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 チョコラータは年が明けたというのに、全くすがすがしい気分では無かった。

 彼は人が死を前にした時に見せる、絶望に歪んだ顔を観賞することを生き甲斐にしている。人を捕らえて殺害シーンをセッコに撮らせてはコレクションを増やしていき、整然としたリビングで酒でも呷りながら「ああ、こいつの表情最高だな」なんて呟いてビデオを見返すのが趣味だった。

 だがは死を前にしても絶望の表情を見せなかった。絶望しないどころか、その真逆の感情に打ち震え、恍惚とした、希望さえも見いだせてしまいそうな表情で死んでいった。それで永遠に死んでくれればまだよかったのだ。人を殺せたというのにまったくもって満たされなかったが、それでもパッショーネのボスに与えられた仕事から解放されるからだ。仕事とは時として自分の信条に反することや、気に食わないと思うことでも黙ってこなさなければならないようなものだ。一般社会に身を置いていた彼はそれをよく分かっている。ぶち殺してやりたいと思いながらも、院長だとか看護師だとか患者だとかに笑顔を向けて思っても無いことを口にしないといけないことだってあった。

 だがは生き返った。確かに一度死んだ。だが彼女は生き返ったのだ。自分がスタンド使いでも何でもなければ、ショックで腰を抜かしていたかもしれない。とんでもない超常現象が目の前で起こったのだ。スーパーナチュラルだ。そしてはこうも言った。死ぬときに脳内で放出される脳内ドラッグでイくのが好きだ。その究極を追求するために、何の躊躇いも無く人を殺せる猟奇殺人者と愛をはぐくみ、その猟奇殺人者に愛をもって殺され最期を迎えたいと。

 猟奇殺人者。自分のことを何と思われようとチョコラータにはどうでも良かった。ただの言う猟奇殺人者が自分であることに腹を立てていた。自分の求める物を少しも与えようとしない女など愛せるわけがない。他にもたくさん猟奇殺人者はいるだろうから他をあたってくれ。それにが自分の殺人行為を思いきり肯定してくることも気に食わない。別に世間的に自分の存在を認められたいなんていう承認欲求の類は全く持ち合わせていない。だから誰かに愛されたいとか、そのために自分からも誰かを愛したいなんて思ったことがないのだ。

 そんなこんなで、彼はまじめにボスに与えられた仕事をする気になれなかった。チョコラータがをこの家に捕らえて二週間近くが経っていたが、彼が彼女を手にかけたのはたったの一度きりだ。全くもって不可思議な事態だ。普通なら、好きに殺せる――しかも殺して血肉をまき散らしても都度掃除の必要が無い――人間が百万人くらい家にいる状態に等しい今の状態は歓喜して然るべきなのに、一度殺しただけで全く殺してやりたいという気持ちにならない。もはやという女が恐ろしい。彼女を前にすると、今までなんでも自分の思い通りに生きてきた人生で培われたプライドが音を立てて瓦解していくようで全くもって気分が悪かった。顔も見たくない。

 だが、あの女の作る飯が美味い。だからキッチンに立つこととダイニングテーブルに配膳すること、そして一緒に食事を取ることは許していた。ただ飯を食わせてやるのも気にくわなかったので、家の掃除や庭の手入れなんかもさせた。ほぼ家政婦だ。結局それでは家の中を好きに移動しているので、顔を合わせることが多くなった。顔を合わせるたびに、はチョコラータに微笑んだ。おそらく普通の男なら簡単に落とせてしまいそうな笑顔だ。だがチョコラータは眉根を寄せて彼女を睨みつけた。だというのに、は少し悲しそうな顔をして静かに去っていくだけで、不平不満を漏らすことはしなかったし、決してチョコラータのことを悪く言ったりはしなかった。そんな彼女の態度もチョコラータの神経を逆撫でた。

「ねえ、先生。私そろそろ休暇が終わっちゃうわ」

 年が明けて何日か経った平日の昼下がり。クリスマスにがこしらえたパネトーネをつつきながら、チョコラータはリビングで本を読んでいた。チョコラータは溜息をついてフォークを皿に置き、ぬるくなったコーヒーを一口飲み下す。

「だからどうした」
「お仕事に行きたいの。先生との商談は、あれは無かったことになるのよね?」
「当たり前だろうが」
「だったら尚更、私お仕事頑張らないとだわ。ああ……残念。ソブリンに乗りたかったのに。先生がソブリンを買ってくれたら、私が乗り回せたのになあ」

 全くもって図々しい女だ。チョコラータはを見やって眉間に皺を寄せた。

 どうして殺すために捕らえた女が、自分の車で好きに買い物なりなんなりに行ってるんだ。……まあそれは、この女に家事全般を任せているからなのだが、あろうことか私の車で出勤までしたいと言い出しやがった。

「それにしても……どうして先生は私のことをここに置いたままにしてくれているの?」

 チョコラータはやっとか。と思った。驚くことに、彼女はこの家に置かれているという喜びでうかれて忘れてしまっていたのか、本来真っ先に尋ねるべきことを二週間も経った今になってやっと訊ねてきたのだ。特にボスからパッショーネの存在について彼女に話すななんて注文は受けていない。だからきっと自分が医療ミスで人を“死なせてしまった”という建前で医者をクビになったことも、それで医師免許をはく奪されていることも、さらに獄中の彼を保釈させたパッショーネのボスに、親衛隊として雇われていることなどもきっと全て話したって問題は無いのだろう。もし問題になるならば、しっかりと釘を刺してきているはずだからだ。つまり彼女の質問に答えてやることは可能だ。

 可能ではあるが、そんな経緯を一から十まで話してやる気はチョコラータには無かった。話せば長くなるし、話している間が自分のそばにいることになる。傍に置けば置く程、彼女は期待に満ちた目で無い愛を求めてくるし、それが鬱陶しい。

「そんなこと、お前は知らなくていい」
「でも気になるわ。だって先生、私のこと嫌ってるのに家には置いてくれてる。それって矛盾してない?」

 事情を何も知らない彼女には矛盾としか思えないだろう。そう思うのも最もだ。同時にチョコラータはを鈍い女だとも思った。

 少し頭を捻らせれば、自分が命を狙われているということに気づきそうなものなのに。だがよくよく考えてみれば、彼女は死んでもよみがえる。まだ確かめてはいないが恐らく何度でもよみがえる。そんな彼女には自分の命を他者に奪われるという認識が無いのかもしれない。そして、自分の過去に命を狙われるようなやましいことが無いから、誰かに殺せと命じられて望んでもいない私に仕方なく軟禁――恐らくこれ以上は無いのではないかという程に軟らかい軟禁だ――されているという発想も無い。もしそうなら、それこそが矛盾だ。何故ボスはこの女を殺せと命令してきたのだ?

 チョコラータが新たに浮かんだ疑問に答えを見出そうと考えを巡らせている間、は構わず喋り続けた。

「私、先生のことが好き」

 チョコラータは気持ちの悪いことを言うなと思ったが、反駁することにエネルギーを費やすのも億劫だったので口を噤んだままでいた。

「好きだけど、私がこの家にいるせいで先生がイヤな気持ちになるなら私……出て行くわ」
「誰がいつ出て行けと言った?お前はただ黙って私のために飯を用意していればいい」

 はチョコラータにそう言われて顔を真っ赤に染め上げた。何故顔を赤くするのか理解できない彼は、眉根の皺をますます深くして彼女を睨みつけた。

「先生それって……プロポーズ?」
「…………はあ!?」

 は頬を両手で挟んで身体をくねらせ始めた。

「だって、出て行かなくていいって、ごはん作っていればいいって……もうそれって、先生の奥さんがすることじゃない?ああ、でもね、私お仕事も好きなの。だからお仕事には行かせてほしいわ。そうすれば二馬力で家計も潤うし……もちろん、お医者様のお給料がいいのは分かるんだけれど……でも、私、家庭だけじゃなくて社会にも少しは活躍の場所が欲しいの。ああでもすごく嬉しい!先生の奥さんになれるなんて夢みたいだわ!結婚式はふたりだけで……どこかリゾート地にでもいってひっそりとあげましょう。私、呼べるような親族も友達もいないの。だから……」
。頼むから黙ってくれないか」

 チョコラータにはやはり反駁する気力が起こらなかった。ドラッグのやりすぎで頭がどうにかなってしまっている快楽中毒者とまともな会話ができるはずがないと、彼女と話をすることを諦めてしまっていた。彼は仕事柄、ドラッグの急性中毒で救急搬送されてくる若者を見る機会に恵まれていたが、ここまで狂ったことを言いだすやつは見たことがない、と深い深い溜息をついた。だが彼はいい加減、彼女と戦う意思を持たないことこそ、彼女の妄想や穿った願望という炎に薪をくべるようなものなのだと認識するべきだ。

 黙ってくれないか、と無気力に吐き出されただけで睨みつけられもしなかったので、はニコニコと機嫌が良さそうにキッチンへと向かった。プロポーズを受けた――と彼女が勝手に勘違いをしているだけなのだが――お祝いで何かご馳走をこさえようとでも考えたのだろう。まだ夕食の準備を始めるには少し早い時間だった。それを察したチョコラータはの背中を呆然と眺めながら、今日の夕食はなんだろう。何にせよ、またきっと美味いんだろう。楽しみだ。と思った。最早ここのところの楽しみと言えば、彼女の作った料理を食べることだけだった。年も明けたというのに、年末仲間に送ったメールには一向に返事が無いし、事態はまったく進展していない。

 あの美味いメシがずっと食えるなら、それに仕事に出たいと言っているし、日中顔を合わせずに済むなら、形だけでも結婚してやっていいかもしれない。

 そんな思惑が脳裏をかすめ、チョコラータは何をバカなことを考えてる!?と自分の見境を失くした考えを呪った。だが実際のところ、彼女が家に来てからというもの、彼女が家の中を自由にうろついているということにさえ目を瞑れば、非常に快適な毎日を送っていた。ベッドシーツや寝間着、衣類、各所のタオル等は何もせずとも毎日洗われて取替えられている。もちろんセッコの分もだ。それに、何もせずとも美味い朝食、美味いコーヒーが出てきて一日のスタートを切ることができる。何もせずとも昼飯やおやつや晩飯が用意されて、何もせずともリビングやバスルームはいつもピカピカだった。まるでホテル住まいを続けているような気分だった。セッコとも遊んでくれているようだし、彼は何もしなくてよかった。

 ……やめろやめろ。あの女に肯定的な印象なんか持つんじゃあない!

 チョコラータは頭を抱えた。しばらくして頭を上げると、ローテーブルの上に置いたラップトップの画面を見やった。そしてメールソフトのブラウザの更新ボタンを押す。メールは返ってきていない。最早彼は期待することすら諦めていた。だがもしかすると、と一縷の望みにかけて更新ボタンを押していた。その回数も日を追うごとに少なくなっている。彼が落胆して再びテーブルの上に置いていた本に手を伸ばしたその時、ポケットから携帯電話の着信音が鳴り響いた。

 チョコラータは眉を顰め、一体誰だと携帯電話のディスプレイを見た。非通知だった。応答ボタンを押して耳に当てる。

『チョコラータ。あんたか?』
「……てめぇ……スクアーロか?」

 受話器の向こうにいるのは、パッショーネのボス親衛隊、スクアーロだった。何度も何度もメールを送ったというのに、一通たりとも返信をしてこなかった、あの憎き同僚だ。

「てめぇ……私がどれだけ待ったと思ってる。メールを返すくらい、年末だろーが年始だろーが関係なくできたよなァ?」
『生憎年末年始はボスからの連絡以外受け付けないようにしてるんでな』
「ふざけんな!こっちも仕事の話なんだよ。その、てめーらの大好きなボスに頼まれた仕事で納得のいかねーことがあるから連絡してたってのに」
『そのことで話がある。今お前の家に向かってる』
「は?メールすりゃ済むんじゃあねーのか」
『メールや電話じゃできねー話だ』
「……何時になる」
『一時間あれば着く。待ってろ』

 スクアーロの言葉を最後に、電話は一方的に切られてしまった。チョコラータは携帯電話をローテーブルの上に放り投げると、膝上に肘をついて手を組んだ。

 やっとだ。やっと事態が好転しそうだ。さっきはずっとこのままだと絶望しかけて、とち狂った考えが頭をもたげたが、のことで頭を悩ませることも無くなるかもしれない。

 そうなる確証など何も無い。そして彼はまだ、ボスの命令は絶対であり、それを全うできなければ死をもって償うことすら強要されかねないということをあまり理解できていなかった――と、言うのも、彼はまだギャングに転身して日も浅かった。さらに、チョコラータとセッコのふたりはボスにとって檻に囲った猛獣のようなものだった。部下として下に置いているというよりは、彼とセッコの能力が使えたから“緊急事態”のために囲っている危険人物にすぎない。故にこれまで信頼の上でそれほど多くの仕事をギャングとして任されたこともこなしたことも無いので、パッショーネの掟だとか、暗黙の了解なんてものはよく分かっていないし、何なら彼はボスさえも倒せると余裕の心構えでいた。彼はスタンド能力を手にした今、高所から民を見下ろす絶対的強者の気分でいるのだ――ので、この終わりの見えなかったトンネルの先からやっと光が差し込んできたのだと思うしかなかった。

 キッチンへと足を向けたチョコラータは、何やら上機嫌で食材をさばくに告げた。

「一時間後に客が来る。コーヒーでも準備しておけ」
「はあーい」

 自分とは対称的にひどく上機嫌なの様子を見て溜息をついて、チョコラータはリビングへと戻った。本を読んでいる間に、が一度自室に戻るためにリビングを横切った。

 お客さまがきても恥ずかしくないように、お化粧直ししておかなくちゃ。

 は一時間後に訪れるらしい客人に、自分のことを嫁だと紹介してもらえる気でいた。チョコラータにそんなつもりは露ほども無いし、彼女がそんな気分で自室の鏡の前に立とうとしていることすら知らなかった。

05: Psycho Killer

 庭に一台の車が入ってくるのが、リビングの大開口の窓から見えた。話の最中に何かつまめるものでも、とリビングに茶菓子を持ってきたは車を見て目を見開く。

「やだ!ポルシェだわ!ポルシェのボクスターよ!ドイツ車同好会のお友達なの?」

 が五月蠅い。チョコラータには自分がドイツ車に乗っているという認識もあまりなかったので、同好会と言われてもまったくピンとこなかった。もう眉根を寄せるのも億劫だ。彼は親指を立て後ろを指して言った。

「出迎えてこい」
「でも、なんて言って出迎えればいいの?あ、そうだわ。もう私から言ってしまっていいのね?先生の嫁ですって」
「好きにしろ」

 は屈託のない満面の笑みを浮かべ、小躍りでも始めそうなくらいの軽いステップで玄関へと向かって行った。はドアベルを鳴らされる前に扉を開けた。そこには二人の男――ひとりは明らかに男に見えたが、もうひとりの褐色の肌をした金髪の方はとても中性的な顔立ちをしていたのでは最初女性だと思った。だが、よくよく見てみると曝け出した腕は筋肉質で全体的に見ても丸みのない体型だ。彼女はティッツァーノを最終的に男性と判断した――が驚いたような表情を浮かべて立っていた。

「いらっしゃいませ。といいます。チョコラータさんと婚約しているものです。さあどうぞ、中へお入りください」

 慇懃な態度で出迎えられ、スクアーロとティッツァーノのふたりはしばらく黙ったままその場に立っていた。

 こいつがボスを煩わせてるっていう例の女か……。

 スクアーロは黙ったままだったが、ティッツァーノの方はと何か話しながら既に屋敷の中へと足を踏み入れていた。そんな彼が後ろを振り向いて来ないのかと問いかけると、スクアーロは我に返って玄関の扉を後ろ手に閉めた。はふたりをリビングへと通すとキッチンへと戻っていく。客人たちはひどく機嫌の悪そうなチョコラータを立ったまま見下ろしていた。

「あんたあの女と結婚するつもりか?」
「しねーよ」
「でも彼女、あなたと婚約してるって言っていましたよ。仕事する気あります?」
「それはあの女の気のせいだ。ちょっと……いやちょっとなんてもんじゃあない。あの女は頭がいかれちまってるんだ。そして今私はひどくその仕事とやらをする気が失せてきているんだ」
「そのいかれた女にかなり気に入られてるみたいだな」
「よせ。あんたらと無駄話をするつもりはない。さっさと説明してもらおう。このバカげた仕事に対するボスの本懐は何なんだ。何故私は、どうやったって殺せない女を殺せと命じられてる」

 スクアーロとティッツァーノのふたりは、ボスに忠誠を誓っている。どこのチームのギャング達も、皆口を揃えてボスに忠誠を誓っていると言うが、その本心は分からない。だが、親衛隊の者たちは違った。ボスを神か何かの様に崇拝している。長年にわたるその崇拝と、確かな忠誠心を買われ、彼らは親衛隊として雇われていた。チョコラータとセッコは一応、ボスの好きな時に好きなように使える核爆弾のような位置づけで親衛隊の一員とされてはいたが、ボスは彼らのことを全く信用していなかった。なのでチョコラータには必要最低限の情報しか与えなかった。そしてスクアーロとティッツァーノのふたりは、チョコラータとセッコにだけは、この仕事の意味など絶対に知られないようにしろ。そしてきちんと仕事をしているかどうか監視しろ、とボスに命を受けていた。つまりこのふたりには、はなからチョコラータの疑問に答えてやるつもりもさらさら無かったし、実のところ彼らですら、何故ボスがを殺したがっているのかなど本当の理由は分からなかった。分からないからと事情を探るようなことはしなかったし、そんな発想自体がボスへの反逆に他ならなかった。

 そんな彼らにも、目の前の猟奇殺人者に伝えてやれることがひとつだけあった。

「ボスは、あんたならを殺せるかもしれないと期待してるんだ」

 チョコラータは黙っていた。とにかく、ボスがに消えて欲しいと思っているのは確かなようだ。それに異論は無い。彼もそれには全くの同意見だった。

「あんたなら、なんの躊躇もなく人間を殺せるだろう。それに人体のこともよぉーく知ってるはずだ。いくらあの女の精神があの女を幾度よみがえらせようと、何か弱点はあるに違いない。とにかく、三か月以内に殺せなくてもいい。どうすれば永遠に殺せるか、何度も殺してその方法を探し出すんだ」
「それならもう分かってる」
「……?ならどうしてあの女はまだ息をしてる」

 後に客人ふたりは、を永遠に殺すためにボスがチョコラータを宛がったのは適当なように見えて、実は完全な人選ミスだったのだと思い知ることになった。