Holiday

 部屋のカーテンは年がら年中閉じてある。おかげで久しく朝日を見ていない。見たくもないし、そもそも起きられない。けど今日は何故か目覚めてしまった。カーテンの隙間から、まだ朝っぽい光が射し込んでいる。クソ……。どうしてだ。

「おい、セッコ」

 チョコラータが部屋のドアをノックしながらオレの名を呼んでいた。ああ、だからか。クソ。頭がぼーっとする。今何時だと思ってんだ、あいつ。まだ寝始めて――ベッドサイドの時計を見る――2時間しか経ってねぇじゃねーかよ。オレはもぞもぞブランケットの中で寝返りを打ち、寝たふりを決め込むことにした。

「おい、起きろ、セッコ」

 どんどん音が鳴る。あー、こりゃそのうちドアを開けて部屋に入ってくるな。ちなみに、オレにプライバシーなんてもんは無い。チョコラータの頭にはプライバシー・ポリシーどころかプライバシーという概念そのものが存在しない。――いや、そうでもないか。あいつは自分のそれにだけはひどく敏感なんだった。けど、それすらここに越してきてからと言うもの、日に日に薄れていってる気がする。

「入るぞ!」

 扉が開いて、侵入者は迷わずオレに向かって歩いてくる。そら見ろ。オレはチョコラータから見えないところで眉根を寄せて嫌悪感をあらわにした後、すぐにあいつ好みのアホ面をぶら下げた。

「まったく。その夜行性、どうにかしたらどうだ。普通人間ってのは昼行性で、仕事で起きてなきゃならないって環境にいなきゃ滅多なことじゃ夜行性にはなれないもんなんだぞ……おいセッコ、起きろと言っているんだ」
「う、おぉ……お、はよう、チョコ、ラータ」
「しょうがないやつだな。おい、今日だぞ今日。もうじきやってくる」
「な、にが……来る、んだ?」
「前から話しておいただろう。女だッ。新しいのが来るんだよ」

 ああそうか。今日はチョコラータの大好きな“女という生き物”が使用人としてやってくる日か。何人目かは忘れたが、また新たな“餌食”が。そんなことはオレには関係ないし、どうだっていい。まあでも、何の刺激も無いよりはマシか。そうだ、言うなればオレの仕事は“カメラマン”であって、仕事は大抵夜にあるんだから、オレが夜行性になるのはしょうがないだろ。と今になって思ったが、とは言え、そう頻繁に仕事があるわけでもないので、オレは素直に返事をすることにした。

「お、おお……そう、か。ちゃん、と……しとく、よ。変に思われ、ないように。なるだけ、部屋から出ないように、する」
「別に出てきたってかまわん。むしろ、引きこもってばかりのほうが変に思われるかもしれないし、気が向いたら夜の内にでも挨拶くらいしておけよ」
「う、うお……ん、わかっ、た」
「ああ、そうだ。今日の分、少し早いがやろう。何個欲しい? 1個でいいか?」
「3個! 3個!」
「おまえこれから寝るんだろう? 寝る前にたくさんってのはあまり感心しないぞ」
「そん、なああ」
「まったく。本当にしょうがないなおまえってやつは。仕方ない。3個くれてやる。そら」

 オレが口を大きく開くと、チョコラータはポケットから取り出した角砂糖を3個中へ放り込んだ。

「おやすみ。セッコ」
「おやすみ。チョコ、ラータ」

 砂糖の中毒性を知ってるか? コカインの8倍だ。死に繫がる確率はコカインの5倍。今オレの口の中で溶けてるものは純粋に砂糖だけじゃなく、マリファナが入ってる。けど、それで幸せな気分なので何も問題ない。だってここじゃ、何をやろうとサツはこねーし、お咎め無しだ。

 世の中生きる意味が何かとか、自分は何者になれるのか、なんて“くだらないこと”を考えて、理想通りにいかないからって悶々としてるやつらばかりだが、マジで下らねぇ。こうやって、仕事なんか極力しないでハッパやって楽に生きてた方がいいに決まってる。なんだって連中は生まれた意味なんかねーのに、生きる意味があると思ってがんばんのかね。王様のこさえたガキでもあるまいし。

 やっぱり、生まれ持っての強者ってのはいるもんで――オレに言わすと、それはチョコラータだ。頭が良い。医者だったから金も持ってるし、何より強い――そいつに気に入られちまえばこっちのもんだ。相手の求めるものを提供し続けさえすれば、お膝元で一生安泰に暮らせるって寸法だ。ここはオレにとってのパラダイス。マジにそう思うぜ。甘いクスリにあったかい寝床。過度な労働もなく、辺りは静かだ。たまに“非日常”という刺激も味わえる。まあ、チョコラータといると、今まで非日常だったものが、もうあとちょっとで日常に変わっちまう感じもあるが……。ああ、いい。きたきた。

 ふわふわ。ゆらゆら。口の中で溶けた幸せが、全身にじわじわ広がっていくのがわかる。

 夢なんだか、現実なんだかが曖昧な意識の中。目に映るあらゆるものが虹色に縁取られ、それらはゆっくりと波打って見える。身体の内側から何かが迸って、力が抜けていく。残るのは心地良い浮遊感。身体から魂だけが抜け出したみたいだ。最高に気持ちがいい。幸せだ。こうして深い眠りに落ち――かけたところで、微睡みの内に、いつもよりも少しだけ外が騒がしいのを感じたが、すぐ睡魔に地の底へと引きずられてしまう――オレは意識を手放した。
 
 オレの見る夢ってのは、甘い砂糖漬けの日々から出来上がってる。夢を見た後は、今日こそ目にもの見せてやる日だって気になったりする。また別の晴れた日の午後には、お気に入りの曲を聞きながら散歩したりした。だから、明日はどうなるかなんてそうそう分かるもんじゃない。

 目を覚ますと、早起きなあいつがオレに挨拶をする。なあ、起きるまで少し待ってくれよ。起きるにはまだ時間がかかるんだ。どうしたって言うんだよ。オレが起きるまで、少し待ってくれよ。

 さーて、今日は何をしようか。オレはぼーっとする頭を傾けて、部屋の隅――デスクの上のパソコンを見た。チョコラータに用意してもらった、最新型のパソコンが乗っている。直ぐ側には、一般人が見たらしょんべんチビッちまうに違いない映像が残ったままのハンディカメラ。そうだ。最近撮った動画の編集をまだやってないんだった。アレをやってないとチョコラータのやつに叱られちまう。そいつを片付けて、その後、昨日眠くなったんで途中で止めてたゲームをやろう。腹が減ったらメシを食いにキッチンへ行く。あー、オンナになんか興味はねーが、チョコラータの作った料理はなるだけ食いたくねーから、早く来るといいな。あれ、来るのいつだったっけ。今日か? それとも明日? 今日なら、今日のいつだっけか……。まあ、いいや。

 オレはベッドの中で伸びをして、むくりと体を起こした。早起きなあいつはまだ立ったまま。まったく、一体ぜんたいなんだって毎日起き抜けにこんな光景を見なくっちゃならねーんだ? クソ。チョコラータは何て言ってたっけか、えーっと……そうだ。レム睡眠中の“試運転”だ。人間、どの部位も使わないと使えなくなるから、眠りが浅い時に自律神経の働きが活発になって起こるんだって、言ってたな。“モーニング・グローリー”は寝てる間に数回起こるやつの最終セッションで、人間、目覚めた時が大体朝方だからそう呼ぶんだと。オレは夜行性だからモーニングじゃあねーけどな。

 つまり、今日のオレも試運転はバッチリで、いつでも使う準備は出来てるって訳だ。チッ……一体いつ使えってんだよ。女は全部チョコラータに食われちまうってのに?

 まあでも、欲ってもんはマスと違ってかくもんじゃねーよな。オレは大して働きもせず、ほぼ毎日だらだら好きなことして過ごして、タダでメシも食いながら静かに暮らせているってだけで十分幸せなんだ。甘いのも好きなだけもらえるしな。

 ここまで考えて、オレはやっと寝床から抜け出した。うん、早起きなあいつはもう大人しくなってる。オレはデスクの袖机上に置いておいた飲みかけのボトルを手に取ってミネラルウォーターをごくごく飲んで、仕事に取り掛かった。

03: Morning Glory

 いつもとほぼ同じ時間に、セッコは自室から出てリビングへと降りた。

 彼は昼行性の人間が言うところの朝食――起き抜けの食事――を取らない。昼の3時か4時頃に起床して、大体6時間か7時間後くらいに初めて食べ物を胃にいれる。今は夜の11時。この時間には大抵、リビングはもとより、出てすぐの廊下すら真っ暗になっている。たまにチョコラータがリビングで“映画鑑賞”をしていたりするが、撮影直後にあたる今はまだその時では無かった。

 暗闇に慣れているセッコは、特に照明がなくともキッチンまで難なく辿り着くことができる。冷蔵庫を開けるための取っ手が何処にあるかなんて、目を閉じていても分かった。開けてみると、眩しい光が彼の顔を照らす。むしろその明るさの方が彼には堪える。目を瞬かせ、明かりに慣れるとやっと、中に何が入っているかを観察する。そして、美味そうだと思ったものを好きなだけ手に取る。

 今夜彼がいただくのは、鶏もも肉のカチャトーラと、ケールとじゃがいものソテーに、フィローネ。ガラスタッパーに入った料理を温める内に、カウンターに置かれたまな板の上のパンをスライスしていく。チンという小気味よい音が鳴って明かりが消えると、温めたものとパンを重ねて持って、ダイニングテーブルへ置き食事を始めた。窓から射し込む月明かりで十分事足りるので、やっぱり照明をつけることはしなかった。

 暗闇は落ちついた。仮面を貼り付けなくて済むからだ。それに、ここはいつもひどく静かだ。チョコラータは既に就寝しているんだろう。それにしても、料理が美味い。しっとりジューシーな鶏もも肉に絡むトマトスープ。香辛料、香草を適度に使い、風味よく仕上げられている。しかも具だくさんで、一口ごとに違う食材が、その食感と味とで楽しませてくれる。

「う、うめぇ……」

 つい、セッコはそうひとりごちた。ここまで美味い料理を作った使用人は歴代で初めてじゃないだろうか。どんな女なんだろう。彼はまだ見ぬ女性に思いを馳せた。

 これまでこの家にやってきたのは、ギャングに借金をして返済が滞り、体を売ることを強制させれてきた連中ばかりだった。あとは、ムショ上がりで働き口がなくて、やっぱり体を売るしかなかった女とかだ。連中はチョコラータが医者――正しくは、元医者――と知ったが早いか色目を使いだす。一方、見るからにひきこもりでたどたどしく喋る猫背の男――セッコのことは気味悪がるか、軽蔑でもするかのようなよそよそしい態度を取るかのどちらかだ。

 思い出すとむかっ腹が立ってきた。セッコは暗闇で苦虫を噛み潰したような顔をする。この料理を作った女も、その手の女なのだろうか。

 何にせよ、セッコは女に手出しができない。女が辿る末路について教えてやるなんてこともしてはいけないし、大抵そんなことをしてやろうと思える手合ではない。顔を合わせても大抵むかっ腹が立つだけだから。なので、女と会わないで済む時間にだけリビングへ降りていくのが常態化していた。

 うむ。うまかった。料理については、文句なしだ。

 セッコは食器類をシンクへ置くと――使用人の女がそのうち洗うだろう――のろのろと自室へ戻り、ビデオゲームを再開した。大抵、3時間から4時間経つと飽きがきて目も疲れてくるので、家から出てランニングに出かける。

 チョコラータとセッコがボスに命じられたことは、勝手に街へ降りるな。そして、いつでも戦えるようにしておけ――つまり、体をなまらせるな。このふたつだった。チョコラータは健康のために暴飲暴食は決してしなかったし、自分の体のことについてはよく理解していて、薬なり治療なりで好きに弄ることができるのか大して運動はしない。そもそも、グリーン・ディの能力を一度発動すれば、大して自身は動かずとも敵を倒せてしまう。しかしセッコはそうも言っていられないし、チョコラータに体をいじられるのも気が進まないので、太らないように、体力が落ちないようにと最善を尽くしていた。オアシスで軟化させた土の中を“泳ぐ”のには、普通の水泳選手よりも筋力がいる。すべてはこの快適で安心安全な“寄生”生活を手放さないための努力という訳だ。

 白み始めた空。朝露に濡れた草木の香り。森の中を駆け抜けるのは爽快だ。山の斜面を駆け上り、オアシスを発動して登ってきた斜面を下っていく。そして家に戻り、シャワーを浴びる。その後寝る。これがセッコの一日だ。

 彼の一日は朝に終わる。今日もそうなろうとしていた――はずだった。

 運動を終え、家に戻りバスルームの扉を開けた瞬間、彼の目に飛び込んできたのは――

「……っ、あ……あの」

 ――一糸纏わぬ女の姿。

「ごめんなさい」

 たわわな胸。薄桃色の頂。くびれ。尻。初めて至近距離で見る、まごうこと無き女体。

「セッコさん……ですか?」
「お……お……ま、えは」

 女は服を着ようとも、身体を隠そうともせずに手を出してきた。セッコにはそれが普通のことかどうかすら分からず、ただ硬直せざるを得なかった。けれど彼の中の雄はすぐに反応を見せはじめた。高鳴る心音。早まる脈。早起きなアイツが、自律神経云々とは別の要因で目覚め始める。

です。昨日から、お世話になってます。よろしくお願いします」

 女は――はにっこりと笑って言った。セッコは差し伸べられた手を取るべき手を股間に添えて悲鳴を上げた。

「いや、まずお、おまえ……服を、服を着ろやああああああああああああッ!!」
「あ、はい。すみません」
「てか、ふつーに挨拶、してんじゃあねえええええええええッ!!」

 セッコは逃げた。そしてチョコラータの部屋に飛び込んだ。

「チョコ、ラータッ!! たす、けてっ!! ちんちんが、痛い!!」
「……おい、セッコ……。今何時だと思ってんだ……。なんだって朝っぱらからお前のナニの話を聞かされなくっちゃあならないんだ……」
「ふ、風呂、場に……知らない、女がッ……それで、こんな……こんなッ!!」
「……だから、言っておいたんじゃあねーか。……女が来るって……。ん……? 待てよ」

 チョコラータはベッドから飛び起きて、尚も股間を抑えていらない報告をしてきたセッコの姿をじっと見つめた。そして、痛いと宣う可愛いセッコの両手を掴んで、問題となっている部分を見た。
 
「おお。それは、つまり……朝立ちじゃあないってことか、セッコ!!」
「お、オレ……こんなの、初めてで……ビックリ、しちまった、んだッ」

 チョコラータは嬉しそうな、そして今にも感涙しそうな顔でセッコを抱きしめ、頭を撫でた。
 
「おお! おまえも、ちゃんと男の子だったんだな! 良お~~~~~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!! 良かった!! 実に、良かった!! 私は心配していたんだ。おまえが男の――オスとしての機能を失くしていたらどうしようってな!! こんな、隔離されたところで、ろくに女にもありつけず、欲も吐けずにいるんじゃあないかって……。ああ、良かった! 今夜はパーティにしよう!」

 初潮を迎えた娘を祝うような気分なのだろうか。チョコラータが何故喜んでいるのかは彼のみぞ知るところだが、何はともあれ彼の機嫌がいいことは歓迎すべきである。セッコは何故褒められているのかよく分からなかったが、悪い気はしないのでされるがまま、チョコラータの抱擁を受けていた。

には、ご馳走を用意するよう伝えておこう! おまえはゆっくり休んでいなさい。夜の7時頃に降りてくるんだぞ」
「う、うお……わ、かった、よ……チョコ、ラータ」
「それにしても、おまえ、汗臭いな……寝る前にちゃんと、シャワーを浴びるんだぞ。私はもうひと眠りするから、バスルームへ行くんだ。セッコ」

 もとよりそのつもりで風呂場に行ったんだ。セッコは心の中でそう反論しつつ、チョコラータの部屋を出た。そして改めてバスルームへ向かう。すると、前から新入りの女が歩いてくる。

「脅かしちゃって、ごめんなさい」
「うっせーんだよ、痴女がッ」
「痴女って……」

 は困ったように頭を掻いて、セッコの後姿を見送った。その後、朝食の支度をするためにキッチンへ向かう。シンクには、自分が昨晩作った料理を食べた後の皿があった。

「全部、食べてくれたんだ」

 嬉しくなって、はひとり微笑んだ。