暗殺嬢は轢死したい。

 彼ら暗殺者チームのメンバー達にとっては人の死なんて日常だ。だから自分が死んだところで彼らは特に何とも思わないだろうし、生き返ると知っていれば尚更のこと意にも留められず、ただヤク中だの変態だのと罵られるだけ。それでかまわない。はそう思っていた。

 だから自分が気持ち良く死ねた後、どうして彼らに苛立たれたりしないといけないのか。にはその理由がわからなかった。自分は心の底から喜んでいるのに、彼らは自分の死を見て苛立っている。何故だろう。死んで元に戻れないなら悲しむというのは理解できる。悲しんでもらえるのは喜ぶべきだ。だが自分は生き返れてしまう。それを知っていても尚、彼らは私が死ぬことを良しとしない。何故……?

 はじめて違和感を覚えたのは、初めて裏の仕事を終えて初めて報酬を受け取った夜だった。彼女は報酬はいらないとリゾットに告げていたが、彼はそれを良しとしなかった。

 にとっては死こそが報酬だった。例の建設会社の社長をターゲットとした仕事においては、殺害と同時に報酬は得られていたのだ。彼女は最初、差し出された札束の入った茶封筒を受け取ろうとしなかった。

 リゾットはそんなを窘めた。何を勘違いしているのかは知らないが、あれは仕事だったのだ。仕事には相応の対価が払われるべきだ。そしてオレがお前の趣味に付き合う道理はない。

 確かに彼女は仕事を仕事と思っていない節がある。それを咎められただけだと納得もできた。だがあの時のリゾットの表情を見るに、部下が真面目に仕事をしないので叱責しているというだけとは思えなかった。

 彼女は当時いろいろと切羽詰まっていたのでそのことについて深く考える余裕も無かったのだが、後々になって考えると、どうしてリゾットはあの時あんなに苛立っていたのだろうと気がかりになった。普段は冷静沈着で寡黙で、感情などほとんど表に出さない彼が珍しく苛立っていたからだ。

 そんなリゾットの表情に共通する苛立ちのようなものが、最近のギアッチョにも見て取れた。

 ギアッチョがイラついているのはいつものことだ。彼が怒りをぶつけてイラつくのはいつも自分では無い他の何かか誰か。だが、が爆死した後身体を元に戻して船へ乗り込んだ時生き返ったことに安堵したのも束の間、彼女が死について感想を述べた途端にたちまち機嫌が悪くなったのだが、彼の表情はいつもと違った。どこか自分を責めているような、バツの悪そうな顔をしていた。



 そして今のホルマジオもまた、前例のふたりと同じような表情を見せている。が生き返ったことに安堵した後すぐ、怒りや苛立ちを露わにしたのだ。そして“殺してくれて”ありがとうと言った彼女を、ホルマジオは悲し気な表情でみつめた。

 彼女が死ぬ度に男たちは苛立った。それはすべて、彼女を死なせてしまった自分を咎めて浮かべた表情だった。自分はこんなに辛い思いをしているのに、どうしてお前は何も無かったかのように笑うんだ。皆、そんな心境だった。

 そんな男たちの心境など、は知る由もなかった。だから彼女は恍惚とした表情を浮かべた後、幸せそうに笑った。

 だが今は、あの至高の快感を得られたという悦びを抑えて、沸き起こる感情があった。辛かったという悲嘆と、救いの手が差し伸べられたことに安堵しての喜び。その相反する二つの感情がないまぜになって零れ落ちた涙が、の頬を滑っていった。

 はホルマジオとキスを交わす間、どこか不安定でふわふわとした感覚の中、自分の心と体のありかを確かめるように、彼の肩に腕を回して体を密着させようと抱き寄せた。

 ああ、確かに私は今息をしているし、身体もきちんと元に戻っている。熱も感じる。ホルマジオの体に触れている感覚も、彼とキスをしている感覚も、ちゃんとある。

 が安堵して平常心を取り戻すと、それを悟ったのかただ我に返っただけなのか、ホルマジオは彼女の肩に手を当て体を押し返した。に背を向け、部屋の扉に向かいながらポケットに手を突っ込み携帯電話を取り出すと、ターゲットの血みどろになった顔にカメラレンズを向けてシャッターを押す。メールに写真を添付して「始末した」と文字を打ち、リゾット宛に送信。そしてまたポケットにそれを突っ込んだ。彼はドアノブに手をかけて、に顔を向けずにがちゃりと扉を開ける。

「戻るぞ。もうここに用はねぇ」

 はホルマジオの背をじっと見つめた後、黙ってベッドから足を下ろした。そして物思わし気な様子で先を歩く男の背中をぼうっと眺めながら彼に追従した。

 何かしら。……彼、すごく……悲しそうな顔してた……。

 もしかすると、あまりの痛みにもがき苦しむ自分の姿を見るのが楽しくなって殺してくれないかもしれない。は朦朧とする意識の中でそう考えていた。だがホルマジオは、案外あっさりと彼女を苦しみから解放するために後頭部にナイフを突き立てた。

 息を吹き返した後、得体の知れない衝動に突き動かされてホルマジオにキスを迫り抱きあって、互いに深く貪りあった。その後、彼に肩を押され体を離されたたときは何故か胸が痛んだ。突然突き放されて不安になり視線を上げると、彼は今まで見たことも無い程シリアスな表情をしていた。

 いつも飄々としていてつかみどころのない、陽気な性格の彼の顔に見ることになるとは思わなかった表情だ。そしての中で彼は真性のサディストだった。まだ見たことは無いが、身体を内側から張り裂けさせてターゲットを殺すというのだからそうに違いない、とは思い込んだ。さらに、彼女の好奇心をいたずらに刺激するような、あの嗜虐的で挑発的な顔が忘れられなかった。だから彼女はずっと、ホルマジオの前で平常心を保てなかったのだ。

 だが今の彼は、楽観主義のお調子者でも、サディスティックな暗殺者でもない。

 私、彼のこと誤解してたのかもしれない。
 
「おい。聞いてんのか。……今からお前を縮める。少し引っ掻くだけだ。傷もそのうち自然に消える。いいか?」

 ほら見て。彼ってこんなに優しい顔ができるのよ?……あなたって、いったい今まで彼の何を見ていたの?

 は自分の鼓動が早くなるのを感じた。彼を前にして平常心でいられないのはいつものことだったが、どうも今日は様子が違うようだ。心臓発作を起こすほどの激しい興奮ではない。何か、信頼とか安らぎとか癒しとか……そんな心地のいいものを内包した胸の高鳴りだった。

「大丈夫。私、あなたのこと信頼してるわ。ホルマジオ」

 ホルマジオはの真っ直ぐな言葉に赤面して目を見開くと、恥ずかし気に頭を掻いて彼女から顔を逸らした。自身のスタンドの名を呟いたホルマジオがリトル・フィートを出現させると、はスタンドに向かっておもむろに右腕を差し出した。リトル・フィートの右手中指の鋭利な爪が肌に食い込んで、数センチ彼女の肌をすべる。はほんの少し痛みを感じて身体を強張らせた。

「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。ちっとも痛くない。あのね、私とっても楽しみなの!小さくなってあなたと同じ世界を見られるんだもの!実はあなたの能力で縮めて貰った後に何をするかってリストを作っているんだけど、私が一番最初に思い付いたことって何か分かる?」
「さあな。見当もつかねー」
「ジャガーの背中に乗ってお散歩するのよ!どう?楽しそうじゃない?」
「お前な……」

 人の気も知らないで。口を突いて出そうになった言葉を呑み込んだホルマジオは、代わりに拍子抜けしたように吐息を漏らす。

 あんな酷いことをされた直後だというのに、どうしてそう天真爛漫な笑顔を浮かべられるんだ。それに酷いことをしたのはオレも一緒だ。普通自分を殺すような男を信頼なんてしないだろうに。

 ホルマジオは手のひらに乗せられるほどの大きさにまで縮んだを持ち上げると、彼が部屋に侵入した時に使った換気口の鉄格子の間に彼女を下ろした。が換気口から離れると一度能力を解除した。そして外にいる等身大に戻った彼女の腕が格子の間を通って差し伸べられる。彼はその手を握った。

「合図したら勢いよく引き上げてくれ」

 今だ、というホルマジオの声が聞こえたのと同時には思いっきり腕を体ごと引いた。1秒と経たないうちに彼の体は縮み、男一人分の体重も1秒と経たないうちに軽くなって、結果は尻もちを突いて背中を地面に打ち付けることになった。

「あいたたた……」

 そう言って彼女が肩ひじをついて起き上がろうとして目を見開くと、元のサイズに戻ったホルマジオが彼女の身体を跨ぐように覆いかぶさっていた。目が合ってふたりはとっさに顔を逸らす。

 何を今更恥ずかしがってる。さっき抱き合ってディープキスまでしたじゃないか。

 お互いが内心でそう思っていた。



41:The Reason



 遅めの昼食だか早めの夕食だかを済ませてホテルに戻ったふたりは、改めて報告のために母国のアジトへ電話をかけた。こちらは夜六時、向こうは深夜十一時だ。だというのに、たったのワンコールでリゾットが応答する。ホルマジオがリゾットへ報告を済ませご苦労と労いの言葉を投げかけられたかと思うと、突如として通話の相手が変わった。メローネだ。

「チッ……おい。メローネがお前と話したがってる」

 ホルマジオはに携帯電話を手渡すと、気だるげにベランダへ出てポケットから煙草とライターを取り出した。備え付けのデッキチェアに寝転がって外の景色を見ながらタバコを咥えて火をつける。夕暮れ時のイパネマのビーチは美しい。だが聞こえてくるのは海岸に打ち寄せる波の心地よい音ではなく、が耳に当てるスピーカーを音源とした、ひどく取り乱した男の喚き声だ。ホルマジオはうんざりした様子で息を吐きだし、紫煙をくゆらせた。

「ああメローネ。お疲れさま。…………心配してくれてありがとう。大丈夫、何もされてないわ。…………え?ああ、彼のこと?…………知ってるわ。ええ。ご忠告どうも。気を付ける。……ええ、私もよメローネ。皆に会えるのを楽しみにしてる。それじゃあね」

 はメローネとの通話を終えると、携帯電話をホルマジオに返そうとベランダへ出た。が近づくのに気づいて、彼はとっさにコンクリート製の床に火のついたタバコを放り投げると、靴で踏みにじって火を消した。はデッキチェアの背もたれ越しに携帯電話を差し出した。彼はそれを受け取りながらに疑問をぶつける。今しがた聞いた彼女とメローネの会話で解せないことがあったのだ。

「何で嘘吐くんだよ」
「え?」
「何もされてないってあいつに言ったろ」
「……ああ。そのこと」

 ホルマジオには、メローネが彼女にどんな話をしていたか、その内容までは聞き取れなかった。だがの返答から大体の内容を把握できた。

 敵のアジトに向かう前、メローネはが手ひどい拷問を受けているかもしれないと危惧していた。だからきっと、何か酷いことをされていないか?とに聞いたのだろう。はメローネに嘘を吐いたのだ。の返答に、足の爪を剥かれたとか、歯を麻酔も無しに抜かれたという情報は添えられないどころか何もされていないときた。さすがのメローネも、彼女が嘘を吐いていると分かったことだろう。

「ひでぇ拷問受けてあまりにも痛かったんで、オレに自分を殺させたって報告はしなくて良かったのかよ。ホルマジオの野郎はくそったれのサド野郎だってよ……」

 メローネに殴られるくらいのことをした。ホルマジオはそう思っていた。もっと言えば、例えチームメイト全員に咎められながら唾を吐きかけられ殴る蹴るの暴行を受けても自分の気が済むとは思えないほど、彼はを――どんな理由であれ――一度自分の手で殺してしまったことを悔やんでいた。消え入るような声で自分を罵る言葉を吐き捨てて何の反応も示さないをちらと横目で見ると、彼女は悲し気な顔で夕闇に呑まれつつある景色を眺めていた。

「悪い。別にお前を責めてるわけじゃあねーんだ。ただ、お前にあんな――」
「あなたはサディストなんかじゃない」

 はホルマジオの言葉を遮った。

「面白いわよね。私達の間で起こったことってひとつだけなはずなのに、こうも感じてることが真逆なんだもの」

 ホルマジオは要領を得ないの話に眉根を寄せ、黙ったまま次の言葉を待った。

「……私今まで、あなたのこと勘違いしてたみたい」

 はホルマジオが横たわるデッキチェアの傍に座り込んだ。顔は海岸線に向けたまま、言葉はすぐ隣のホルマジオに向けられる。

「最初ね、もしかしたら殺してもらえないんじゃないかって思ったの。私が苦しんでるの見て、楽しんじゃう人なんじゃないかって。でも殺してって私が頼んだあとのあなたの顔を見てすぐに分かったわ。あなたはサディストなんかじゃない。少なくとも私にとってはね。私に苦しんでほしくないって思って、それで殺してくれたのよね。ほんの少しでもあなたのこと疑った自分が恥ずかしいわ。……ごめんなさい」

 なるほど。どちらを選択しようと、サディストに変わりないってことか。

 彼がここまでひねくれた物の考え方をするのは珍しかった。考えすぎている。それは彼自身が重々承知していた。いつまでも過ぎたことでくよくよと悩んで愚痴を垂れるなんてみっともない。そうも思った。

 だが、のこととなると通常の思考回路がうまく機能しなくなる。彼女にどう思われるかとか、普段他の人間相手では少しも気に留めないようなことが頭をもたげるのだ。もやもやと整理のつかない心情の所為で何だか息苦しい。何故こんな思いをするのか、理由は明白だった。だが彼はそれを言い出せず、口は尚も閉ざしたままでいる。

 そんな彼の様子をじっと見つめたあと、はゆっくりと立ち上がり、デッキチェアの肘掛けに乗せられている彼の左手に指先だけでそっと触れた。

「助けてくれてありがとう」

 最初からこう言えていればよかったのに。きっと自分の無神経な言動が、ホルマジオを苦しめているのだ。

 もまた後悔していた。そしてこの時、死にたがる自分と、それを見る者との間には決して埋められない深い溝があるのだと思い知った。自分が求める幸せな最期など、一生手に入らないかもしれない。もしかすると、そんな最期を求める自分の心に何か欠陥があるのかもしれない。

 ホルマジオに殺してもらえたという喜びよりも、今は彼に殺させてしまったという後悔の方が大きい。仲間に自分を殺させることがこんなにも後味の悪いことだなんて知らなかった。そんなことを思う自分の心情には、自身がひどく驚いていた。らしくないのは自分も一緒かもしれない。

 ホルマジオがまた新たに見せた一面と、そんな彼の表情に打ちのめされた。彼女はいつものように何も考えず、ただ快楽の余韻に浸るだけではいられなかった。

「ふう……今日はなんだか疲れちゃった。まだかなり早い時間だけれど、シャワー浴びて先に寝ちゃうわね」

 そう言ってがバスルームへと向かった後、ホルマジオはおもむろにデッキチェアから起き上がった。冷蔵庫の中を漁り、缶ビールらしきもの――DEVASSAという赤い文字と水着姿の女の絵があしらわれている――を取り出すと、再びベランダへと向かう。

 何にせよ、こんな缶ビール一本で気は紛れそうにない。
 冷えたビールを二、三口勢いよく飲み下し、ホルマジオはまた新しく煙草を一本取り出した。吸って火を付けて吐いて、吸って吐いてと繰り返し、たまにビールを啜ってぼうっと目の前の景色を眺めた。気づけば海岸沿いの歩道の街灯に明かりが灯っている。ついさっきまで海もビーチも街も全部オレンジ色一色で染め上げられていたのに、今では景色がすっかり夜の闇に包まれていた。

 ふと、部屋の方からシャンプーのいい香りが漂ってきた。その香りに誘われるように、ホルマジオはぬるくなった缶ビール片手に部屋へ戻る。

 寝ると言ったのは本気らしい。薄暗い部屋で照明をひとつもつけず、はバスローブを纏ったままベッドに雪崩れ込んだ。そしてホルマジオに背を向けて動かなくなる。

「なあ

 酒が入って少しだけ饒舌になったホルマジオは、恐らくまだ起きているであろうの背に向かって投げかけた。

「明日までここに泊まってかねーか」

 は寝返りを打ってホルマジオを見やり微笑んだ。

「私もそれを言おうと思っていたところ」

 ホルマジオは彼女の返答に満足して頷くと、残り少ないビールを飲み干してゴミ箱に捨ててバスルームへと向かった。



 帰る前に、には言っておきたいことがある。帰るにはまだ早い。帰れば辺りは邪魔者だらけだから。