暗殺嬢は轢死したい。

 きっとギアッチョはまたいつもの様にぶちギレてがなり立てるだろうと、リゾットとメローネは思った。しばしの沈黙の間、重たい雰囲気がリビングに充満する。

「んな仕事よォ……麻薬ルート仕切ってる連中がやりゃあいいだろうがッ。なぁ~んでオレたちが安い金で連中の尻拭いなんざしなきゃあならねぇんだァ!?ふざけてんのか!?おいメローネ!お前ふざけてんのか!!?」
「リーダーに向かって怒鳴れないからってオレに向かってキレるなよな」

 ほら見たことか。やはりギアッチョはキレた。とメローネは溜息を吐いた。今度の仕事の内容にどうにも納得がいかないらしい。と言っても、彼が文句の一つも吐かずに仕事に就いたことなどただの一度も無い。どんな仕事を振られても、少なくともぶつぶつ何か文句を垂れるくらいはする。

 そんな三人の様子を、はダイニングテーブルについて朝食を取りながら見ていた。

 シチリア島か……。いいな。ギアッチョの車でドライブしたら、きっと最高の思い出になるはずだわ。



 今回の仕事の内容は平たく言うと、海賊狩りだった。

 パッショーネはイタリアで麻薬を蔓延させるにとどまらず、他国にもそれらを売りさばいている。トルコで生産されたヘロインをフランスを経てアメリカへ密輸するという、所謂“コルシカコネクション”と呼ばれるルートは七十年代に崩壊したとされているが、パッショーネはそのルートを今も活用していた。厳密に言うと、過去のそれはイタリアを経由していないので全く同じとは言えないが、パッショーネはコルシカ島とサルデーニャ島の間の海域で、フランスのギャンググループと取引をしているが、近頃、その密輸船を襲う海賊が出始めたと言う。海賊の殲滅。それが今回の仕事の内容だった。

 ただでさえ麻薬ルートをしきってウハウハしている連中を嫌っているギアッチョのことだ。今回の仕事を尻拭いと捉えるのも無理は無いし、今回ばかりは完全に理不尽な怒りをぶちまけているとは言い難いと、リゾットもメローネも思った。だが、納得がいくからこそ彼の怒りは根強い。これから彼を仕事に向かわせるために宥めすかさなければならないと思うとふたりは気が重かった。

「そもそも何でオレ達なんだよ!?」
「海賊連中はどうにもすばしっこいらしくてな。そこそこの武装もしていて、ただの船乗り同然の運び屋には手に負えないらしい。先週なんて、運び屋全員ぶち殺された上で船ごと掻っ攫われたんだと。それでオレ達暗殺者チームに白羽の矢が立ったってワケだ」
「で、なんでオレがそんな尻拭いしなくちゃあいけねーんだよ!?」
「海上ならいくら相手がすばしっこくったって、お前の氷で一発だろう?海賊連中はなかなかデカい船に乗ってて、人数も十人以上はいるらしい。お前の能力ならその全員を一気に無力化できる」

 自分の能力を買ってくれるのは嬉しい。という思いよりも、暗殺とは程遠い仕事内容に違和感を覚える方が大きいのか、ギアッチョは話を聞き始めてからずっと眉間に皺を寄せていて、しかめっ面を隠そうともしていなかった。気分爽快、晴れやか!と言った顔でいることなど無いに等しい彼だったが、ここまで仕事を任されることをよしとしないのも珍しかった。

「凍死させるだけじゃなく、凍らせて無力化した後、船、船員もろとも海の藻くずと化してこい。C4はオレが手配する」
「ああ!?なんで爆弾なんか使わなきゃいけねーんだよ」
「連中は組織がフランスのギャング相手に売りさばいた武器なんかも強奪して、それをそのまま海賊行為に利用しているんだ。絶対零度で氷漬けになった船がそのままティレニア海沖に浮かんでいたらどうなると思う。警察が不審がって船が溶けるのを待つだろう。氷が溶けた後、船の中に積んである武器の製造番号なんかを手掛かりに追跡調査でもされると面倒だから、船、武器、船員もろとも海に沈めろと言われているんだ」

 C4という、にとって謎の名詞の後に続いたギアッチョの“爆弾”という言葉。それを聞いて彼女はうずうずした。彼女はまだ、爆死を経験したことがない。どうにかして爆死を経験してみたいと前々から思っていた彼女は、これこそ好機であると思った。海上での爆死。それは誰に迷惑をかけるでもない最高の死に方だ。熱いのだろうか?焼けるような思いをすることになるのだろうか?その前に臓物が飛び散って達してしまうのだろうか?の頭の中はそのことでいっぱいになっていた。一体どこで爆死させてもらえると思っているのか、と彼女にツッコミを入れてやれる人間はいない。彼女がその願望を口にせず、ただ妄想に耽っていたからだ。

 次に密輸船がシチリア島を出る日がいつかとギアッチョが聞くと、それは今週末だとリゾットが答えた。かなり性急な話だとギアッチョは焦ったが、人に見られないようにと煩わしい段取りを踏む必要も無い仕事なので問題は無いとメローネが言う。

「今回は派手に暴れてこい。いい機会だ。今回の仕事で怒りをぶちまけてくるといい」

 リゾットはギアッチョにそう伝えると自室へと戻っていった。リゾットが廊下へと繋がる扉の向こうに姿を消すのを見届けると、はウキウキとした足取りで、リビングのソファーに腰掛けたままのギアッチョとメローネの傍に近寄った。

「ねえ、ギアッチョ」

 ギアッチョが背後から呼びかけられ振り返る。満面の笑みを浮かべたが、彼を期待に満ち溢れた目でみつめていた。

「今回のそのお仕事、私、ついて行ったらダメかしら?」
「ダメだな」

 問いかけられたギアッチョではなく、メローネが即答した。

「どうして?」
。君が何を思ってこんな危険な仕事に関わろうとしているのか分からないが危険すぎる!もしギアッチョがしくじって、海賊連中に君を誘拐されたらと思うとオレは気が気じゃない。相手は海賊なんだぞ!?何をされると思う!?誘拐され、身ぐるみを剥がされ、散々に凌辱された暁に、君はきっと性奴隷となることを強要されるんだ!!」
「最低最悪な妄想しすぎだぜメローネ。っつーかよ。そもそもオレはそんなへまはしねー」
「ギアッチョ。暗殺者たるもの、常に最低最悪の状況を想定して行動し、それを未然に防ぐように動かなければならない」
「おめぇに説教されるとイラつくんだよ死ね」

 仲が良いのか悪いのか分からないふたりの言い争いを聞きながら、は自分の過去に思いを馳せていた。それは、つい最近まで率先して思い出そうともしていなかった幼き日の記憶だった。

 グラナート――の父親が、赤いオープンカーの助手席に彼女を乗せて、シチリア島の海岸沿いをドライブしていた時の、その光景が蘇る。青い海、海岸に打ち寄せる波の音、そして、赤いアルファロメオ。潮風は彼女の頬を撫ぜ、髪を空へと誘った。視線をはるか遠くの水平線に向け、幼いながらにその先に広がる世界に思いを馳せる。しばらくすると父親が自分を呼ぶ声が聞こえてくる――。

 いい思い出だ。それは今でも彼女の胸を暖かくした。そして彼女は思った。

 ……何か思い出せることがあるかもしれない。

 過去を無理に思い出そうとしなくていいと、はリゾットに言われていた。しかし、そうは言われても、自分の過去にどうしても思い出せない“空白の期間”があるのだ。意識しないでいいと言われても、意識してしまう。

 彼女はプロシュートとの仕事を終え、リゾットに思い出すよう言われた過去を打ち明け、ひとしきり涙を流し悲しんだ。そして、今の彼女はひとりでは無いとリゾットにもプロシュートにも励ましを受けていた。そういった経緯があって、彼女は今後自分のどんな過去が明らかになろうとも、きっと大丈夫だろうと根拠のない自信に満ち溢れ、安心感も得ていた。彼女は少しずつ、今まで散々目を伏せてきた自分の過去に目を向けようとしていた。

「ねえ、ギアッチョ。私、シチリア島に行ってみたいの」
「なんだよ。行った時ねーのかよ」
「……いいえ。小さい頃に父とよく行ったの。その記憶の中のシチリア島はとても綺麗なところだった。……だから、あなたの車でドライブできたらどんなにいいだろうって思って」

 そう言って儚げに微笑むの顔から、ギアッチョは目が離せなかった。ただ美しい思い出に身を委ねたくて言っているわけではないと、ギアッチョには何となく分かった。彼はの過去について詳しく話を聞いているわけではなかったが、自分と同じように、彼女もまた暗い過去を背負っていると薄々感じていた。そんな彼女が過去に触れようとしている。彼は漠然とそう思った。



 がチームに配属された当初、ギアッチョは彼女に疑いの目を向けていた。彼女がチームに配属されたタイミングが問題だったのだ。それは仲間がふたり、ボスによって葬り去られた直後だった。暗殺者チーム内で謀反でも起こそうという空気が蔓延していることだろうと考えたボスの差し金で、彼女はきっとそのお目付け役なのだと、ギアッチョは考えていた。

 しかし、彼女と生活を共にする中で、そんな勘繰りは消えていった。彼女はただの死にたがりの快楽中毒者。彼女が求めている物が何かに言及しなければ、街を徘徊する薬物中毒者とその心理状態はほとんど変わらない。

 にもかかわらず、普段の振舞いはいたって普通だった。むしろ彼女はチームのために何かできることはないかと甲斐甲斐しく動いていた。彼女がチームに身を寄せ始めてから、メローネに付き合わされて幾度となく彼女の一日を観察していたが、ボスとのつながりなど微塵も感じられなかった。自分の考えすぎだったのだ、と彼は最近になって思い至っていた。

 そんな、普段とても明るい彼女が、ここ最近、暗い顔をしている時がある。ギアッチョはそのことを気にかけていた。メローネからニューヨークでのアクシデントについては聞かされていたし、プロシュートがとアジトに戻った時も何か物々しい雰囲気を醸し出していたので、何があったのかと彼に聞くと、簡単に彼女の過去について知らされた。何となく、彼女の過去が彼女を思い悩ませているのだろう。そして彼女の過去は、彼女が気にする以上に重いものなのだろうとギアッチョは思った。決して自分からに聞くことはなかったが、彼はそう確信していた。

 ギアッチョも、つい最近まで自分の過去に思い悩まされていた。だが、彼は暗殺者チームに身を置いたことで、その過去から決別――とは言わないまでも、自分を受け入れ、生きていくことができていた。チームこそ彼の拠り所であって、凶暴な自分自身を凶暴なまま活かすことのできる場所。きっとにとっても、このチームはそんな場所なんだろう。少なからず、ギアッチョはに自分との共通点を見出していた。



「お金はいらない。ただ、連れて行って欲しいだけなの。実行者分の分け前は全部ギアッチョに渡してってリゾットにお願いするわ。ダメって言われてお金渡されたら、こっそりあなたに渡す。でも、仕事で手伝えることがあれば手伝うから。お願い」

 まあ、取り分が減らないってんならいいか……。

 が何を目的としてついていきたいと言っているのかギアッチョには分かりかねたが、シチリアへ足を伸ばせば気分転換にはなるだろうと思った。彼女には暗い顔なんてせず、笑っていて欲しい。

「……リゾットがいいって言うなら、いいんじゃあねーか」

 シチリア島は人生で最後に訪れるべきとも言われるほどに美しい――これは初めに行くと他が美しく思えなくなるほどに美しいという意味だ。――場所。それじゃあ、シチリアに住んでる連中はどこに行けば満足するんだ。とギアッチョは思ったが、メローネがそれ以上にイラつくことを言いだしたので、彼の怒りは一気にそちらへ向いた。

「おいギアッチョ!正気か!?」
「逐一うるせーぞメローネ!に危害を加えそうな連中を近づけたりなんかしねーから黙ってろ!」
「じゃあオレも行く!」
「逆におめーがいた方が足手纏いだ!今回の仕事は、お前明らかに向いてねーだろ!自覚ねーのかタコ!ターゲットの顔も名前もわかんねーのに、どうやってスタンド能力使うつもりだァ?役に立たねーどころか、金食うだけだからここで大人しくしていろ!」
「なんだよ!はいいのかよ!?」
は車が運転できるからな。船の運転だってできるだろ。メローネ。お前じゃあ島に帰りつける気がしねー」
「え!?ロードスター運転させてくれるの!?」
「おい!オレは車の話してんじゃあねーんだよ!オレが族の船凍らせてる間に、船の舵取ってろって言ってんだ。誰もオレの車を運転していいなんて言ってねー!」

 は下唇を突き出し、わざとらしく悲しそうな顔を見せた。メローネによしよしと頭を撫でられると、ギアッチョがいじめるわ、とわざとらしく文句を言う。そうやって楽しんでいるのだ。ギアッチョはそんなふたりの姿を憎々し気に睨みつけ、大きな溜息を吐いて天井を仰いだ。
 
 それにしても、最近の自分は変だ。ギアッチョは苛立たし気に頭を掻いた。のこととなると、いつもの自分でいられなくなる。気付けば彼女の姿を目で追っている。最近彼女に元気が無いように気付いたのもその所為だ。このアジトで生活してる男連中の過去になんて全く興味無かったのに、のそれは気になって、彼女に関する話にはついつい話に耳を傾けてしまう。今まで他人に興味なんて少しも持たなかったのに、彼女のことは気になって気になってしょうがない。彼女に笑っていてほしいだなんて、普段の、いつもの自分には起こり得なかった感情だ。

「ギアッチョ!くれぐれも、のことは気にかけてやるんだぞ!?」

 いつの間にか、はリゾットの部屋へ直談判しに向かったらしい。メローネが興奮した様子でギアッチョに詰め寄った。それを煩わしそうに受け流すと、ギアッチョは天井に向かってふうっと息を吐きだした。

 スポーツカーの助手席にオンナ乗せてシチリア島の海岸沿いをドライブか……。そう言えばガキの頃……そんな夢見てたっけか。



32:Take Me Out



 ギアッチョとのふたりは、ナポリの船着き場から車で夜行フェリーに乗り込んだ。夜の八時頃だった。パレルモには翌朝六時半頃到着予定だ。十時間半の船旅になる。は船員が車のタイヤに輪留めを噛ませるのを確認するなり車から飛び出しトランクを開けた。必要最低限の荷物を取り出すと、うきうきとした様子で船室に向かって歩き出した。

「ねえねえギアッチョ。見てよ!すごく夜景がキレイだわ。ナポリってこんなに綺麗な街だったのね」

 船底から階段を上ったすぐの場所で、は柵から身を乗り出して進行方向とは逆を振り返った。街の明かりが彼女の瞳を輝かせている。そんな彼女の横顔に、ギアッチョは見入っていた。

「ねえ聞いてる?ほら、見なさいってば」

 はギアッチョの頬を両側から手の平で挟んで無理やり首をねじらせ、自分が見ているのと同じ方向を向かせる。

「や、やめろ!首が折れる!」
「そんなに力入れてないわ!で、見たの?綺麗でしょ?」
「綺麗だよ!分かったから手ぇ放せ!!」
「何か私が言わせたみたいになっちゃったわ」
「分かってんじゃねーか……!」

 はギアッチョの頬からぱっと手を離すと、いつもの身の伴わないふくれっつらを見せた後ににっこりと笑みを浮かべた。

 ほんと、調子狂うんだよな……。

 じゃない誰かにこんなことをされたら完全にぶちギレているだろうに、彼女の前だと上手く怒りを表に出せなくなる。ギアッチョはを背後に残し、船室までの道のりを急いだ。怒った?なんて笑いながら、がギアッチョに駆け寄った。

 もちろん、彼女が完全に悪いこと――ギアッチョの車を勝手に乗り回すとか、車の内装とかを勝手にいじって自分仕様に変えたりとか、彼女の金でメンテナンスをしれっとやっていたりだとか……その他もろもろ車に関する事――をした場合はさすがにプッツンしてしまうのだが、こういった他愛ない戯れ程度では声を荒立てられなくなっていた。

「狭めーなオイ!」

 予約していた船室前に辿りつき、扉を開けて部屋の中を見た瞬間ギアッチョは声を上げた。

「フェリーの一番グレードの低い個室なんてこんなもんよ」

 は感慨深げに部屋の丸窓から外を見た。既に外は暗闇で、街の明かりも届かないほど船は沖に出ていた。しゃがみ込み、目線をめいいっぱい上に向けると、星々が夜空に煌めいているのが見える。幼いころはこんなに身をかがめなくても見ることができたのに、とは思った。

 やけに落ち着いた様子のに大して、ギアッチョは妙な緊張感を覚えていた。今までこれほどまで狭い部屋で、女性とふたりきりで一夜を明かした経験など、彼には無かった。彼は童貞というわけでは無かったが、その性格が災いして女性との交際が長続きしたためしもなければ数もこなせていない。そんな彼が、この距離感でを意識するなというのは困難な話だった。プロシュートにいつぞや言われた「遊びじゃあねーんだぜ」という叱責が頭の中でこだまする。

 クソ!童貞みてーに緊張してんじゃあねーぞギアッチョ!!

 彼は心の中で自分を叱咤すると、はしごに足をかけて二段ベッドの上の方へと向かった。

「あ、上取られちゃった」
「うるせー」
「ふふ。いいのよ、私別に下で。言ってみただけ。ほら、二段ベッドの上の方でどっちが寝るかって、兄弟がいたらそんな喧嘩するんでしょう?私、一人っ子だったから、少し羨ましくなっちゃって。それにしてもまだ寝るには早いんじゃないギアッチョ。ごはん食べに行きましょう?」
「……そう言やあ腹減ったな……」

 “兄弟”という言葉を聞いて、ギアッチョは眉間に皺を寄せた。この女、オレのことを弟か何かだと思っていやがるのか。

 そう思うと、彼は不思議と落ち着けた。

 勘違いすんな!は仕事仲間で、今回の旅だってただの仕事なんだ……。

 ギアッチョは陣取りを済ませたベッドから降り、の顔をわざと見ないようにして部屋を出た。はそれを追いかけ部屋を後にして、ふたりは船内のレストランへと向かった。