Mr. Brightside

。私はいつも思うんだが――」

 また始まった。

「――君とはもっと、早くに出会っていたかったよ」
「ええ、アレハンドロ。あなたにそう言ってもらえるなんて、私は幸せものだわ」

 この男と契約を結んでから、もう何度も繰り返したピロー・トーク。この男だけじゃない。嫁がいなければ、とか、もっと早くに出会っていれば、なんて見え透いた嘘を、大抵の客は事後に聞かせてきた。もちろん、自分が返している言葉も嘘だし、もっと言えばサービスの内だ。だから、茶番に興じる自分に嫌気がさして浮かない顔を見せるなんてことはあってはならない。

 それはそうと、虚しいと感じるのは何故だろう。と、はふと思った。

 前はここまで感傷的になったりしなかったのに。きっと、寂しい、本物の愛を得たい。真似事でなく、心から愛せる人間に、心からの愛を示してほしい。そんな欲がまだ自分にあるからだ。そして、一度打ちのめされ、一応立て直しているつもりのこころがまだ揺らいでいるからだ。性懲りもなく、なにか一つ、心から信頼できる存在を求めているからだ。

「それじゃあ、私は執務室に行って仕事を片付けてくるよ。シャワーでも浴びて、ゆっくりしていてくれ」
「ええ、ありがとう。そうするわ」

 は死ぬと分かっている男の背中を見送った。やがて客の後姿は扉の向こうへ消え、扉は静かに音を立てて閉じられた。

 驚いた。ここまで動じずに、彼をこの部屋から送り出せるなんて。

 自分を半ば卑下しつつ携帯電話に手を伸ばして、手はず通りプロシュートへメールを打った。そしては、シーツを纏ってシャワー室へ向かった。

 シャワーを浴びる間、プロシュートが部屋に入ってきたという確証は得られなかった。シャワーヘッドから放たれる温水が体や床に当たって音を立て、それが反響するシャワーブースでも聞こえるような大きな音を立てて部屋に入ってくるなんてヘマをするような男では無いだろうから、当然と言えば当然なのだが、おかげでメールはきちんと届いただろうかとか、プロシュートはきちんと部屋に侵入できただろうか、とかそんな心配が頭をよぎった。

 人をきちんと殺してもらえるだろうかと、心配をしているのだ。

 はそう思い至った途端、堰が切れたかのように泣き始めた。両の掌をタイル張りの壁へ打ち付け、そのまま下へと這わせながらしゃがみ込んだ後、嗚咽のうちに大きな声を上げてしまいそうになるのを必死にこらえようと、口を手で塞いだ。

 一体どこで、私は道を間違ってしまったのだろう。――いや、そんなこと、分かり切っている。泣く息子を放置した。まっとうに生きる道を自ら断った。息子を愛することよりも、亡き夫の仇討ちを――いや、私を孤独にした者への復讐を誓った。そして息子を取り返すことを、何かそれらしい理由をつけて中断した。過ちに過ちを重ねて、今生きているから苦しいのだ。全部、自分一人で決めてきたこと。なのに、一人で背負うには重すぎると自分一人の問題を投げ出そうとしている。――でも、投げ出したところで、誰がそれを咎めてくれる?

 ああ。やっぱり、あの時死んでおくべきだった。どうして私は今ここで、のうのうと生きつづけているのだろう。あの時死んでいれば、こんなに苦しい思いをしなくて済んだはず。――ちがう、違う。私は決めたじゃないか。どんなにみっともないと罵られるような存在にまで堕ちようとも、どんなに自分が自分で受け入れられずとも生き続けると。生きて、この腕で息子を抱きしめるのだと決めたんじゃないか。私があの時死んでいようがいまいが、アレハンドロは死ぬ運命だった。自分がこの殺人に関与しているということを、自分が認めたくないだけ。それさえ堪えればいい。それだけ。たった、それだけのこと――

 しばらくの間葛藤を続けた。埒があかない。自分の悪行に、到底納得などできそうにない。だからは、いつもやっているように心を無にした。そうして良心の呵責をこころの奥底に封じ込めた。立ちあがり、天を仰ぎ、目を閉じて、温水で涙を流した。

 バスルームから出る。寝室の風景は変わらなかった。そしてひどく静かだった。はスリッパをペタペタと鳴らしながら小型の冷蔵庫の前まで歩き、炭酸水を取り出すと、ベッドの端に腰を下ろして何口か呷った。パチパチと弾けながら喉を滑り落ちる冷たい水。鼻腔を抜けるガスの匂い。暗雲が垂れこめたような重たい頭の中が、おかげで少しだけすっきりしたような気がした。けれど、それも束の間のことだった。

「……大した度胸だな。殺人現場のすぐ隣で悠長にシャワー浴びてやがったってのか」

 心配など無用だったのだ。ターゲットは無事、仕留め終わったらしい。は軽く下唇を前歯で噛んだ後、プロシュートの方へ振り向きもせずに言った。

「ああ、もう済んだの。……ごめんなさい。体が資本なもんだから、清潔にしておきたくて」

 これ以上軸をぶらされてなるものか。はプロシュートに付け入る隙を与えまいと考えていた。強く、動じない、肝が据わった女――ぶれない軸を持った女を演じる。背筋をしゃんと伸ばし毅然とした態度で、手の中で温めていた炭酸水をもう一口呷る。

「――!!」
「早く支度しろ。……帰るぞ」

 少しの音もたてずに、プロシュートはのすぐうしろに立っていた。喋るついでに首筋へ吐息を吹きかけられ、彼女はピクリと体を揺らす。彼に揺らされた鼓膜の振動は、首の内側から胸、胸から下腹へと伝わって体を疼かせた。

「ええ。分かった」

 瞬間湯沸かし器にでもかけられたかのように火照り始めた体を冷ますべく、は炭酸水の入ったボトルをもう一口呷った。だが、たったそれだけの処置でこの熱が冷めるわけもなかった。たまらずは立ちあがり、ソファーに掛けていた衣服を拾いあげ、再度バスルームへと向かった。

 普段なら扉一枚閉めるのにも気を配るのだが、今の彼女はそんなことを気にしていられる心境では無かった。やや大きめに音を立てて扉を閉じた後、鏡の前、シンクの縁に手を掛けて、ゆっくりと顔を持ち上げた。鏡に映るのは、真っ赤になって完全に狼狽えている、久しく見なかった自分の顔だった。――こんな顔、プロシュートに見られるわけにはいかない。

 冷水を蛇口から出し、掌で顔面に浴びせる。それでも、冷たくなっていくのは表面だけだ。相変わらず心臓は激しく鼓動を打って、全身に沸き立ったような熱い血液を送り出していた。ついさっきまでここで死にたいという欲求を思い起こして絶望していたのに、彼の存在を耳や肌で感じた途端に身体の方は生存を望むかのような反応を示し始めた。もちろん、には、そんな体の反応が先でない事くらい分かっている。

 これまで造作もなく殺すことができていたはずの自我が、愛に飢えた自分が、プロシュートという男との時間を――生を――心から望んでいるから、体がこんな反応を示しているのだということくらい、分かっているのだ。

 できる。できるわよ。いつもやっていることじゃない。さっきだってできた。だから今度だってできる。

 身支度を済ませたは、心を無にするのだと自分に言い聞かせながらバスルームから出た。プロシュートの目をまともには見ないよう注意しながら先だってビルから抜け出し、敷地から抜け出した後は彼の後ろを付いて回った。やがて閑散とした裏通りの路肩に停められた一台の車が視界に入る。あれがそうだと言いながら車に近づいて、プロシュートは助手席の扉を開けた。彼のエスコートを受け、は車に乗り込んだ。プロシュートも運転席に乗り込むと、エンジン音が鳴り響いた後、車はゆっくりと動き始める。

 あと三十分よ。三十分我慢すれば、またひとりに戻ることができる。だから、それまでなんとか堪えるの。

 は引き続き自分に言い聞かせながら、流れ行く外の景色に目をやった。何か話しかけられたらどうしよう、などとヒヤヒヤしながらじっとして、唇を引き結んでただ窓の外を何となしに見つめる。けれど心配は無用だったようで、プロシュートは一言たりとも声を上げなかった。おかげで、ラジオも何も鳴らない車内で聞こえてくるのは、車の走行音と彼のかすかな息遣いだけ。閉め切られた狭い空間で、彼の表皮から揮発したシダーウッドの深く落ち着いた香りが鼻腔をくすぐる。ふたりが放つ体温は狭い密室で混ざり溶け合って、ふたりの体を優しく包み込んでいるようだった。

 いくら心を無にしようと躍起になっても、薬も何も無しに神経まで遮断することはできない。すぐそばのプロシュートという存在を、聴覚や嗅覚、そして触覚をもって感じ取ってしまう。胸はいつもよりも早く鼓動を打っている。喉はからからに乾ききって、らしくもなく生唾を飲み込んでしまう。

 こんな体の反応が、せめてプロシュートにだけは気取られないようにと必死に押さえ込んでいるうちに、車はアパートの前に停まった。長いようで短かった三十分。結局、車に乗り込んでからは一言も交わさない内に到着“してしまった”。ドアノブに手を掛けドアを開けようとすると、さして慌てる様子も無く運転席から離脱したはずのプロシュートがゆっくりと向こう側から扉を引き、やや車高の低い車から抜け出すのを手伝おうと、へ手を差し伸べた。

 は心の中で少しためらったが、こればっかりは避けられないと、その温かな掌へ自分の利き手をあずけた。

「送ってくれてありがとう」

 はプロシュートへ向き直った。

 美しい彼の姿を拝むのも、これで最後。望んでいた“ひとりきり”の時間はすぐそこよ。早く彼に背を向けなくちゃ。

 小さく音を立てて閉じられたフロントドアの傍に立ったプロシュートは、少しだけ乱れた前髪を掻き上げながら、に向き直った。

「ああ……」
「それじゃあ、おやすみなさい。気をつけて帰ってね」

 そう言ってプロシュートに背を向けたは、目尻で、どこか残り惜しそうな視線を向ける彼の姿を捉えた。後ろ髪を引かれるような思いに駆られながらも、何も見ていない、そう自分に言い聞かせて――また自分の心を説き伏せて――は歩を進める。



 静かな通りに響く自分の名を聞いて、はまた胸を熱くした。再三に渡って早くなる鼓動に、自分は何か期待してしまっているのだと気づかされる。

「……?なに?」

 プロシュートはボンネットに腰を預け、内ポケットからタバコを取り出した。ほったらかしにされている間、の目もまた、残り惜し気に彼の動作ひとつひとつを目で追っていた。タバコを咥え、息を吸いながらその先端に火をつけると、唇からゆっくりと紫煙が吐き出される。立ち昇るそれを夜空に見送った後、彼は自嘲めいた笑みを浮かべた。そして頭を左右に振ってを見やり言った。

「いや、何でもない。引き止めて悪かったな」

 気は済んだ?これで本当に、本当の最後よ。

 は儚げに微笑んで見せ、彼に背を向けた後口を堅く閉じた。口から力を抜いて自由にさせていると、押し殺しておいたはずの自我が、好き勝手に喋り出しそうだった。それくらい、プロシュートの姿が、の目には魅力的に映っていたのだ。

 彼の姿を目に焼き付け、心の中のアルバムにそっと綴じて、アルバム自体をゆっくりと閉じた。――これで、夢のようなひとときは幕を閉じた。

 はまた、ひとりきりの部屋に戻ってきた。そしていつものルーティンを済ませる。鍵をかけ、部屋に明かりを灯し、バスルームへ向かった。シンクで手を洗い、バスルームから出てすぐ右の壁際に置いたチェストの上の写真立てを持ち上げ、平らな息子の額を愛し気に撫でる。じっと見つめて、戒めのように胸を締め付け置き直す。その後ベッドルームへ行って、窓から入り込む街灯の明かりを頼りにワードローブの扉を開け、コートを掛ける。――少し、ワインでも飲んで、ゆっくりしてから寝たい気分だった。キッチンへ向かって、戸棚からワイングラスを、冷蔵庫から冷えたボトルを取り出して、キッチンのワークトップへそれらを置いた時、呼び鈴が鳴った。

 誰かしら。

 そう思ってすぐ、はその問いの答えを思い浮かべた。自分には、大抵の人間が寝ているであろうこんな夜中に、呼び鈴を鳴らしてくるような友人も家族もいない。だから、今扉の向こうに立っているのは、自分がまだ起きていると確実に知っている赤の他人だ。――きっと、プロシュートだ。

 は玄関の扉にあるドアスコープをそっと覗いた。床に視線を落とし、じっと佇むプロシュートの姿が見える。

 分かってはいたのだ。寝る前に酒なんか滅多に飲まない。それなのにワインを冷蔵庫から取り出したのは、酔いで孤独を忘れようとしたからだ。だから扉を開けてしまえば、きっと自分はプロシュートを拒むことはできない。分かりきったことだった。けれど、は扉を開けてしまった。

 もしかしたら、車の中に忘れ物をしてしまったのかも。それを、届けにきてくれただけかもしれないじゃない。

 緊張しきって、カバンの中をかき回すどころか覗くことすら忘れていたのだから、あり得ない。それも分かり切ったことだ。けれど、言い訳をして理性を説き伏せて、は鍵を開け、ドアノブに手を掛け扉を引き開けた。

「どうしたの、プロ――」

 彼の名を呼び終わる前に、今まで体の前面を向けていたはずの扉に背中をはりつけられていた。いつの間にか部屋の中にプロシュートがいる。彼は唇の片方の端を吊り上げて目を細め、顔をゆっっくりとの顔に近付けた。両肩の脇には両手をつかれ、逃げ道を塞がれてしまっている。もう逃れられない。

「まただな」
「……え?」
「また、豆鉄砲食らった鳩みてーにポカンと呆けた顔をしてる」

 顔が火照っている。きっと、ビルを出る前に鏡で見た顔をしていることだろう。絶対に見せられないと堪えに堪え、内に留めていたはずの顔だ。心臓も、まるで自分を鼓舞するかのように激しく鳴って、内側から肌を突き破りそのまま飛び出していってしまいそうだった。



 鋭さを持って耳孔から侵入したプロシュートの声は、なめらかに下へ下へと下りていった。

「今日は何て言って、オレから逃れるつもりだ」

 途中で激しく高鳴る心臓を――蛇が獲物にそうするように――ぎゅっと締め付けたかと思うと、その後融けて熱い蜜のようになって、さらに下へと向かう。溜まった熱いそれは、下腹のあたりを疼かせた。

「――んッ」

 プロシュートの鼻先が首の表皮をかすめた時、ついには降伏して、音を上げた。たまらず目をつむり、顔を横へとそむけてしまった。彼の息づかいを、開け渡した表皮でより鮮明に感じ取ってしまう。ぞくりとした。その震えはとても甘美だった。けれど足りない。体はもっと確かな感覚を欲しがって震えていた。

「いや、無理だな。。今日は逃げられない」

 そうよ。間違いない。

「お前の客なら、ついさっきオレがぶっ殺したからな」

 共犯者は耳元でそう囁くと、目を見つめ、の唇に視線を落としまた目を見やった後、ゆっくりとまぶたを下ろしながら唇を近づけた。



06: Now they're going to bed



 には、自分がどうやって寝室にたどり着いたのか、その詳細が分からなかった。彼女が覚えているのは、玄関の扉にはりつけにされてキスを交わしている内にカチャリと音がした――プロシュートによって鍵がかけられた――こと。その後お互い夢中になって、服を床に脱ぎ捨てキスをしながら、いつの間にか寝室のベッドにたどり着いていたということだけだった。

 ブラジャーとパンティを身に着けただけのは枕に頭を預け、ジャケットもシャツも脱ぎ捨て、上半身をさらけ出したプロシュートの姿を見つめながら彼の愛撫を受けていた。

 スーツに身を包んだ彼はスラっとしていてスマートに見えたのだが、脱ぐと違った。美しく均整の取れた体付きであることに変わりは無いが、腕や胸、腹にはしっかりと筋肉を纏っていた。胸板は厚く、逆三角形をしていて、男性らしい体付きだ。見ているだけで体全体を駆け巡る血液が沸き立つのを感じるほどセクシーだった。はうっとりと見惚れ、ついでに吐息を漏らしてしまう。

 一方のプロシュートは、先程かきあげていた前髪を再度こぼし乱しながら、青く燃えるような美しい瞳でを見つめた。その後、頬へ、首へ、そして胸元へと羽のように軽いキスを落としていく。

「……。綺麗だ。すごく」

 聞き慣れたはずの褒め言葉。聞かせてくる相手が違うだけで、こうも違うものかとは驚いた。それと共に、まるで生娘のように顔がかっとなるのが分かった。褒められて、心の底から嬉しいと思ったが故の反応だ。

「美しいのは、あなただわ。プロシュート」

 はへそのあたりにキスを落としていたプロシュートの頬に手を当てて言った。ちらと上目づかいをして見せた彼は少しはにかむと、何も言わずにせっせと体全体へキスの雨を降らせていく作業に戻ってしまった。

 認めたくはないが、初めてプロシュートに会った時からこの時を望んでいた。ギャングであるにも関わらず、上品で、強く美しく優しいプロシュートという男に抱きしめられたらどんなにいいだろうと夢を見ていた。

 念願叶って、今、彼の美しさを間近で、そして全身で感じ取ることができている。プロシュートの美しさは、何も外見だけの話ではないのだ。彼の中には、確かにぶれない軸がある。それこそ彼の自信の源であり、美しさの根源なのだ。初めて彼と出会って一週間しか経っていない中でも、確かにそうだと言える自信がにはあった。

 それに引き換え、私は――



 これまで幾度と無くやってきた自己嫌悪という渦に呑み込まれそうになる前に、プロシュートが救いの手を差し伸べた。いつの間にか彼の顔はまたすぐそばに戻ってきていて、あたたかな掌が冷えた頬を覆っていた。

「なんでそんな、悲しそうな顔してんだ」
「なんでもない。……気にしないで」

 プロシュートはの隣にひじをつき横になって、頬に手を当てたまま優しく、の顔を自分の方へ向けた。続けて、まるで子守唄でも聞かせるようにやさしく、そっとつぶやく。

「話してくれ」

 プロシュートの瞳の中で、青い炎は絶えず静かに燃え続けている。

「今日、今すぐでなくてもいい。話してもいいと思った、その時に。……オレはあんたのことを、もっと知りたいんだ。あんたが何が好きで何が嫌いなのか。何に怒って、何に悲しんで何に喜ぶのか……。要は、あんたのすべてが知りたい。ゆっくりと、少しずつがいい」

 鼻と鼻が触れ合う距離で、じっと目を見つめながら彼は続けた。

「どうしようもなく、あんたのすべてが欲しい。欲しくて、欲しくて、たまらない。……もう我慢の限界なんだ。……だから、続けても、いいか?」

 きっとここでダメだと答えれば、彼は行為を止めただろう。こんなに優しく、思いやりをもって扱われたのはひどく久しぶりだ。今にも溢れ出してしまいそうな激情が、喉の奥、すぐそこまでこみ上げてきていた。泣きそうな顔を見られるのが嫌で、は彼の首に腕を回し、自ら口づけをした。――プロシュートに抱かれるこの至福の時に、彼に与えられるであろう快楽に溺れて、苦しみも悲しみも、全て忘れてしまいたかった。

 プロシュートはの沈黙の内の口づけを肯定と受けとり、唇を重ね合わせたまま彼女の背をベッドへと押し付けると、続けて体へまたがり覆い被さった。もう我慢ならないと言わんばかりに、彼の舌は深く、そして丹念に口内を探索し始める。の舌を器用にからめとって、ゆっくりと表や裏、その奥の根本までを優しく愛撫する。鼻から抜けていく互いのあたたかい呼気が互いの肌をくすぐり合う。

 プロシュートとのキスはどこまでも豊潤で、甘やかで、身もこころもすべて、出来立てのストロベリージャムのようにとろけて床へと落ちていってしまいそうだった。

。夢みたいだ。あんたとこうして、愛し合える日が来るなんて」

 そう呟いたプロシュートの唇は、の顎の輪郭をなぞった後、喉、鎖骨の間を通って胸元へとたどり着く。彼は乳房の上の方にしゃぶりつくとカップを手でずらした。そうしてあらわになった乳首を唇で軽くはさまれる。はたまらず声を上げる。

 これまで散々打てど響かなかった彼女が自分の愛撫に明確な反応を示すのが嬉しかったのか、プロシュートの舌の動きは次第に遠慮を失くしていった。そそり立つ乳首を、たっぷりと唾液を纏わせた舌で根元からゆっくりと撫で上げた後、少し尖らせた唇で咥え込み、舌先で頂きをかすめながらそのまま上へと吸い上げる。いつの間にか露わにされていたもう片方の乳首も、指の腹で掻き立てながら。

 はプロシュートの頭に両手を添えて、声を押し殺すようにうめいた。彼の舌や唇から伝わる熱、息遣い、そして指ひとつひとつの動きを、体はつぶさに感じ取る。すっかり鋭敏になってしまった感覚が、もっと、体の底の奥の方で、強い刺激が欲しいと暴れだしていた。このままいじめられ続けたら、あまりの切なさに身がねじ切れてしまいそうだった。

「我慢するなよ。……もっと声を聞かせろ」

 プロシュートはの背中に両手を潜り込ませた。体を抱き寄せて浮かせ、ブラジャーのホックを一瞬で解く――その手際の良さに、誰となしに嫉妬してしまう。自分にそんな嫉妬心を抱く権利が無いのは百も承知だが――と、肩紐も慣れた手付きでいとも簡単に肩からはずしてしまい、あっという間にの胸をあばいてしまった。

 反射的に腕を交差させてあばかれた胸を隠すだったが、間を置かずに手首を掴まれ、そのまま枕へ手の甲から沈められる。こうなったらもう降参するしかない。プロシュートは捕らえた獲物を屠る猛獣よろしく、の唇に噛み付くようなキスをした。その荒っぽく刺激的なキスに気を取られる内に、手首を握っていた手は腕を撫で下ろし、その根本にある乳房を鷲掴みにした。そのまま指先に少しだけ力を込め、上へ下へと揉みしだいた。

 指先の圧力を筋肉で、その奥の胸骨で感じる。くすぐったいような気持ちのいいような、甘く淡い快感がさらに蓄積していく。たまに掌を浮かせて、沈み込んでいた突端の存在を確かめられる。相変わらず硬いままでいたそれを揺らされると、たまらず悲鳴をあげてしまう。

 熱に浮かされたは、自制を効かせて声を出さないようにと意識することもままならなくなっていった。早く欲しい。こんな、甘ったるいのじゃなくて、もっと鋭いのが――

 のそんな気持ちを悟ったのか、プロシュートは尚も続くキスの合間に、彼女の中心にそっと腰を押し付けた。硬く、しっかりと質量を持ったその存在に気付いたは、ひときわ大きく鼻から息を抜いた。

「もう我慢できないって顔してんな」
「あなたは、まだあげないって顔をしてる」

 ご明察。と、プロシュートは楽しそうに笑った。そして、乳房を掴んでいた彼の手は胴を縦断してパンティの中へ潜り込む。指が、中心へ向ってゆっくりと挿し込まれていく。渇望で満ち溢れていたそこは、何の支障もなく彼の指を呑み込んでしまった。何度かゆっくりと出し入れされて、その内中指だけでなく人差し指まで加わって、内側を撫で回される。

「プロ、シュート……っ、あ、ああっ」
「あんたのそんな顔、ずっと見たかったぜ」
「いや。そんなに、じっと見つめないで……っ。きっとひどい顔、してるわ」
「何言ってる。オレを欲しがってるのがよく分かる、最高に愛らしい顔だ。……もっとよく見せろよ」

 枕から下へ戻っていた両手を、今度はたった一つの手で拘束されて、また枕へと沈められてしまう。は観念して、しばらくはプロシュートの目をじっと見つめ、悲哀をにじませながら早く欲しいと訴え続けた。けれど彼の手は容赦なく快感を植え付けていく。極めつけに最も敏感な核心を親指で撫でられる。は咄嗟に目をつむり、彼にすがって声を上げた。

「アッ……!だめ、だめやめてっ……!」
「やめちまっていいのか」

 恥ずかしくて顔をそらし、下唇を噛んでは押し黙る。そうやってプロシュートから目を離していたすきに、彼はの太ももの間に顔を埋めていた。

「――っあ、ふ、ああっ!」

 プロシュートの舌先が的確に、熱を持って疼いていた小さな肉の芽を探り当てて舐め上げた。は背を弓なりにして胸を反らす。その後も、彼の拷問のような至福の愛撫は続いた。頭の下敷きになっている枕を掴んで握りしめ、自由の効く頭を左へ右へと振って、悲鳴にも似た喘ぎ声をあげながら、彼女はその拷問に耐えた。

「ああ、だめだ。。……可愛らしすぎて、このままずっと、あんたをイジメていたくなっちまう」
「……っ」

 もう我慢の限界はすぐそこに迫っている。

「とは言ったものの……もう、オレの方が、我慢できそうにねえ」

 それはプロシュートも同じだったようだ。の脚の間で膝立ちになり、彼はズボンのジッパーを下ろして、すっかり充血しきって屹立したペニスを取出した。は息を弾ませて、彼の姿をじっと見つめる。彼はひどく余裕のなさそうな顔で、銀の小袋を破き始めた。

「……いいか?」

 準備を済ませ、体を這い上がってきたプロシュートに見つめられながら、頬や額にかかった髪を長い指の先で退けられる。彼の真摯に、懇願するような眼差しを見ると、途方も無い愛しさがこみ上げてきた。

 いいに決まってる。そもそも、懇願すべきなのは、私の方だ。

「ちょうだい。プロシュート。……私、あなたが欲しいわ」

 の心からの言葉が、プロシュートには意外だったらしい。彼ははっと目を見開き、青い瞳をまるで少年のように輝かせて見せた後、ふわりと笑って、またふわりとに口づけをした。彼の見せる表情ひとつひとつが、たまらなく愛しく感じた。そして、甘やかな口づけのうちに――

「っ、はあっ……!」

 ――の中へ、プロシュートが押し入った。激情に任せて勢いよく突いてしまいそうになるのを必死にこらえるように、彼はゆっくり、ゆっくりと奥へ進んで行く。そうして体の奥まで穿たれ、満たされた時、動きは止まる。彼の熱は、中心からじわりと体のすみずみへ広がっていく。が久方ぶりに真の幸福を得た瞬間だった。

 深く埋められた熱は、またゆっくりと外へ向っていく。先端が出きってしまわないぎりぎりのところで一時停止して、またゆっくりと中へ進んで行く。じれったい――いや、この思いやりに満ちた、そして彼自身もまた幸せを噛みしめるような動きは、の体だけでなく、心をも喜ばせていた。

 痛くはないか、なんて言葉まで投げかけて、額、鼻先、頬、唇へと余すことなく恭しくキスをしながら、プロシュートは律動を繰り返した。繰り返す内に、リズムは徐々に早くなっていく。最も深いところまで届く度に、は少しずつ高みへと押し上げられていった。

「ああッ……!」

 低くかすれた声。それは、彼の絶頂が近いと予感させる声だった。この上なくセクシーで、声を聞いてすぐ、ふいに、の元へも絶頂が迫り来た。

「いけ、

 とどめをさされた。最後に一度、深く、深く、奥まで突き刺され、凄まじい速さで甘い痺れが体の隅々に散った後、の世界は、彼女と彼女の絶頂感だけを置き去りにして暗転した。



 どこからか意識が舞い戻ってきて、はゆっくりと目を開けた。目の前には相変わらず美しいプロシュートの顔があった。乱れたままの前髪を汗で額にはり付けた彼は、枕に頭を預けて少しだけ呼吸を乱しながら愛し気に微笑んでいた。

「どうする。……シャワーでも浴びに行くか?」

 は首を横に振って足元のブランケットを手繰り寄せ、ふたりの体に被せながら、横向きに寝そべるプロシュートの胸にすり寄った。汗で少しだけ湿ったプロシュートの胸板に掌と額を当てる。彼の少しだけ早い心音。接した部分から伝わる熱。――体で確かに感じ取ることができる“愛しい人”の存在から、今は離れがたかった。
 
「もう少し……このままでいさせて」

 プロシュートは、そう呟いたの背に片腕をまわしてぎゅっと抱き寄せた。

「ああ。好きなだけそうしてろ。……あんたが目を覚ますまで、オレは傍にいる」

 穏やかなプロシュートの声音にほっとした。これほどまでに心が落ち着くのは何年ぶりだろう。

 長い間ひとりきりで疲弊し続けてきたは、束の間の拠り所を見つけ安堵して、羽を休めることにした。はりつめていた気をゆるめてすぐに、彼女は深い眠りへと落ちていった。――これが最後と、また自分に言い聞かせながら。