Holiday

 冷蔵庫の中が十分な食料で満たされているのも、にとっては幸せなことだった。

 幼い頃に使っていた小さな冷蔵庫の中はいつもガランとしていて殺風景で、日々活動するのに必要最低限のエネルギーが得られればそれで良いと体言しているようなものだった。母は買い物をして帰って来ることなんて滅多になかった。少なくとも、冷蔵庫をいっぱいにするために食料を買ってきたことはない。帰りしなにスーパーマーケットへ寄っては、酒とスナック菓子などを入れたメッシュバッグを肩に下げて帰って来ることはしょっちゅうだったけれど、そこに娘の栄養のためにと配慮したような食料と呼べる類のものが紛れ込むことなどついぞ無かった。

 対して、チョコラータのキッチンにある冷蔵庫の中身は素晴らしかった。食料はまさに多種多様で色とりどり。野菜室には赤や黄色や緑に紫といった野菜が詰め込まれていて、まだ何も手を入れていないそのままの状態での食欲を掻き立てるほどだった。冷凍庫には冷凍された肉や魚や加工肉の類がひしめきあっている。きちんと種類ごとに袋分けされていて、種目もしっかり明記されている。鶏胸肉、鶏もも肉、鶏のミンチ。豚ロース、豚こま、豚のミンチ。同じように牛の分もあった。魚はタラにスズキにサケにサバ、他に海の幸で言えばタコやイカやアサリまで揃えてある。冷蔵庫内には卵や牛乳やチーズがたっぷりあって、扉側のラックには調味料やスパイの数々がびっしりと並べられていた。下の方は空いていたが、そこはセッコのために作った食事を置いておくスペースだ。

 一通りの家事をこなしたあと冷蔵庫の中を覗き、次は何を作ろうかと考えるのが楽しい日課になりつつあった。大抵の家庭料理は作ることが出来るだったが、ありきたりなそれらではとても食材の全てを使いきることができない。がチョコラータにレシピ本か何か無いかとたずねると、それなら前の使用人が使っていたのがあると言って数冊の本をに渡した。そうやって新しいメニューを食卓に並べるたびにチョコラータに褒められた。それではどんどん腕を上げていったのだった。

 は、自分は褒められると伸びるタイプなのだろうと思った。チョコラータと出会う前――いや、スクアーロとティッツァーノという二人組に出会う前に誰かに何かを褒められた記憶などなかった。つまり、伸びしろはまだまだたくさんあるということだろう。は内心で謙虚に納得していた。

「料理が上手いやつは賢いんだ」

 2階のテラスで昼食を取っている時、チョコラータが言った。

「料理ってもんにはすべてが詰まってる。必要な材料や手順を事前に準備して想定通りに実行し、その結果が上手く行ったか上手くなかったかを反省し、次はこうしようという反省をすぐに試行できる。そのタイミングが多けば日に3度ある。おまえは料理をする度にそうやって頭を鍛えているんだ。その日々の反復を――つまり努力を惜しむやつは頭が悪いからそもそも高給なんか得られないし、メシを食うために無駄に高い金を使うはめになって金も無くなっていく。私は賢い人間が――おまえが好きだよ。何と言っても第一に、金の節約になるからな」

 は生まれてこの方自分のことを賢いと思ったことなど一度も無かったが、褒められたらとりあえず笑顔でありがとうと言えとの教えに背くわけにはいかなかった。だからまだ屈託にとまではいかないものの、微笑を浮かべて小さな声でありがとうございますと言った。

 はその後、自分で焼いたパンをちぎりオリーブオイルに浸し、口の中へ放った。うん。自分で思うのもなんだけれど、とっても美味しい。

 使用人という身でありながら、立派なお家のテラスでご主人と一緒にお昼ご飯を楽しめるという幸せを噛み締めながらパンを咀嚼し飲み込んだ後、は言った。
 
「けれどチョコラータさん。私が料理を楽しめるのは、チョコラータさんの冷蔵庫の中にたくさんの食材があるからです」 
「言われた通りの物を言われた通りに買ってくるだけならバカにもできるからな」

 涼しい顔をしたチョコラータが、海の方へ視線を投げて言った。
 
「え?」
「そうだ、卵や牛乳や野菜なんかがそろそろ切れるころじゃあないか?」
「……あ、はい。なので言われた通り、一昨日欲しい食材をリストにしてFAXで指定された番号に送っておきました」

 チョコラータ邸のリビングの隅にはウォールナット材で作られた濃い茶色をしたハイチェストがあって、その上にファクシミリ機能付きの固定電話が乗っている。横幅30センチメートル無いくらいの灰色のものだ。なぜこんなゴーストタウンの一角に電話が通っているのかは謎だが、それを言えば、そもそも電気がどこから来ているのかも謎だった。大方、近くの農園か何かから盗電なりなんなりやっているのだろう。

 とにかくは、初日にチョコラータから案内があった通りどこかの誰かに――FAX番号の相手先が誰かは分からなかったし知らされてもいない――あれそれが欲しいと要請をしたのだった。

「そう、それが今日の夕方頃配達される。今朝連絡があった」
「わかりました。ありがとうございます」
「配達に来た連中に荷物を家の中へ運び込ませるなよ。人様の家の中でお上品にできるような連中じゃあないんだ。荷物が届いたらひとまず玄関先にそれを置いて外で配達人を見送った後、私を呼ぶんだ。分かったな?」
「でも、チョコラータさんにそんなこと――」
「女性に重い荷物を持たせられるか。男ってのはそうやって女性に甘えられるのが気持ちよかったりするんだから、男手が欲しいときはすぐに私を呼べ」

 チョコラータはの目を見つめて微笑んだ。その言葉と微笑みに、の胸はキュッと縮み上がった。

「ふっ。……かわいらしいやつだ」

 留めにこの一言だ。はたまらなくなって顔を主人から逸らした。一度縮み上がった心臓は今や早鐘を打って全身に熱い血液をせわしなく送り続けている。胸に当てた手のひらでそれを感じたし、手自体も疼いているような気がした。呼吸がうまくできない。 

「あ、あの、わたし……お手洗いにっ……」

 そう言って、はチョコラータの前から逃げ出した。バスルームに飛び込んで後ろ手に扉を閉め、そのままひんやりとした扉に背中を預け深呼吸をし、心身共に落ち着くのを待った。やっと動き出せるようになると5歩ほど進み――この屋敷ときたらバスルーム自体恐ろしく広く贅沢な作りをしているのだ。入口からシンクへたどり着くのに1、2歩じゃきかないなんて。床のタイルも張り替えたばかりなのか美しくピカピカと輝いて見える――鏡に顔を映してじっと見た。血色は普段通りに戻っている。けれど表情は硬く強張ったままだった。

 緊張している。けれど、どうして? 

 チョコラータさんは雇用主なのに使用人の私にひどく親切で、いつも優しく接してくれる。日に3度の食事だって一緒に取ってくれる。そのたびに私の料理の腕を褒めてくれるし――そのたびに気恥ずかしくなって困ってしまうのだけれど――ことあるごとに私のことを気にかけて声をかけてくれる。優しく微笑んで。そう、その微笑みだ。彼の優しいそれを目にすると、とたんに変になってしまうのだ。出会った当初は彼の無表情な顔を少し怖いと思ったけれど、彼は実際とてもハンサムで微笑み方なんてまるで雑誌の表紙に写るモデルみたいだ。彼の所作ひとつひとつからは大人の余裕から来る落ち着きが感じられて、つい男性として頼りたくなってしまう。使用人なのにそうであることを忘れて心が浮ついてしまう。そう。チョコラータさんはひどく私に甘くて、ひどく……魅力的なんだ。

 がそう思い至った時、バスルームの扉がコンコンと音を立てた。彼女は反射的に肩を跳ね上げ上ずった声で返事をした。

「は、はいっ……!」 
。私だ。……私は先に食事を終えるよ。おまえの分の皿は置いたままだ。鳥やなんかに食われる前に戻るんだぞ」

 ふたりは扉越しに会話を続けた。
 
「ご親切にありがとうございます」
「私はしばらく地下にいる」
「わかりました」

 チョコラータが扉の前からいなくなったことを察すると、はおずおずとバスルームから抜け出して2階のテラスへと向かった。初夏の、まだ少し柔らかい日差しが真上から降り注ぐ。前方には青く美しく光る海。山の中腹から海に向かっての眺望はとても美しい。周囲は木々に囲まれていて、そよ風が新緑の青々とした香りを乗せて体を撫ぜていく。
 
 は緊張で凝り固まった体を解そうと両腕を空に上げ背伸びをした。その後サンシェードの下のテーブルについて、昼食の残りをゆっくりと味わった。

 食事を終えると食器を持って1階へ降りた。台所やリビングの清掃などをやっている内にあっという間に日が傾いた。窓枠に切り取られた橙色の光が照らすようになり部屋の中は薄暗い。そろそろ照明でもつけようかと思い、部屋の扉脇にあるスイッチに近付いた時、玄関の呼び鈴が鳴った。証明に明かりを付けるスイッチの真上には、訪問者の顔を映し出すモニターがついている。スピーカーのアイコンがついたボタンを押し続けていればその間に訪問者と会話ができる。玄関先にはふたりの男が立っていた。人を見かけで判断するのは良くないかもしれないが、チョコラータが言っていた通り、お上品そうには見えない2人組だった。

「はい。どなたですか」
『配達だよ。それ以外で人が来んのかよこんなとこ。さっさと出てきて受け取れ』

 確かにそうだ。こんなゴーストタウン、幽霊すら人がいなさすぎて寂しくて居つかないに決まっている。それにしても、初対面――まだ対面はしていないけれども――の人間にそんな言い方って無いんじゃないかな。と思いながら、はくちゃくちゃとガムを噛みながら喋った男の顔をじっと見てみた。

 ハンチング帽を被った、無精ひげが目立つ目つきの悪い男だ。その後ろでは、ひとさまの玄関先ですぱすぱタバコを吸って、あろうことか吸い終えたタバコを玄関先の石段の上に投げ捨て足で踏みにじる大男がいた。もちろんそのゴミを自分で処分しようと拾うためにかがみ、モニターから姿を消すことも無かった。その男の腕は一般男性の太腿くらいはありそうだった。ゴミは拾って帰ってくれと言ったらその腕で絞め殺されそうなのでやめておこう、とは思った。
 
「今行きます」

 が玄関扉を開いて表へ出るなり、ドアフォン越しに喋っていた男は彼女の姿を上から下まで舐めるように見た。

「あの……荷物はどこに?」
 
 男の視線に耐えかねて聞くと男は顎を煽って、バックドアをこちらに向けて停めた黒塗りのバンを示した。
 
「あん中だよ。頼んだもんが揃ってるか確認して、サインをくれ」

 男が胸ポケットから取り出したのは、ファクシミリ用の感熱記録紙だった。折り目に沿って薄くグレーの線がついてはいたが、そこにはが手書きした買い物リストがそのままモノクロで印刷されていた。紙の右下には黒いインクで枠判が押してあり、そこがサインすべき所らしい。

「受取人のサインがなきゃ、金をもらえねーんだよ」
「わかりました」

 そう言って紙とボールペンをに手渡した後、男は口をくちゃくちゃと鳴らしつつキーホルダーをくるくると指先で回しながら車のバックドアへ向かって歩き出した。その後ろにがついていくと、今度はその後ろにタバコをポイ捨てした大男がついた。

 トランクの中には木箱がふたつ置いてあった。は渡された紙を見ながら確認作業を進めていった。全ての項目にチェックマークがついた後、サインを書いて――自分のサインでいいかどうか迷ったが、別に誰と言われていないからいいか――背後にいる男に渡そうと振り返った瞬間、大男にトランクへと押し込まれてしまった。両開きのドアはすぐに閉められてしまい、男たちは後部座席の両サイドに回って車に乗り込んだ。大男の方がその大きな身体をくの字に曲げての肩をトランクの底板に押し付けた。身をよじろうと思っても上半身はびくともしなかった。そうこうしているうちに、ハンチング帽の男がベルトのバックルをかちゃかちゃと鳴らしながらの足の上に跨った。

「放して、ください」
「解せねーよなあ。分かるぜ。……だが、こっちも安い金でつかわれてんだ。これくらいのご褒美もらったってバチはあたらねーはずだろ?」
「おい早く済ませろよ。オレだって溜まってんだ」
「チッ、分かったよ。ほらねーちゃん、足広げな」

 は早々に抵抗することを諦めてゆっくりと足を開いた。そして会ったばかりの名前も知らない男がものを取り出して、自分の太腿の間にそれを埋めようとするのを黙って見ていた。大男の方はの肩から力が抜けるなり手を乳房へと持っていって、やわやわとその膨らみを揉みしだき始めた。

「素直でかわいいじゃねーか。おまえ」
「んっ……く、んんっ」
「こんな山奥で萎びたナニしたじじいの世話でもさせられてたんだろ。かわいそうに。そら、オレが今からおまえのこと慰めてやるよ」

 こういう時は無駄に抵抗しない方がいい。無駄に抵抗して、怪我でもさせられたら困る。は赤い血なんていう分かりやすいものが視界に入らない限り、どこを怪我したかすら自分で認識することができない。血を流しているのに痛がったり処置をしないでいると、自分が“普通”でないことがチョコラータにバレてしまう。バレて疎ましがられたり、変に気を遣われたり、最悪解雇されたりというのが嫌だった。見知らぬ男に犯されることよりも、ずっと。
 
「オレのはおまえんとこのじじいのナニなんかとは比べ物にならねぇくらい立派だぜ」
 
 でも、こんな風に犯されているなんてチョコラータさんに感づかれるのも嫌だ。おしゃべりはいいから、さっさと済ませて消えて。

 そんなの思いに応えるように男の勃起したペニスの先端がひたと秘部にあたり、乾いたそこを上下に動いた。埋める先を探しているようだった。
 
「どれくらい立派かっていうと、ギザのピラミッドくらい硬くてでか――」

 もう少しで世界一有名な古代文明の巨大建造物に例えられたそれほど立派でもない普通のいちもつを突き立てられそうという、まさにその時だった。バックドアが外から乱暴に開けられて、男たちは驚き体を硬直させた。

「何をやってる」

 地の底から響くような怒声に運び屋たちは目を丸くすると、声の主の方へゆっくりと目をやった。それは(恐らく)この家の主人だった。少なくとも、ナニが萎びて使えなさそうなほど衰えてはいないなと、ハンチング帽の男は思った。

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 「なあにがギザのピラミッドだ。墓を侮辱したことを謝りにエジプトへ行ってクフ王の前にひれ伏してこい。おまえのなんか、あいつの萎びてからっからに乾いて縮こまったナニより粗末だろうよ。おいそこのデカいの。ぼけっとしていないでさっさとこの荷物を玄関まで運べ」
「は、はい。すみません」

 大男の方はここの家主が誰かを噂に聞いて少しは知っていたようで、怒らせるとマズいとの認識があったようだった。彼は言われてすぐに車から降り、バックドアの方へ駆け寄った。大男がそそくさと食品を詰め込んだ木箱を運ぶ間、チョコラータは首根っこを掴んで地面に叩きつけたハンチング帽の男の鳩尾をとどめに蹴りつけた後、乱された身なりをある程度整え終えたを抱き上げた。腕に抱えたまま彼女の顔を見ないようにして、チョコラータは問いかけた。
 
「大丈夫か」
「……はい。大丈夫です」

 チョコラータは地面にうずくまる男の元へ寄ると、さらに続けた。
 
「殺しておくか?」
「いえ、そこまでは」
「分かった。……おまえの意思を尊重しよう」

 は抱きかかえられている内にチョコラータの顔色を伺っていた。チョコラータさんは私のことをどう思っただろう。嫌と拒絶することなく悲鳴の一つもあげないで、見ず知らずの男を受け入れようとした私のことを。幻滅されただろうか。

 でも、どうしてそんなことを気にするの。私はただの使用人なのに。

 考えているうちには玄関扉の前に降ろされた。目の前にはチョコラータの背中がある。彼女を犯そうとした男の姿やバンは彼女から見えなかった。そしてチョコラータは声を上げて男たちを追い払った。

「良かったな。うちの使用人の寛容さに感謝しろ。そしてさっさと出ていけ。二度とそのツラを見せるんじゃあねェーッ! 10秒以内に私の視界から消えなかったら、私がおまえらを殺す!」

 こうして運び屋たちは悲鳴を上げながらチョコラータ宅から逃げだしたのだった。

「ったく。……ろくでなしのウジ虫どもめ」

 チョコラータはそう吐き捨てた後に溜息をついて、不届き者の車が視界から消えるのを見届けた後、食品が詰め込まれた木箱を家の中へ運び入れ始めた。もう一つを運び込もうとするの姿を見るなり、チョコラータは止めた。

「それはいいから、おまえはリビングのソファーで休んでいろ。コーヒーを淹れてやる」
「すみません。……ありがとうございます」

 はチョコラータの言葉に甘えて、彼の後に続いてリビングへと向かった。



「助けてくださって、ありがとうございます」

 チョコラータから渡されたコーヒーを一口啜って、は言った。チョコラータも自分の分のコーヒーを淹れたマグを持っての隣に腰掛けた。

「今になって、本当におまえを助けて良かったのかと……逆に邪魔されたと思われたんじゃないかって不安になっているんだが」
「とんでもない。助かりました」
「おまえが悲鳴も何もあげないからだぞ」
「暴れたら乱暴されると思ったんです。そっちの方が恐ろしくて」
「ふむ」

 チョコラータはまだ何か言いたげだった。賢いんだか、賢すぎて逆に愚かなのか。普通ちょっと怪我するより好きでもない男のナニを無理やりぶち込まれる方が嫌なんじゃないかとか、普通反射的に悲鳴のひとつも上げるもんじゃないのかとか、そんな事を言いたくなった。

 だがまあ“普通”という言葉は嫌いだ。自分に“普通”という定義が曖昧で個人差の大きいこの世で最もくだらない尺度を押し付けられるのも、他人に押し付けるのも好きじゃない。

「気はやんでないか」
「大丈夫です。すんでの所で助けていただけましたし、怪我もしてませんから」
「疲れてないのか。晩飯なら私が何とかするから、休んでいて構わないぞ」
「大丈夫です。逆にお料理していたほうが、気が紛れていいかもしれません」
「そうか。それなら……頼んだぞ」
「はい。お気遣い嬉しいです。ありがとうございます」
「もう少し早く気付いてやれていたらな。今度からは私が荷物を受け取ることにする」
「そんな、チョコラータさんにそんなこと」
「いいんだ。私がそうしたいんだ」
「……わかりました」

 チョコラータは気まずそうに席を立つと、のそばから去りながら言った。

「とにかく、おまえに怪我が無くて本当に良かった。……私はもうしばらく下で作業をしている。メシが出来上がったら呼んでくれ」
「はい。わかりました」

 は気持ちの切り替えなど――犯されそうになったことに関しては――疾うの昔に済ませていた。むしろ彼女を悩ませていたのは、チョコラータにどう思われたかということだった。あんな、服や下着を中途半端に剥かれた姿をチョコラータに見られたのが恥ずかしかったのだ。

 けれど、その憂いを晴らす圧倒的な感情が別にこみ上げてくるのも感じていた。チョコラータは助け出してくれて、コーヒーを淹れてくれて、その上怪我はしていないかとか、メンタルは大丈夫かとか、私のすべてを心配してくれた。そんなこと、チョコラータに出会うまで今まで一度も経験したことがなかったと、改めて気付いた。

 やっぱり知られる訳にはいかない。自分が痛みを感じないことなんて、隠し通さなければ。“普通”を装え。それが一番大事なことだ。

 は木箱の食材を冷蔵庫や納戸に格納したあと、遅れ馳せながら冷蔵庫の中を観察して今夜の献立をどうするか考えた。また褒めてもらえるように、頑張ろう。そう意気込んで腕まくりをすると、今晩のテーブルを彩ってもらう食材に手を伸ばしたのだった。