙。普段なら気づかないであろう普通の紙にオレが気づいたのは、念が込められていた所為だろう。ただの白い紙だが、凝を使えばご丁寧に念で書かれた文字が浮かび上がってきた。
『強き者よ。女を返して欲しければ、町の外れにある教会へ来い』
・・・つまり、を餌にしてオレを釣ってやがるのか。頭に「強き者よ」なんて中二な文章持ってくるってことは、オレと殺りあうのがこいつの目的か。
(に手ぇ出しやがったらただじゃ殺さねぇ・・・)
オレは部屋の窓を飛び降り、を救うべく教会へと向かった。
目を覚ましてすぐに、鈍痛が後頭部を襲う。じんじんと痛むそこをさすろうとして手をあげようとしても、不思議なことに手が上がらない。私は瞬時に状況を把握することができず、あたりをきょろきょろと見回す。ここは、子供の頃よくマットと遊びに来ていた教会。今はもう、誰もいなくなった廃墟のはず。どうして私はこんなところにいるんだろう?そして、手首が締め付けられている感覚。そうか、拘束されてるんだ。けど、一体誰に?何のために?その原因を探るため、更に目を凝らす。
礼拝堂の中は、上部のステンドガラスから射し込む夕日のおかげで少しだけ明るかった。私がいるのは、どうやら教壇の真ん中らしい。ずらりと2列で並ぶベンチ。左側の真ん中の列にぽつんと人影がある。黒いローブに身を纏っていて、詳細はよくわからないけど、きっとこいつが私をこんな中途半端な場所に誘拐して連れてきた犯人だろう。
「・・・ねえ」
「黙っていろ。キサマに用は無い」
こうも即座に返事をされると腹立たしい。私はどうしても理由が知りたくて食い下がる。
「私をどうするつもり」
「どうもしない」
「じゃあ帰してよ。お腹がすいたわ。てかね、店開かなきゃ。今日金曜よ。一番の稼ぎ時だってのに、どうしてくれんのよ」
「・・・黙れ」
「黙って欲しかったらさっさと」
帰せ。そう言おうとした時だった。さっきまでベンチにいたはずの人影が、目の前まで迫っていた。そして喉元にひやりとした感触。そしてキリと痛みが走る。喉の表皮をナイフでかすかに裂かれているんだろう。私は痛みよりも恐怖で身がこわばる。そして、目の前に迫る人影を凝視したが、逆光の所為で表情が伺えない。声からして、男なんだろうけど、それ以外のことはよくわからない。
「お前は男をたらしこむのがうまいらしいな。」
「・・・?どうして私の名前を」
「今お前の酒場に出入りさせている男に、会いたいんだ。前、じゃなくな。アイツは・・・あの男は弱かった」
私は嫌な予感がして、喉元にナイフが据えられていることなど気にせず、身を乗り出す。
「まさか・・・お前っ・・・・・・・・!」
「弱き者には死あるのみだ」
「っ・・・ふざけるな!何の恨みがあってっ・・・マットをっ・・・!」
「恨み?・・・強いて言えば、私を失望させた恨みか。あの男は弱かった」
知ってか知らずか、ここは子供の頃、マットとよく遊んでいた教会だ。私はやるせなくなって、目を瞑る。僅かな隙間から涙が溢れ出る。許せない、許せない、許せない。マットをくだらない理由で殺した、この男が許せない。でも、一番許せないのは私自身だ。
マットを捨てた理由を思い出せ。平凡な日々が退屈だと感じている中たまたま悪党に襲われて・・・それを救ってくれた男に恋をして・・・浮ついた自分を正当化するために、「肝心な時にそばにいない男なんて彼氏じゃない」なんて言い訳をして・・・。そして、未だに私は平凡な毎日を暮らしてるじゃないか。
平凡な日々が嫌なら、店を捨てて外の世界に出れば良かったんだ。そうすれば、彼が殺されることもなかったんじゃないか。そうすれば、日々悶々として暮らすこともなかったんじゃないか。
「・・・来ないよ。お前が会いたがってるヤツは・・・」
「何・・・?」
「私とそいつは、お前が思ってるような関係じゃない。私なんて、そいつにとっては、年に2、3回使うか使わないか程度の仮宿の主でしかないんだから。・・・残念だったねクソ野郎」
「・・・そうか、ならば役立たずのクズ女には消えてもらおうか」
ナイフに力が込められる。男の歪む口元。
「安心しろ。キサマの逝く先には彼氏が待ってる」
死を覚悟した瞬間、教会の扉が開いて協会の中央に一筋の光が射した。
「誰がどこに逝って誰が待ってるって・・・?」
「ノブナガ・・・」
ああ、また私はこの男に救われるのか・・・。嬉しいのか悲しいのか悔しいのか・・・感情の整理がつかないうちに、また涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。