はなかなか寝付けなかった。ベッドには夜七時頃から入っていたが、彼女が眠りに落ちたのは十時だった。
すんなり入眠できる方がおかしいことが起こったのだから無理もないと言えばそうだが、心身ともに疲労困憊していた。だから彼女はベッドに入る前まで泥の様に眠れるとばかり思っていた。だが案の定、目を瞑ると思い浮かぶのはあの拷問部屋の天井と、男の冷徹な笑み。そして足の指先と口元に壮絶な痛みが蘇る。彼女は背中と足の指先を丸めて肩を抱き、歯を食いしばった。考えるなと思えば思うほど、あの悍ましい昼の拷問を思い出してしまった。
安心を求めてまた“誰か”がいる隣のベッドに潜り込みたい気分だ。ホルマジオはシャワーを浴びた後、何も言わずに部屋を出た。一体今頃何をしているんだろう。街にくり出してナンパでもしているんだろうか。でもどうして私がそんなことを気にする?
寂しいやら悲しいやらと感じているのは何故か、とは考えた。
ホルマジオに自分を殺してもらって生き返った後、彼にキスを迫り抱きついた。少しも好意を持たない相手にそんなことは普通しないが、気が昂っていたと言い逃れもできなくはないシチュエーションだった。あの時は衝動的に動いていたし、大して何も考えていなかった。だが人間は無意識のうちの行動によく本心が現れるとも聞く。そして彼と抱き合ってキスをしている間、得も言われぬ幸福感に満たされて、この上ない安らぎを感じた。そして彼に突き放された時、は確かに胸の痛みを感じた。
私はホルマジオのことを“異性として”好きなのか?
そこまで思い至ると、はひとりかぶりを振った。まさか。今まで散々アパートに引きこもって外界との関わりを極力持たないようにしていた自分にはハードルが高すぎる相手だ。きっと今だって、夜の相手を早々に見つけてハメを外しているに違いない。この部屋には朝まで戻らないだろう。
そんな邪推をして少しだけ気が紛れたところで、ようやっと彼女の瞼は重くなってくる。そしてまどろみの中で自分の気持ちに蓋をする。
例え、万が一……。万が一によ。彼のことを好きになっていたとしても、手を出しちゃいけない相手よ。……きっとまた失恋して傷ついて終わることになるんだわ。
どうやらがホルマジオに貼ったレッテルは、“サディスト”以外にもう一つあるようだ。
ホルマジオもまた寝つけなかった。彼が眠ろうとベッドに入ったのは十一時頃だが、眠りに落ちたのは日付が変わってからだった。
をひとり部屋に残し、彼は海辺をひとり散歩していた。が邪推していたように、女を口説きにいく気分では全くなかったし、目下口説きたい女はひとりである。
ホルマジオは海辺を歩く間散々色々と考えていた。さて、もう部屋に戻ろうかと思って歩き出した時も、とりとめのない思考の渦に呑まれていたし、引き続きベッドの中でも彼の頭は考えることをやめなかった。肘を曲げて後頭部で手を組み天井を眺める。そしてどうもすんなり眠れそうにない、とちらと横に目をやると、見えるのは規則正しく寝息を立てるの背中。
あんなことがあったのに、すんなり眠れている――ように彼には見えた。彼はが眠れないと肩を抱いて震えている間、この部屋にはいなかったのだ――を少しだけ恨めしく思った後、顔を元の位置に戻して目を瞑った。
目を瞑ると否が応でも思い浮かべてしまうのは、ターゲットに散々痛めつけられた、口元や足の指先が血まみれになったの弱々しい姿だ。殺してほしいと言われ、彼女の項にナイフを突き立てた。彼女の生温かい血液がナイフの柄を伝って右手の親指と人差し指の間から手の甲までツーっと這っていく感覚がまだ残っているような気がした。自分の手が他人の血に濡れることなどいつもなら少しも気に留めない。気に留めず今まで幾度となく繰り返してきたはずのその行為を、ホルマジオは初めて悍ましいとすら思った。
が生き返った後、キスを求められ抱き寄せられたことも思い出した。あの時はどちらもきっと、気を紛らわせたくて、安心したかったのだろう。あのキスや抱擁に特に深い意味は無い。が死で得られる快感とやらで気が昂っていて、たまたま目の前にいたのがオレだっただけだ。
ホルマジオは案外冷静に状況を把握できている。それが故に彼はますます彼女との関係について憂慮した。
こんなに不安な気持ちになるのは初めてだ。お前はオレにありがとうと言ったが、悲しそうな顔で遠くを眺めていたお前の本心が分からない。普通自分を殺すような男のことなんかオンナは信頼しないし、好きになんてならないだろう。だから不安なんだ。オレはお前に嫌われたくない。こんな風に思うのは初めてだ。情けねーけど、お前を抱きしめて安心したい。お前に嫌われてないって確かめたい。お前だって不安だったろうに。お前だって眠る前に今日のことを思い出しちまっただろうに。それなのにオレのことを頼ってはくれないのか。なあ、ほんとに、寝ちまったのか?
ホルマジオの背を借りて安心したいとがついさっきまで思っていたことも知らずに、ホルマジオは悶々としたまま眠りについた。
ふたりの思いは完全にすれ違っていた。
こうしてふたりは忌まわしい記憶に苛まれながら眠りにつき、異国の地で週末を迎える。仕事をやり遂げた日の翌日、朝八時ごろ、ふたりはホテルのラウンジで朝食を取っていた。
一体いつの間にプランを立てたのか、は何時にどこに行くとホルマジオに口頭で言って聞かせている。彼はしょうがねーなァと笑いながら、もとより遊ぶ気満々でリオデジャネイロを訪れていたんだなと指摘すると、彼女はぺろっと舌を出して笑った。その後、リゾットには内緒ね。なんて人差し指を口元に当てて可愛らしく言うものだから、ホルマジオはそれ以上追求する気を殺がれてしまう。
まあ、オレもそのつもりだったしな。
だから昨晩ホルマジオは彼女に延泊を申し出たのだ。彼にはに伝えなければならないことがある。だがそのタイミングをいつにするかなんて具体的なプランは何も無かった。昨晩は、夜になればいずれそんな雰囲気になるんじゃないかと何の根拠も無く未来に思いを馳せていた。
の計画によると、午前中――彼女は朝食を済ませた後すぐに出るのだと気炎を上げている――ポン・ヂ・アスーカル――砂糖のパンという意味――と名の付いた特徴的な形をした巨大な寄石のてっぺんめがけてロープウェイに乗り、絶景を堪能したのちコパカバーナ海岸に向かう。海水浴や日光浴を一通り楽しんだら、一度ホテルに戻りシャワーを浴びる。着替えを済ませ再び外へ繰り出し、適当に昼食を済ませたら、が最も楽しみにしていたコルコバードのキリスト像を拝みに行く。ここでも絶景を楽しんで、ホテルの傍にある観光客向けのオーシャンフロントバーに赴き、月明りに照らされた幻想的で美しい海の景色を眺めながら美酒に酔う。こうして一日を締めくくるという。
ホルマジオは思った。日程最後のバーが正念場だ、と。彼は何も、同意も得ぬまま酒に酔わせてを襲ってやろうと考えているわけではない。そんなのは無粋だし、そもそも彼は彼女とのことを一夜限りの関係で終わらせるつもりなど毛頭なかった。ここで彼女の誤解を完全に解いて、彼女を我が物とし、あわよくば同じベッドで一夜を共にする。セックスにまで持ち込むかどうかはあくまであわよくば――と素面の彼は思っているが、酒が入った途端あわよくばなんて緩い気持ちでいられるかどうかは既に怪しかった――である。
の行動計画を聞いて、彼もまた瞬時に彼自身のプランを脳内で思い描いた。もちろん、そんな下心を抱いていることなどおくびにも出さず、彼は彼女の正面でクールを装っている。メローネじゃあるまいし、鼻息を荒くしてに真正面からゴリ押しでアタックするなど愚の骨頂。むしろ興味なさげに振舞うくらいが丁度いいことを、この百戦錬磨の色男は知っている。
だが彼が百戦錬磨であることこそ、がホルマジオとの関係に積極的になれない要因だった。
42:Don't Judge Me
当初予定には無かったマラカナンスタジアムでのサッカーの試合観戦で熱狂の渦に巻かれ汗をかいた後、ふたりは一度ホテルへと戻り軽くシャワーを浴びて再び外へ出た。時刻は夜八時。スタジアムからの帰りでタクシーを待つ間、地元のB級グルメに舌鼓を打っていたので腹は空いていない。バーで軽く何かつまみながら酒を飲むのに丁度良い腹具合と時間だった。
穏やかな海にさざ波が揺れ、それを月明りが照らしている。ビーチに打ち付ける波の音が心地よい。ホテルの近くにあるバーのテラス席でふたりは酒を飲みながら語らっていた。仕事の話をするなんて無粋だと暗黙の了解の上である。これまで大してふたりきりで話す機会など無かったので、会話は途切れることなく続いていた。
ホルマジオは彼女と初めて仕事をした後、アジトのダイニングでさし飲みをしたことを思い出した。あの時はこんなロマンチックな雰囲気など微塵も無かった。なんて馬鹿な気の引き方をしてしまったんだろうと彼は後悔したが、結果オーライだ。邪魔な人間が一人もいない外国の地で、彼女とふたりきり。おまけに最高のムードに包まれている。この機を逃すワケにはいかない。酒に酔いながらホルマジオは自分に誓っていた。今夜必ずをモノにすると。
ホルマジオが虎視眈々とを口説き落とす機会を窺っている間、彼女は彼女で全く別のところに意識があった。
ああ……やっぱり。またなのね……。
マラカナンスタジアムでサッカーの試合を観戦している時からその症状は始まっていた。きっと会場の声援だとか、カリオカ達の応援歌だとか、応援歌に合わせて叩かれたドラムの音だとか、隣で興奮したホルマジオにきつく抱きつかれたりとか……そういった諸々の要因で心拍数が上がっているだけだと言い聞かせてはいた。だが快楽を求める彼女の身体に誤魔化しは効かなかった。
ホルマジオと仕事に行ってこいとリゾットに言われた時、まさかまた自分が死ぬことになるとは思わなかった。そして手ひどい拷問を受けた後、尋常ではない痛みで気が狂いそうになる身体をそのままにしておくなどという選択肢は無かったので死ぬしか無かった。それに、せっかくリオデジャネイロにまで来たというのに、観光も何もせず拷問を受けたという最悪な思い出だけ持ち帰るわけにもいかなかった。
総じてホルマジオの前で例の副作用が発症してしまうのは仕方がないことだ。だが仕方がないからと何の対策も取らないわけにはいかない。どうにかしてこの難局を乗り切らなければ。はたまに相槌を打ちながらホルマジオと楽しく語らう脳裏で考えを巡らせていた。
逃れようにも自分は監視を受ける身だ。果たして、尾行のプロとも言える彼を巻いてひとりどこかに身を隠せるだろうか。もう九時だし、イタリアは朝三時なので流石にメローネも寝ているはず。自分がいなくなったとホルマジオが連絡しても誰も応答はしないだろう。
は意を決してトイレに行くと言って席を立った。ホルマジオはしばらくの後姿を目で追っていたが、彼女が化粧室に確かに入っていったのを確認すると視線を目の前のビーチへと戻す。彼女がいない間、手元のビールジョッキにしきりに手を伸ばしていたがすぐにジョッキの中身は切れてしまった。彼は気だるげに席を立ちバーカウンターに向かった。カウンターに肘をついてバーテンダーに酒を注文して待つ。
「お兄さん、振られちゃったの?」
待っている間、カウンター席に座っていた隣の女に声をかけられた。流暢なイタリア語だ。声がした方に顔を向けたホルマジオは息を呑んだ。ダイナマイトボディのブロンド美人が微笑みを浮かべてこちらを見つめている。ホルマジオはついいつもの癖で頬を緩ませてしまう。
「振られたって?オレが?まさか」
「だってさっきまで隣に女の子いたでしょう?彼女どうしたの?」
「なんだァ?あんたずっとオレたちのこと見てたのかよ?」
「私がよく見てたのはあなただけよ。もし隣が空いたなら一緒に飲んで欲しいと思ったの」
所謂“逆ナン”にあっている。ホルマジオはそう自覚した。と会っていなければ、この女ともしっかり同じベッドで一夜を明かしていただろう。だが今はそれどころではない。彼には狙いを定めた獲物が別にいるのだ。
ホルマジオはチラチラと化粧室の出入り口を気にしながら女の話を聞き、酒が出されるのを待っていた。
「なあんだ、彼女トイレに行っただけなのね。残念だわ。せっかくいい男を見つけたと思ったのに」
「悪いな。他を探して――」
女の方に向けていた視線を化粧室の出入り口に戻したその時、呆然と立ち尽くし、こちらの様子を伺うの姿が目に留まった。
――まずい。違う。そうじゃない。待ってくれ。
ホルマジオは心の中でそんな言い訳をした。だが彼の悲痛な心の叫びなど届くはずもなく、はどこか寂し気な表情を浮かべて彼に背を向ける。そして店の出口に向かって駆け出した。
くそっ……またオレは……。
ホルマジオは焦燥した。それは監視の任をないがしろにした自分を責めての反応では無い。再び彼女に遊び人と思わせるような場面を見せてしまったという焦燥だった。例に漏れず相手はまた豊満な体つきをしたブロンド美人だ。ホルマジオにそんな気はなくとも、には彼がナンパに勤しんでいるようにしか見えなかっただろう。
程なくして彼が頼んだ酒がバーテンダーから差し出される。ホルマジオは受け取るなり、それを隣に佇む女にオレのおごりだと言って譲った。そして通りすがりのウェイターに会計を頼む。
早くしてくれ……。またがオレから離れていっちまう。
まだそれほど遠くには行っていないだろう。会計を済ませたホルマジオはの後を追って駆け出した。
良かった。彼、今夜の相手にありつけたみたい。
化粧室から出たの視線の先。以前、アジトの近くにあるコインランドリーの向かいにある喫茶店で見た、金髪美女と同じ系統の女性だ。
ホルマジオってやっぱりああいうタイプの女性が好きなのよね。
は自分の胸を見下ろして撫でおろし、さすがにあそこまで豊満ではないとため息をついてふたりのいる方を見た。
これで心置きなく逃亡ができる。そう安心しているはずなのに、寂しいとか悲しいなんて、昨晩ひとりホテルの部屋で身体を丸くして寝よう寝ようと懸命になっていたときと同じ心境に陥っている自分に彼女は気づいていた。他の女性と自分を比べて意気消沈するなんて今まで一度も無かったことだ。
これまで彼女が身を焦がすほどの恋に落ちたのはたったの一度だけだ。ライバルとなる女性がいた訳では無いのだが、その恋は結局成就しなかった。きっと今度もそうだとは思い込んでいる。彼女はすっかり恋に憶病になっていた。そう気づいたのはこの時が初めてだった。
そして自分が理性を保てる時間もそろそろ限界を迎えそうだ。早くこの場から立ち去らなければ。そう思って体を動かそうとした瞬間、ホルマジオと目が合ってしまった。反射的には動き出した。
酒がいる。店で飲んだくらいの量じゃ全然足りない。だが、ウイスキーのボトル一本あれば十分だろう。
はホテルまでの道のりを急ぐ間、しきりに酒屋を探していた。酒屋でなくてもいい。コンビニエンスストアでもスーパーマーケットでも、とりあえず酒を売っていそうな店があれば。そう言えば、ホテルを出てすぐの向かいにコンビニエンスストアがあったはず。
は店へ急いだ。全くもってこの副作用は厄介だ。彼女は自分のスタンド能力には感謝している。だがこの副作用だけは容認できなかった。
店に入ると脇目も振らず酒が並べられている棚に向かう。観光客を意識しているのか、有難いことに成分表示などは英語でなされているボトルが多かった。ウイスキーと思しきボトルを手に取り裏面を見て、度数が三十%を超えていることを確認すると、は足早にレジへと向かった。
ウイスキーのボトルのネックを掴んでホテルへと戻る。これからバスルームに鍵をかけて引きこもり、空のバスタブで酒を呷りながらオナニーに耽る。かたやホルマジオは金髪美女とワンナイトラヴ。は自分を情けなく思った。どれもこれもこの厄介な副作用のせいだ。
は情けなくて涙が出そうになっている目尻を拳の甲で押さえつけながら、ホテルのフロントの大理石をカツカツと鳴らした。エレベーターホールでエレベーターを待つ間、熱を持ち、早鐘を打ち始める心臓を押さえつける。胸が苦しくなり、喉の奥に熱がこもりはじめる。彼女の中心も熱を持ちはじめていた。そこがじわりと濡れ始めるのを感じて彼女は不快感に眉をひそめ、しっかりと股を閉じて力を入れた。
ごめんなさいホルマジオ。バスルームはこれから立ち入り禁止よ……。って言っても、彼には関係無いわよね。きっとこの部屋には戻ってこない。
は部屋のカードキーを壁のスロットに差し込んだ。部屋の照明が点灯して、少し熱気のこもった部屋に冷房設備が音を立てて冷気を送りはじめる。
はほっと一息ついて壁にもたれかかり、ショルダーバッグを肩から滑り落とした。壁に体を預けながらヒールのストラップを外しスリッパに履き替える。何はともあれ火照った体を冷ましたいと、身に纏っていたワンピースの背後にあるジッパーに手をかけ引き下ろし、脱ぎ捨てたその時。背後でカチャリと鍵の開く音がした。はびくりと身体を揺らして振り向いた。
嘘でしょ……ああ神様。
あの山の上で腕を広げて民を見守るイエス・キリストは、どうやら私達を文字通り見守るだけらしい。それか加護を受けることができるのはカリオカ限定か。そうでなければこの状況に説明はつかない。そもそも説明のつかない訳のわからない副作用に悩まされているのだから、神も手を付けられないと私を見放しているのかもしれない。は泣きたい気分になった。
彼女が部屋の入口に振り向いて、扉が開くまで1秒と無かった。慌てた様子のホルマジオが、額に汗を滲ませて息を荒げて部屋に入ってくる。そして目の前のあられもない姿のを見て呆然とした。
「お、お前……部屋に入ってすぐのところでなんちゅう格好してんだよ……」
「なんで戻ってくるの!?」
「っつーか何で勝手に帰っちまうんだ!?」
「あのブロンドのお姉さんとするんじゃなかったの!?」
最早会話を成り立たせる気はふたりに無く、思った言葉をそのままぶつけ合っていた。
はスリップ一枚身に纏っているだけだと気付いてとっさに胸の前で腕を交差して身体を隠した。スリップの胸部はレース調でシースルーなので、固く尖った先端は隠さなければ見えてしまう。全体的に生地が薄く、目を凝らせば体のラインもディテールも全て分かってしまう。男のホルマジオに言わせてみれば、何のために身に纏っているのか理解できない衣類だ。彼にはそれが、ただ男の肉欲を煽るためだけの物にしか見えなかった。
「ごめんなさい。……勝手にバーを出たのは謝るわ。あなたがあの女性と寝るんだなって分かって……私……」
「、違うんだ。あのオンナから話しかけてきたんだよ。オレはあの女と寝るつもりなんて少しも無かった。そうやってオレのこと決めつけたりするんじゃあねーよ」
ホルマジオはを壁際に追い込み、壁に両腕をついて彼女に覆いかぶさった。は目を見開いてホルマジオの顔を凝視する。非常にまずいことになった。思いがけないことが起きている。そしてこんなはしたない格好でいるのにホルマジオに見つめられている。心臓が飛び出てきそうだ。あまりの緊張に喉は乾ききっている。下の方は真逆で濡れそぼっているのがわかる。なんてことだ。
は肩で息をしている。いたたまれずホルマジオから顔を逸らし、部屋のベランダへと視線を投げた。体内を激しく駆け巡るアドレナリンが身に余る重荷となって意識が遠のいていく。カメラのレンズ越しに世界を見ているような気分だ。快感を追い求めて沸騰しそうになっている頭で、何とかバスルームに籠る言い訳をしようと口を開くのだが上手く言葉を紡げない。
「そう、だったの……私てっきり……」
「……話を聞いてくれ」
「え……ええ。聞いてる。……聞いてるわホルマジオ……」
「確かに今までのオレは遊んでるようにしか見えなかったよな。でも、オレはお前のためなら変われる。だから、過去のことは過去のこととして割り切ってくれよ。約束する。お前に信じてもらえるような人間になってみせる。オレは……オレはお前のことが」
ホルマジオが核心に触れ、に思いをぶつけようと顔を上げ彼女を見やった瞬間、突如として視界から意中の女が姿を消した。ごとっとウイスキーのボトルが床に転がる。直後、はホルマジオの足元に倒れ込んだ。
「!?」
ホルマジオは床に倒れ伏すを慌てて抱きかかえた。火を吹いているのではないかと思うほどに体が熱い。じわりと彼女の身体から染み出した汗を介して触れ合う素肌は密着する。ホルマジオは唾を飲んで乾いた喉を潤した。きっと体調が悪いのだろう。だがこんな姿を見せられて興奮しないでいられるほど彼は純粋では無かった。
をベッドへ寝かせると、はゆっくりと瞼を持ち上げて、息を荒げながらホルマジオを見つめた。口を開いて何か言いたそうにしているが、声は聞こえない。
「大丈夫か?……一体どうしちまったんだよ」
ホルマジオは汗に濡れるの額にかかる髪をかき分けて頬に手を当てた。彼女の手がおもむろに伸びて来て彼の手首を握ると、それをゆっくりと下へ誘導していく。
ホルマジオが何が起きているのかわからず目を白黒させている間に、彼の手は激しく上下するの胸にあてがわれた。ホルマジオは改めて唾を飲み込む。
「キス……して……」
間違いない。そう聞こえたんだ。
ホルマジオは自分に言い聞かせた。そして急に沸き起こった劣情に身をまかせの体に覆いかぶさり、獲物を屠る野獣のように彼女の唇に噛みついた。
――こんなはずじゃなかったのに。
ホルマジオは後悔したが、それも長くは続かなかった。