暗殺嬢は轢死したい。

『――本日未明、人気ロックバンド“ザ・サムズ”のリードボーカル、ヌーブ・キャンベル氏が、自宅浴室にて死亡しているのが発見されました。二十七歳という若さでした。ニューヨーク市警は今のところ現場の状況から自殺との見方を強めていますが、キャンベル家の顧問弁護士を務めていたアンナ・ミラーさんがヌーブ氏の自宅に持ち物を残したまま行方不明となっており、事件との関連性を調べて――』

 イルーゾォ、メローネ、の三人が各々の仕事を終え、イタリアのアジトへと戻った日の夜七時ごろ。テレビ画面にニュース番組を映しつつ、チームの面々はリビングで仕事の成功を祝し宴を開いていた。他国のアーティストではあったが、イタリアにも少しはファンがいて需要があるとみなされたのか特集を組むほどの尺は設けられないながらも、それはイタリアの影の首謀者と実行犯に、確実にターゲットが死んでいるという事実を知らせてくれていた。

「まるでカート・コバーンだな」

 ギアッチョはニュースを見ながら、六年前に同じアメリカのロッカーが同じ年齢で猟銃自殺をした事件を思い出した。彼がそう呟いたのをは聞き逃さなかった。

「ギアッチョ。カートとあの男を一緒にするなんて私が黙ってないわよ」
「何だ?お前ファンだったのかよ。オレはどうもグランジって種類の音楽は聴いてると気が滅入るんで好きになれねーんだよな」
「あらもったいない。私は彼の音楽大好きだったわ。彼にはヌーブと違って作詞作曲のセンスがあったし、才能も十分あった。クスリは使っていたけれど、彼は人を殺したりなんてしてない善人よ。カブってるのははたから見れば自殺っぽいってところだけ」
。自殺っぽい、じゃあない。あれは完全に自殺だ。カートのは今でもちまたで他殺説が囁かれているが、今回のは他殺なんて疑惑すら起きない完璧な自殺だ。被ってるのは薬物依存症だったってとこと死んだ年齢だけだぜ」

 メローネが得意げに言った。普通自殺に見せかけるのは、ベイビィへの教育というフェーズでなかなか骨が折れるし難しいのだが、今回は母親が良かった。とリゾットへの報告も兼ねて、暗殺の経緯が語られる。

「失踪したことになっている“母親”だって、跡形も無くベイビィの養分になったし……オレたちの仕業だなんて結論には未来永劫至らないだろうな」
「なるほど……。首尾よく仕事を終えてきたようだな。やはりお前たちふたりを行かせたのは正解だった」

 よくやった。報酬のことは明日の朝に。そんなお決まりのセリフを残して、リゾットは席を離れた。

「リゾット。ごはんもういいの?まだたくさん残ってるわ」

 リビングから出ていこうとするリゾットの背に、は残念そうに言葉を投げかけた。祝杯の席で皆でつつくマルゲリータは半分以上残っていた。皆、食事よりも酒の方が進むようで、冷えたピッツァに手を伸ばす者はあまりいなかった。リゾットは顔だけへ向けると、ドアノブへと手をかけた。

「お前らで食べてくれ。仕事がある」
「そう。分かったわ。おやすみなさい」
「ああ」

 メローネはリゾットがリビングを後にしたのを確認すると、すぐに彼の後を追った。まだ報告が全ては終わっていないからだ。イルーゾォが席を立つメローネを見ると、彼は黙って少しだけ頷いた。

「メローネ。あなた全然食べてないじゃない。あなたももういいの?」
「そんなにオレが恋しいかい?すぐ戻るよハニー」
「恋しいという訳ではないけれど……」
「ああ、そうやってつんけんするキミもディ・モールト愛らしいな」
「おい。そうやってまるで母親みたいに食え食えって言うのやめろよ」

 イルーゾォがそう言って笑いながらの肩を抱くと、メローネは少しだけ顔を顰めてリビングを後にした。

 メローネがリゾットの後を追うと、彼は階段の踊り場に足をかけるところだった。

「リゾット。まだ報告することが残ってる」

 呼び止められた彼は踊り場に乗り上げたところで足を止め、メローネを見下ろした。メローネはいつになく真剣そうな顔をしていた。リビングにいた時にできなかった理由でもあるのか?とリゾットは勘繰った。

「何だ。……部屋で話すか?」
「ああ。それがいい」

 木製の簡素なデスクとPCと、あとあるのは綺麗にシーツも枕も整えられたベッドだけ。生活感のかけらも無いリゾットの部屋に、メローネは通された。デスクの傍に折り畳み式のスツールがあったので、リゾットはそれを使え、と顎で指し、自分はデスクの椅子へ腰掛けた。

「……のことだ」

 遠征先での出来事。それをリーダーへ報告すべきか否か、イルーゾォと話合った結果、やはり報告は必須だという結論に至った。下手を打てばチームだけの問題ではなくなると思ったからで、もし自分たちの選択が過りだったとしたら早めにニューヨークへ戻らなければならない。

の父親が、パッショーネの人間に殺されたギャングだったってことは自明のことと思うが、その小姓をやってたらしいインヴィートってイタリア人が、を連れ去ろうとした。昨晩のことだ」
「……それで。どうした」
「相手はニューヨークに身を寄せてる所謂“残党”だ。うかつに手を出せば、話はややこしくなると思って殺さないまま帰ってきた。何しろ、相手のバックにどれだけの勢力があるか全く分からなかったからな」
「そうか。それで、そいつは何故を連れ去ろうなんて考えていたんだ?」
「さあな。彼女を嫁にするとか何とかふざけたことを言っていた。だが、奴の最終的な目標はパッショーネに報復することらしいな。……何故だかが生きていることもニューヨークへ来ることも知っていて、を“鞍替えした”と言って責めていた。つまり、パッショーネにいることを知っていたんだ」
「このチームにいることも知っていたのか?」
「いや、さすがにそこまでは分かっていないようだった」

 リゾットはインヴィートと呼ばれる男が生きていることで起こり得ることは何か、と考えを巡らせた。

 がパッショーネの一員となっていることを知っているというだけで、彼女が今どこに住んでいるのか、とかいった情報までは掴めていない。ということは、自分たちの存在まで明らかにされているとは到底思えず、今後ボスから振られる仕事への影響はまず無いと言っていいだろう。

 それに、残党と呼ばれるギャングは何もニューヨークにしかいないという訳では無く、それらの始末はボスによく振られる仕事のひとつでもあった。インヴィートという男が生きていることで、イタリアの地で何か実害が生じればボスから殺せと命じられるだけ。男はその時に始末すれば何も問題は無い。

「念のため、そいつの血液は必要以上って程大量に採ってきたきたので、オレだけでももう一度ニューヨークへ行けばいつだって好きな時に殺せる」
「今のところはそれで十分だろう。むしろ適切な判断だ。無駄に争いを起こして仕事を増やしても仕方がないからな。そいつが、を含むオレ達に何かしてきたらボスに報告する。殺すか殺さないかは、そこで判断を仰げばいい。ただ、のことを嗅ぎまわる連中がいるのはいただけないな。オレたちの存在が組織以外の人間に知れると仕事もやりづらくなる。を監視する際は、彼女だけでなくその周りにもしっかり目を光らせておいた方がいい」

 メローネはリゾットの言葉を聞いて頷くと、分かった、と一言呟いて席を立とうとする。が、リゾットに引き止められる。

「それだけか?……まだ何か言い足りないんじゃあないのか」

 リゾットにはメローネが報告の最中、何か言うか言うまいかと目を泳がせていたのが分かっていた。さすがと言うべきか、リゾットの洞察力は彼の一瞬見せただけのメローネの躊躇いを見逃さなかった。

「……このことが何を意味するのか、それが脅威になるかどうかもオレには良く分からないんだが……のスタンドを見たんだ」
のスタンドだと?」
「ああ。インヴィートって男を捕らえる時、経緯でイルーゾォのスタンド能力を使ったんだ。相手もスタンド使いだったからな。なんだか、豹みたいな凶暴なやつで――」

 リゾットはメローネの話を黙って聞いていた。とメローネのふたりが敵のスタンドに襲われそうになった時、間一髪でイルーゾォの能力が創造した鏡の中へと退避できたこと。その際、世にも悍ましい見た目をした――の見た目からは全く想像もできないようなスタンドが彼女の身体から引き剥がされていったこと。そして、インヴィートを捕らえ外のスタンドを消失させた後実世界へ戻ると、のスタンドが彼女の身体へと戻って姿を消したこと。

「ただ、彼女が何か……抱え込んでるものがあるんじゃあないかって、あのスタンドのなりを見ると思ってしまった。監視しろってボスの命令が今まで何のためか皆目見当もつかなかったが、オレはその理由が何となく分かった気がする……」
「つまり、彼女には注意しろということか?」
「まるで核弾頭を光背みたいに大量に抱えてたんだ。あの凶暴性しか感じられないスタンドを見れば、きっとあんたにもオレが言ってることが分かるはずだ」
「……分かった。心に留めておこう」

 リゾットは、デスクに肘をついて手を組むと、退室しようと出口へ向かうメローネの後姿を見届けた。扉が閉じられ、自室にひとりになってからもその体勢を崩さず、リゾットはメローネの話を反芻していた。



 可能であればを殺せ。それは彼女がアジトで生活するようになってすぐリゾットに下された命令だ。したがってリゾットは、彼女がボスに死を望まれていることは既に知っていた。だが、それが何故かは全く分からないままだった。が、とてもボスの脅威になるとは思えない、ただ絶対に死なないというだけの女性だからだ。しかも彼女には、始末されてしまったかつての仲間――ソルベやジェラートの様に、ボスのことを探る意思すら無い。だからなぜを監視した上で殺せれば殺せと命じられているのか、まるで検討も付かなかった。ぼんやりと、父親を殺された彼女が組織を裏切る可能性が少しでもあるからだろうとは想像はできたが、それはあくまで想像の域を出ることは無かった。

 確かに本人が言う通り、メローネの話からは確固たる脅威は見出せなかった。彼女が何か抱えているにせよ、現状は凶暴性の片鱗すら見せない快楽中毒者だ。しかし、そんな彼女の監視と殺害を命ずるボスにとって、彼女が脅威となり得るかもしれない可能性がメローネによって示された。

 無数の核弾頭を背負う死神。それは確かに“メガデス”と名付けるにはこれ以上無い程に相応しい風貌だろう。そして、彼女を無限に治癒し、無限の死を可能にする能力。それだけのエネルギーがあれば、“百万の死”を与えることは可能かもしれない。それを脅威としたボスの判断にも頷ける。そして同時に、リゾットは思った。

 イルーゾォの能力でスタンドを引きはがしている間に彼女を殺したら、どうなる……?

 彼女の肉体が滅ぶのと同時にスタンドも滅ぶのか?それとも現実世界に戻った彼女の亡骸に死神が憑りついて、彼女を再び殺すために生き返らせるのか?――彼女の意思が永遠の死を望まない限り、イルーゾォの能力を持ってしても彼女を永遠に葬り去ることはできないのか?

 試すには余りにも危険な行為のように思えた。何しろ本人は、いまいちスタンド能力を制御しきっていない。彼女はイルーゾォとメローネが見たその姿を全く知らないと言っているのだ。そんなが、イルーゾォの能力でスタンドを引き剥がされたまま殺されたらどうなるかなど知っているはずがない。

 リゾットは試してみたいと少し思ったが、すぐにそんな考えを捨て去った。を殺すことに何らメリットを感じられなかったからだ。 

 リゾットはこれまで、無期限の仕事を与えられたことは無かった。そして、その仕事にどう取り組むべきかという疑問に、自分なりの答えを見出せずにいた。仕事を与えてきた上司が尊敬に値する者であれば、気に入られたいという思いからできるだけ早くその仕事に着手し、結果を出すことに専念することだろう。だが、彼は迷っていた。

 リゾットはつい最近、可愛い部下をふたりも見せしめに殺されたばかりだ。

 もちろん彼には、部下が命を落としたのはパッショーネの……もとい、人類の禁忌とも言える行動を、ふたりに許してしまった自分の責任だという認識はあった。だが、ボスに対する反感は少なからず自分も抱いている。これまで幾度となく胸糞悪い仕事を任されてきたし、割に合わない金でいいように扱われてきた。今更ボスのご機嫌を取りに行く気力など、リゾットには湧いてこなかった。

 無期限とはつまり、不可能を前提にしている。できなかったことでお咎めは無い。

リゾットは、という新入りに改めて興味を持ち始めていた。彼女の過去には何か――ボスへ繋がる何かがあるかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつあった。



23:Lithium



「おお!帰ってたのか!女っ気が無くてそろそろ気が滅入りそうになってたところだったんだぜ!」

 午後九時を少し過ぎた頃、はぎょっとして玄関の方を振り向いた。ホルマジオがニコニコと屈託のない笑みを浮かべながら自分の方へと向かって来ていたのだ。ホルマジオは彼女の隣に空いたスペースを見つけると、そこをめがけて勢いよく腰を降ろした。

「ほっ……ホルマジオっ……。お帰りなさい……」

 はホルマジオに肩を抱かれた途端に顔を真っ赤にさせて、何とか彼から離れようと抵抗していた。そんな様子を面白くなさそうにイルーゾォが見ていると、その視線に気づいたホルマジオがニヤついた顔を彼へ向けた。腹立たし気に顔を背けたイルーゾォは、手に持っていたビール瓶を呷って気を紛らわせる。

「あ、あの……ホルマジオ?」
「ん?何だァちゃんよォ?」
「……あなた、酔ってるの?」
「んあー、えーっと、そうだな。何杯かひっかけて帰ってきたが……なんだ?久しぶりのオレの抱擁が気にくわないってーのか?」

 酒臭い、熱い抱擁に頬ずりまで加わって、は今まで見せたことも無い程の動揺っぷりをさらすことになった。彼女は抵抗する腕にさらに力を込めたが、それを上回る腕力でホルマジオによって身体をホールドされる。

「ひっ……久しぶりも何も、あなたに抱擁されたことないし……ちょっと、ドキドキするから、放してほしいわ」
「ドキドキ!?ああ。もっとドキドキしやがれ。そしてもうオレのもんになっちまえーっ!」
「きゃあーっ!!誰か助けて!!」
「おいホルマジオ。酔っ払いオヤジかテメーは!が嫌がってるだろうが。放してやれ」
「ちっ。優等生のプロシュートじいちゃんがうっぜェーーー」
「誰がじじいだもういっぺん言ってみろコラ!!」
「おいホルマジオ!!そこは、の隣はオレの席だ今すぐにから離れないかっ!!」

 リビングに戻ったメローネの乱入によって宴の場がより一層の盛り上がりを見せる中、は頬を手のひらで覆って赤面した顔を隠していた。

 ……まる二日くらいじゃ、どうにもならなかったみたいね……。

 今回のニューヨークの旅で彼女が目標に掲げていたこと。それは“男を見る目を養う”そして“ホルマジオの甘い誘惑を忘れて頭をクリアにする”。確かにニューヨークでは色々とあったので、今の今までホルマジオのことを忘れてはいた。だが、意識的に彼の存在も甘言も、頭の中から排除しようと意識していた訳では無かった。

 そして彼女はつい、それを口にしてしまった。

「ムラムラするわ……」

 まるで薬物依存症の患者みたいだ。イルーゾォは、親指の爪を噛みながら右足の踵を高速で床に打ち付けるの様子を見てそう思った。

「おい。ムラムラってなんだ」
「嫌だわイルーゾォ。私の言うムラムラが、あなたたちのそれと違うのは知ってるでしょう?最近私……死んでないじゃない?それをホルマジオに思い起こされちゃったのよ。そうは見えないかもしれないけれど、私今とっても興奮してるわ。すごくムズムズしてるの。でも、大丈夫。これはいい兆しよ……今度死んだとき、最高の快感が私を待ってるわ……」  

 とてもいい兆しには見えない。酒に酔ったメンバーがやいのやいのと乱闘騒ぎを起こしそうになっている中、イルーゾォは隣の残念美人を見て眉を顰め、そして諫めた。

「クスリが切れたヤク中みてーだぞ
「まあ大差ないかもね。早く私のこと使ってくれなきゃ、欲求不満で爆発しちゃうかも」

 無邪気な笑顔を向けて言い放つ彼女の冗談を冗談とは思えず、イルーゾォは賑やかなリビングでひとり臆病風に吹かれていた。