暗殺嬢は轢死したい。

 ホテルへ向かう道すがら立ち寄ったレストランのテラス席で、一行は昼食を取っていた。雲ひとつない青空の下の、コバルトブルーの海。照りつける太陽の光を反射してきらめくイビサのそれが眩しくて、は少しだけ目を細めて吐息を漏らした。

 向かいに座るプロシュートは、改めてしげしげとを観察した。先程の溜息といい、ここへ来る前までのことといい、今の彼女は今までの彼女と明らかに違って見えた。理想とする死を追い求め、死に陶酔し、もっともっとと死を欲しがった彼女が、はけ口を失い人並みに悩んでどうしたものかと手をこまねいているように見える。彼女にここまで陰鬱な顔をさせる原因を明らかにしたい気はあったが、真昼間から追求するようなことでもない――プロシュートにも、粗方の見当はついているのだ――だろう。どんな悩みを抱えていて、どんなに憂鬱な気分であろうとも、結局のところ彼女は仕事に同行させなければならないし、同行させるには仕事の内容を説明しておかなければならない。

 今回のターゲットは、イビサ島にあるナイトクラブの大半を所有する名家の息子と、その家に仕えるボディーガード兼クラブ経営者のふたりだった。

 パッショーネにとってはイビサ島もまたいい資金源だった。だが、長年パッショーネから麻薬を仕入れていた彼らが、何の前触れも無く突如、より安価で麻薬を売りさばく南米のカルテルに鞍替えした。早い話が、パッショーネを軽んじるとどうなるかと思い知らせるための報復措置だ。もしかすると、血で血を洗う抗争の、その第一手を指すことになるかもしれないわけだが、パッショーネのボスはその身をどこにも晒しておらず誰にも個人を特定されていない。つまり、自分がその抗争に巻き込まれることだけは絶対に無いので、安心して捨て駒を殺しに向かわせられる訳である。――これは今に始まったことではないし、得体の知れない敵というのは案外恐ろしいものらしく、パッショーネを相手取って二手目に打って出てくる敵はそうそういなかった。

「……ふたり、やるのね」

 どこか浮かない顔をしたがぼそぼそと呟いた。殺人計画を聞いて機嫌がよくなる人間はそう多くはないだろうが、最早は二度の仕事を難なくこなしている立派な暗殺者だ。そんな彼女がプロシュートとペッシの前で殺人に戸惑いを見せたのは初めてだった。プロシュートは、やはりここでも違和感を覚えた。だが、どうした、何かあったのか、と彼女を問い詰めることはしなかった。何かあったのは一目瞭然だし、そのことについては今は追求しないと決めたばかりだ。

「心配するな。今回はお前に仕事をさせるつもりはねぇ。ただ、ここへ来る前にも言ったはずだ。オレからは何があっても離れるな。オレ達が仕事をしている間であってもそのことに変わりは無い。……仕事の邪魔にならないように大人しくしていろ」
「ええ。……分かったわ」

 気の無い返事だ。ともあれ、は分かったと言った。前にふたりで仕事をした時も、もう二度と“こんな”過ちは繰り返さないと、仲間の命を危険にさらすようなことは起こさないと泣きながら誓っていた。こればっかりは彼女を信用するしかない。

「そ、それで……」

 ペッシが、長い沈黙に耐えかねて口を開いた。

「これからどうするんです?」

 現時点でターゲットのふたりについて把握できていることは、彼らの家がどこにあるかということだけだった。行動パターンが掴めていない中で、三日の滞在期間――今日は七月最後の週末の一日前。つまり木曜日だ――の内に仕事を済ませなければならない。なるべく、仕事は一度の機会に済ませたい。どちらか一方を殺したことが明らかになれば、もう片方のガードが固くなるからだ。最も適したタイミングを見計らい任務を遂行するためにも、これから先の時間は事前調査にあてなければならない。

「まずは敵情視察だな。用心棒の方が経営しているクラブに潜り込む」
「これからですかい?」
「おい、ペッシ。夜しかやってねーナイトクラブにこれから潜入してどうするってんだよ。怪しさ満点じゃあねーか。少しはてめーの頭で考えてから質問しろ」
「いや……オレはここを出てからどうするのか聞いたつもりで」
「やかましいんだよ。そういう所も全部ひっくるめて、質問が悪いんだ質問がよォ」

 そんなふたりのやり取りを見て、はふふっと笑いをこぼした。プロシュートは、ペッシの額を小突く手を止めてを見やった。――彼女が笑っている顔を見るのは随分と久方ぶりであるような気がした。その笑顔を見ているとそれ以上ペッシを咎める気も失せて、プロシュートの口撃は止んだ。

「このレストランを出た後すぐのことならよォ、ペッシ。お前はと先にホテルへ向かって、チェックインでも済ませてろ」
「あら?私、あなたから離れていいの?」
「オレから離れるなってのは、厳密に言うとチームから離れるなって意味なんだよ」
「ふーん。……あなたって、案外説明が大雑把よね。きっちりしてそうに見えて、案外どんぶり勘定なところ、好きよ」

 ににっこり笑いながらそう言われて悔しそうにしているプロシュートを見て、今度はペッシが吹き出した。プロシュートは即座に弟分の胸倉を掴み上げた。

「おい、ペッシ。何か楽しいことでもあったかよ?」
「ひいいいッ!な、無いよ兄貴!」

 そうしてまたが笑う。この繰り返しが延々続くかと思われたが、運良くその流れは途切れることになった。店員がガスパチョ、次いでパエリアとオーダーしたものをテーブルに運んできたのだ。それきり、ペッシは食べることに夢中になった。は成長期の息子でも見るかのような優しい眼差しをペッシに向けながら、自分もまた冷製スープを口に運ぶ。ただやはり、は心ここにあらずといった具合で、いつもなら美味しいとか、ほっぺに手を当てて大袈裟なくらいのリアクションをするのに、やけに大人しかった。手元のガスパチョが、好立地の割にハズレのレストランのそれで不味いという訳でもないのだが。

 食事を済ませ、トイレに行くと言ったを待ちながらプロシュートはペッシに言った。

「何があっても、から離れるな。あいつが無理にでもお前から離れるようなことがあれば、お前のビーチ・ボーイを使ったっていい。……分かったな?」
「分かったよ、兄貴。……ところで、これから兄貴だけでどこに行くんです?」
が向こうで置いてきたもんの代わりを探しに行く」
「発信器……ですかい?」
「ああ」

 プロシュートは、イビサへ着いてすぐに携帯電話を確認していた。リゾットからは、ローマを飛び立って二十分足らずの内に、イビサへ着き次第電話するよう、ショートメッセージが入っていたのだ。

 聞くと、メローネとはすぐに連絡が取れたとのことだった。恐らく、自分が電話した時間と大して変わらないはずなのに、自分の電話にだけは出ないというところにプロシュートは腹を立てた。だが、それをリゾットにぶつけたところで何の解決にもならない。帰ったらメローネに殴る蹴るの暴行を加えてやる。と、条件付きの決心をした。

 メローネの話では、が彼に取付けられていた発信器――携帯電話はもとより、密かに取付けていたはずのそれまで――全てを、メローネと泊まっていたホテルに置いていったとのことだった。つまり、今彼女が万が一にも自分たちから遠ざかろうものなら――それは彼女の意思、第三者による誘拐問わず――を監視しろというボスの命令を全うできず、罰として刺客を送られ、チーム存続の危機に陥るということなのだ。

 普段どおりの彼女であれば、ここまで警戒はしなくても良かったかもしれない。もちろん、それなら手を抜いたという訳ではないのだが、女にストーカー紛いな行為を働くのが気持ち悪いと感じるプロシュートに、何の躊躇いもなく発信器の類を買いに走らせるような焦燥感と“嫌な予感”を抱かせるほど、今のは不安定に見えた。

 何か、また起こってしまうのではないか。

 彼女の言葉を信頼するより他ないと思ったプロシュートだったが、不安定な彼女の口から吐き出された言葉をそのまま信頼するのは、チームを大切に思う彼には難しいことだった。



58:Drunk



「あ、姉貴ぃ〜。お酒はほどほどにしたほうが……」 

 午後三時、まだ明るい昼下がり。チェックインは午後三時からだと言われ、客室に入りあぐねていたペッシとは、ホテルラウンジに臨むバーカウンターのスツールに並んで腰掛けていた。

 この席についたのはもう二時間以上前だが、それからというもの、はノンストップでマティーニやらモヒートやらモスコミュールやらといったカクテルの類を呷り続けている。

 ラウンジのすぐ外にはオーシャンビューの大きなプールがあって、プールサイドのデッキチェアには色鮮やかなカクテルを嗜みながら水着姿で日光浴に勤しむ宿泊客達が大勢寝そべっている。ペッシは最初、もそうするだろうと思っていた。だがそれは、彼女の水着姿を拝めるかもしれないという期待が生んだ、ほとんどペッシの願望と言っていいものだったのかもしれない。よくよく考えてみると、ほとんど着の身着のままでいたが水着など持っているわけもないし、だからと言って現地調達しようとするほど今の彼女は浮かれてもいない。――浮かれていないというよりは、むしろいつもの活気はほとんど見て取れない。

 どちらにせよ、うろうろせずに酒を飲んでくれているので、監視という点においては困らなかった。だが、がなかなか酒に出す手を止めないなと思い始めてやっと、彼の中で焦りが生じてきた。今夜敵情視察のため敵地に乗り込むというのに、千鳥足の女を連れて行くなんて危険極まりない。何で泥酔するまで酒なんか飲ませた?とプロシュートに叱責を受ける未来が目に見えるようだった。

 柄にもなくふらふらと頭を揺らしながら、がセックス・オン・ザ・ビーチとかいう口にするのもはばかられるような名を冠したカクテルを、なんの躊躇いも無くオーダーしたとき、ペッシははっとした。そしてソフトドリンクの欄に書いてあったアイスティーを頼んだきりメニューも見ず、ずっと座りっぱなしで隣の酔いどれから目を離さずにいた彼は、久しぶりにメニューの文字列を目で追った。

 イタリア語とスペイン語は似ている。英語も並列して並べてあったが、ペッシにはスペイン語の方がまだ馴染みがあった――まあ、セックスとかビーチくらいなら英語でも読めるのだが。そして、がメニューのアルコール欄に書いてあるカクテルを上から下に向かって順に注文していっているのだと気付き、先程の際どい名前のカクテルが一番最後に書いてあるということに気付いてペッシはほっと胸を撫で下ろした。

 これ以上酒を飲みはしないだろう。そう思った矢先に、はマティーニを頼んだ。ペッシは、もうダメだと思った。

「姉貴!これ以上はやめといてもらいますぜ!もう三時も回ったし、部屋にも入れるだろうし」
「大丈夫よ……ちゃあ~んとアタシ、お水挟んでるんだから」

 そう言って指さしたのはついさっきバーテンダーに差出された二杯目のマティーニだったし、まだの意識が明瞭だったころにチェイサーとして頼んだ炭酸水――氷でいっぱいの細っこいグラスに注がれたただの炭酸水に九百ペセタ――つまりは一万リラなんてぼったくりも甚だしい価格設定だ――は氷こそ溶けて水になってはいるものの、その場に置かれた時とほとんど水位は変わっていない。チェイサーはチェイサーになりきれずに溜息をつき、涙を流してただそこにいたのだ。

「今指さしてんのが水かどうかも分かってねーんだから、ヤバいですって!」
「えー?お水よぉ……。ほら、今飲んで、アタシが確かめて――」
「やめてくれってば!……あの、すみません。勘定、部屋につけといてくれませんか」

 スペイン語とイタリア語は似ているし、イタリアからもよく観光客がやってくるのだろう。バーテンダーはペッシの話すことを難なく理解してくれた。こうして、飲み代の全てがチェックアウトの際にふりかかってくることになった。

 ぼったくりは何も炭酸水だけでは無いわけで、十を超え二十に迫るカクテルを飲み干した後の金額がどうなるかなど、ペッシは考えたくもなかった。兄貴か姉貴がどうにかするだろうと無責任――奢ってやるから何でも好きに頼めとに言われていたし、そもそも彼に責任など無いと言えば無いのだが――な考えで、スツールから降り、カウンターにしがみつくを引き剥がして抱きかかえ、客室へと向かったのだった。



 ここはそれほど等級の高いホテルではない。若者向けの安価なホテルだ。だが、客室のドアを開けるなり冷えた空気が外へ漏れてきた。部屋の空調が効いている。サービスはそこそこに行き届いているらしい。酔いどれには丁度いい涼しさだとペッシは思った。

 ペッシはツインベッドの片側にを寝かせると、すぐさま冷蔵庫へ向ってミネラルウォーターのボトルを抜き取り、ベッドへ突っ伏したの上体を翻して抱き上げた。

「姉貴。水、飲んどいた方がいいってばよぉ」
「うーん」

 唇につけられたボトルの口から、はちびちびと水を飲み始めた。

 ペッシは酔いどれの世話には慣れていた。デカい仕事が終った後、盛大に飲めや歌えやとアジトで一夜楽しんだ後、チームの世話をするのは末弟である彼の仕事だ。彼はエスプレッソは元より、酒もあまり得意では無いので、先輩たちが酒に酔うまでを何とか乗り切れば、後はしこたま水やら炭酸水やらを飲み下していた。その点において暗殺者としての適性はあると酔いがさめたプロシュートには褒められるのだが、片やホルマジオやイルーゾォのあたりからは、一緒に酒を飲めないやつは泥棒かスパイなんだぜーなどとことわざを持ち出して罵られる。言われっぱなしで笑ってごまかしつつも、自分はチームの皆が他人の命を奪う泥棒に違いない中で唯一殺しを経験したことが無いし、裏切りを働く度胸も無いと自覚していた。

 そんな過去を思い出しているうちに、は咳込んだ。気管にでも水が入ったのか、ひどくむせ始める。

「ご、ごめんよ姉御……苦しいかい?」

 の背中をさすったり軽く叩いたりしながら、心配そうに首を前に垂らした彼女の顔を覗き込んだ。そして、ペッシはまたも度肝を抜かれるはめになった。

 が涙を流しているのだ。

 むせて涙ぐんでいるという程度を超えて、涙はポロポロと目尻、目頭の両端から溢れていく。

「あ、姉貴!?どうしたんだよッ……」

 ペッシもまた、初めて見るの表情に、胸をずきりと痛めた。喉が詰まるような感じがしてとっさにつばを飲み込んだが、それでもまた、つっかえは胸の方からじわじわとこみ上げてくる。

 何と声をかければいいか皆目検討もつかない。女慣れもしていない彼には、打開し難いシチュエーションだった。困難な問題に直面したとき、ペッシが思い浮かべるのはいつもプロシュートだった。プロシュートの兄貴なら、こんな時どうするだろう。

 少し考えて、彼ならきっと、抱き締めて、ただそばにいてやればいいのだと言うだろう。癇癪を起こした幼児にそうするように、落ち着くまでなだめながら泣かせて、落ち着いた後に話を聞いてやれ。きっとそう言うはずだ。

 だが、自分がプロシュートならそうして嫌がる女などいないだろうが、今の前にいるのは自分だ。そんなことをして彼女に嫌われたくないし、そもそもそんなことができる自信もない。

 自信を持て、ペッシ。

 彼の頭の中のプロシュートがそう言った。だが彼はすぐに音を上げた。無理だ!そんなこと、できっこないし、そういうのは同意がなくっちゃあやっちゃいけないって、兄貴言ってただろう!?

 天使と悪魔じゃないが、頭の中で押し問答を繰り返している間に、ペッシはまたもに意表を突かれることになった。

 完全に気を抜いていたペッシが、いつの間にかベッドの上で仰向けになっている。自分でそうなったわけでは無い。が押し倒したのだ。押し倒しただけならともかく、何故かみぞおちの上のあたりで馬乗りになられている。

「はぁ!?」

 ペッシは四肢をばたつかせた。ばたつかせてもびくともしない。本気を出せばどかせるかもしれないが、の脚が素肌で二の腕のあたりに触れているせいで、そちらに気を取られて力めなかった。

 極めつけに、がトップスを脱ぎ出した。

「いやいやいやいや!!姉貴!?姉貴ちょ、ちょっと待ッ――」
「濡れちゃったんだもん」

 トップスがだ。先程口に含んで飲み下そうとしていた水を吹きこぼしたからだ。それで気持ち悪くなって脱ぎ出したのだろうが、こんな態勢で濡れちゃったとか宣いつつ服を脱ぐなんてもうやる気満々としか――女性との性的交渉を持ったことのある一般男性なら――思えないだろう。

 ペッシもそう思った男の一人だ。彼はまだ経験は無いが、大志は抱いている。女のひとりくらい抱いてないと一人前とは言えないと、酔ったプロシュートに言われたこともある。いずれ抱くさと言ったとき、いずれっていつだよ!とホルマジオにちゃかされたのを思い出す。そのいずれってのが今日なのか!?

 ペッシの胸は早鐘を打っていた。今までに無いほどの高速で打ち鳴らされていた。血の気が引いていく。頭にあった血が、下の方に優先して持っていかれているのがよく分かった。下着だけになったの胸元を見て、ペッシは口をあんぐりとさせて呆然としていた。――スポブラじゃないブラジャーを身に着けたの視覚的破壊力たるや、彼がベッドの下に隠し持っているポルノ雑誌に載る女性の比では無かったのだ。

 ペッシは顔を真っ赤にさせて必死に抵抗した。こんなの、全くの不本意だ!ちゃんと、本当に愛し合っている人と、愛のあるセックスをしなければならないのだ!のことが嫌いなわけじゃない!見た目とかスタイルとかに文句があるわけでもない!おこがましい!だが、酔った勢いでなんて一番後悔するやつだ!酔いがさめたあと、気まずくなるなんて絶対にイヤだ!――姉貴が自分のことを好きなんだって、勘違いなんかしたくないんだ!

「や、やめてくれよ……姉貴!こ、こんなの良くないって!」
「ペッシ。……あなたが酒を飲むのやめろって言ったのよ。だから……その責任を取ってもらわなきゃあ、私、困るわ。お酒じゃなくて、あなたが、私のこと気持ちよくしてくれなくちゃ」
「えええええ!?」

 こんな葛藤ができるあたり、チームきっての紳士はプロシュートではなくペッシなのかもしれない。だが、ペッシの必死の抵抗は、眼前に迫ったの熱い眼差しと、呼気ひとつで簡単に吹き飛ばされる。

「お願い……ペッシ。私と、して?」
「ひいいいいいいい!」

 乳房がペッシの胸板に押し付けられる。の口元は彼の耳元に近付いて、くちゅくちゅと耳たぶに唾液を纏わせながら浅い呼吸を繰り返す。どうにも煮えきらない態度のペッシにじれったいと示すように、は手法を変えた。まずはリラックスしてもらおうとでも考えたのか、馬乗りをやめて隣に寝転び愛撫を始めた。彼の意に反して、体は煽られるがままに反応を示し始める。

 抵抗をやめて気の抜けた体はされるがままに、ペッシは瞬きも忘れて、恍惚としたの艷やかな表情に見入っていた。ペッシの興奮と衝動を抑えつけるものがあったのだ。――涙だ。

 尚も目から溢れ続けている、の頬を流れ落ちていく涙。その源泉が何かを、ペッシは少しも知らなかったのだ。

 やがて、の両手はペッシの頬に添えられる。そして目を見つめられて、懇願される。

「キス、してくれる?」
「――ッ、キ、キス……?キスを、かい……?オレと?」
「仕方が分からない?……なら、これから全部、私が教えてあげる。それじゃ……ダメ?」

 が今、こうして“誰か”と繋がりたいと思うのは何故だろう。

 ペッシは、ごく僅かに頭の片隅に残された冷静さの中でそう考えた。

 悲しみを紛らわすためだ。姉貴は悲しんでいるのだ。理由は分からない。それでも、姉貴が“誰か”とすることで、少しでもその悲しみを紛らわすことができるのなら、それでいいんじゃないか。

 ペッシは最終的に、そう判断を下した。そして彼はゆっくりと頷いた。

「姉貴が、そうしたいなら……」

 そう言った後にが見せた儚げで美しい微笑みを、ペッシは後もずっと忘れられなかった。