あり得ない

非日常的なあなたと私の関係




「忘れられないのよ。その人の事が」

 平凡な生活と思っていたが、よく考えれば彼氏がブラックリストハンターなんて珍しい。日常と呼べるような長時間、彼氏であるマットと一緒にいた覚えはないけれど、よくよく考えれば彼の旅先でのエピソードだけが、唯一の楽しみだったかもしれない。

 けれど、私はそれすらも捨てようとしている。

「あのとき、犯されそうになった私を助けてくれたのは・・・あなたじゃなくて、彼だった」

 そして、心から助けを願ったのも、ノブナガだった。だから・・・。

「別れてください」

 マットは、不甲斐なさそうな顔をして、こう言った。

「わかった。けど、3年だ。3年経ってもその男がお前の元に訪れなければ、やり直すことを考えてくれ。あの時のことは本当に申し訳ないと思ってる。自分が情けない。けど、チャンスをくれ」

 私の返答は聞かないままに、マットは家を後にした。

 私がノブナガに出会ってからひと月が経ったときのことだった。







あり得ない再会








 月日が経つのは早いもので、明日で私がマットと別れて3年が経つ。もちろん、この3年間・・・ノブナガがこの店を訪れることはなかった。マットが3年後に必ず戻ってくるって言ってたけど、本当に覚えてるのか。まあ、覚えていて、今夜ここを訪れたとしても、私はノブナガのことを待つつもりでいた。

 けれど、3年も経てば、少し気持ちが揺らいでしまう。会いたい、会いたいと思っていても、放浪人の行き先なんてわかったもんじゃない。それにもしかしたら(かなり可能性は低いだろうけど)もう死んでしまっているのかもしれない。これは、ノブナガにもマットにも当てはまることで。もしそうだとすれば、私はどうすればいいのだろう。

 そんなことを考えながら、開店準備をする。

 18時きっかり、表に出て「OPEN」と書いた看板を出し、店内に戻ろうとしたその時だ。

!」

 背後から、声がした。けれど、残念。それは元彼・マットの声。私は背を向けたまま返事をした。

「まだ3年たってない」
「あと6時間で3年だ」
「・・・」
「6時間の内にお前の待ち望む男が来なかったら、今日部屋に泊めてくれ」
「・・・勝手にして」
「ありがとな」

 元彼は私の肩に手をポンと置いて、私よりも先に店の中に入ってカウンター席に座った。私は溜息をついて、店内に戻る。

 今日は花金だ。つまり花の金曜日で稼ぎ時。そろそろお客が店に群がってくるころだ。私は仕込みをしながら、ひとりカウンターに座ってスコッチを飲むマットに目をやる。

 3年前と風貌は変わらない。けれど、オーラとでも言うのか?とにかく3年前とは何かが違う。堂々としたそのたたずまいに威厳さえも感じられた。3年もひとりでいた私には、何だかその成長が嬉しく思えた。けれど、こんなところで揺らいでしまっては、思い人が現れた時どうするというのだ。私は内に芽生えた不埒な思いをいなし、作業に集中する。

 時刻は21時をまわり、客数もピークに達した。わいわいがやがや。仕事帰りのおじさおばさん、若いにーちゃんねーちゃんが楽しそうに酒を煽る。もちろんその間、ノブナガが店を訪れることはなかった。そして、カウンターで何杯目かのスコッチを手にとって、ぼーっと目の前を見つめるマット。

(まだよ。あと3時間あるわ)

 そう自分に言い聞かせながら、せこせこと働く。

 そしてその刻限はすぐにやってくる。

 今日は長くたむろする客はおらず、11を過ぎた頃から続々と客は帰り始め、店の稼ぎはいつもの金曜日よりも少ない。店内の人間が私とマットだけになったそのとき、今までずっと黙っていたマットが口を開いた。

「3年だ・・・」

 グラスを洗う私の前で、彼はつぶやいた。

「3年、オレは念を磨いた。お前を守れるように、お前を幸せにできるようにだ」

 私は、さして聞いて欲しいという意向を見せないマットの話を耳に入れながら、尚もグラスを洗い続ける。

「考え直してくれないか?」

 私は手を止めて、マットとは目を合わせずに言った。

「・・・どうしても、忘れられないの。3年・・・ずっと待ってたのよ。今更、あなたとやり直したところで、私の彼に対する想いは変わらないし、きっとそれが邪魔になるわ。もう、もとには戻れないのよ。ごめんなさい」
「オレはその男の代わりでも構わない」
「・・・やめてよ!」

 付き合っているはずなのに、まともに相手をしてもらえなかったから?恋人でそれなりの腕を持っているくせに、私のピンチに助けに来てくれなかったから?違う。それは単なるこじつけにすぎなかった。私の浮気を正当化するための、単なるこじつけなのだ。悪いのは全て私だ。きっとマットは、別れ話を持ちかけられた理由が分かってない。だから3年という月日をかけて、鍛錬して、私を迎えに来たのだ。

 けれど、嫌いになったわけじゃない。何て言えないじゃないか。本当にそうなんだから。ただ、マットよりも好きな人が出来てしまっただけ。だから別れてください。なんて、男にはその理屈が通用しない。そもそも理屈でもなんでもない。感情論が先行して、私の理性なんてどこかへ消えてしまっている。最低なのは私だ。

 それに、私の思う相手が姿を見せないんじゃ、話にもならないだろう。マットにしてみれば「彼女がアイドルやマンガのキャラクターに恋して現実に戻ってこない状態」に等しいんじゃないか?でも可能性は0じゃないんだ。もしかしたら、また、この店に来てくれるかもしれない。

 その0じゃない可能性に、私は望みをかけているのだ。

「お前が好きなんだよ」

 けれど、マットのその言葉にハッとした。

 もし、ノブナガに会えたとして、私の一方的な思いで関係が終わってしまったら、どうしよう。マットは3年のブランクがあったにもかかわらず私のことを好いてくれているようだが、ノブナガはそうじゃない。もう、私の存在すら忘れて、いや。この街のことすら覚えていないのかもしれない。

 思考がマイナスの方へとひた走る。そして3年間こらえていたはずの涙が頬を流れる。

「私・・・やっぱり報われないの・・・かな・・・」

 涙で視界はぼやけ、声も震える。マットはそんな私を優しく抱きしめてくれた。

「・・・オレは邪魔か?」
「・・・あなたの優しさに揺らいじゃう自分が邪魔なの・・・」

 その時だった。

「・・・まだ開いてるよな?」

 すっと離れる懐かしい体温。涙を拭って店の入口に目をやると、長い黒髪で、鉤鼻のサムライみたいな男がいた。

「・・・もしかして、邪魔したか?」

 とぼけた顔で頭をかきながら、その場に立ちっぱなし。私は一度ひっこめた涙をまたぽろっと流してしまう。

「・・・?何、泣いて・・・」
「ノブナガ!!」
「!!?」

 急いでカウンターから飛び出し、ノブナガの前に立ち尽くす。

「まさか、覚えてくれてるとは思わなかったぜ」
「忘れる訳ないじゃない!私・・・私・・・!」

 何故だ?言おう、言おうと3年間思い続けていた言葉が出てこない。

「あなたに一言お礼が言いたくて」

 一言何てもんじゃない。そもそも、お礼を言いたい訳じゃない。

「いつの間にか居なくなっちゃうんだもん、私ずっと、あなたがここにくるの待ってたのよ!」

 そう言った瞬間。私の隣を風が通った。

 気づいたときには、マットとノブナガの二人が剣を交えていた。二人はいつ刀を抜いたのか。私には見ることもできなかった。

「あんたが、3年前にオレの彼女を救ってくれた命の恩人だな。ありがとうな」
「・・・全く言葉にありがたみが感じられねーのはオレの気の所為か?」
「感謝はしてるさ・・・ただ、オレが憤ってるだけだ」
「八つ当たりってやつか」
「そんなところだ」

 合わさった刀の刃と刃がカタカタと音を立てる。ノブナガはさして攻撃しかけようともしていない。あからさまに敵意を剥き出すマットとは対照的で、ひどく落ち着いている。

「・・・チッ・・・オレはお前には勝てないな」

 そう言って、マットは刀を下ろした。そして店を後にしようとする。

「マット・・・!」
「・・・じゃあな。。元気でな」

 私はそう言って店を出るマットの背中を見つめて、小さく頷くことしかできなかった。ゴーンと置時計の大きな音が鳴った。24時・・・ノブナガを待って丁度3年が経った時のことだった。