暗殺嬢は轢死したい。

 が大声を出さないようにと対処した後、イルーゾォは自身が先程口にした疑問に対する答えを探りはじめた。メガデスがこちらへゆっくりと向かってくる。畏怖の対象――大きな体を持った怨念のような塊――が迫ってくる。身の危険と焦りを感じながらも、彼は冷静に現状把握に努めた。

 何故だ。何故こいつが表に出ている?

 イルーゾォは確かに念じていた。メガデスが鏡の中の世界に入ることを許可する、と。

 この世界には自分の許可なく生物やスタンドが入ることはできない。それがデフォルトだ。そして基本的にスタンドはスタンド使いが呼び起こさない限り姿を現さない。仮に鏡の中でイルーゾォ以外のスタンド使いがスタンドを発現させても、スタンドが鏡の中へ入ることを許可しなければ、それは主不在の現実世界に姿を現すだけなのだ。

 だが今回に限ってはイルーゾォが許可をしたので、普段通りメガデスがに取り憑いた状態でもろとも平行世界に連れ込まれ、姿を現さないはずだった。

 イルーゾォはニューヨークで起きたことを振り返った。

 メガデスの能力はの治癒だ。メガデスは彼女の身の危険に常に備えている――パソコンのスリープ機能のように省エネルギーモードで体の中に待機している――と仮定すれば、メガデスが姿を現したのには納得できた。あの時はまだ、こんなにも悍ましい姿をした“死神”がの中に潜んでいるとは知らなかったので、デフォルトのままだけを引き入れてしまったのだ。だから現実世界に戻ったとき、表に引きずり出されたメガデスと対面することになってしまった。

 だが、今回はそれでは説明がつかない。何と言っても、イルーゾォはやはりとメガデスを引き離すつもりなど無かった。だが現状に鑑みるに失敗していたということなのだろう。今回入り口とした鏡の向こうをもっときちんと確認しておくべきだったのかもしれない。メガデスの姿が見えない、つまり成功している。と共にあるはずだという思い込みの結果、招いてしまったのが現状だ。

 反省は済んだ。だがやはり、何故メガデスを鏡の中の世界に連れ込むことができなかったのか分からなかった。連れ込む対象を目で見たことがあり、どこにいるのかという検討さえ付いていれば、間違い無く可能なことだったのだ。

 の震える手が自分の口元を覆うイルーゾォの手の甲を掴んだ。もう大声は出さないだろう。そう思えたので彼はゆっくりと彼女から離れようとした。だが、は掴んだ手と腕を離さずイルーゾォに身を寄せた。

「イルーゾォ……!いや、いやよ。離れないで。怖い。なんなの……あれ……!」

 はすっかり怯えきっていた。死を恐れないどころかむしろ死にたがる彼女が恐れを抱く対象がまだこの世にあったとは。それが、自分の精神が具現化したものだとは。――結局、人間の一番の敵は自分自身であるという教訓だろうか。

「メガデスだ」
「え……?」
「お前のスタンドだ。恐らくな」

 五メートル、三メートル、二メートル。“死神”が徐々に近づいてくる。鋼鉄のアイマスクをしているのに、まるで見えているかのように主の元へ向かう。そして一メートル。

「――ひっ!!」

 は薄っすらと涙を浮かべた目を見開きメガデスを見上げ小さく悲鳴を上げた。メガデスは大きな体をかがめるようにして、の顔を覗き込む。

 イルーゾォはメガデスを初めて目にした時よりも落ち着いていた。このスタンドは――見た目はどうあれ――の守り神のようなものだ。恐らく主を殺そうなどとはしない。それに、恐ろしいからと逃げた所で何処までもついてくるだろう。騒ぎ立てるだけ無駄なことだ。

 そう信じるのはニューヨークで意図しない内に切り離してしまったメガデスが、主の姿を確認するなり吸い込まれるように主の体に戻っていったからだった。

 だが逆に言えば、現時点ではそれ以外のことが何も分からなかった。コントロールされていない力が牙を剥かない保証など無いに等しい。それでも、万が一危険が迫ればそれを察知した瞬間にまたを連れて鏡の中の世界へと身をくらませればいい。鏡の中へ入っていいと許可したにも関わらず、メガデスは招待を断った。つまり、鏡の中の世界は絶対に安全ということだ。

 イルーゾォは一度唾を飲んでゴクリと喉を鳴らした。そしてじっくりとメガデスの姿を観察した。

 の目と鼻の先にまで迫った骸骨。初めて至近距離で見るそれには気づきがたくさんあった。幅一センチメートル弱の鋼鉄製のステープル計五本で、上顎骨と下顎骨を固定されている。喋らせないようにとはめる猿ぐつわのように見えた。そして、鋼鉄製のキャップを両耳の部分に打ち込まれていた。

 目も耳も口も閉ざされている。まるで、光背のように背負う無数の核弾頭を放つのにそんなものは必要ない。辺り構わずぶちかましてやるという意思表示をしているようだ。メガデスが攻撃する様など見たことは無いが、よくよく考えてみればスタンドがただのファッションで核弾頭を背負うはずが無い。

 そんな見た目をしている割にメガデスはひどく大人しい。視線を下に向け、まじまじと胴体と思われる部分を観察した。

 胸のあたりに大きな錠がふたつ見えた。そしてその錠は、まるで死人が棺桶に入る時のように折りたたまれたメガデスの腕を拘束するように、そして背後の武器もろとも固定するようにきつく張り巡らされた鎖の端と端をつなぎとめている。

 目、耳、口だけでなく、腕までも機能しないようにされている。だが、その鎖と錠だけが異質に見えた。鎖で動かないようにと固定されている?使うために背負うものを、わざわざ自分で固定しているのか?ならば最初から背負わなければいいのだ。

 ――だが、待てよ?

 もしも、その鎖と錠がメガデスのもので無いとしたら。遠隔操作、自動追尾型のスタンド――スタンドに働きかけることができるのはスタンドだけだ――だとしたら。

 そんな仮説を立てると、メガデスを鏡の中の世界に連れ込めなかったことにも合点がいった。許可しただけで、絶対に入ってこいと念じた訳ではない。その招待客に招かれざる同伴者がいれば、当然もろとも鏡の中の世界から弾き出される。強く願えば拘束を解いてメガデスだけを招き入れることはできたかもしれないが、何よりこの悍ましいスタンドを心の底から自分の安全地帯に招き入れたいなどと願うはずもないし、そもそも正体不明の鎖と錠の存在などイルーゾォは認識していなかった。

 以上の考察でわかったことは、結局のところ、正体不明のスタンド――まだ鎖と錠がメガデスの物でないと確証を得た訳では無かったが、他に鏡の中の世界へと引きずり込めなかった理由が思いつかなかった――の存在を知らなかった自分には、をメガデスに会わせないようにするのは難しかったということだけだった。

「いや……いやよ、来ない、で……」

 メガデスはの顔をしばらく覗き込んだ後、彼女の静止の言葉など耳に入れず――それ以前に聞こえていないのかもしれないが――を後ろから抱きしめるイルーゾォもろとも覆いかぶさった。が怯えて目を瞑っている間、イルーゾォは黙って事の次第を見届けていた。不思議なことにメガデスに対する恐れは収まりつつあった。

 もしかすると、メガデスの能力は治癒に留まらないのかもしれない。だが、攻撃の手段と思われる背後の武器は強固そうに見える鎖と錠で封じられている。恐らく、ボスの能力――いや、それは早とちりが過ぎるか。ボスの命での力を制御するように言われている誰かの能力で封じられているのだ。

 そんな気づきがあったからかもしれない。だが、メガデスが目の前から消え、戻るべき所へ戻った後も怯えた様子で言葉を失っているを見ると何とも言い難いもやもやとした気分に陥った。

 そんなイルーゾォの心を最もざわつかせていたのは、やはりという女は気のおけない仲間と言うよりも監視されるべき危険人物で、我がチームは無知の内にとんでもないものを抱え込まされているのではないか、という組織への懐疑心だった。



49:Heaven Beside You




 メガデスが姿を消した――もとい、に取り憑いた後も、彼女は彼女を後ろから抱き込むイルーゾォの腕を離さなかった。

 いつどこで知ったか忘れたが、名前と能力だけは知っていた“メガデス”。どんなに損傷しようとも、絶対に生き返らせてくれるそれ。名前が名前なので天使のような見た目をしている訳ではないというのは薄々分かってはいたが、チームメイトのスタンドの姿を参考にしてみても具体的な想像はできていなかった。想像できていなかったのにこんなことを思うのは何だが、実際の姿は想像を絶する悍ましさだった。

 その悍ましい怨霊のようなものが、私の体に取り憑いている。

「……スタンドって、一体何なの?」

 そのままは呟いた。体の震えは収まりつつあった。代わりにとても抱え込めない物を有無を言わさず背負わされたような重圧を感じた。そして動悸がしてきた。共に息苦しさにも苛まれる。落ち着かない。思考がぐるぐると巡って、何故だどうしてと疑問ばかりが乱立していき、答えを得られないそれが頭の中で飽和していった。

「精神エネルギーだ。。お前の精神が生み出した力だ」
「私の精神が……私の心が、あれを生み出したっていうの……?」
「ああ。あれが間違いなく、お前を生き返らせているスタンドだと言うのならな」

 生み出した。否、生み出して“しまった”と言うべきだ。悍ましい精神が生み出してしまった悍ましい力が具現化した怨霊だ。悍ましい精神?

「分からない……。やっぱり、思い出せない。あんなものを生みだしてしまうくらいの何かが、私の過去にあったってことなの?……そんなの、知らないわ」

 はたまらず身を翻し、イルーゾォの胸に顔をうずめた。

「私……私じゃない!あれは、私じゃあないわ……!きっと他の誰かのスタンドが取り憑いているのよ……」

 他の誰かのスタンド。なるほど、その考え方も無くはない。例えば、死んだ彼女の父親が残したスタンド――スタンドだけ、つまり精神だけを肉体が滅んだ後に残すことができるかどうかは知らないが――で、娘が死なないように、そして危機が迫ったら攻撃できるように、という思いが具現化したものがメガデスなのかもしれない。

 もしそうだとしたら父親に教えてやりたいものだ。あんたの娘はその力を悪用してハイになっていますよ。と。

 だが、どんなに粉微塵になっても生き返ってしまえるという能力とそれを可能にする精神エネルギーが、ただ娘の幸せを願って死んでいった父親の思いのみから供給されているとは考え難い。

 父親の怨念か、の怒りや憎しみか。そのどちらかだ。死んだ人間を蘇らせるほどのエネルギーを生む精神が何かと考えると、それ以外は考えられなかった。スタンド能力とは、一部例外はあるにせよ力を発揮させる場所や対象と能力者との距離が離れていれば離れているほど力は薄れるものだ。

 何にせよ現時点で言えるのは、本人にすら自分のスタンドかどうか分からないものの正体について、ああではないこうでもないと考えるのもまた時間の浪費に違いないということだ。それよりも――

「……イルーゾォ。あなたはアレのことを知っていたの?」
「ああ。ニューヨークで一度お前を鏡の中へ連れ込んだときに見た。お前はあいつに背を向けていたから気づかなかったようだがな」
「怖くないの?あんなのが……あんなのが私の中に入ってるって、知ってて今まで私の傍にいたなんて」
「確かにな。だが、牙は剥いてこなかった」

 あの鎖と錠のおかげで――。

 それを言うべきかどうかが問題だった。言えば、に組織への疑念を抱かせることになりかねないだろう。父親を殺した組織に疑念を抱かず駒として管理されている現状に甘んじている彼女が、そう思うかどうかは分からないが。

 イルーゾォの心には迷いが生じていた。組織のためにの心は閉ざしているべきか、つまり、現実から目を背けさせ現状を維持するべきか。それとも、に現状をありのままに教えてやるべきか。

 それとともに、あの悍ましいアジトへの贈り物が頭に浮かんだ。輪切りにされた仲間。悍ましい殺され方をした仲間の姿。組織に反抗したものの成れの果てだ。

「お前が命令しなければメガデスはただお前を生き返らせるだけだと思っていたが、さっきそれが証明された。だからもう、大丈夫だ」

 に、誰か他のスタンド使いがお前のスタンドを拘束しているかもしれない。それを言ってどうする?どうしようもない。だから、今は黙っておくべきだ。

 オレ達はの監視を任されている。つまり、が万が一組織に反抗しようと、組織の管理下からのがれようとした場合、その責任を負わされるのは他でもない我らが暗殺者チームだ。組織への反逆と取られかねない。何のメリットも勝ち目もなく、組織に反旗を翻すほど愚かではない。薄給で飼いならされているという自覚はある。だが、命があるだけまだマシだった。

 を鏡の中へ引き込むのはもう止めた方がよさそうだ。イルーゾォはそう思った。自分の不誠実さには気づいている。だが、彼は今までそうやってこの世界で生き延びてきた。

 別に嘘を吐いているわけではない。聞かれていないので話さないでいるだけだ。幸いはあのスタンドを受け入れられないでいる。組織に疑念を抱きかねないメガデスを拘束する錠や鎖の存在よりも、その総体的な姿に驚愕し恐怖していた。自分からあのスタンドのことを知ろうとなんてしないだろう。

「イルーゾォ。お願い、お願いよ」

 はイルーゾォの胸に額を押し付けながら懇願する。

「私のこと嫌いにならないで。私のこと、怖がらないで。ひとりに、しないで……お願い」

 孤独を紛らわせるために快楽にふけっていたかった。そして快楽に溺れている間に愛を知った。その愛が離れ、再び孤独に陥った先でようやく見つけた安住の地。それまで失ってしまったら、もう私には何も残らない。そんな孤独には耐えられない。

 には現実が受け入れ難かった。不安で仕方が無い。すべて忘れてしまいたい。そう思っていた。

「オレはどこへも行きやしない。お前をひとりになんかしないさ。……なあ、もう休もうぜ。お前だって疲れただろう、
「ええ。……そうね」

 イルーゾォはの肩に手を添えて体を引き離そうとした。だが、は離れようとしなかった。

「傍にいてって言ったら、いてくれる?蹴飛ばさないで、一緒に眠ってくれる?」
「……お前がどうしてもと言うなら、一緒にいてやる」
「どうしてもよ、イルーゾォ。……お願い」

 忘れたい。もう何も考えたくない。そう思えば思うほど、忘れたいこと、そして考えたくもないことが頭に浮かぶものだ。

 例の大きなキングサイズベッドにふたりで入った。は尚もイルーゾォの胸に収まってすすり泣く。何も考えられないくらい、めちゃくちゃにしてほしい。そんな思いの解決策が死ぬことだった。だがメガデスの姿を知った今、メガデスの力を借りて生き返ることすら躊躇われる。

 どうすればいい?この訳のわからない不安や重圧から開放されるためには、どうすれば――

 そんな問いかけを頭の中で繰り返すうちに、は眠りに落ちていた。



 深い眠りの中。無意識の内の心の深淵でメガデスだけが意識を保っていた。彼女は生まれてこの方ひとりでを守り続けてきた。

 絶対に死なないように。彼女の目的を遂げるまで、体が絶対に滅びないようにと守り続けてきたのだ。

 他の誰かのスタンド。初めて対面したは、まるで自分に怨霊が取り憑いているかのように言った。拒絶されるだろうと予想はできていた。だから姿は見られたく無かった。予想ができていたからといって、拒絶される覚悟があったわけではない。だからメガデスはひとりで泣いていた。

 彼女はこうして何度も何度も死ぬたびに怒り、恨み、泣いてきた。怒り、恨み、泣いたからと言って誰に知られる訳でもない。知ってほしいのにそれは叶わないのだ。彼女の尽きることのない苦しみは、にすら伝わらない。

 メガデスはまた、いつものように独り言つしかなかった。

 やっぱり、あなたは拒絶するのね。いいわ。

 ――なりたいものになりなさい。見に来たものを見ればいい。やりたいことをやればいい。外に出て、あなたにとっての真実とやらを探せばいい。

 私に言わせてみれば、見えてるものは全てまがい物ばかりで気に入らない。落ち込んで憂鬱だとしても、あなたでいるより私でいたほうがうんとマシだわ。

 あなたの人生には問題がある。おかしなものよね。こんな見た目してるのに、私は盲目なんかじゃあないのよ。全部見えてるわ。全部知ってるの。

 冷え切った冬の寒気のように、天国はあなたのすぐ側に、そして地獄は内側に。それでもあなたはまだ、天国が内側にあると思ってる。

 私はいつだってあなたと共にある。それを認めない内は、あなたは幸せになんて絶対になれやしない。

 思い知るまで好きにすればいい。私が死を望まない限りは、あなたは生き続ける。生きて、まがい物に囲まれて、束の間の幸せに浸ればいいわ。

 ――まがい物の幸せなんて、そう長くは続かないだろうけど。