相変わらず――暗殺者チーム以外の――誰かに監視されたり、過去を探られたりしているのではないかという漠然とした不安に襲われながらも、は日常を過ごしていた。
彼女の言う日常とは、カーディーラーでの勤務という至極真っ当な仕事の傍らで、ギャングスターとして暗殺をこなし、そのアジトに身を置きながら仲間の監視を受けるという奇天烈な二重生活を送ること。そんな生活にも大分慣れてきたなあと感慨深く思う彼女だったが、・はやはり刺激を追い求めていた。
どうにもパッショーネ暗殺者チームの先輩方は、の“何度でも死ねる”という特性を利用する気概に欠けている。欠けているというよりも、もはや忘れ去られているのではないかとすらは思い始めていた。リーダーであるリゾットには先刻「必要に駆られない限りお前の能力を使わせるつもりはない」と宣言されているので、そのリーダーの意思がチーム内で浸透しているのであればそれは当然とも思えた。だが、せっかく人目を気にせず死ねる環境なのに、と鬱々とした思いがの中で積もり始めていた。
暗殺者チームの面々は、皆が冷酷無比な暗殺者ではある。だが、仲間の死すらも何とも思わないような人間の集まりではない。むしろ、幾度となく死線を掻い潜る中で培われた仲間への情は、他のチームのそれよりも厚いと言えた。はまだチームに入って間もなかったが、チーム唯一の女性であること、そして持ち前の人柄とミステリアスな性質も相まって、メンバーの皆から親しまれていた。そんな彼女を、自らの手で死に追いやりたい、死ぬところを見たいなどと思う人間は、チームにはひとりもいなかった。
そして今日もチームリーダーリゾットより、新たな裏の仕事が言い渡される。だが、今回の仕事でもどうやらに“死に所”は与えられそうになかった。
「仮面舞踏会って……あのヴェネチアのカーニバル?それって、まだ時期的にだいぶ先じゃない?」
「そうじゃない。仮面舞踏会を金持ち連中がパーティでやるんだ」
ターゲットは、組織の金を“洗って”いた会計事務所の副社長だった。黒い金を扱うことに疲れたのか、正義を振りかざして英雄にでもなるつもりでいるのか、はたまた社長の座でも狙っているのか……動機は不明だが、内部告発をするつもりでいるらしい。
そんな会計士が、ミラノで開かれる上流階級の気取った催し物に出席するというので、雑踏に紛れて殺してこい。というのが今回リゾットに下された指令だった。
「グスタフ朝時代の終焉……か」
メローネが誰となしに呟くと、は首を傾げて彼に解説を求めた。
「いや。仮面舞踏会で暗殺なんて、時代を逆行するみたいな話だなと思ってね。グスタフってのはグスタフ三世のことで、二百五十年くらい前にスウェーデン王国の国王だった人物さ。彼は仮面舞踏会で暗殺された中でも特に有名な男だ」
「へえ……メローネってやっぱり博識だわ。尊敬しちゃう」
「こんなこと知ってたって何の得にもならないけどな。それよりオレは、どうやったら君がオレと寝てくれるかってことが一番知りたいね。それこそオレにとっての神秘だ」
「メローネ。あなた本当にもったいないわ」
口を開けばへのセクハラに余念のないメローネだったが、今回彼は事前調査以外で仕事に関わるつもりは無いらしい。パーティ会場はターゲット以外の人間が周りに大勢いるので、実体を伴う彼のスタンドだと目立って仕方がない。それに彼はついこの間アメリカで仕事をしてきたばかりで、暗殺の実行者として配当報酬を多めに受け取っている。
基本的にスタンド能力を持っているかもしれない組織の裏切り者の始末以外であれば、つまりスタンド能力も何も持たない人間相手であれば、皆――ペッシを除くが――暗殺できる経験と実力を有している。特に能力の向き不向きを考慮する必要も無い場合、仕事の回し方は当番制と言ってもよかった。それが報酬を皆に平等に配当するための基本スタンスだ。
ということで、今回の仕事を担当するメンバーについては、メローネと同じ理由でイルーゾォも不適。ホルマジオは見た目からしてもろギャングなので不適。ギアッチョはすぐにキレるので不適。ペッシも見た目が浮くし、彼はまだ見習いなので不適。
残るはプロシュート。彼であれば、その見た目から上流階級の気取った催し物に参加するのに申し分は無いし、最後に仕事をこなしてしばらく経っていたので懐も寂しくなっていることだろう。
「ということで、プロシュートとが適任だと思う」
「え、私も?」
「プロシュートのスタンド能力は、女には効きづらいんだよ」
「別に、男ひとりやるくらいの手助けなんかいらねーよ」
「ひとつ忠告しておくと、今回のターゲットはギャングを敵に回しているという自覚があるのでかなり用心深くなっているんだ。そう簡単にターゲットに“直ざわり”できると思わない方がいい。やつが今回パーティに出るって決めたのは、パーティ会場にギャング撲滅に力を注いでる政治家が参加するってことで、そいつに相談するためらしいんだ。だから、むやみやたらと誰とでも話さないだろう。それに皆が仮面付けてて安心ってのもあるんだろうな。上流階級の気取ったパーティにギャングが紛れてれば、すぐにその素行で判断がつくと思ってるだろうから、とてもギャングとは思えないがいればかなり仕事はスムーズに済むと思うが?」
プロシュートはメローネの話を聞いて、なるほどな。と頷いた。確かに、殺されるかもしれないと意識している人間に、パーティ会場で、しかも仮面舞踏会という、素性の知れない者同士の社交の場で話しかけてくる男のことなど怪しむに決まっている。その政治家とはあらかじめどんな格好でどんな仮面を付けていく、などと口裏を合わせているだろうから、殺しやすい場所にひとりで誘い出すのも一苦労。だが、それがギャングらしからない女性ならば、一気にターゲットのガードは緩むだろう。
もちろん、彼のグレイトフル・デッドで老化ガスを会場内に充満させてしまえばそれが一番手っ取り早いのだが、暗殺対象以外の人間への攻撃はなるべく控えたいところだった。それは最後の手段として取っておくとして、がターゲットをホテル内のどこか個室へ誘い込み、誘い込んだ先でグレイトフル・デッドで老衰させる。逃げられなくなったところにサプレッサー付きの銃で頭部に弾丸を打ち込む。それが今回の仕事のベストな流れだ。
「今回の仕事は“処刑”ってことでいいんだよな?」
プロシュートはリゾットへ尋ねた。
「ああ。同じことを考える人間が出ないように、“処刑”しろ。と指令が来ている」
この話はも聞いていたが、彼らの言う“処刑”が何か、その本質を彼女は知らなかった。
処刑って……普通に殺すことと同じ意味じゃあないのかしら?
がそんな疑問を抱いている間に、メローネとプロシュートの会話の内容は、変装のための衣装と仮面をどうするか、というものに変わっていた。
プロシュートは仕事のためにと――趣味の部分も多分にあったが――ブランド物のスーツやタキシード等は一通り揃えていたので、あとはその辺の露店か土産物屋にでも行って仮面を買えば良かった。問題はのドレスだ。女性の場合、パーティドレスと一言に言ってもその種類は非常に幅広く、とりわけミラノに居を構える金持ち連中が仮面舞踏会という一風変わったパーティ会場にどんな服を着ていくのか。さすがのプロシュートにもそれは未知の世界だ。
「。君は、お高くとまった超セレブ連中が集まるようなパーティに行ったことはあるかい?」
「え、ええ。お店のお客様に誘われて何度か」
「じゃあ、ハイブランドのドレスは持ってるんだな?」
「何着か持っていたんだけれど、頂き物は好みじゃないとすぐ売っちゃうし、好きなドレスで二着くらいは手元にあるけれど……仮面舞踏会じゃシンプル過ぎて浮いちゃうかもしれない」
「じゃあ買いに行こう。プッチあたりならそこそこ派手だろう」
「派手過ぎたら逆に暗殺には不向きだろうが。まあ、別にプッチだってプッチ柄ばっか売ってるワケじゃあねーけどな」
「何?やっぱりドレスって買わなきゃいけないの?」
「浮くのはまずいからな。ちゃんと金持ちって思われなきゃあいけない」
「お金は……少しは貯えがあるから大丈夫だけど、上から下まで全部揃えるとなると五百万リラくらいは最低でも必要よね……」
が顎に手を当ててうーんと唸り声をあげて難しそうな顔をすると、プロシュートとメローネの目線がゆっくりとリゾットへ向けられる。すると、リゾットは観念したようにかぶりを振り、溜息を吐いて切り出した。
「必要経費なら仕方ない。五百万リラでいいのか?」
「え!?……お金出してもらえるの?」
「使ったら売って金にして返せ。それが条件だ」
「何だか悪いわね……」
経理担当リゾットの鋭い視線を受け、あまり心から喜べないでいただったが、仮面舞踏会に潜入するというまるでドラマのようなシチュエーションに思いを馳せ、彼女はひとり心躍らせていた。
25:Fashion
イタリアはナポリが生んだファッションデザイナー、プッチ。彼の独創的且つ大胆な図柄と、その柄を遺憾なく取り入れたハイセンスなアイテムは世界中で愛されている。もまた、所謂“プッチ柄”に魅せられた女性の一人だ。とは言っても、普段使いで取り入れる機会もあまりないので、欲しいと思ってもドレスにだけはなかなか手を出せないでいた彼女だ。まさかこんな機会が訪れるとは!なんと幸運なことだろう。とは心の底から喜んでいた。彼女は入り口にブランド名が掲げられたブティックの敷居を跨ぐと、すぐさまパーティドレスを探すために店の奥へと足を運んだ。
そんな彼女に付き添う男がふたり。目を輝かせるの姿を眺めながら牽制しあって立っていた。
「何でお前まで来るんだメローネ」
「お前だけのドレス姿見るなんてずるいじゃないか。だから今ここで見ておく」
「メローネよォ。最近よく思うんだが、お前は公私混同しすぎだろう」
「気のせいだ」
「いーや気のせいなんかじゃあねーな。金魚の糞みてーにに付きまといやがって。ストーカーかてめーは」
「オレがに発信機と盗聴器を仕掛けているのは、仕事だ」
「もろストーカーじゃねーか」
ところで、とメローネは話題を変えた。
「プロシュート。お前はミラノでの監視、どうするつもりだ?」
「どうって……ずっと一緒にいるしかねーだろ」
「いや。監視カメラをナミの客室に仕掛けてずっとモニターで監視するって手もあるんだが」
「面倒くせーし変態みたいだからやりたかねーよ。そんなことはよォ」
「それは、オレが自費でホテルの部屋代を出してやるからと同じ部屋で寝ることは控えてくれないかという頼みを真っ向から拒否するつもりってことだな?」
「……お前相当に入れ込んでるんだな」
「彼女は何かと危機感が足りてないからな。オレが心配してやらないと」
彼女と同じ部屋で寝泊りすれば十中八九彼女を襲うかのようなメローネの物言いにカチンときたプロシュートは、眉を顰めてメローネを睨みつけた。
「少なくともお前と同じ部屋で寝るより安全だとは思うがな。オレは丸腰の女に手錠で拘束されるほどの油断もしねーし、拘束されてねーと襲いかかっちまう程女に飢えてもいねーからよォ」
「おまっ……その話、誰から聞いたんだ?」
「イルーゾォだな。アイツお前がいない間に腹抱えて笑いながら暴露してたぞ。それを聞いたホルマジオも大爆笑だ」
メローネはパシっと音を立てて顔面に手のひらを打ち付け、やれやれと項垂れた。口の軽いイルーゾォに話したのが間違いだったと幾ばくかの後悔の念を抱いたメローネだったが、メンタルの強い彼は大した動揺も見せずに続けた。
「とにかく、彼女のことはよく気にかけてやってくれ」
いつにもなく真剣な面持ちでメローネがそう呟くのを、プロシュートは怪訝そうに眺めた。何か思い詰めた様子だ。がアジトに身を寄せるようになる前まで、飄々とした態度で下ネタばかり口にしていたメローネのそんな表情は、少なからずプロシュートに煩慮の念を湧き起こさせた。だが彼は大して追求もせずに、ああと短い声を返すまでに留めた。
「ねえねえ。これなんてどうかしら?仮面付けたら完璧じゃない?」
いつの間にか試着室を借りてドレスに身を包んでいたが、ふたりの前に躍り出た。黒を基調としたワンショルダードレス。アシンメトリーがテーマのようだ。裾は全体的にふわりと広がっており、スカート部分は片側だけひざ上八センチメートルほどの短さ。また、片側の脇腹のあたりに大胆なカットアウトが施されていて、そこからも肌が露出している。メローネはの露わになった太ももや脇腹を見て、あからさまに興奮した様子でぺろりと舌なめずりをした。
片側だけの長い袖はゆったりとしていて、が腕を動かせば揺蕩った。ネックラインにはピンク系統の色をしたビーズの刺繍が施されており、が一周回ってみせるとキラキラと輝いて見えた。
「ベリッシモ!!さいっ―――こうに美しいぞ!結婚してくれ!!」
「結婚はしないけどありがとうメローネ」
は頬を人差し指で掻きながら、嬉しそうに笑った。だが、プロシュートは顎に手を当てて何やら考え込んでいた。
「おい。値札は見たのか」
「え?」
「そいつはだいぶいい値段しそうだが」
はうなじをさらしてメローネに値札を見るよう伝えると、呼ばれた彼は嬉々としてに近寄って値札を外へと手繰り寄せた。
「……このドレスだけで五百万リラするな……」
「ほんと?……残念だけどさすがに予算オーバーね。まだバッグも靴も買えてないわ……」
「ああ。気にするな。オレが出す!その代わりオレと結婚してくれ!」
「代償が大きすぎるわメローネ。私の人生はプライスレスよ。世の中タダより高い物って無いのよ」
ふたりが何やら訳の分からない会話を繰り広げていると、プロシュートはぴしゃりと言い放った。
「。オレが買ってやる」
「え?またなのプロシュート!」
またって何だ、とメローネが呆けた顔で突っ立ったままでいると、プロシュートはメローネのことなどお構いなしにへと近寄り、おもむろに彼女の手を取って自分の唇に寄せた。
「服くらい何だ。買ってやるさ。お前がオレのシンデレラになってくれるんならな……」
控えめなリップ音を立てて、の指にキスを落とすプロシュート。その様子をメローネは眉下に黒い影を落とし、額には青筋を浮かべ、下唇を噛み締めて恨めしそうに見ていた。そんな彼にとっての唯一の救いは、が頬を染めるでもなく、うふふと満足気に笑っているだけだということだ。
「メローネ!あなた、プロシュートのこういうところは率先して真似するべきよ!そうすればきっと、世の女性たちに気に入ってもらえるわ。ああ、プロシュート。本当にありがとう!でもさすがに五百万リラもするドレスまるまる買ってもらうなんて申し訳ないわ。何か他で埋め合わせさせてね?」
そう言ってにっこりとメローネとプロシュートのふたりに笑いかけると、は身を翻し、ウキウキとした足取りで試着室へと戻っていく。プロシュートは全く手ごたえを得られず打ちひしがれて、離れ行くの後姿をただ黙って目で追った。何が起こったのか理解できていない様子だった。
「シンデレラが何だって?ええ?プロシュート……。ざまぁねーなオイ」
メローネが、片側の口角を最大限に吊り上げて嘲笑っていた。