暗殺嬢は轢死したい。

「真っ赤なジュリアのクソみたいに狭い後部座席にオレが乗ってて、お前は助手席で楽しそうにブランディを歌ってた。……おやっさんは、そんなお前を愛しそうに眺めてたよ。あの時はおやっさんもオレも、お前に夢中だった……」

 インヴィートは両手首を拘束されベッドの足に固定されたまま、彼のすぐ傍でベッドに腰掛けるを見上げ感慨深げに呟いた。イルーゾォとメローネのふたりは、インヴィートが何かしないように、何かしようとしてもすぐに対処できるようにと目を光らせていたが、今のインヴィートは手負いの草食動物の様に大人しく、生気はさっぱりと消え失せていた。

 が過去を思い出すことになるのは、此度のアメリカ滞在中で二度目のことだった。しかも、思い起こす情景は同じだった。どうもそれは決まって彼女を悲愴な面持ちさせ、彼女が知らない内に涙を零させた。は涙が頬を流れ落ちるのを感じ取ると、とっさにそれを指で拭った。

「泣いてんのか……?泣いてるのに、怒りは湧かないんだな……。オレにはやっぱりお前の気持ちが理解ができねェよ」

 イルーゾォの立ち位置からの表情は伺えなかったが、インヴィートの言葉でその表情がどんなものか想像がついた。つい最近イルーゾォは、彼女が赤いアルファロメオを眺めながら涙を流しているところを見たからだ。

 イルーゾォは前々から覚えていた、彼女に対する違和感の正体を掴みかけていた。

 彼ら暗殺者は、暗殺によって自分の家族を奪われる者の憎しみをダイレクトに向けられる第一人者でもあった。愛する肉親を理不尽に永遠に奪われ、怒り憎しみを抱くのは人間であれば当然のこと。それにもかかわらず、は怒りも憎しみも忘れ、あろうことか仇であるはずのパッショーネに身を寄せ、快楽に耽っている。インヴィートが理解できないと言うのは、敵ながら当然のことだと思えて仕方が無かった。

 そして彼女は、今回のアメリカでの仕事でターゲットとなっていた女をメローネが犯していると聞いて、少しも嫌悪感を表に出さなかった。そもそもの話をすると、今まで犯罪行為に手を染めてきたわけでも何でもない彼女が、すんなりと暗殺者としての自分を受け入れているのも、よくよく考えてみれば不自然なことだった。

 彼女からは怒りと憎しみという感情が欠落している。

 それが生まれついてのものか、彼女がこれまで身を置いてきた環境によるものなのかは分からなかった。ただ、不自然だと、イルーゾォは漠然と思っていた。 

「……私、叶わない願望は抱かないようにしてるの。……疲れるから」
「大きくなったらお父さんと結婚するって、耳にたこができるくらい言ってたお前がよく言うぜ」
「……そんなの大抵の女の子が言うわよ」
「それもそうか」
「ねえインヴィート。……あなたと思い出話に花を咲かせていると、楽しいようで……なんだか悲しい気分になるわ」
「……。オレは絶対にお前を諦めない。それだけは覚えておいてくれよ。その悲しい気分ってのが沸き起こるのが何故か……いずれ気づかせてやる」
「もう十分だ」

 メローネがふたりの会話に割って入ると、彼は自分の手荷物の中から錠剤の入った小さなボトルを取り出した。何錠か手のひらに取り出すと、インヴィートの傍まで近寄り、片手で彼の頭髪を鷲掴みにして自然と開かれた口にそれを押し当てた。

。水を」

 はメローネにそう言われると、先ほど彼女がインヴィートに飲ませようとミネラルウォーターを注いだグラスを手渡した。タイミングも何も無く乱暴に口へと注ぎこまれた水にむせかえったインヴィートだったが、何とか錠剤は吐き出すこと無く少量の水と共に嚥下した。じきに意識が朦朧とし始めた彼は、何かうわ言を言いながら深い眠りへとついた。

「……さて。後は帰るだけだな」

 はそんなメローネの言葉にはっとして、左腕に付けていた腕時計を見た。時計の針はもう少しで夜九時を指し示そうとしている。この時間だと、レストランはおろかケーキ屋なんて店を閉めているに違いない。は溜息を吐いて落胆する。

「残念。ニューヨークチーズケーキだけでも絶対に食べたかったのに」
「ルームサービスでも頼むか?というか、チーズケーキくらいメニューに載ってるんじゃあないか
「私が行く予定だったところのニューヨークチーズケーキじゃあなきゃいけなかったの。ああ……明日は朝早いし、お店も開いてないわよね……」

 彼女は、そうなった原因がすぐそこで眠っているにも関わらず、少しも恨めしそうな顔を見せることは無かった。



22:Undisclosed Desires



「イルーゾォ。寝ろよ」
「お前が寝ろ。朝から腰振りまくって疲れてんだろ」
「全く疲れてない。それに寝ようと思えば帰りのフライトでたっぷり眠れる。だから寝てくれて構わないぞイルーゾォ。……ほら、早く寝ろよ」

 室内を照らす照明は、ベッドの枕元に備え付けられたナイトランプだけだった。その他には街の街灯や向かいのビルの明かりが差し込むだけの薄暗い室内で、イルーゾォとメローネのふたりはこそこそと口喧嘩をしていた。だけが、シングルベッドで安らかに寝息を立てている。男二人はそんな彼女の寝顔を眺めながら、窓際に備え付けられたソファーに腰掛け、襲い来る睡魔と戦っていた。寝る訳にはいかない。インヴィートがいつ目を覚ましてスタンドで攻撃してくるかも分からないし、それに敵は何もインヴィートだけでは無いのだ。

「お前がのこと犯さないように見張っているんだ。寝るわけにはいかない」
「なんだ?のナイトにでもなったつもりか?いつからのことを聖母みたいに崇め始めたんだお前は。そもそもお前だってのこと襲ってやろうって考えているんだろう?」
「バカ野郎。どっかの変態サイコパスじゃああるまいし」
「じゃあ寝ろよ。寝て楽になれよ」

 イルーゾォは終わりの見えない口喧嘩に飽き始めると、顔を手のひらで覆ってそのまま撫で降ろした。睡魔と戦う彼は大口を開けて欠伸をすると、どうせなら話題を変えて眠気を覚まそうと、屋上で見たモノについてメローネと話すことにした。あれが幽霊でも何でも無い、のスタンドだということは彼も分かっていた。

「……お前も見たんだろ。オレが鏡の中にお前を引き込んだ時、呆然としてたのはアレを見ちまった所為なんだろう?」
「ああ。見たさ。の身体に戻っていくのも見た」
「可愛い顔して、あんなバケモン体の中で飼ってたなんてな」
「……あれは彼女が内に秘める凶暴性かもしれない」
「だとしたら、お前気を付けた方がいいんじゃねーか?いつぶちぎれて殺されるか分かったもんじゃねぇぞ」
「だがおかしいと思わないか?彼女は何故、死んでもいないのにスタンドを発動してるんだ。おれのベイビー・フェイスは発動させなかったから、当然元の世界に戻っても姿は見せなかった」
「さあな。の身体から離されるということ自体を敵からの攻撃と認識して、オートで攻撃するようにプログラムしてるとかそんなとこか?」
「だが、メガデスは攻撃も何もしなかったよな」
 
 そこまで考えて、メローネは思い出した。あの、鎖と一対になっているように見えた、大きく頑丈そうな見た目をした錠前を。そして、インヴィートが何の根拠も無く言い放った“誰かに操られている”という突飛な仮説を。



 仮に彼女が何者かにその能力や精神を制御されているとしたら、それが一体何のためなのかという疑問が当然沸き起こった。

 彼女の怒りや憎しみといった感情を制御する必要があるのは誰か。それは十中八九パッショーネのボスだろう。あの、仲間にすら姿を一切見せない、もはや存在すら都市伝説と化しているあの人間だ。彼が自身の姿や過去やその他一切の自分に関わる情報を抹消することに拘っていること、そしてボスについて探ることが絶対のタブーであるということは、暗殺者チームの全員が身をもって味わった事実だ。

 もし、が本当は過去に復讐心を持っていて、その所為でパッショーネに囚われて何らかの手段で精神を抑え込まれ、攻撃の手段を封じられているとしたら?そのことに彼女が気づいて、精神の解放を望んでしまったら……?

 薄給で自分たちを好きなだけこき使い、あろうことかつい最近仲間をふたりも死に追いやり、自分たちに首輪を付けたボスのことなど、メローネにとってはどうでも良かった。

 彼が一番気がかりなのは、彼女の感情を解き放ってしまったら、彼女がパッショーネを拒絶し、アジトを離れてしまうのではないかということだった。

 彼の、ただ仕事をこなすだけだった退屈な人生は、の出現によって華々しい変化を遂げた。欲求の種類は違えども、その欲求に忠実な彼女の姿はメローネに何か運命のようなものを感じさせた。それまでメローネにとって、女とはただの暗殺か慰みの道具でしかなかったが、は違った。彼を夢中にさせて、愛おしいという感情を引き出した。その愛を受け入れてもらおうと必死な彼のアピールには、大抵の女性が拒絶反応を示しそうなものなのに、彼女は少しも嫌な顔もしなければ拒絶もしなかった。彼がそんな女性に出会ったのは初めてのことだった。健気なアピールも空しく、未だにメローネはを自分の女としてモノにできてはいない。しかし、彼はいずれ本気でそうするつもりでいた。

 そんな最愛の彼女が、自分の元から離れて行くのが怖い。メローネはそう考えていた。

 幸い、イルーゾォは鎖のことや錠前のことにまでは気が回っていないようで、もしかすると自分の考察もただの杞憂に終わる可能性だってある。このことは、必要なときが来るまで胸の奥に閉まっておこう。メローネはインヴィートを担いだイルーゾォとの後ろについて、部屋へと戻る途中でそんな結論に至っていた。



「――確かにな。だが、はスタンドの姿なんて見たことも無いって言ってなかったか?そんな程度の付き合いしかないスタンド相手に命令をするなんて、が思い至ったかすら疑問だぜ」
「ああ。それもそうだ。とにかく、あの恐ろしいなりをしたスタンドのことはには黙っておこう」
「まあ、言ってやったところでって話だしな。自身が驚いて失神しそうななりだったし、わざわざ脅かしてやることもないよな。あー……あの死神みてーなの思い出したらますます眠れそうに無いぜ」
「何だ。図体デカいくせに少女みたいに怖がりなんだな?便所付き添おうかイルーゾォ。寝ろ」
「オレは寝ないぞってお前に伝えたかっただけだ本気にすんな。お前が寝ろ」

 そんな言葉を最後に、しばしの沈黙が訪れた。四人掛けと思われるサイズのベンチソファー。そのL型の角の部分を、イルーゾォは壁に身体を預けるようにして陣取っていた。メローネはベッドに――の寝顔に近い方に腰掛け、から片時も視線を外さなかった。その監視か護衛か分からない行為に対するメローネの熱の入れようを見るに、絶対に寝そうには無い。現時点でメローネが優勢なようだ。劣勢のイルーゾォは負けじと、絶対に寝まいと目をこすると再びメローネに話を振った。

「……お前今日虫の居所が悪いよな」
「そうか?至って普通だろう」
「いや、お前はそもそも普通じゃあねーが……お前の平常時を普通と定義すれば、今日のお前は普通じゃあ無かった」

 完璧にに執心しきっているメローネのことだ。彼がインヴィートの出現によって気分を害されたのは言うまでも無いが、それにしても、慎重さに欠けた行動が目立った。

 インヴィートのスタンドがふたりに迫った時、イルーゾォはメローネに手鏡を持たせたが、がいなければ恐らく、自分に危険が及ぶ行為は徹底的に拒否していたはずだ。彼のスタンドは近くに母体が無ければいけないし、そもそもターゲットの血液が無い。その能力の特性から、メローネは入念に計画を立てての暗殺しかしなかったし、決まって自身は遠くからその暗殺を遂行した。今回の行動は、メローネの暗殺者人生において異例中の異例だ。恋は男をやわにするとは言うが、これが何度か続けば身を滅ぼしかねないのでは、とイルーゾォは危惧していた。もちろん、今回はそういう危ない策に出るほか無かったし、メローネを危ない目に遭わせたのは他でもないイルーゾォだったが、別に彼がそうしなくても、恐らく彼は今回と寸分たがわぬ作戦を提案してきただろう。

 他にも、普段あまり感情的になって行動に出たりしない彼が、怒りに打ち震えてナイフを取り出したり、インヴィートから必要以上の血を抜き取ったり、催眠鎮静剤の過剰投与による殺害をほのめかしたり、とインヴィートの会話に割って入ったり……。

「イラついてんのか?メローネ」
「……あの男は……インヴィートは、の過去を知ってる。きっと、ベリッシモ、最高に可愛かったであろうの過去を……アイツは知ってるんだ。そんなの許せるわけ無いだろう。殺さないでいることを褒めてほしいくらいだ」

 インヴィートがどれだけの組織に組しているのか、彼がどれほどの力を持つのかは全くの未知数だ。戦闘においての力に言及すると、スタンド能力についてはイルーゾォのスタンドで完封できたし、子供を含む全世界の全男性のうち三分の二が余裕で勝てるだろうと思わせるような体躯だったので、素手で再起不能にすることは簡単だった。しかし、だからと言って簡単に殺してしまえば、家族思いのイタリア系ギャングのことなので、イタリアのパッショーネにまでその影響が来ないと断言はできない。殺さないのは最低条件で、できれば今日の記憶だけでも失ってもらえないだろうかとメローネは思っていたが、心神喪失を促す薬も持っていなければ、そんな都合のいい魔法も使えなかった。

「別に、のことを狙ってるのはあの男だけじゃあ無いってことも分かってる。あの頑固ジジイのプロシュートものことを歓迎してすぐ受け入れちまったし、ホルマジオだって彼女と仕事をしてからねちっこい目でを見てる。イルーゾォ、お前だって彼女のことを実はそうでもないふりをして狙っているんだろう?だが、殺してやりたいとまでは思ってない。今のところな。だって、お前たちとはスタート地点は一緒なんだ。のことを、の過去を何も知らない。だから、アジトじゃ普通でいられる」
「……スタート地点は一緒じゃねーぞ。お前ド変態ってとこからのスタートだからな言っておくが」
「とにかく。オレはのことを本気で愛してる。だから、過去の男は永遠に葬り去るべきだって思ってるのに、仕事のせいでそれができないのでイラついてるんだ」
「まあ、お前がに心底惚れ込んでんのは分かった。だが、ターゲットの女をに見立てて犯すなんて、マジに気が触れたのかと思ったぞ。ターゲットと距離を取れってリゾットには言われてただろう」
「殺すときはって話だろう。オレがあの女をやったのはこのホテルじゃなかった」
「ああ。だが、少し冷静になれって言ってるんだ。その内身を亡ぼすぞ」
が原因で死ぬなら本望だ」
「死ぬだけならまだいい。それでお前が仕事をしくじったら誰が尻拭いすることになると思ってる」

 全く聞く耳を持たないメローネは、語っている間もから一切視線を逸らさなかった。すやすやと自分が眠っている間、重たい愛を語られながらじっと見られていると知ったら彼女は一体どう思うのだろう。イルーゾォはの心情を想像したが、彼女の心を容易に計り知れるほどイルーゾォは彼女を知らなかったし、つい先ほど彼女の異常性を思い知らされたばかりだった。だが、何となくありそうな未来を想定することはできた。

 もしメローネが彼女に告白したら、彼のヘビー級の愛を彼女は普通に受け入れて、愛してしまうんじゃないか。

 そう考えると、イルーゾォもまた複雑な心境に陥った。もやもやとした気分のおかげで、先ほどまですぐそこに迫っていた睡魔もすんでのところで引き返したようだ。イルーゾォは日が昇るまで同僚ややインヴィートへ転々と視線を移しつつ、騎士さながらに魔王メローネの毒牙から姫を守護するという務めを果たし切った。



 インヴィートが目を覚ましたのは、朝の十時頃だった。部屋には誰もおらず、何も残されていない。イタリアからの来訪者三人は、何の痕跡も無く客室を後にしていた。インヴィートが意識を手放した時に手首を拘束していた手錠は外されており、彼に残されたのは、大人びた美しい姿の幼馴染の記憶と、水分不足による頭痛だけだった。チェックアウトはされたはずだと迷惑そうな顔を向ける清掃員に部屋を叩きだされた彼は、痛む頭を手で押さえながらふらふらと部屋を後にした。

 …… はもう、帰っちまったんだろうな。

 ぼうっとそんなことを考えると、とりあえずアジトに戻って不在理由の報告せねば、と彼は仲間の元へと帰っていった。